夕日と妹と魔物の影
夕方、完全に日が落ちる前にマゴットの屋敷にたどり着いた。
身体能力を上げるために廻していた光の輪の動きをゆっくりと抑え、魔力の気配を消しながら門を通り抜ける。
ゆっくりと歩いて館に向かう途中、ぽつんと一人で立っている妹のリンドウに出会った。
別にわたしを待っていたとかいうことでもないようで、半分紺色に染まりかけた空をぼうっと見上げている。
夕日の残光がリンドウの頭をオレンジ色に照らし、顔は影になって見えない。
わたしが近くに寄っても、まだこちらに気付いていないようだった。
「クルッ」
イナリがひと声鳴いて、わたしの肩の上からリンドウの肩へ飛び移った。
「イナリちゃん?」
リンドウは驚いた風もなく、ぼんやりとこちらを向いた。
「ただいま、リンドウ」
「姉様……」
どうにも元気がなさそうだ。
視線にも力がなく、ちょっと心配になってきた。
「どうしたの、こんなところで」
「なんだか風に当たりたくなって外に出たら、お空が綺麗だったんです」
「クルッ」
イナリがリンドウの匂いを嗅ぎながら、首の周りをくるりと回っている。
何か変だな。
リンドウの額に手を当ててみる。
「ちょっと熱っぽいかな?」
予感に導かれ、わたしは軽く目を凝らす。
リンドウの頭の上の光の輪を見る。
心なしかいつもより大きいような気がする。
それに、何かちょっと変だ。
回転する動きか、光の色合いか。
なんだろう。
これ、どこかで見たことがある気がする。
「姉様?」
「もしかしたら熱があるかも。家で休んだ方がいいよ。一緒に屋敷に戻ろう」
「はい……」
リンドウの肩に手を掛けて、屋敷の方へ向かって歩き出す。
体調が悪くなって、それで魔力に影響が出ているのか。
魔力が変調を来したことで、逆に体調が悪くなったのか。
「キュッ」
イナリが屋敷の横の方を見ながら鳴き声を上げた。
一瞬、不気味な光の揺らめきが見えた。
「イナリ」
「クルッ」
わたしが声を掛けると、イナリはリンドウの肩から飛び降りて屋敷の横の茂みに向かって走って行った。
あれは魔物の気配だ。
本当なら自分で追いかけたいところだけど、今はリンドウがいる。
しかも、ずいぶん調子が悪そうだから、このまま放ってはおけない。
「イナリちゃん?」
「大丈夫だから、屋敷の中に入ろう」
リンドウの肩を押して屋敷の中に入る。
そのまま階段を上がり、一緒に部屋の中まで入って、リンドウをベッドに寝かせた。
「わたし、まだ眠くないです……」
「食事までの間でいいから横になってなよ」
毛布をしっかりと掛けて、もう一度額に手を当てる。
やっぱりちょっと熱がある。
光の輪の様子もおかしい。
違和感。
なんだろう。
やはりどこかで見たような。
「姉様……」
「また後で来るからね」
そう言って、額にかかった前髪を払ってあげてから、リンドウの部屋を出た。
足音を立てないように階段を降り、そっと扉を開けて外に出る。
空はもう、夜の色に染まっている。
わたしはイナリが走って行った方に急ぎ足で向かった。
屋敷の端までたどり着いて、辺りを見回す。
呼吸を落ち着けて、気配を探る。
たぶん、イナリはわたしが後から追いかけられるようにしているはず。
しばらく集中すると、屋敷の裏手の方に魔力の気配を探り当てた。
わたしはそちらに向かって駆ける。
庭園に出て、目を凝らす。
もっと向こうか。
中央を突っ切って広場に。
視界が開けると同時に、イナリの光の輪の強い輝きが見えた。
わたしが見つけやすいように、強く光の輪を廻している。
「イナリ!」
急いでイナリの前まで駆けつけると、薄暗がりがりの中、一匹の黒犬が背を伸ばして座っていた。
その頭の上には、不気味な輝きを放つ大きな光の輪が見える。
「バウル」
「キュッ」
イナリが鋭く鳴いても、目の前の黒犬の魔物はまったく気にする様子もなく、ゆっくりとこちらを向いた。
「あんた、こんなところで何してるの」
「バウルはなにもしない」
少女の細い声が、いつもの平坦な口調で答えを返してきた。
「イナリ、こっちに」
「クルッ」
わたしが手を伸ばすと、イナリは手に飛び乗って、そのまま肩の上まで駆け登ってきた。
「どうしてそんなに気が立っているのか、バウルは理解できない」
「あんた、リンドウに何かしたでしょ」
「バウルは何もしない」
目の前の黒犬は立ち上がる気配もない。
動かないのは緊張しているからなのか。
これがいつもの調子だと言えばその通りではあるけど。
「何企んでるの」
「バウルは何も企まない」
辺りの気配を探ったけど、他に魔物がいる様子はない。
だとしたら、やっぱりさっき見かけた魔物の気配はバウルのものだって事になる。
「なぜあの娘を気にする?」
感情を感じさせない声でバウルが訊いてきた。
「妹のことを気にするのは当たり前でしょ」
「本当の妹ではない」
そうか。
バウルはわたしが精霊の取り替え子だと思っているんだった。
実際わたしは間違いなく人間でリンドウとは本当の姉妹だけど、魔物達にはそれは秘密にしている。
だから疑問を持たれたんだろう。
とはいえ、これは実は結構微妙な話で、今のわたしの視点は二重になっている。
心の中にはリンドウの姉であるわたしと、前世のアラサーOLだったわたしがいるのだ。
考えようによっては、前世のわたしから見ればリンドウは妹じゃないとも言える。
でも。
「本当の妹かどうかなんて関係ない」
「バウルは理解できない。何故人間に肩入れする」
そんなの決まってる。
「わたしはリンドウが好きだもの。だから大切にする。別に変なことじゃない」
「だとしたら」
バウルがのっそりと立ち上がりながら言った。
「それが魔物だったとしても大切にするか」
「あんた、何言ってるの?」
魔物でも同じようにそいつを好きになったら、大切に出来るのかってことだろうか。
「精霊は精霊、人間は人間、魔物は魔物。相容れないのはあたりまえのこと」
「でもね、わたしはわたしだよ」
猫の王様だって好きだし、今の家族だって好きだ。
今はわからないけど、もしかしたら魔物とだって友達になれるかもしれない。
「それがわたしのあたりまえなの」




