第3話:勘違いはどう転ぶか読めない
トカゲは頬にくすぐったい風を感じて目を覚ました。
目を開けると、そこには希望の光を放った輝かしい太陽――ではなく、鋼鉄の鎧と槍で武装した男の姿があった。距離が近く、吐息がかかる。
先ほどのくすぐったい風は風と勘違いした吐息だったのではないか。そんなことを考えたトカゲの目覚めは最悪だった。
「お、おい! 目を覚ましたぞ! 君、名前は言えるかい? ここがどこか分かるかい?」
鎧の男が叫ぶ。しかし渇いていたせいでトカゲの喉は仕事をせず、沈黙を貫くことになった。
上体を起こして周囲を見渡せば、そこに見えるのは大きな庭園を持つ赤いレンガ造りの館、煌めく雫を噴き上げる噴水、白石で綺麗に舗装された道。
かつての日常とは程遠い景色に、トカゲの開いた口は塞がらなかった。
座り込んだままでいると、やがて館の奥から鎧がまた一人現れた。その人物も同じく槍を持っている。
奥の鎧の方に男が駆け寄ると、何やら報告を始めた。
「起きた、とのことだが何か話は出来たか?」
「いえ、何も話せていません。反応も乏しく、話が通じているのかすら……」
「そうか。なら代わろう」
後から現れた鎧の男がトカゲの前に接近し、目線を合わせるように屈む。
「悪いが、一旦支部まで同行を願えるか? ここは人様の敷地内だ。そう長々と話は出来ない」
隣で槍を構えられながら、トカゲは街の中へと連行される。通りを行き交う人々の視線が、胸に刺さるように痛かった。
彼の初めての異世界での目覚めは、散々だった。
♢ ♢ ♢
やがてトカゲは大きな石造二階建て建築の建物に案内され、裏口から建物の奥の部屋へと招かれた。
カビ臭く埃っぽい部屋で、椅子に座るように命じられる。椅子にこそないが、部屋の隅、窓枠などには蜘蛛の巣が張られており、あまり掃除は行き届いていない。
同室には尋問官らしき男と記録係のような女がおり、妙な緊迫感がある。トカゲの背には気持ち悪い汗が伝っていた。
トカゲがキョロキョロしていると、目の前の尋問官が口を開いた。
「さて、聞きたいことは山ほどあるが、まずは名前を。君は誰だ?」
「……トカゲ、と申しますが」
実に仕事人らしい、淡々とした尋問。名前の次は出身地、住所、職業、家族関係、屋敷の庭で寝ていた理由、侵入経路と次々に質問が続く。中には『アニム』という知らない単語も出てきた。
しかしトカゲは名前以外は一切答えらなかった。当然のことで、知らないことは答えられない。
尋問官はあまりにも答えない彼に『記憶喪失』の疑いをかけ、記録係に指示を出した。
「ちょっと、戸籍の確認をしてきてもらっても?」
「分かりました」
やがて記録係が戸籍の確認を終え、部屋に戻って来た。記録係が告げる。
「その者の口から出た名前は、少なくてもここトリメルカの戸籍には存在しませんでした」
「何? では、コイツは……」
尋問官の独り言を記録係が遮るように話を続ける。
「あ、すみません。それと、支部長がお見えです。なんでも、この部屋に入りたいのだとか」
「支部長が? ……分かった。取り敢えずこちらへ案内してくれ」
記録係はすぐに部屋を出て、支部長に報告に行く。少し経つと再び部屋のドアが動いた。入って来たのは、小柄の年老いた男だった。
記録係は老人の右隣に立つと、声を大きくして言った。
「こちらが保安協会トリメルカ支部の支部長、ルコール様である。ご挨拶を」
記録係に促され、トカゲはその場で立ってお辞儀をしたが、支部長と呼ばれた男性はただ笑みを浮かべるだけだった。
「いいですよ、そんなに礼儀正しくせずとも。聞く限り、記憶がないのだとか?」
トカゲは記憶がないわけではない。しかし説明するのも難しく、説明したとて理解してもらえないと思った彼は、黙って頷いた。
「私はトリメルカ支部の長。以後、よろしく頼みます」
老人は挨拶とセットで、左手を差し出してきた。トカゲも応えるように左手を出し、握り返す。
ルコールと名乗る支部長は厳しい人ではなく、むしろ気さくで親しみやすい老人にすら思えた。
握手を交わし終えると、支部長の目はトカゲの左手に吸い寄せられた。目線は完全にタトゥーに釘付けである。
「このトカゲは……もしや、聖痕でしょうか?」
タトゥーを聖痕だと勘違いしたようで、ルコールが童心に帰ったように瞳を輝かせる。
「聞いたことがある。聖痕持ちの記憶のない少年……このお方は、神の宿ったお方なのではないか?」
