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後編

『まぁ! この花瓶を壊したのは誰ですか?』

『先生、遥ちゃんが転んで倒したの、私、見ました!』

『遥さん、本当?』

『……』

『遥さん?』

『先生、そんな風に上から遥を責めないで? 遥もわざとじゃないんだ。ね? 遥、そうだよね?』

『…ちあ…』

『ちゃんと、ごめんなさい出来るよね。そしたら、僕と一緒に此処を綺麗にしよう? ね?』

『ん』





『なぁ千秋、お前、アイツと幼馴染ってマジ?』

『アイツって?』

『佐藤遥? だっけ? あの超空気みたいな奴』

『…あぁ遥? うん。家が隣同士』

『うーわっマジなのかー。西本が言ってたけど、アイツ超お前にくっついてんだって? うざくね?』

『あんまり、そんな風に思った事は無いけど』

『お前どんだけ王子だよ。てか神の域だろ。俺だったらヤダね。あんな気持ち悪い女が隣の家とか』

『人畜無害よ?』

『其れがお前、神レベルだっつーの』






   ◇




大きなベッドに憧れてて、なんて無理を言って六畳の部屋に押し込んだセミダブルのベッドの上に遥が寝息を立てて眠っている。俺は、その遥の滑らかな黒髪を指で優しく梳いた。

もう一つ、遥の寝具が収まる部屋が有るのだが、俺は此処で彼女と生活を始めてから彼女をその部屋で一人眠らせた事が無い。


『千秋』を信頼して止まない遥にとって、俺のお願いを一蹴する事なんて有り得ないのだ。


『遥、やっぱりちょっとベッド大きすぎた。何か枕違うし寝付けそうにないから、一緒にベッドに寝てくれない?』


俺が困った表情を携えてそう言えば、彼女は何の警戒も持たずに「ん」と頷いた。従順過ぎて時々怖くもなるけど、此れは俺がそう仕向けて来た結果なのだと思った。




遥と俺は、団地で隣の家同士と言う生まれた時からの付き合いになる。団地の壁は凄く薄い。夏なんかは窓を開放してるから尚更、遥の母親の怒鳴り声が聞こえてきた。


『何でごめんなさいが出来ないのっ!』

『何度同じ事を言ったら解るのっ?』


その度に、俺の母親は困った様に微笑を浮かべ

「遥ちゃん、良い子なんだけどね」

と言った。


遥は昔から、かなり鈍臭い。元からそういう性質なのか、母親の育て方であぁなってしまったのかは判らない。でも、決して一概に『何も出来ない子供』と言う訳では無かった。

集中力は並外れていた様に思う。

余りにも集中し過ぎて他の事が目に入らないものだから、協調性には欠き集団行動には不向きだった。絵を書くのは上手で、小学校低学年の頃の絵画コンクールでは入賞もして表彰されていた。けれどその表彰によって、他人からの視線を浴びる事に苦手意識を持って、遥は其れ以降書いた絵を人に見せる事が無くなった。


遥は何時も不安そうな顔をしていた。他人に傷つけられないかと疑心暗鬼になって、自分から他人に交わる事を止めた。



   ――― でも俺は、知っている



遥が、愛されたいと切に願っている事を。

あれは未だ俺達が幼稚園生の頃だ。運動会の駆けっこで、彼女は一等を貰った。ただ真っ直ぐ走る競技だったなら、彼女が最下位であっただろうが、その時はちょっとした障害物が在った。四人でスタートをして、遥以外の三人はその障害物に躓き、下位を走っていた遥が運良く一位でゴールを決めたのだった。


ゴール前で、写真撮影をしていた俺の母親が「遥ちゃん、一等、凄いねっ」と遥を褒めると、遥は溢れんばかりの笑みを零した。目を細め、口角を上向きにし、小さな白い歯を見せる。

俺はその時、遥の笑った顔を初めて見た気がした。

何時も何時も遥は、誰かに叱られはしないかとおどおどして縮こまっていた。だが、今の遥はどうだろう。俺の母親に向かって、あんなに可愛らしい笑顔を向けたのだ。


ドキドキした、その感覚を俺は今でも覚えている。嘘みたいな話だが、本当だった。多分驚きも大きかったのだと思う。


俺の母に褒められた遥が今度は、自分の母親の前に恥ずかしげに立った。きっと、遥は何時も怒ってばかりの母親にも、今は褒めて貰えると思っていたに違いない。ところが、彼女の母親は園指定の体操服が汚れていたのを見とめて、眉根を寄せた。その瞬間、遥はビクッと体を強張らせて表情を一気に失くした。

子供ながらに彼女のその表情が、遥にとってどれ程酷な事かと思わずには居られなかった。


『ママ、遥ちゃんのママ、怖い』


幼かった俺は、自分の母親の手をぎゅっと握りながら確かにそう言った。




その時から遥は、俺の中で守らなくてはならない存在になった。




小学生になると遥の協調性の無さが顕著になり、彼女の周りには俺以外の友達らしき友達が居なかった。住む場所が数十センチしか変わらない俺達は登下校を一緒にした。元から口数が少ない遥だったから、俺の話に対して僅かに反応を示すその程度だったが、彼女の意識がきちんと俺に向けられている事は明らかだった。遥は、何処かおどおどしていながらも俺の目を真っ直ぐ見て相対するからだ。


