結局のところ、役人は丸投げする
立たせなければ。
どうか売ってくれとすがる弟と、事態がよく分かっていない姉と。
はいはい、知ってる、知ってます。
俺にはこの姉弟を地獄から連れ出す義務が発生した。
まずは、なんか覚悟決まってる方を止める。順番間違えたら、多分こいつ単独で己を売りにいってしまう。この姉弟の細かい背景は知らないが、なんとなく察することはできる。
リリーシュカ、という名前、それからハルキという名前も、俺の名前と同じようにこの国王道の名付け方じゃない。こんな場所で異国の名前がついているのは大体が娼婦を親に持つ子供だ。おそらくそちらの伝手も持っている。
そして、こういうのは第三者の大人よりも、身内のあけすけな声の方が良い。
「リリーシュカ、弟売るか?」
「っざ、けんな! そんなするなら2人で死ぬ!」
「だよなあ。……なあハルキ、姉ちゃんは心中した方がマシだとよ。多分この感じだとお前が自分を売りに行ったあと、自分で死ぬか、お前を追って面倒くさがった誰かに殺されるかの二択だぞ」
あえて顔は見ない。こいつの顔に感情が浮かぶのかはまだ分からないし、何よりショックの余波で一気にいろんなもんが吹っ飛んだリリーシュカの警戒心を再び起こしたくない。
「……、けど……、けど、姉ちゃん、悪いことやってたんでしょ? なんか誤魔化して、それが良くないことで、だから」
だからと繰り返すたびに俯いていくつむじに、本当に息が出る。
「あのなあ、ハルキ」
子供の前だが膝はつかない。ついでに手も伸ばさない。リリーシュカが警戒しているからというよりも、ハルキが強張っているからだ。
「なんで、リリーシュカが悪いことしたかわかるか?」
「……お、れが。俺が、役立たずだから……」
「違うなあ」
ああ、やっぱり。
こういう子供は必ず自分の悪いところばかりを拾う。最早、だから自分は役立たずなんだと結論ありきな気さえする。
知ってるよ。
姉ちゃんは大事だもんな。
姉ちゃんはいつだって正しいはずなのに、何かやらかしちまったっていうのがまずショックなんだよな。
それが自分のせいだって思ったら、もう本当にいたたまれないもんな。
知ってるよ。
やり方がわからない子供は、こうやって沈んでいくんだ。
「姉ちゃんがやらかしたのは、お前を取られると思ったからだよ」
リリーシュカが誤魔化したのは食費の項だけだ。異様に出費が高かった。けれどそれだけだ。どこかの組織にしてはあまりにもささやかな値段。親はいない、二人暮らし、年齢だ住所だの都合が悪い記入欄は全て『不明』で押し通していた。
そうやって小さく小さく金を稼いで、遠い未来のいつかにリリーシュカが見たもの。
「姉ちゃんはな、多分お前をお医者に見せたいんだよ」
途端にリリーシュカの表情が崩れた。ずっと自分の服を握っていたハルキの拳を見ていた彼女の顔が跳ね上がる。
わずかに動いた口は、なんで、か。
視線を合わせることに意味がないのは。暗い室内で不便がないのは。リリーシュカの服をずっと握っているのは。制服を着ている俺がいきなり現れても、姉のように警戒を露わにしなかったのは。
「弟を助けてやりたかったんだろう、リリーシュカ」
ましてこの弟は頭が良いから。余計にもどかしく思ったんだろう。
医療は万能じゃない。ハルキが後天的なのか先天的なのか、俺には判断がつかないが、俺の見立て通りなのだとしたら、やっぱり難しいんじゃないだろうか。
けれどリリーシュカは夢を見たのだ。なまじ医者にかかれるような環境になかったから余計に。
「お前が不当に扱われてんのが悔しくてしょうがないんだ、姉ちゃんは」
娼館に生まれた男児。しかも上の女児の容姿は幼くても大人の同情をひけるくらいに整っている。どう扱われてきたのかなんて想像もしたくねえわ。その上でなにかしらハンデがあるとそこの婆さんが思ったんなら。
そうなったらもう姉ちゃんは弟の手を引いて逃げるわな。
ただ、そのやり方がまずすぎた。
だから俺みたいな妙に小賢しいめんどくさいやつが来る羽目になったのだ。
で、俺もこの意味わからんくらいややこしいことに手を突っ込なきゃならなくなったのだ。
「とりあえず、だ」
とりあえず事態の把握は完了。ここからは収集に回る。
大体が、こんな子供が俺みたいなところに書類を出していること事態がおかしいのだ。
未成年の子供に必要なのは保護者と矯正者と居場所である。
なんで孤児院行かなかったかなんてバカみたいな質問はしない。スラムの奥に行かないことと対して理由なんて変わらないだろう。
そういう意味ではこの姉弟は運が良かったのかもしれない。
俺、孤児院の伝手だけはあるんだわ。
「婆さん、頼みがあるんだけどさぁ」
「ナサン……。今度はなにしたの」
俺が子供の頃から婆さんだった婆さんは今日も背筋がまっすぐだった。
「目が見えない弟と、この歳でなんか書類誤魔化してきやがる姉。……頼んだ」
「あんたって子は……」
深いため息をついて説教の方向に舵を切ろうとするシスターの婆さんに慌てて両手を上げる。いやいや、ワタクシ今仕事中でございましてよ。
「姉がリリーシュカ、弟はハルキ。歳はわかんねえ。出身地もわかんねえけど、多分お袖引きか、薔薇窓裏あたりの出身なんじゃねえかなあと思ってる。……大丈夫だよな? ばあさん」
「ほんとに、つくづくあんたって子は……。それより、あんた、いい加減、あの養子のお話聞きにいらっしゃい、あのね、今までと違って」
「婆ちゃん!」
やばい、素が出た。息を吐いて、吸って、もう一度吐く。怒ったって仕方がない。この人は本当に心の底からそう思ってるんだから。
「俺はここの出身だよ、婆ちゃん。だからいいんだ。主任代理で止まってもなんでも、俺はここで育ったんだ」
ここまで来てようやく婆さんは諦めたようだった。それで、と促した目はもう切り替えていた。
そこから先の云々はもう俺の仕事ではない。
よろしくと託した先の婆さんは俺を育てた婆さんだ。多分、ちゃんと育ててくれるだろう。何よりハルキはリリーシュカが惜しんだくらいには頭がいい。その地頭と目が見えないことを武器とする方法を、あの孤児院は教えるだろう。俺にはまるで思いつかない、人を踏みつけるのではない武器の方法だ。それから、あの歳で書類ごちゃごちゃにできる才能があると分かったら、リリーシュカには神父のおっちゃんが面白がって学を叩き込むかもしれない。
俺の育った孤児院は、助けてを武器にする孤児院だから、あそこは何もかもを飲み込んで打ち返せる子供を作る。
俺に、もっと出世するために身分の高い人間に媚を売れ、そのために要領の良さと頭の回転を使えと繰り返し教えたように。
まあ、ふざけんなって話だ。
俺は俺のような助けてを言えない誰かを救うために役人になったから、上に媚を売れなんてふざけんなでしかないので。




