第1話:《コードネーム:トカゲ》
月が嘲笑う金曜日。その下で跋扈する人間どもは、『週末だから』と騒がしい。週が終わったから何をしてもいい。そんな短絡的な考えの連中には反吐が出る。死ねばいい。
酔っぱらって上司にグラスを投げつける愚か者。道端で喧嘩でもして殴り合うガキども。電柱の下で薬でもキメて、ラリって奇声を上げる大人未満。
薬を渡したのは誰だ。そんなことは聞くまでもない。
今丁度、路地裏へと姿を消したカーキ色のパーカーを着た少年。左手に蜥蜴のタトゥーが入っている、クリーム色の髪の少年。
点滅する電柱をいくつも跨ぎ、彼は人の寄り付かない倉庫へ向かった。錆びついた金属製の扉を押し開け、中へ入り、番をしていた男に報告をする。
「どーもどーも、こんばんは。お仕事無事に終わりましたよん」
「在庫は全部捌けたのか?」
「もっちろん。ほら、この通り」
鞄を開け、空っぽになった証明を見せる。少年の仕事が完遂されていることを把握した男は、一つ封筒を渡した。
「よし、いいぞ。持ってけ」
「どーも」
軽い調子で答え、封筒を受け取る。その場で開け、確認。入っているのは数枚の札束。しかも千円札。裏社会の汚れ仕事の報酬にしては、最底辺の金額でしかない。
それもそのはず。《コードネーム:トカゲ》を名乗る少年が行っていたのは薬の在庫管理、売買取引。人は殴らない。殺しもしない。最低賃金の仕事内容である。
だが彼は何も文句は言わない。それどころか、望んでその仕事をこなしているようだった。
トカゲは手に取った安い賃金をひらひらと振りながら去ろうとした。その背を男が呼び止める。
「お前、毎度思うがそんな安い金で満足なのか? 仕事ぶりを見る限り、お前ならもっと儲けのいい仕事でも出来そうだが」
「いーよいーよ。別に、こんだけ金があれば死にやしないし」
「ハッ、欲のねーヤツ」
「欲がないわけじゃないよ? 手を血で染めるのは、もうお腹いっぱいってだけ。じゃ、ボクはこれで上がりまーす」
言い残し、トカゲは倉庫から出ていく。
欲がない、と言われたことを反芻しながら、トカゲはネオンの光る暗がりを歩いた。
――まあ、確かにそうなのかもしれないけどさ。
金が欲しいわけではない。女を買いたいわけでもない。将来の夢も、こんなことをやっている時点で、持っているはずがない。生きたい理由もない。ただのうのうと生きて、明日に囲まれるのをゆるりゆるりと待つだけ。
――なんなら、今ここで死んだって構いやしないさ。
考えるうち、目的地に辿り着く。一つ、高層ビルの地下にあるバー。そこで開催されるカジノに参加する。
金を得るのも、勝つ喜びも大して嬉しくない。では何故彼がカジノをするのかと言えば――暇だったから。この一言に尽きる。社交辞令のような意味もあるだろう。生命線を繋いでいる裏社会事業から、『付き合いが悪い』というだけで弾かれては困る。
下品な成金が作ったような、金箔の照明。肌の露出の多い女ども。彼女らの腰に手を伸ばしている男ども。酒の甘い匂い。煙草の重い煙。
それらには一切目もくれず、ただ机に構えて座るだけ。有り金全部を賭け金に、取り敢えず手を付ける。
およそ一時間後。
「……なんか、勝っちゃった」
ごく短時間の勝負を経て、トカゲの目の前には大量のチップ。周囲の人間の目が一気に吸い寄せられる。ディーラーの顔も引き攣っていた。トカゲはイカサマなどしていなかったが、そう疑われても仕方がないほどの大勝をしていた。
けれどもトカゲの顔には喜びはなかった。勝ったから何だ。そう言いたげな、不満げな顔をしていた。むしろ当の本人は、負けて、破産することを望んでいたようにすら見える。
カジノを離れ、トカゲは札束を見た。その額は、当初持っていた数千円からは想像もつかないほどの大金になっていた。
「んー、どーしよっかなー?」
道端に立ち、頭を抱える。どれだけ悩んでも使い道が思い付かない。
服は着られるものがあるんだから、それで十分。買い足す必要がない。飯なんか余裕で食えてしまう。住居もある。
「あ、じゃあ……」
しばらくして、拳を叩く。唯一思い浮かんだ、金の使い道。
「えっと、肉屋さんってどこだったっけ?」
――少しだけ贅沢でもしよう。マユと一緒に。
スマホの地図を頼りに、トカゲは表の世界へ足を伸ばした。
市場に着き、肉屋へ直行。現在時刻、午後九時五八分。午後十時閉店の店にとっては、この上ない迷惑客である。
「兄ちゃん、さっさと決めてくれや」
店閉まいが出来ず、不機嫌な店主の声を聞きながら、商品を見比べる。高い肉はやはり購入者が少ないのか、腐るほど余っていた。
トカゲは在庫があることを確認したら、値段なども見向きもせず、店主に笑顔を向けた。
「これ、美味しそうですね。ください」
