卵のなかから音をたてるもの
魔物の王から渡された卵は、ちょっと大きめな鶏の卵のように見えます。
しかし、それはどうやら魔物の卵であるようでした。
魔法使いは卵が割れないように、上着の裏側にある隠しにしまっておくことにしました。
そうして暖めているうちに卵の中の何者かは少しずつ育ち、あるときその身体をブルリと震わせました。
魔法使いは卵を取り出してじっと眺めます。
確かに今動いたようだけど。
彼女がそうつぶやくと、卵がコツコツココンと震えました。
どうやらくちばしか何かで卵の殻を内側からつついているようでした。
もしかしたら、そろそろ卵が孵るのか。
彼女がそう言うと、ふたたび卵がコツコツココンと震えます。
わたしの声が聞こえているのかな。
コツコツココン。
まるで返事をするみたいに、卵の殻が音を立てます。
君は何か言いたいことがあるのかな。
コツコツココン。
もしかして、わたしの言葉がわかるのか。
コツコツココン。
魔法使いはしばらく考えてからこう言いました。
何を聞いてもコツコツココンではどうにもならない。
だから、わたしの質問に是と言いたいときはコツコツと、否であるならばココンと音を立ててくれないか。
コツコツ。
卵の中から、そんな音がしました。
君はそろそろ卵から孵るのか。
ココン。
まだまだ時間がかかるのか。
コツコツ。
そうやって、魔法使いと魔物の卵は少しずつやりとりを続けました。
人の街や村、精霊の住処や魔物の棲む森を巡りながら、話に聞いた人間の魔物であるという存在を捜しましたがいつまでたっても見つかりません。
そして、魔物の卵の方もいつまで経っても孵る気配はありませんでした。
鳥の魔王から送られた不思議な卵。
これは一体何者なのでしょうか。
様々な質問を試し、なんとか正体を探ろうとしてみても、どうにも要領を得ません。
卵の中の魔物本人も、自分が何者なのかわかっていないのかもしれません。
そもそも己がいかなる存在なのか、真に理解している者がどれだけいるだろう。
コツコツココン。
卵は相づちを打つときだけ、はじめの頃のように殻を叩きます。
そういえば、これは訊いていなかった。
コツコツココン。
軽快な音を立てる卵に向かって魔法使いは言いました。
君は、卵から外に出たいか。
しばらくの沈黙の後、卵の内側から、小さな音が聞こえました。
ココン。
「クルッ」
耳元でイナリが鳴いて、わたしははっと顔を上げた。
ずっと本に没頭していて、完全に自分が置かれた状況を失念してた。
「うーん。びっくりした」
「クルッ」
わたしはイナリの顎下を指先で撫でながら思わずつぶやいてしまった。
たぶん、普通の本じゃなくて、なにか魔法の道具のようなものなんだろう。
そう思う理由ははっきりしてる。
この本の文章の中に、わたしが登場したからだ。
魔法使いのお話がいきなり中断したかと思ったら、わたしの感想がとつぜん挟まったのだ。
しかも、それは現実じゃない。
わたしはそのときもずっと本を読んでいたし、肩の上のイナリも居眠りなんてしていなかった。
読んでる間中ずっと、イナリはわたしのかわりに周囲を警戒してくれていた。
でも、この本の中で本を読んでいたわたしの肩の上にいたって書いてあるイナリは目を瞑って眠っていたのだった。
説明しようとするとややこしいな。
なんでこんなことがおこるんだろう。
たぶん、この本に書かれた文章は、読む人によって内容を変えたりするってことなじゃないだろうか。
おかげでなんだか目が回るような、変な感じがする。
自分がいまでも本の中の登場人物になってるかのような、そんな不思議な感覚。
「クルッ」
イナリの鳴き声に促されて振り返る。
奇妙なことに、わたしと同じように扉サイズの本を読んでいたはずのミカヅキとアカツキはどこにもいなくなっていた。
そして、本が埋め込まれていたはずの壁には、暗い通路の入り口がふたつ、ぽっかりと口を開けていたのだった。




