第5話:路地裏で噛みつく無謀な狂犬
堕魂の退治を無事に終えたトカゲとガッツは、トリメルカの保安協会支部に帰還した。
「依頼された堕魂なら倒してきたぞ」
「間違いありませんよ。ボクがこの目で見てたので」
受付の女性に報告をすると、女性は机から書類を引っ張り出し、確認し出す。
程なくして確認が終わったのか、女性はいかにもな営業スマイルを向けてきた。
「では依頼完了、ですね。こちらが今回の報酬金、三万ルクになります」
トカゲは女性が差し出してきた封袋を手に取り、カウンターを去る。
支部から出ると、ガッツは穏やかに微笑んでトカゲに話しかけた。
「その金はトカゲの物にするといい」
唐突に言われた報酬金の総取りにトカゲは困惑を隠せない。
「いや、何言ってんのさ。二人でやったんだし、ってか、そもそもボクは何も……」
「今回の仕事はお前が協力してくれたおかげで完遂出来たからな、その礼だと思ってくれ。今日はその金で美味い酒でも飲むといい」
ガッツは言い終えるとその大きな背を向けた。
「では、また縁があったらな!」
ガッツは背中越しに愉快に手を振りながら去っていった。
「……変なヤツ。悪いヤツじゃないんだけど」
支部の扉の前に一人残されたトカゲは、手の中の封袋の中身を確認した。見えたのは三枚の札。ソロモが言った通り、日本と同じく『一万単位の紙幣』があるようである。
一度見た後は紙幣を丁寧に戻す。この袋の中身で一体どれほど食っていけるのか、と考えながら。
封袋をパーカーのポケットに突っ込むと、カラスの鳴く声が空に木霊した。声を辿って天を仰げば、天は既に闇に染まりつつある。
――へえ、電灯のない夜空も綺麗なもんじゃない。
トカゲはしばらく吸い込まれるように顔を上に向けていた。しかし神秘的な夕暮れを邪魔するかのように、ある音が台無しにしてしまった。
――グウウオ。
緊張感もなく、トカゲの腹の虫が鳴いた。同時に、今までは気にもしていなかった事実に気が付く。彼はこの世界にやって来てから全くの飲まず食わずだった。それどころか食事という行為自体、日本で銃殺される数時間前に食べた昼食が最後である。ざっと半日以上、彼は何も口にしていなかった。
「大通りにでも行けば、飲食店くらいあるかな?」
トカゲは独り言をボソッと呟くと、飢えを満たすための旅に出た。
石で舗装された道の端にはガス灯が綺麗な隊列で並び、現代日本にはない煌びやかな印象を受ける。石と木材だけで造られている建物はどれを見ても古めかしいが、全て暖かな灯がある。
トカゲは世界史の教科書でしか見たことがないような景観に、胸を踊らせていた。
大きな道を進んでいくとやがて人の声が増え、腹を空かせた少年は広場に出た。
広場の中央には宝石の如く輝く、水を流す噴水。その周りでは番と思われる男女が互いに向き合い、笑い合っている。
トカゲが仲のよさげな男女を眺めていると、嗅覚が獲物を察知した。焼けた肉と、ハーブの香り。果物の甘い誘惑。数多の食材の濃密な香りが広場に流れていた。
トカゲは匂いの元を辿って店に赴いた。しかし見つけた店は、どこもかしこも『当然』と言わんばかりに長蛇の列を形成している。軽く見積もっても、待ち時間に三十分は要するだろう。
「路地裏にでも行けば、空いてる居酒屋くらいあるかなー?」
極度の飢えで待ち時間を耐え切れる自信がなかったトカゲは広場を離れ、待たずして食える食事を求めて明かりの薄い路地裏へと足を踏み入れていった。
♢ ♢ ♢
路地裏は暗く、狭く、静かだった。不気味に思うほど人気がない。勿論民家はあるのだが、誰一人として外にいないのだ。いるのは餌を探し求めて影を駆け回るネズミだけ。トカゲが期待していたものは、そう都合よく見つからなかった。
潔く待つしかない。戻った方が早いだろう。
――そう彼が考えた時だった。
闇に包まれた道の奥から、人の走る音。荒れた呼吸。
闇を切り裂いて現れたのは一人の少女だった。髪は泥にまみれ、服は裂け、瞳には恐怖が宿っている。
和装をした少女とトカゲの視線が合う。瞬間、少女は足を滑らせた。涙を浮かべて必死にトカゲを見る瞳。それが彼の記憶の奥の深く――二度と思い出したくもない、かつての記憶を呼び覚ます。
部屋中に響いた三歳の少女の金切声。妹へ振り上げられた拳。必死に庇って、その拳を己の背で受け止めたこと。
その記憶が火種となり、トカゲは思考するよりも早く、一心不乱に駆け出していた。倒れている少女の前で屈み、トカゲは問いかける。
「な、何があったの?」
「あ、う、う、うぅ、うし……」
少女は焦って冷静さを失っている状態なのか、まともな会話が出来ない。指を指していた方向から辛うじて得られた情報は、後方に何かがいるということだけ。堕魂か、それとも獣か。
