お嬢様は黒猫に自分について話をする
「結婚しない?」
「そうよ」
「貴族の娘なのに?」
「貴族の娘、だからかな」
エリーゼは、力なく笑った。
「ほら、私の能力は知ってるでしょう。もし結婚して……結婚相手に、その家にその能力が知れたら? 子供もこの能力を引き継いだら? 私だけでなく、私の血筋……実家も忌まわしいものと思われかねない。そうすれば、弟や妹たちにも差し支えるでしょう。だから、結婚は危険だからできないの」
「それで、修道院に行くのか」
「貴族の娘が結婚しない理由なんて、限られているからね……」
この話は、誰にでもできるわけではない。家族の中では、既に決まった出来事として伝えられたものであるし、他に理由を知っているのは、親から相談されたツェツェーリエと、エリーゼから伝えてしまったディールだけだ。
リューネ姫だって、おそらく『結婚できない身体だから』修道院に入ること、その理由は『子供ができないから』か何かだと思っていることだろう。
だから、言葉にしてこの話を他者にしたのは、はじめて、かもしれなかった。
まあ所詮、相手は猫だけど。
「本当はね、学園に来る必要もないのよ。だって、この学園でコネを作っても、何かを学んでも、これから役に立つことなどないのだもの。同年代の生まれで、家格が高いからとリューネ姫の話し相手の一人にと選ばれてしまったから、姫が結婚するまでの間はお仕えしなきゃならなくなっただけで……。お断りは難しいし、そうすることで実家の役にも立てるし」
「そのわりに、リューネ姫とはそんなに親しくないように見えたが」
「付き合いは長いのよ。ただ……リューネ姫自体、自分の心の裡を知られることがあまり好きではない人だし、私も、私の事情にリューネ姫を巻き込むなどとんでもないことだし……」
「リューネ姫の取り巻きは、皆あなたのように彼女を遠巻きにしているというわけか?」
「別に遠巻きになんてしてないわ。私だって。ただ、身分が違うのだから、馴れ馴れしくするのも違うでしょう」
「そうか」
ヴァイスは途端に気がなさそうにくぁ、とあくびをした。ベッドに埋もれたまま、手足をピンとのばす。可愛い。
エリーゼはヴァイスの背中を包み込むように撫でた。
「あなたにとって、この学園にいることも、仕事なのだな」
「仕事というほどのものではないわ。ただ、役目だとは思っている」
そう、役目だ。ただ、日々を流していくだけの、お役目。
いつかは、終わる日々。
平穏で、何かを考える必要すらない、貴族としては逆にそんな生き方で良いのかと言われかねないような、贅沢な立場かもしれなかった。
「あなたは、何か望みはあるのか? 何かしたいことがあるとか、今後、このようになりたいとか」
「変なヴァイス。まるで、本に出てくるおせっかいな主人公のようなことを言うのね」
「あなたを知りたいと思ってな」
――わたし、もっとエリーゼ様のことを知りたいんです
何故か、アリィシアの言葉が思い浮かんだ。
エリーゼのことなど知ってどうしたいのだろう。知ってもらうようなことは何もない。エリーゼはとても単純な世界に生きている。この能力で他人に迷惑をかけることなく、ただひっそりと、世界の片隅で朽ち果てたいのだ。
この忌まわしい能力を持ちながら、家族は自分を殺さなかった。
家族は自分をなかったことにしなかった。利用することもなかった。
ただ、問題なく生きていけるように、最大限に配慮してくれたのが『修道院に行く』という未来だということを知っている。共に生きることはできなくとも、それが、確かに愛情ゆえだとわかっていた。
政治の表舞台に立ったり、軍事的な何かに従事したりした場合、どうしても自分の命を守るため、何かを守るために、この能力を使ってしまわないとは限らない。使える能力を使わないのは難しい。実際に、エリーゼは、アリィシアを救うためなんかにこの能力を使ってしまった。
でも、修道院に入り、何の変化もなく神にすがる生活を送れば、この能力を使わなければならない事態など、そうそうないだろう。
また、もし、万が一、バレたとしても、この忌まわしい能力を持って生まれた自分を日々悔いて、神にすがっているその姿勢が評価されれば……もしかしたら、お目こぼしもあるのではないか……そういった思いもあるに違いなかった。
だから、能力がわかったときから、首都の邸宅で、親や弟妹たちと離れて暮らさなければならなかったのも、仕方ないのだ。
こんな爆弾を抱えた娘を、リューネ姫に仕えさせるなど、親としても恐怖だっただろう。
必要以上、リューネ姫と距離を縮めないほうが、いいのだ。
友人を作るなど、心を許す人間を作るなど、隙があってはならない。恋など、もってのほか。
それが、エリーゼを、エリーゼの大切な人たちを守るための行動なのだ。
だから、エリーゼはとても恵まれているのだから、これ以上、望むことなど、ない。
「私は、誰にも迷惑をかけたくないだけ」
「それが、あなたのしたいこと、なのか?」
「私のしたいこと……」
はた、と言葉が止まる。したいこと、と言われると少し違うかもしれない。
いつだって、この能力をいかにして隠すか、他人に知られず生きるにはどうするべきかを考えて、それ以外のことなんて考えたことがなかったかもしれない。
でも、それが何だというのだろう?
「したいこと、というのは少し違うかもしれないけど、するべきことであることは確かね」
「そうか」
ヴァイスは、ゆっくりと目を閉じて、静かに言った。
「お嬢様は、何のために死にたくないのだ?」
「あなたがそれを聞くの? というか、死にたい人なんていないわよね」
「もし、家のために死ねと言われたら、どうするんだ?」
エリーゼの手が、ぴたりと止まった。
「あなたの存在が迷惑だから、いない方が良いと言われたら、どうするんだ?」
エリーゼの指に力が入る。ヴァイスの身体に触れていた指は、子猫の柔らかい体に、知らずの内に付加をかけたのだろう。ヴァイスが身をよじった。
「それは仕方ないわ。貴族ならば家のために死ぬものではない? 必要とされる場所で生き、必要とされなければ消える。それが高貴なるものの義務でしょう」
それは、この国の貴族であれば、誰でも言える『建前』である。
しかし、ヴァイスは深くため息をついた。
「俺は、あなたを助けたいと思っている。でも、あなたに生きるつもりがなければ、助けることはできない」
「生きるつもりがないとは、誰も言ってないわ。誰だって死にたくはないでしょう」
「そうであればよいのだが」
「……何が言いたいの」
ふうっ、と柔らかい感触が消え、前と同じく、窓辺に黒猫の姿が現れた。
「考えておいて欲しい。俺は、本当にあなたを助けたいと思っている。だが、あくまで助けることしかできない。あなたの意思に反することはできないのだ」
そう言い残すと、その姿は闇に溶けた。
エリーゼが窓辺から下を見ると、黒猫の姿は、前回とは違い、もう、なかった。
「なんなの……一体」
――お嬢様、あなたは死ぬ。
死にたくないのは当然だ。
でも、もし、自分の命が役に立つのならば、自分と、自分の大切だと思っている価値、どちらを選ぶのか。
「そんなの、そのときにならなければ、わからないに決まってるじゃない……」
エリーゼは、壁に背を預け、目を閉じた。




