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月輪に巡るセレナーデ  作者: 笹サーモン
第一章 トリメルカ編
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第3話:勘違いはどう転ぶか読めない

 トカゲは頬にくすぐったい風を感じて目を覚ました。


 目を開けると、そこには希望の光を放った輝かしい太陽――ではなく、鋼鉄の鎧と槍で武装した男の姿があった。距離が近く、吐息がかかる。

 先ほどのくすぐったい風は()()()()()()()()()だったのではないか。そんなことを考えたトカゲの目覚めは最悪だった。


「お、おい! 目を覚ましたぞ! 君、名前は言えるかい? ここがどこか分かるかい?」


 鎧の男が叫ぶ。しかし渇いていたせいでトカゲの喉は仕事をせず、沈黙を貫くことになった。

 上体を起こして周囲を見渡せば、そこに見えるのは大きな庭園を持つ赤いレンガ造りの館、煌めく雫を噴き上げる噴水、白石で綺麗に舗装された道。

 かつての日常とは程遠い景色に、トカゲの開いた口は塞がらなかった。


 座り込んだままでいると、やがて館の奥から鎧がまた一人現れた。その人物も同じく槍を持っている。

 奥の鎧の方に男が駆け寄ると、何やら報告を始めた。


「起きた、とのことだが何か話は出来たか?」


「いえ、何も話せていません。反応も乏しく、話が通じているのかすら……」


「そうか。なら代わろう」


 後から現れた鎧の男がトカゲの前に接近し、目線を合わせるように屈む。


「悪いが、一旦支部まで同行を願えるか? ここは人様の敷地内だ。そう長々と話は出来ない」


 隣で槍を構えられながら、トカゲは街の中へと連行される。通りを行き交う人々の視線が、胸に刺さるように痛かった。

 彼の初めての異世界での目覚めは、散々だった。



   ♢  ♢  ♢



 やがてトカゲは大きな石造二階建て建築の建物に案内され、裏口から建物の奥の部屋へと招かれた。

 カビ臭く埃っぽい部屋で、椅子に座るように命じられる。椅子にこそないが、部屋の隅、窓枠などには蜘蛛の巣が張られており、あまり掃除は行き届いていない。


 同室には尋問官らしき男と記録係のような女がおり、妙な緊迫感がある。トカゲの背には気持ち悪い汗が伝っていた。

 トカゲがキョロキョロしていると、目の前の尋問官が口を開いた。


「さて、聞きたいことは山ほどあるが、まずは名前を。君は誰だ?」


「……トカゲ、と申しますが」


 実に仕事人らしい、淡々とした尋問。名前の次は出身地、住所、職業、家族関係、屋敷の庭で寝ていた理由、侵入経路と次々に質問が続く。中には『アニム』という知らない単語も出てきた。


