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月輪に巡るセレナーデ  作者: 笹サーモン
第一章 トリメルカ編
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第6話:前菜とメインディッシュ

 息を飲むような静寂の中でトカゲは飛び起きた。


 目を開けると、そこはまだ闇が支配する路地裏。冷たい石畳の上に、自分の血の跡が乾いてびっしりとこびりついている。喉を撫でると、裂けていたはずの傷は綺麗に塞がっていた。


「……はぁ?」


 確かに死んだはずなのに、生きている。現実を信じられなかったトカゲは大きく息を吐き、胸の鼓動を確かめた。


 ――ドク、ドクン。


 心臓が吐き出す血の波は強い。きちんと役目を果たしている。

 鼓動の確認を終えると、トカゲの脳内にソロモの声が響いた。


『今はそんなことどうでもいい。気にせず奴らを追え』


「追えって簡単に言うけどさ、どこにいるかなんて分かんの?」


『霊力を辿ってみろ。奴らは揃って霊力を持っている。じっくり目を凝らして地面を見れば、(おの)ずと分かるはずだ』


「霊力? あんまトンチンカンなこと言わないでよ」


『いいから黙って集中しろ。時間がないのだ』


 ソロモの指示に従い、トカゲは地面を見つめる。すると視界の奥がぼんやりと揺らぎ、淡い光が二筋、まるで残り香のように地面に滲んできた。


『見えたな。その跡を追え』


 トカゲは息を整えると、霊力の残滓(ざんし)を追って走り出した。

 ある程度走った頃、ソロモは続く指示を出した。いや、指示と言うよりかは忠告だろう。


『いいか、あの女相手に正面から挑めば勝算は低い。初撃は様子を見て、必ず不意打ちからだ』


 しかし少女が心配で気が気でなかったトカゲは、ソロモの言葉など微塵も聞いていなかった。



   ♢  ♢  ♢



 同刻、少女は既に限界を迎えていた。幾つかの分岐があったうち、人気(ひとけ)のない道に進んでしまったのが運の尽きだった。

 喉は焼けるように乾き、息が出来ない。足も棒になったように動かない。成す術のなくなった彼女のもとへ、後から追って来た女がぬっと姿を現す。


「かくれんぼの次は駆けっこ。楽しかったけど、もう終わりねぇ」


 女が少女の顔を一発殴る。少女はその一撃で動く力を全て削がれてしまった。少女は必死に立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かない。

