第2話:転生、それは闇取引
トカゲは死んだはずだった。カジノで得た大金で高めの肉を買って、今は亡き妹のマユと焼き肉でもしようとした矢先。自宅に押し寄せた暴漢どもに銃撃され、トカゲは死んだはずだった。
だがどうしたことか。死んだはずなのに、トカゲの耳には一つの声が入った。
「……きろ……起きろ」
誰かの呼ぶ声に反応して、クリーム色の頭髪の少年はゆっくりと目を開けた。同時に、トカゲはアホ口を開け、言葉を失った。彼は目に飛び込んで来た、夢とも思い難い、実に奇怪な世界に衝撃を受けていた。
無数のカードが織り成す謎の薄暗い空間。足元を見れば、床は赤と黒の市松模様で構成される空間。あたかも先日カジノで触れたような、遊戯の世界だった。
それだけではない。この世界には、ヒトがいた。しかし断じて『人』ではない。それは『人』の体構造をしていながら、『人』ではない何かだった。
黒いモヤで包まれているような、実体のない体。金の下皿天秤の形をした頭。枯れ枝ような羽を生やした背中。羽には至る所に、宝石のような何かが垂れ下がっている。サイコロのブレスレットを装着した手首。カードのネックレスをかけた首元。下半身はなく、宙に浮いている。
珍妙な姿をしたソイツは、座り込んでいるトカゲを静かに見下ろしていた。
「何だ? やっと目覚めたかと思えば、人を遠慮なくジロジロと。失礼なヤツだ」
少年は答えない。異形は続けた。
「そんなに物珍しいか?」
やはり少年は口を開かない。いや、口は開いてはいるのだが、声を発さなかった。
返事はいつまでも返って来ない。それを見越した異形は勝手に話を進めた。
「お前は死んだ。先日心臓を撃たれて、な?」
躊躇なく告げられた過去のこと。トカゲが絶命したのは、既に覆らぬ事実となっていた。
トカゲは言葉の意味を理解すると、納得したように頷いた。
「あー、やっぱり? やっぱそーなんだ。なんとなーくそんな気はしてたんだけどね」
反応はこれ以上ないほど淡白だった。
「言っても銃で撃たれたんじゃ、そりゃ生き残るはずもないよね。ましてや心臓撃たれてんだし」
トカゲはどこか他人事のように躱しながら話す。胡坐をかいた後、彼はやけに明るい声で言った。
「で、君はどちら様? オカルトチックな話をするなら、死後の世界にいる神様だか閻魔様だか、といった感じ?」
異形は天秤を左右に揺らしながら答えた。
「オレはソロモ……とでも名乗っておこう」
ソロモは自身の胸に左手を添える。
「尤も、お前の言う通り。オレは人間たちから、『神』と呼ばれているらしいな」
「なんか思ってたんと違うね。神様って言うなら、もっと神々しいと思ってたんだけど」
言葉を切る。一応相手は神であるらしい以上、口を滑らせればどんな罰が当たるか分からない。
「禍々しい、とでも言いたげだな」
「まさか。個性的でいいと思うよ。お洒落さん」
「お世辞は無用だ。褒めても何も出んぞ。さ、次はお前の番だ。名乗れ」
一瞬の沈黙を挟み、少年は口を開く。
「……トカゲ」
「フッ、神にすら名乗らんとは。本名、相当嫌っていると見た」
「当たり前でしょ。誰があんなの好くのさ」
都合の悪い話になり、露骨にトカゲの声が低くなる。だがそれを即座に笑って弾き飛ばす。明るい声で、トカゲが話題を変えた。
「ところでソロモ。君って神様なんだし、何か不思議パワーみたいなの持ってないの? ボク、自分がどんな間抜けな顔して死んだか、見てみたんだけど」
その言葉の裏には、死んだ自分を笑ってやろうという魂胆が透けている。更にその裏には、もう一度だけでいいから、倒れてしまったマユの顔写真とココアちゃんを見たいという願いがあった。死んでいるため叶わないことは分かってはいるが、欲を言えば定位置に直したかった。
しかし彼の願いなど虚しく、いとも簡単に打ち砕かれる。
「無理だな。お前がいた世界は、元々オレの観測していた世界ではない。専門外だ」
「えー、ケチ」
トカゲはわざとらしく頬を膨らませる。彼の脳裏には、死ぬ直前に見た光景が広がっていた。
本来茶色かったはずが、白く見えた天井。投げやりに倒されたタンスに、床に散ったガラス片。自分の方を見つめていたように思える、マユの死相。ココアちゃんのお尻。
「あーあ、結局焼き肉一口も食べてないなー。折角いいお肉買ったのにさ」
「死んで不満か?」
少年は首を横に振る。