 しかしトカゲは名前以外は一切答えらなかった。当然のことで、知らないことは答えられない。

 尋問官はあまりにも答えない彼に『記憶喪失』の疑いをかけ、記録係に指示を出した。


「ちょっと、戸籍の確認をしてきてもらっても?」


「分かりました」


 やがて記録係が戸籍の確認を終え、部屋に戻って来た。記録係が告げる。


「その者の口から出た名前は、少なくてもここトリメルカの戸籍には存在しませんでした」


「何? では、コイツは……」


 尋問官の独り言を記録係が遮るように話を続ける。


「あ、すみません。それと、支部長がお見えです。なんでも、この部屋に入りたいのだとか」


「支部長が? ……分かった。取り敢えずこちらへ案内してくれ」


 記録係はすぐに部屋を出て、支部長に報告に行く。少し経つと再び部屋のドアが動いた。入って来たのは、小柄の年老いた男だった。

 記録係は老人の右隣に立つと、声を大きくして言った。


「こちらが保安協会トリメルカ支部の支部長、ルコール様である。ご挨拶を」


 記録係に促され、トカゲはその場で立ってお辞儀をしたが、支部長と呼ばれた男性はただ笑みを浮かべるだけだった。


「いいですよ、そんなに礼儀正しくせずとも。聞く限り、記憶がないのだとか?」


 トカゲは記憶がないわけではない。しかし説明するのも難しく、説明したとて理解してもらえないと思った彼は、黙って頷いた。


「私はトリメルカ支部の長。以後、よろしく頼みます」


 老人は挨拶とセットで、左手を差し出してきた。トカゲも応えるように左手を出し、握り返す。

 ルコールと名乗る支部長は厳しい人ではなく、むしろ気さくで親しみやすい老人にすら思えた。


 握手を交わし終えると、支部長の目はトカゲの左手に吸い寄せられた。目線は完全にタトゥーに釘付けである。


「このトカゲは……もしや、聖痕でしょうか?」


 タトゥーを聖痕だと勘違いしたようで、ルコールが童心に帰ったように瞳を輝かせる。


「聞いたことがある。聖痕持ちの記憶のない少年……このお方は、神の宿ったお方なのではないか?」


 尋問官があからさまに眉をひそめる。


「何を馬鹿なことをおっしゃるのですか。こやつは他人の敷地に不法侵入した犯罪者ですよ? 仮にでも神の宿った人間だとおっしゃるのなら、何故そのようなことを?」


「記憶がないとなれば、神のお告げがあったのだろう。よし、このお方を解放して差し上げなさい」


 一連の会話を聞き、後ろで静かにしていた記録係はルコールの言葉に強く反発した。


「それは無理です。こんな得体の知れない男を簡単に解放出来ません。戸籍もないのですから、そう簡単に信用していいものではないかと」


 鋭い視線が飛び交う中、ルコール支部長が静かに言い放つ。


「疑わしきは罰せず。いい、解放して差し上げろ。それにトリメルカにこのお方の戸籍がなかっただけで、他の街からの来訪者である可能性も十分にある」


「しかし……」


「このお方を解放する。もし身分が特定出来るまでの間に問題を起こされたら、その時は私が全責任を持つ。それでいいだろう?」


 尋問官も記録係も納得はしていなかったが、頷いて指示に従った。



   ♢  ♢  ♢



 尋問が終わって部屋の外へ出ると、トカゲは初めて周囲の様子に目を向けた。連行されていた時は裏口だったため様子が見えなかったが、建物内は人で賑わっている。

 壁沿いには何かの窓口が多数設置され、訪れる人々が次々に手続きをする。反対側の壁には巨大な掲示板があり、そこにも人が群がっていた。その様子は、かつての世界の役所とあまり変わらない。


 落ち着きが戻ってきたところで、トカゲは支部長に礼を告げる。


「助かりましたよ、本当に。あのままだったらどうなっていたことか……」


「お気になさらず。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」


 ルコールが掲示板に目を向ける。


「ここの職員も先日の事件で少々過敏になっておりまして。先ほどの対応も悪気はないのでしょうから、多めに見てくださると助かります。後できちんと指導しておきますので」


「いえ、そこまでされなくても……それより、事件って?」


「先日、トリメルカから少し離れた村が一つ、丸々焼かれたのですよ」


 ――村が焼かれた?


 初手から治安の悪さに困惑したトカゲの口からは、気の抜けた声だけが出ていく。


「……それは、災難ですね」


 空気が一瞬、止まった。二人の間に、微妙な空気が流れる。すると小柄の老人が柔らかくその沈黙を破り、トカゲの身なりを問いかけた。


「そういえば、手持ちは何もないようですが、今後はどうされますか?」


 言われて所持物が何もなかったことを思い出すトカゲ。バッグなどは死んだ時に暴漢に奪われたからか、無くなっていた。服を着ていたのは盗まれなかったからであろう。

 トカゲは自身の体を軽く見終えると、返事をした。


「取り敢えず、食うに困らないくらいの資金調達はしたいですね。最悪寝るのは野宿でもいいですけど、食べ物に関しては死活問題ですし」


 トカゲの言葉を聞いて、隣の老人は穏やかに笑う。


「でしたら、こちらで働いてみませんか?」


「えっ、ここで?」


 突然の勧誘にトカゲは戸惑った。


「こちらでは市民の依頼を請け負う仕事がありまして。一般人であればやることは物資の運搬、清掃などですね。このようなものでしたら記憶がなくても可能でしょうし、何よりサポートは私が直々にしますのでご安心を」


 ソロモの話とは違って胡散臭い話ではなかった。むしろ支部長の柔らかい声が、トカゲの警戒心を解いていく。

 クリーム色の頭髪の少年は早速見つかった生活の基盤に、迷うことなく頷いてみせた。


「じゃあ、こちらで働かせていただいても?」


「ええ、勿論ですとも。では、こちらへ」


 二人はホールを進み、奥にあるカウンターの一つで仕事の手続きを始める。

 仕事の内容は様々で、先ほどルコールから説明されたものから、店の番のような少々責任の重そうなものまで見受けられた。報酬もそれぞれ異なる。トカゲは紹介された選択肢を交互に見比べながら、どれが一番苦労なく稼げそうなのかを吟味していた。


 その時だった。突然隣の窓口から何やら揉めているような会話が聞こえてきた。


「どうにかお願い出来ないか! せめて同行者の紹介だけでも!」

今日の一言:『疑わしきは罰せず』というルコールの言葉は彼の信条です。後々意外と効いてくるかも。


次の投稿は本日15:10です。3時間ほどお待ちください。

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