その時、少年時代に培ったトカゲの勘が働く。この女の子は力に怯えていたかつての自分のようだと。だとすれば、この子を追うのは堕魂でも獣でもない。即座に彼は答えを導き出した。
「どこかに隠れ――」
――カッ。
ヒールの響く足音と同時に、正解が告げられる。答案に丸を付けたのは、一人の女だった。
「へぇ、かくれんぼにしちゃ随分と悠長なこと」
闇から女が姿を現す。紫の衣を纏った美人だった。どことなく夜の街で人気を集めそうな風貌。右手に鞭を持っているせいで、特殊な世界の住人に見えるが。
だが、彼女の放つアングラな匂いをトカゲが見逃すはずもない。女を見たトカゲはすぐさま『逃げるのは不可能だ』と悟り、少女に声を掛けた。
「逃げて。とにかく走って」
「ふーん、誰だか知らないけど出会って間もない子を守る、か。随分と優しいのねぇ」
少女がなんとか這い上がり、駆け出す音。同じタイミングで女の鞭が唸りを上げる。女は少女を逃がした少年に興味を抱くと、遊び相手の生きの良さを確かめに入った。
「じゃあ今晩のメインディッシュは坊や、ってことでいい?」
「ボクはお姉さんのこと知らないんだけど。まあこのボクをメインディッシュだなんて、中々にお目が高い。人を見る目があるね」
トカゲが話し終えると、即座に女が距離を詰める。ヒュン、と空気を裂く凶器。パーカーの裾を翻らせながらトカゲは鞭の攻撃を躱し、時間を稼ぐ。
しかし鞭の攻撃範囲と速度を考えればすぐに体力は尽きる。威力もさることながら、一撃でも受けた瞬間にゲームオーバーは必至。
トカゲは消耗戦を避けるために一つ算段を立てる。ここで使うのは、前世、裏の経験で得た武器の知識。
鞭の弱点は二つ。一つは単発の振りの速度は速いが、本体の波が落ち着くまでは追撃が出来ず、隙が大きいこと。そしてもう一つは攻撃が強力なのは先端に限った話であり、懐に潜り込まれた時には対処が困難であること。
空気が爆ぜる音。同時に女には隙が生まれる。トカゲは完全に見抜いて躱し、急接近した。
――決めるなら、今だ。
トカゲは女の腹部に拳を叩き込もうと力を籠めた。『勝った』と確信出来る間合い、チャンス。
しかし手が届きそうになった瞬間、喉元に焼けるような痛みが走った。
「……カハッ」
視線を下げた場所には、血塗られたナイフが握られていた。血が溢れる。果敢にも挑んだ少年は、その場に倒れこんだ。
女は左手に持ったナイフをチャラチャラと振り回してから、倒れているクリーム髪に耳打ちをするようにしゃがみ込む。
「自分の使ってる武器の弱点を知らないわけがないじゃない、お・ば・か・さ・ん」
女の声が次第に遠くなる。少女の行方も分からない。トカゲの意識はそこで途絶えた。
少年が息を止めたのを確認し、興ざめした女が肩を落とす。
「……つまんないの。ま、デザートでも貰おうかしら」
女はメインディッシュを平らげると、デザートの行方を追った。
♢ ♢ ♢
闇に呑まれた意識の中で、声が響く。
「死ぬには早いな。まだ一日も経っていないぞ」
目を開けると、そこは先日訪れたトランプの壁と、赤と黒の市松模様の床の空間だった。しかし肝心の主が見えない。
「ソロモ? ソロモ! いるなら出て来てよ!」
トカゲがソロモを呼ぶと、ソロモはやけに素直に姿を現した。
「馬鹿なことをしたな。武器がなければお前とて、所詮はただの人間だろう」
トカゲは口を開いた。だが、言い返せる言葉が出てこない。
「あの少女に死んだ妹を重ねでもしたか?」
拒みたいところではあるが、そうもいかない。トカゲは頷くしかなかった。ソロモはそんな彼を見て溜息を吐く。
「お前はあの少女を助けたいのか?」
「そりゃね。でなきゃ、あそこまでしないでしょ」
ソロモの頭部の天秤が少年の覚悟を測る。籠っていたのは、揺るぎない熱。
「次があれば、今度こそ護れると誓えるか?」
「どーゆー意味さ?」
「……誓え。それが出来るのなら、もう一度だけ蘇らせてやる」
トカゲは目を閉じ、深く息を吸う。長い沈黙。目を見開き、軽薄の仮面をぶち破る。
「必ず、救ってみせる」
真っすぐソロモを射抜く視線。それは彼が最も欲しているもの。無機質で感情の乗らない顔に、ソロモは不敵な笑みを浮かべた。
「……いいだろう。お前はあの場で目が覚めるだろうが、その後はオレの指示に従え。いいな?」
「何でよ? ってか、ソロモが外から指示なんか出せるの?」
「いいから黙って従え。間に合わなくなるぞ」
光が少年を包み込むと、彼の姿はトランプの空間から消えた。
残されたソロモが、一人呟く。
「『偶然』とはいやはや、我ながら上出来と言うべきか」
【今日の一言】
トカゲはネズミ、ゴキブリ、カラス、シラミが嫌いです。この世からの絶滅を本気で願ってます。なので裏路地に入って見えたネズミは大層不快だったことでしょう。