 女は動けなくなった少女を見てニヤリとすると、胸ぐらを掴み、左手のナイフを少女の顎に添わせた。


「あなたのことはあんまり傷つけちゃダメって言われたけど、それにしたってここまで逃げられるなんてねぇ。意外と根性あるじゃない」


「う……ふ…………う……」


 少女の瞳が怯え、涙が滲む。声を出そうとしても喉が詰まるだけだった。

 その時――。


「メインディッシュをお残ししたままデザートだなんて、感心しないなー」


 鞭を持った女の背後から聞き覚えのある声がした。声に反応して振り返った女の目が捉えたのは、先ほど殺したはずの少年だった。


『馬鹿が。初撃は不意打ちと言ったはずだ』


「あれ、ごめん。そうだったっけ?」


 ソロモの苛立ちを横目に、少女と女を交互に睨む。

 女は愉し気に唇を吊り上げた。


「へぇ……生きてたの。致命傷だと思ったのだけれど。まさか、あなたも()()()()だったなんてねぇ」


「ソッチ側のことは知らないけどさ、こんな美人さんと同類だなんて、まあ嬉しい」


 女の言う『()()()()』が何を示すのかは分からない。しかしトカゲは少しでも女の注意を引こうとしていた。


「あら、美人だなんて嬉しいこと言ってくれるじゃない。どう? 今晩一緒に遊ぶ?」


「そーしたいとこだけど、生憎今日は疲れてんだよね」


 妙な緊張感の下で女とやり取りを交わすうち、ソロモが口を挟んだ。


『こうなったら正面突破だ』


「……戦えってこと?」


『先ほどと同じ結果にはさせん。だから言うことを聞け』


「りょーかい。まずは?」


『少しの間、時間を稼げ。こちらもまだ手一杯なのだ』


 戦うのは確定事項のようだが、ソロモの方で何か準備がいるようである。


『それと、適当に焚きつけでもしておけ』


「はいはい」


 トカゲ以外にソロモの声は聞こえない。女の目には言葉をただ虚空に放つだけのトカゲが不自然に映っていた。


「ねぇ坊や、さっきから何をブツブツ言ってるの?」


「んー? そうだね、予定のない日のこと」


「何故?」


「今日は無理でも、いつかお姉さんに遊んでもらおうと思って」


 トカゲの用意した釣り針に、女がヒットする。女は気が付いていなかったが、トカゲと話すうちに自然と少女から手を離していた。


「いいけど、何して遊ぶの?」


「どこまでならいいのさ?」


「どこまでも」


「どこまでも、ね。なら……」


 続く言葉を遮るように、脳内に知らせが届く。となれば、もう泳がせる必要はない。トカゲは黙った。

 一方で、女は中途半端に切れた言葉の先を期待していた。


「なら、何?」


「ごめん、気が変わった。今日じゃダメかな?」


「いいけど、何をしたいの?」


「……さっきの続きをしたいなー、って」


「さっきの?」


 トカゲは悪魔の指示を忠実に守って口角を上げる。少々強引な繋ぎでも焚き付けを実行しようと目論んでいた。


「いやー、まだ勝負はついてないでしょ? それに今、さっきの言葉を思い出してさ。ボクがメインディッシュって言葉」


「それがどうしたの?」


「それならお姉さんは何の立ち位置かなって」


「面白いことを言うのね。なら敢えて聞くけど、坊やの中では私の立ち位置は何?」


「そうだね……差し詰め前菜、いやソッチの言い方に合わせるならオードブル、ってとこかな?」


 薄気味悪く微笑むトカゲの顔に対し、女の顔は楽しそうだった。挑発に乗った顔をしている。焚きつけは成功した模様。

 女は鞭を胸の前でピンと張った。


「面白い子。いいわ、遊んであげる。最後の晩餐が前菜(オードブル)で終わらないといいわね!」


 鞭が唸る。トカゲは胸の前で両手の指を絡めると、関節をパキパキと鳴らした。


『よし、今だ。左手を振れ』


 言われた通りに左手を軽く上下に一振り動かす。すると何もなかったはずの左の掌に数枚のカードが握られた。カードの柄は表も裏もただ赤いだけで、何も書かれていない。


「手品のつもり?」


 女は軽く笑ってあしらうと、鞭とナイフを振り回して距離を詰めてきた。

 攻撃を回避する傍ら、ソロモの声が脳に直接響く。


『一枚選んで奴に投げろ。タイミングは逃すなよ』


 トカゲは一瞬息を吸い、中距離に踏み込む。そこは言わずと知れた鞭の射程。

 女が狙った地点に鞭を振り下ろす。その瞬間、トカゲは(ふところ)に飛び込んだ。


「さっきもそれで食われたことを忘れたの?」


 あの時と同じ。冷徹なナイフが剥き出しになる。しかしそれも計算済み。トカゲは紙一重のところでバックステップを挟んで避けた。


「盛大な隙晒し、どーもありがと。感謝するよ」


 女は今、鞭による攻撃は出来ず、ナイフも振るったばかりで硬直している。

 トカゲは無作為にカードを選び取ると、女に狙いを定めて投げ放った。投げ放たれたカードは一直線に空を突き破り、女の眼前で霧の如く消えた。


「何よ? 何も起こらな――」


 女の言葉が途切れる。その瞬間に女の左肩から胸にかけて、一直線に血が噴き出した。


「――ッ、なッ……!」


 痛みか、衝撃か、或いは驚嘆か、女の動きを止め、膝をついた。トカゲはその隙を逃さず、彼女の顔面に全体重をかけた飛び膝蹴りをお見舞い。

 女は宙に浮き、石畳の上に崩れ落ちた。倒れこんだままピクリとも動かない。


 喧騒に包まれた路地に、静寂が戻る。トカゲは少女に駆け寄ると、手を差し伸べた。


「今だ! 逃げるよ!」


 しかし少女の反応がない。少女は声を掛けられても、地面に横になったままだった。肩をさすっても、頬を叩いても一切動かなかった。

 その姿を見たトカゲの脳裏に浮かび上がる、妹が死んだ日のこと。トカゲは我を忘れて少女に話しかけた。


「ねえ! もしもし? 聞こえてる?」


 反応はない。だがトカゲは少女の胸部が上下にゆっくりと動いているのを見逃さなかった。呼吸をしている証拠を見つけたトカゲは安堵し、次の行動に移る。


「ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してよ」


 トカゲは少女を背負うと、彼女を一度安全な場所で(かくま)うため、そのまま闇の奥へと駆け出した。夜の路地裏には一人分の忙しない足音だけが響いていた。



   ♢  ♢  ♢



 トカゲは路地を抜けると、明かりの灯ったある建物を見つけた。出入り口の上にデカデカと『HOTEL』と書かれた、主張の激しい吊り看板がある。


 トカゲは息を切らして中へ飛び込むと、カウンターの男に話しかけた。


「今晩……空き部屋……って、あります?」


 荒い息に、言葉が途切れる。男は『空き部屋』という言葉だけ聞き取ると、手慣れた手つきで部屋の手続きを始めた。


「お二人様の部屋ですと八〇〇〇ルクになりますが、よろしいでしょうか?」


「ええ、結構です」


 トカゲは躊躇なく万札を叩きつけると、すぐさま借りた部屋に駆け込んだ。

今日の一言:トカゲの身体能力は並みです。ずば抜けていいわけでも、極端に悪いわけでもありません。


次の投稿は18:10です。3時間ほどお待ちください。

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