「いや。まあ生きてりゃ最終的には死ぬし。早いか遅いかってだけで、ボクは偶然あの時だった、って話だよ」
口で言うのは簡単。だがトカゲは執着を隠し切れていなかった。目が伏せているのが、何よりの証拠である。
ソロモはそれを見抜くと、不敵な笑みを浮かべた。勿論、顔が天秤の形状をしているため、トカゲには表情が読めないが。
――やはり、オレの目に狂いはなかったようだ。
ソロモは標的が格好の餌であることを確信した。
「では、言い方を変えよう。お前は、生きていて満足だったか?」
トカゲが噛みつく。
「……何、お説教でも始まるの? 犯罪してた時点で、満足なんかしてるわけないじゃん。穏便平和でのらりくらり過ごせたんなら、ボクだってそうしたかったよ」
――勿論、マユにも生きていてほしかった。大体あんな両親と、ボクだけが死ねば良かった話なのに。
「そうか」
ソロモが笑う。彼は更に確信を深めると、目の前のターゲットに一つの提案を寄こした。
「では、神であるオレから一つ、お前に朗報をくれてやろう」
「ローホー?」
「お前には生き返るチャンスがある。もう一度人生を歩んでみてはどうだ?」
トカゲはすぐに『はい』とは答えない。裏社会に溶け込むうちに身に着いた懐疑心が、それを許さなかった。
「藪から棒に、随分と旨い話だね。何か制約とか、外せない条件とかは?」
「あるにはあるが『違う世界で』という条件だけだ。安心しろ。この世界と大して変わらん上、そこは元々オレが観測していた場所だ。観測主が言うのだから、これ以上の安心材料はあるまい」
「えー」
本音を言えば、ソロモの話は旨すぎる。胡散臭い匂いがプンプンする。トカゲは疑う。一方で、ソロモは一切退く素振りを見せなかった。
「一度やってみればよいのではないか? お前にとっては不利益もなかろうに」
「簡単に言ってくれるねー。本気? 揶揄うのはやめてよね」
「お前を揶揄う必要性がどこにある。本気だとも」
トカゲは溜息を吐いた。
――で、何だって。転生? 馬鹿馬鹿しい。
死んだと思った。実際死んでいた。でも死んだら、いきなり目の前には胡散臭い神様がいて。それで御伽噺みたいな案件を持ち掛けてきて。
「別に、やる意味はないかなって」
「ほう?」
「でも断る理由もないんだよね」
正直、それがトカゲの本音だった。妹が死んだ時からあらゆる意欲を喪失したトカゲにとっては、第二の人生など心底興味がなかった。それ故、投げやりな結論に至る。
――でも、まあいいか。どうせここで断ったら、多分ずっとここに残されるんだろう
――だったら暇つぶし程度にやってしまえばいいじゃないか。
今度こそ失うものが何もない。カジノで全額を賭けた時と同じような感覚で、トカゲはソロモの提案を飲んだ。
「いいよ。乗ってあげる」
ぶっきらぼうな返事。しかしソロモにはそれで十分だった。
「決まりだな」
「本当に大丈夫なんだろうね? 君の言葉、信用しちゃうよ?」
「ああ、信用してくれて構わん」
「またろくでもない人生だったら、君を恨むからね?」
「人生の責任を他人に押し付けるなど、傲慢だな。好きにするといい」
初めて目にした神は、裏社会に住み着く化け物どもと同じくらい胡散臭かった。だが、その空気に染まり切ったトカゲにとっては、むしろ安心する気配だった。
「では、始めよう」
低い声で言い、ソロモはトカゲの手を握った。数秒の時間をかけて、ソロモの体がゆっくりと少年の体に溶け込むように消える。彼の肉体が完全に消滅した後、ようやく儀式が始まった。
「お前は心臓を失っている。オレの心臓を貸してやろう。喜べ、神の心臓をサービスだ。利息は要らんぞ」
「ハッ、冗談を嗜む神様だこと」
軽口を放った瞬間。
――ドクン。
トカゲの胸の奥では、一度止まった心臓の鼓動が再起動していた。久しぶりの体温が熱い。
――生き返りってのは、惨めなもんだな。
トカゲはマユを裏切るような歯痒さに耐えかねて、目を閉じた。
「ごめん、ボク一人だけ」
誰に言うでもなく、ぼそりと呟きが漏れる。
「でも今度こそ……上手くやれるといいな」
ここから始まる、名前を捨てた少年の人生第二幕。果たして彼の賭けは、どこまで通用するのか。
【今日の一言】
今回は『あらすじ』にあったトカゲの嘘を地の文で解剖しましたが、次話以降はこれが減っていきます。トカゲの嘘、ハッタリを見抜けるように頑張ってください。




