お嬢様は釈然としない
暗い廊下に出る時には、誰かの目に触れるのではないかと緊張したが、首尾良く隣の部屋に滑り込むことができた。ほっとする。
「とりあえず寝ておきなさい」
「そうします」
ディールと先生がいたらどうしようかと思ったが、考えてみれば、彼らがこの部屋にいて、もぬけの殻であることを見つけたならば、すぐに隣の部屋を確認しただろうから、それはありえないのだろう。
アリィシアがもぞもぞとベッドに入る。それを見届ると、エリーゼは帰ろうと立ち上がった。
「ありがとうございました、エリーゼ様。これで任務を全うできます」
本当に嬉しそうなアリィシアの声に、何故か苛立ちが募る。
……エリーゼは、横たわるアリィシアを見た。その幸せそうな、満足そうな表情が、何故だろう、すごくカンに障る。
「ねえ、あなた」
「なんでしょう?」
さっきの言葉は、何の曇りも迷いもないのであろう、純粋な喜びだった。それが何故だか、許し難かった。
「あなた、いつもあんなことをしているの?」
「あんなこと……とは?」
「私が巻き込まれたセンヴァイク伯の事件もそうだったわね。あなた、いつも色仕掛けの仕事をしているの?」
「あー、それですか。いつもじゃないですよ。でも、わたしの魅了の力とすっごく相性の良い仕事だなとは思ってます」
アリィシアは、腹立たしいことに軽いノリで言った。
「あなただって、一応、今はご令嬢でしょう。あんな危険なこと……妄りがましいことをさせられてていいの?」
「いいんです。適材適所ですよ、こういうのって」
「適材適所って……」
「お嬢様なら、わかってくれるんじゃないかなぁって思うんですけどね」
アリィシアは、ふと、まじめな口調になった。
「わたしの魅了の力は、人を不幸にする能力なんですよ。そんなことは、ずっとわかってるんです」
「……」
「同じ力を持った母は、使い方がなってなくて、自業自得ではあったんですけど、自分も不幸になったし、周りも不幸にしました。母の力によって幸せになった人なんて、誰ひとりとしていなかった。わたしは、母のように、ならないと決めたんです」
アリィシアは、厳かに、宣言するように、低い声でゆっくりと、そう言った。
「でも、この力を王子のために役に立てることができれば、きっと、誰かの不幸を防げたり、誰かが幸せになったりする、そんな世界の土台になることができると思うんです。わたしは、王子が、いい国を作ってくれると信じています。だから、それがわたしの生きる意味なんです。今は……そうなんです」
自分の、やりたいこと。
生きる意味。
それを、忌まわしい力で逆に切り開きたい、とアリィシアは言うのだ。
「価値のないわたしが価値のある王子のために死ねるのならば、きっとそれは最高の幸せなんだと思うんです」
ーーあなたの考え、あなたの思い、そういうことを、知りたい
ーーやりたいことはないのか?
黒猫が問い、エリーゼがみつけられない答えを、アリィシアは迷わず掴んでいる。
それを、既に覚悟完了している他人を、何も答えを持たないエリーゼが、非難することが、果たして許されるのか?
何も言えないでいるエリーゼを見て、何を思ったのか、アリィシアは再度嬉しそうに笑った。
「やっぱり、エリーゼ様はわかってくれるって思いました」
「……いいえ、わからないわ」
「わかってるはずです。だって、エリーゼ様は、わたしと同じ匂いがするんです」
「違うわ……」
いや、本当に、違うのだろうか?
家のため、自分を必要とするもののためなら死ねる。そう答えたのはついさっきの自分ではないかーー忌まわしい能力を持つ自分には価値がないから、何か大義のために死ねるならば良いとそう思ったのではないか。それは、アリィシアの言葉と何か違うのだろうかーー
でも、でも、それで、アリィシアは本当に、|幸せになれるのだろうか(・・・・・・・・・・・)?
彼女の献身の果てに得られるものが、それだとして、それは本当に彼女の努力に見合った結果だと、言えるのだろうか?
いや、彼女が納得さえしているのならば、それもまた、ひとつのハッピーエンドだと……言えるのだろうか?