二人分、最高級の肉を買って、店を去る。出費は六万。しかし彼は全く気にしていなかった。
その後、野菜も買って、醬油も買ったトカゲは自宅に帰った。
扉を開け、玄関の電気を付ける。狭いボロアパート。親はいない。トカゲが捨てて、逃げたから。家具もベッド、テーブル、タンスと最低限。だが意外なことに、散らかってはいない。不潔な部屋を思い出さぬよう、徹底してトカゲが掃除しているためである。
少年は机に向かうと、その上にクマのぬいぐるみと並べて安置された写真立てに話し掛けた。
「よし、ただいま。今からご飯作るから、ちょっと待ってて。今日はいいもん買って来たし、楽しみにしててよ」
話し掛けられたのは、一人の少女だった。
享年四歳。彼女の遺影は、あどけない笑顔をしているような幸せなものではない。写真立てに入っているのは、棺の中で安らかに眠っている、既に他界した後の姿である。
マユから横に目を滑らせ、トカゲはまたもや独り言を呟く。
「じゃ、頼んだよ、ココアちゃん? 君はボクがご飯作ってる間、マユと楽しく遊んであげてよ」
『ココアちゃん』というのは、マユの遺影の隣に置かれているクマのぬいぐるみのことである。生前、マユが肌身離さず大切にしていたもの。その名前は茶色い姿から名付けられたものだった。現在のココアちゃんは破れた痕を何度も修復されたようで、所々黄色や赤が散見される、カラフルな継ぎ接ぎ模様へ変わってしまっているが。
悲しそうな顔でココアちゃんの頭を撫でてから、トカゲはようやく台所に向かった。
やがて調理を終え、トカゲは焼き肉を持ってくる。二人分。本来必要ないのだが、彼の昔からの癖だった。今更治るものでもなければ、治す必要があるものでもない。
「……いただきます」
箸を添えて、一口頬張ろうとした時だった。
――ドン、ドンドン。
ボロアパートの扉を蹴る音。いや、蹴るだけではない。何か金属のようなもので殴る音もする。それも複数。
何事だ、と彼が動き出した時には遅かった。
扉が破壊され、男どもが押し寄せてくる。恐らく負けた後に尾行でもしてきたのだろう。今晩のカジノで同じ卓を囲んでいた連中だった。その中の一人の男は、トカゲと合わせるなり声を荒げた。
「テメェのせいで! テメェのせいでぇ! このイカサマ野郎がぁ!」
トカゲの大勝の裏で多額の借金を背負うことになった男は、銃を握っている。彼の怒りが頂点に達した時、それは激しく火を吹いた。
後ろに倒れ込みそうになるほどの強い衝撃の後、心臓が激しく脈打ち、熱を帯びる。けれどもそれも次第に冷たくなり、トカゲは立っていられなくなる。彼は仰向けに倒れ込んだ。
気が遠のく最中、部屋に響いたのは男たちの乱暴な音だった。倒す必要のない家具を腹いせに壊していく音。トカゲの大金を見て笑う、下品な声。即座に逃げていく足音。
静かになったボロアパートの中で、トカゲは仰向けになって天井を見ていた。普段なら茶色い木の天井が、今はどうにも白く見える。力も入らず、立つことさえままならない。
だが彼は別に悔やんでいなかった。むしろ清々していた。
――死ぬのって、案外楽だな。生きるよりずっとマシじゃないか。
――だったら、もっと早く死んでおくんだった。
今までは運よく生きていただけ。犯罪に手を染めながら、ただ生き永らえていただけ。蝶でも、花でも、終わりは一瞬。トカゲも例外ではない。誰にでも等しく訪れる『死』など、別に呪うようなことでもない。
トカゲは静かに目を閉じた。死んだ後はどうなるのかと、混濁する意識の中で考える。だがそれは、たった一つの物音であえなく邪魔された。
ガラスの割れる音がした。写真立てが倒れたのだろう。その後ろには当然、テーブルから落ちたココアちゃんもいる。そこを向いたトカゲの目は、僅かに潤んでいた。
「あーあ、せっかくの機会だったのになー……」
裏社会からも、生き地獄からも離れて、ただ『兄』に戻ろうとしただけだった。
やがて彼の鼓動が止まる。肌も白くなる。呼吸音も聞こえなくなる。
享年十七歳。死因は銃撃による失血死。忌むべき親に付けられた名を捨て、《コードネーム:トカゲ》として生きてきた少年の人生は、ここで幕を下ろした。――はずだった。
死んだ少年の部屋が一面、突如として現れた無数のトランプに囲まれ、マユの遺影やココアちゃんを省いてトカゲの遺体だけが飲み込まれていく。
「……カジノの偶然の勝利に、偶然の銃擊、偶然心臓に当たっての死か。順調、順調」
カードで覆われた暗い部屋で、金の下皿天秤の頭を持った異形がトカゲの死相を覗き込んでいた。
【今日の一言】
はじめまして。笹サーモンと申します。本話は既に改稿済みの話ですが、物語としては処女作です。今後ともよろしくお願いいたします。