其れは暫くしてから知った事だが、遥は彼女の母親に『話している人の目を見なさい!』と度々怒られていた。それ故の行動だった。


遥の瞳に、俺は何故か惹き込まれていた。そしてその目が細められ、白い歯を覗かせてくれれば良いのにと思わずには居られなかった。


小学校中学年になると既に『悪意』を持って遥に接する様な輩も出現していて、俺は遥に近付く人間には注意を払っていた。

変わり者と評される男が、遥に話し掛けるのに気付いた俺は足を止めた。何やら楽しげに校内の花壇の前で話している二人を目の当たりにした俺の胸に、不穏な気持ちが沸いた。


遥は俺に対するのと同じように、その変わり者の男の双眸を見つめ彼の話を聞いている。しかも、今笑ったの? と聞きたくなるような顔を、その男に向かって見せた遥。



遥を守りたいと思っていた。其れが少しばかり形を変えて、俺の中に独占欲が芽生えた瞬間だ。

遥は俺だけを見ていれば良い。



頭の回転は速い、要領も良い。俺が『策士』になる事なんて造作もない事だった。



遥が俺だけを見る様に仕向ける。そもそも友人らしき友人も居ない遥だ。攻めるべくは遥の母親と、内面を見ようとしない馬鹿な教師達だろう。子供は素直で、時に残酷だから、陥落は容易い。


遥が何か失敗をすれば俺はすぐさま彼女を、大袈裟に(・・・・)庇った。其れと同時に遥を甘やかした。

教師達は、手の掛かる遥を面倒見てくれる優等生の俺を称賛する。クラスメイト達は、遥の内向的な性格に苛々し、俺に同情の目を向ける。


家庭訪問が有った夜、隣の家から又、遥の母親が怒鳴っている。

『千秋君に又迷惑掛けてるのっ?』

『お母さん恥ずかしくて学校にも行けないわっ!』


きっと遥は、泣きそうになりながらも母親から目を逸らさずに怒鳴られ続けているに違いない。



中学に上がると男女の色恋が芽生え始め、俺も例に漏れず何度か告白を受けた。俺は決まって「ごめん、気持ちは嬉しいけれど」と断った。すると大抵の女が「佐藤さんが居るから?」と、俺と遥の仲を勘繰った。

「遥とはそういう仲じゃないよ。幼馴染だし、遥ってちょっと目が離せないタイプでしょ?」

明言は避けるものの、俺には遥が居るから恋愛してる暇が無いと寸分違えず受け取る女達は、俺の与り知らぬ所で遥を詰った。



『千秋…?』

『何、遥』

『私、一人で…大丈夫、だよ?』

『どういう事?』

『…私、居ない方が…彼女と』

『あ、もしかして俺が彼女作らないの、自分のせいとか思ってるんじゃない、遥』

『ん』

『自意識過剰』



俺がそう笑うと、其れまで捨て犬みたいな潤んだ目をしていた遥が、あからさまに安堵の色を滲ませた。


遥は、俺の枷にはなりたくないと思いながらも、俺の情愛を手放す事が出来ない所まで来ていた。



俺には遥以外の女と付き合った過去が有る。敢えて、其れを遥に伝える様な事はしなかったけれど、家は隣同士なのだ、行動範囲はたかが知れている。遥も勿論当時の彼女と遭遇した。隣に立つ彼女は優越感に浸って、当の遥は無表情で居ながら ―― 俺にしか解らない程度に ―― 傷付いた目をしていた。


その時俺が抱いたのは、紛れもなく『悦び』だった。


遥は既に、親や周りに罵られる事に鈍化していた。相手が形相を変えたら麻痺するように出来ていたのかもしれない。

だからこそ、遥の一瞬の心の動きが俺を有頂天にさせた。


俺は遥を、傷付ける事の出来る人間であると言う事に。


随分と自分が屈折した人間だなと思う。真っ当な親の元で育った割に、何故自分の遥に向ける感情が『異常』であるのか、過去何度か自問自答を繰り返した。

その度に導き出される回答は、此れに尽きた。



相手が、遥、だからだ。



庇護欲と加虐心を同時に煽る遥と言う、稀有な女。

自分の親が普通であるだけに、彼女の親は最低最悪と言っても過言ではない扱いを遥に虐げてきた。


彼女の母親も、遥が嫌いなら放っておけば良いものを。

出来が悪いのなら、諦めてしまえば良いものを。


其れをしなかった。否、出来なかったんだろう。馬鹿な子程可愛いとかそんな生温い感情なんかじゃない。遥の持つ負のオーラは彼女を苛立たせ、遥の持つ純な部分が彼女にとっては眩しい程で、引き寄せられる。

偏に、遥が彼女にとって自分の血を引く”出来損ない” に集約されてしまうのかもしれない。



俺は遥の母親を最低だと言うが、そんな彼女に似た思考を持つ俺も又、遥にとっては最悪な存在なのかもしれない。

幼馴染の大義名分を振り翳し、意図的に彼女を孤立させ、俺への依存度を徐々に高めさせ、閉じ込めた。



あぁ…遥は俺の本性を知ったら、どう思うかな。悲壮な顔をするのかな。其れとも、涙を流すのかな。喚くのかな。



俺は彼女の黒髪を一房掬い、其処へ鼻を近付けた。俺と同じシャンプーの香りがする。


彼女に似合う香りのシャンプー。

彼女の口に合う様に作るミルクティー。

彼女が好きな色のファブリック。

彼女の舌に乗る何ら変哲も無い料理。



籠、は出来た。




人は此れを異常と言うのだろう。狂気染みてると眉を顰めるのだろう。嫌悪するのだろう。


だが、そんな事どうでも良い。

俺にとっては、遥以外の事はどうだって良い。







   ***





愛されたいと、思う。

異常と言われる程の執着を享受して、精神も肉体も明け渡して欲しい。



あなたしか居ないと、盲信して。

わたしだけだと、囁いて―――――。









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