尋問官があからさまに眉をひそめる。
「何を馬鹿なことをおっしゃるのですか。こやつは他人の敷地に不法侵入した犯罪者ですよ? 仮にでも神の宿った人間だとおっしゃるのなら、何故そのようなことを?」
「記憶がないとなれば、神のお告げがあったのだろう。よし、このお方を解放して差し上げなさい」
一連の会話を聞き、後ろで静かにしていた記録係はルコールの言葉に強く反発した。
「それは無理です。こんな得体の知れない男を簡単に解放出来ません。戸籍もないのですから、そう簡単に信用していいものではないかと」
鋭い視線が飛び交う中、ルコール支部長が静かに言い放つ。
「疑わしきは罰せず。いい、解放して差し上げろ。それにトリメルカにこのお方の戸籍がなかっただけで、他の街からの来訪者である可能性も十分にある」
「しかし……」
「このお方を解放する。もし身分が特定出来るまでの間に問題を起こされたら、その時は私が全責任を持つ。それでいいだろう?」
尋問官も記録係も納得はしていなかったが、頷いて指示に従った。
♢ ♢ ♢
尋問が終わって部屋の外へ出ると、トカゲは初めて周囲の様子に目を向けた。連行されていた時は裏口だったため様子が見えなかったが、建物内は人で賑わっている。
壁沿いには何かの窓口が多数設置され、訪れる人々が次々に手続きをする。反対側の壁には巨大な掲示板があり、そこにも人が群がっていた。その様子は、かつての世界の役所とあまり変わらない。
落ち着きが戻ってきたところで、トカゲは支部長に礼を告げる。
「助かりましたよ、本当に。あのままだったらどうなっていたことか……」
「お気になさらず。こちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」
ルコールが掲示板に目を向ける。
「ここの職員も先日の事件で少々過敏になっておりまして。先ほどの対応も悪気はないのでしょうから、多めに見てくださると助かります。後できちんと指導しておきますので」
「いえ、そこまでされなくても……それより、事件って?」
「先日、トリメルカから少し離れた村が一つ、丸々焼かれたのですよ」
――村が焼かれた?
初手から治安の悪さに困惑したトカゲの口からは、気の抜けた声だけが出ていく。
「……それは、災難ですね」
空気が一瞬、止まった。二人の間に、微妙な空気が流れる。すると小柄の老人が柔らかくその沈黙を破り、トカゲの身なりを問いかけた。
「そういえば、手持ちは何もないようですが、今後はどうされますか?」
言われて所持物が何もなかったことを思い出すトカゲ。バッグなどは死んだ時に暴漢に奪われたからか、無くなっていた。服を着ていたのは盗まれなかったからであろう。
トカゲは自身の体を軽く見終えると、返事をした。
「取り敢えず、食うに困らないくらいの資金調達はしたいですね。最悪寝るのは野宿でもいいですけど、食べ物に関しては死活問題ですし」
トカゲの言葉を聞いて、隣の老人は穏やかに笑う。
「でしたら、こちらで働いてみませんか?」
「えっ、ここで?」
突然の勧誘にトカゲは戸惑った。
「こちらでは市民の依頼を請け負う仕事がありまして。一般人であればやることは物資の運搬、清掃などですね。このようなものでしたら記憶がなくても可能でしょうし、何よりサポートは私が直々にしますのでご安心を」
ソロモの話とは違って胡散臭い話ではなかった。むしろ支部長の柔らかい声が、トカゲの警戒心を解いていく。
クリーム色の頭髪の少年は早速見つかった生活の基盤に、迷うことなく頷いてみせた。
「じゃあ、こちらで働かせていただいても?」
「ええ、勿論ですとも。では、こちらへ」
二人はホールを進み、奥にあるカウンターの一つで仕事の手続きを始める。
仕事の内容は様々で、先ほどルコールから説明されたものから、店の番のような少々責任の重そうなものまで見受けられた。報酬もそれぞれ異なる。トカゲは紹介された選択肢を交互に見比べながら、どれが一番苦労なく稼げそうなのかを吟味していた。
その時だった。突然隣の窓口から何やら揉めているような会話が聞こえてきた。
「どうにかお願い出来ないか! せめて同行者の紹介だけでも!」
今日の一言:『疑わしきは罰せず』というルコールの言葉は彼の信条です。後々意外と効いてくるかも。
次の投稿は本日15:10です。3時間ほどお待ちください。




