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銭将軍秀忠、金庫番からの成り上がり  作者: エピファネス
第2章 小田原征伐編

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第12話 石垣山の幻影と、影の誓い

天正十八年(一五九〇年)三月――大坂。

絢爛豪華な甲冑を身に纏った武者たちが整列し、地に轟く太鼓の音が天を突く。


豊臣秀吉が放つ「小田原征伐」の出陣の合図とともに、天下を動かす二〇万を超える大軍勢が東海道を一斉に下り始めた。


十一歳の秀忠(長丸)は、徳川の代参として豪華な輿に揺られていた。


当初、その胸を満たしていたのは、武者震いにも似た高揚感であった。自身が松千代や弥八郎とともに仕掛けた「兵站ビジネス」の首尾の良さも手伝い、天下の歴史が動く大戦の渦中に自分もまた立ち、主導権を握っているという万能感が幼い身体を駆け巡っていたのだ。


だが――その高揚感は、駿河を抜け、相模へと足を踏み入れ進むにつれて、冷水ひやみずを浴びせられたように消失していった。


「……若君、あれを」


輿の傍らを歩く松千代(土井利勝)が、痛ましげに声を潜めた。

秀忠が輿の簾を上げると、そこに広がっていたのは戦国の凄惨な現実であった。


二〇万の大軍が通過する街道筋では、兵たちの掠奪と暴行を恐れた農民たちが家々に火を放ち、泥にまみれて赤子を抱えたまま山中へ逃げ惑っていた。田畑は軍馬の足並みに踏みにじられ、徴発によって種もみすら奪われた村々は衰弱しきっている。街道の脇には、雑兵の死体が打ち捨てられ、からすがその肉を啄んでいた。


「……ひどい」


松千代は思わず目を背けた。実務を仕切る弥八郎(本多正純)も、唇を噛み締め、深く不快感に眉をひそめている。


秀忠は無言のまま、その惨状を凝視していた。

胸の奥で、冷たく暗い感情が渦巻く。

(……算術で米や金を弾き出し、利益を計算するのは容易い。……だが、その数字の裏には、こうして踏みにじられる『民の命』があるのだ。一人の権力者の気分と戦乱によって、民の営みも、経済の血脈も、一瞬で地獄へと変わる……)


秀忠の拳が、膝の上で固く握りしめられた。

天下を統一するとは、ただ武力で力ねじ伏せることではない。このような理不尽な破壊を二度と起こさせぬよう、絶対的な「法」と「制度」で民を縛りつつも護ることなのだと、十一歳の皮膚感覚として深く胸に刻み込まれた。


六月――小田原城を見下ろす笠懸山(石垣山)。

豊臣軍は巨大な小田原城を完全に陸海から封鎖していた。


だが秀吉は力攻めをせず、陣中に千利休を呼んで茶会を開き、能を舞わせ、さらには側室の淀殿まで呼び寄せて日夜宴を繰り広げていた。


そしてある朝、城を包囲していた北条の兵たちは絶望に打ちひしがれることになる。

一夜にして笠懸山の木々が伐採され、山頂に総石垣の本格的な城(石垣山一夜城)が突如として姿を現したからだ。


「見よ、秀忠! これが関白様の威光よ!」

秀吉の本陣でその光景を見上げながら、大名たちが歓声を上げる。


秀忠は可憐な微笑を浮かべ、「まことに関白様の御威光、神のごときにございます」と生真面目に恭順の意を示した。


だが、その瞳の奥は氷のように冷ややかだった。

(民が路上で骸を晒し、逃げ惑う足元で、これほどの贅と芝居をしてみせるか。……秀吉の『見せる威圧』は見事だ。だが、これは一代限りの『狂気の威勢』に過ぎぬ。人が死ねば瓦解する幻影だ)


秀忠は、秀吉の政治演出の凄まじさを学びつつも、自らが目指すべき統治の道はこれではないと確信していた。


その夜。石垣山城の裏手、鬱蒼とした山林の闇の中で、弥八郎が密かに一人の男と対峙していた。


「……引き返せ、徳川のいぬ。これ以上探れば、命はないぞ」


闇の中から現れたのは、黒装束に身を包んだ鋭い眼光の男――北条の影を担う忍びの頭領、風魔小太郎であった。


小田原城内の情勢を探り、豊臣軍の背後を乱さんとしていた風魔党だったが、秀忠が張り巡らせた「物資集積網と監視線」に捕捉されたのだ。

弥八郎は身構えることもなく、秀忠から預かった書状を静かに掲げた。


「小太郎殿。殺気立つな。我が主・徳川秀忠様はお主たちを捕らえに来たのではない。……救いに来たのだ」


「何……?」


「城内の惨状はお前たちが一番よく知っていよう。小田原の評定は紛糾し、北条の命運はすでに潰えた。……このまま北条に殉じて無益な血を流し、野垂れ死にするか? それとも、我ら徳川に仕え、戦後に荒れ果てる関東の地で、民を治め治安を守る『裏の柱』となるか」


小太郎は息をのんだ。


弥八郎の背後から漂うのは、単なる武将の脅迫ではない。街道で逃げ惑う民の惨状を目の当たりにし、新たな関東の秩序を打ち立てんとする十一歳の主・秀忠の、恐ろしいほどの冷徹なリアリズムであった。


「……若君様は仰られた。『主家を失う影に、新たな生きる道を与える』とな」


小太郎は長い沈黙の後、闇の中で静かに膝を突いた。


「……我が風魔党、そのお覚悟、見届けさせていただく。……城内の降伏派と主戦派の動向、すべて若君様へお届けしよう」


数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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