どうしてだろう。何故か、釈然としない苛立ちばかりがつのる。
その時、ノックの音がした。コンコンと二回、その後、コンコンコンと三回、そしてまたコンコンと二回。
起きあがろうとするアリィシアを制止し、エリーゼが扉を開ける。
「お嬢様? どうしてここにいるんだ?」
やはりと言うべきか、そこにいたのはディールだった。
「まあ、その……」
「わたしの体調が悪くて、ついていてくれたんです」
アリィシアの言葉に、ディールは眉をひそめた。問題はそこではなく、エリーゼがどうしてあてがわれた部屋ではなく、アリィシアの部屋にいるのだ、ということだろうから。
非難するような目でエリーゼを見る。またしても部屋を出た理由にヴァイスが絡むことから、エリーゼとしても説明はなかなか難しい。それに、ディールには、さっき苦言を呈されたばかりである。
黙ってはぐらかすことにした。
確かに、反省点ではあるが、最近のエリーゼの行動は、かなり怪しい。何故そこにいるのか、と言われた場合にいろいろと反論がし難い。礼拝堂裏でディールと会ったときは、ヴァイスを追ってきたというのも理由となったかもしれないが、この屋敷にヴァイスがいること自体、そもそもおかしい。
勝手にエリーゼがふらふらと歩いていたことになってしまうのだ。単なる浅はかな散歩だと解釈されればよいが、下手すれば、何かを探っていたのかと疑いをかけられかねない。
今度からは、少なくとも、何か言い訳を考えて動くべきだろう。
「まあ、手間が省けてよかったじゃないか」
相変わらずの軽い口調で、ディールの後ろから現れたアルベルトが言う。
「どうやらその様子だと、状況の説明は終わってるのかな、アリィシアくん?」
「わたしが手紙を探していたことだけはお話しました」
「ほう、手紙は見つかった?」
「はい。エリーゼ様が見つけてくださいました」
どういうことだ、と言いたげにディールがエリーゼを睨むのがわかるので、視線を合わせず、無視した。
「アリィシアくん、体調が悪いのかい?」
「はい……少し、熱があるようでして」
今更と言うべきか、ベッドから上体を起こしたまま話しているアリィシアに、アルベルトが問う。
「それは困ったね。手紙が手に入ったならば、今夜、動くことになりそうなのに、肝心のアリィシアくんが動けないのでは……」
「俺一人でいけますよ」
「まあ、ディールくんの腕は信頼しているけど、それでもねぇ……」
アルベルトは少し考え込むようにして、細められた鋭い視線で、エリーゼを射た。
「代わりにエリーゼくんにお手伝いしてもらうのも、アリかな」
「先生! それは無茶です!」
間髪入れずにディールが否定する。しかし、アルベルトは面白げにちらりとディールを見ただけで、言葉を続けた。
「しかし、今夜、アリィシアくんを動かすのは難しそうではないかな? しかし、リューネ姫のサポートは必要だろう。結構、エリーゼくんは戦れる方だし」
「……俺一人でも、やれます」
「まあそうなんだけどねえ、数は大事だよ、数は」
「お嬢様用の準備ができていません」
「別に準備なんてそんなに必要ないだろう。あのときだって、別に準備をしていたわけじゃないし。アリィシアくんはどう思う?」
突然に話を振られたアリィシアは、少し首を傾げて考えた。
「エリーゼ様なら、わたしも大丈夫だと思います」
「アリィシア!」
非難の声を上げるディールに、アリィシアはエリーゼを見て言った。
「というか、エリーゼ様が話に置いてきぼりになっちゃってますよ。先に、本人の意思を確認すべきじゃないんですかぁ?」
あっけに取られていたエリーゼは、アリィシアの言葉にはっと気を取り戻し、こくこくと必死に頷いた。
「……まずは、ご説明いただかないと、私としても困ります」
「説明の必要なんてない。お嬢様は俺たちと違って、こんな汚れ仕事をする必要なんてないし、そもそも、リューネ姫にお使えする身だろう。全然役割が違うじゃないか」
なおも言い募るディールに、エリーゼは少し苛立った。
話が完全に読めているわけではないが、おそらくはアリィシアが今夜、リューネ姫のサポートとして何らかの動きを期待されていたのが、難しくなったのだろう。
「アリィシアにできることなら自分にもできる、とは思いません、が……、リューネ姫に関することであれば、無視はできない、とは思いますので、お話を聞かせていただけますか」
エリーゼは単なるご令嬢であり、アリィシアはプロだ。できることとできないことがある。しかし、聞く前に『できない』と言いたくはなかった。
ーー自分ができることならば、やろうと思った。
それは、少し前の、事なかれ主義の自分とは違う心の動きかもしれない……。
その時、扉が密やかな音と共に開いた。そこには、間深くフードを被った誰かがいた。
「あらエリーゼ、人を呼びにやったけど、行き違いになったかしら」
「……!」
フードをはずしたのは、リューネ姫だった。




