人形の声を聞く者─完
ひな祭りですね!
長らく更新できていませんでしたが、
第2話も完結となります。
多恵子と陽太郎は一命を取り留めた。しかし、家も家財も燃え尽きてしまった。今後、彼らがどうするのかは任せるしかない。もう分別のつく大人達なのだから。
その二人よりも、寒川と柴は専ら別の問題に直面していた。
――齢十にして、家も家族も失った少女。夕子の処遇である。
「また、ここに来るのか……」
いい加減、有無を言わさず追い出されても仕方ないと、寒川はげんなりする。
とうに見慣れてしまった、朱塗りの鳥居。玉砂利が敷かれた参道。途中にある手水舎。
「僕たち、だいぶ椿姫さんに甘えてますからね……」
「私の我儘で、申し訳ありません。依頼も交渉も、私がやります」
連れてきていただけて、感謝しています。そう言った夕子に、寒川も柴も苦虫を噛み潰したように顔を顰める。
再び紙縒神社に足を踏み入れたのは、夕子の強い希望たってのことだ。しかし、それ以外の方法を見つけられなかったのは、寒川と柴の力不足である。
結局、この神社の巫女、紙縒椿姫に頼るほかない。
参道を抜けて、手水舎で手を清めて、「社務所」の板が立てかけられた建物の扉をあける。
「ようこそ、お参りくださいました。絵馬、お守り、おみくじ、縁に関するご相談。何をお求めですか?」
いつも通りの言葉が聞こえて、ほっとする。のも束の間。
「わたくしはそろそろ、あなた方の来訪にはこの文句は不要としてよろしいでしょうか」
いつもと同じ、大輪の椿が咲いた真っ赤な千早と、相対する漆黒の髪と瞳。神秘めいた顔には、人間らしい「呆れ」の表情が浮かんでいた。
「どういった御用で? あの一家のあらましでしたら、新聞で既に存じ上げておりますが」
報告など不要、と言いたいらしい。
有名な一家だっただけに、松林邸の火災焼失および被害について、ここぞとばかりに新聞各社が取り沙汰した。ここら一帯で知らぬ人はいない程度には、広まっている。
ただ残念なことに、今回来たのは報告のためではない。
どう言ったものか寒川が逡巡していると、夕子が一歩踏み出した。自然、椿姫の視線も夕子に移る。
「私を、この神社で雇っていただけませんか」
迷いのない、決然とした声だった。
黒曜石のような大きな瞳が瞬く。
椿姫は何も言わない。ただ驚いているようにも、夕子の真意を確かめようとも見える。
「私の両親は亡くなりました。家も燃えました。義母と義兄はとても頼れる状況にありません」
あまりにも残酷な現実を、しかし夕子は淡々と告げる。
「誰もがみんな、人形と話す私のことを気味悪がります。嘘は何一つ言っていないのに。どこに行っても、その視線は変わらないのだと思います」
夕子の切実な思いだった。
だが、椿姫はにべもなく断った。
「お断りします。残念ながら、人間ひとりを養えるほどの余裕はございません」
何を言っているんだ。
それが寒川の正直な感想だった。
たくさんの参拝客が、賽銭やお布施をする。絵馬や御籤の売れ行きも好調。挙句の果てには法外な相談料。
これで子どもひとり雇えないというのは、断る口実にしてももっとマシな嘘があっただろう、と思わずにはいられない。
「それは……」
夕子が俯き押し黙る。暗闇から助けを求める、一条の光が絶たれたのだ。
食い下がりそうな柴も、何も言わない。
そこで初めて、寒川は気づいた。
椿姫は「雇えない」と断ったわけではない。「養えない」と言ったのだ。
当然だ。まだ十歳の子どもは、これから金も手もかかる。明治の世ですら、実の子供を口減らしするような家庭は、まだまだ存在している。
それを、いっとき知り合ったばかりの、赤の他人の少女を、簡単に受け入れられるはずもない。当たり前のことなのだ。
「夕子さん。やはり、僕の家に来ませんか」
紙縒神社に訪れるより前に、柴が最初に提案したことだ。だが夕子は固辞した。
義兄の影響で、年頃の男に嫌悪感があるのかもしれない。はたまた、夕子の特殊な力の関係で、一般のひとに混じるのが怖いのかもしれない。
その気持ちも分からなくはないから、強く言えないのだ。夕子の意思を尊重したい。
ただそれは、椿姫に押し付けることとは違う。
「ずっととは言いません。せめて少し落ち着くまで……」
「ご提案は嬉しいです。柴さんのご提案がいちばん普通の選択だと言うことも分かっています。でも」
真摯に説得する柴の言葉にも、夕子は苦い顔をする。
「みんな、『松林家に産まれて幸せだね』『大きくて綺麗なお屋敷で羨ましい』って言いました。でも、松林家にいたって、お父さまとお母さまがいなくなって、ちっとも幸せじゃなかった!」
鋭い目つきのまま、上がり框に座る椿姫を見上げた。
「――椿姫様! 私は、人形と話すことができます。人形だけでなく、たまに、物と話すことだってできます。きっと役に立ちます」
不思議に思う。
なぜ、夕子はここまで、紙縒神社に拘るのだろう。
「養っていただかなくて結構です。お給金もいりません。両親が残してくれたお金でなんとかできます。だからどうか、紙縒神社の巫女として、置いてもらえませんか」
その必死な瞳は、寒川にも覚えがあった。
何かに魅せられ、心を奪われた者の瞳だ。追いすがろうとする、信者の瞳だ。
椿姫は静かに、夕子の熱意を受け止めていた。その視線が、朝日に注がれる。
そういえば、今も朝日は何か言っているのだろうか。夕子はここに来てから、朝日の言葉を持ち出さない。
いくら朝日が喋っていたとしても、夕子に代弁する気がなければ、喋っていることすら気付けないのだ。
しばらくの間のあと、細く長いため息が、社務所の中に流れた。
「………………分かりました」
夕子が、ばっと顔をあげる。
「ただし、条件がございます。まず、ここでのあなたの立場は、巫女ではなく巫女見習いです。給金も出しません」
「はい」
「衣食住、最低限の生活は保障します。それ以外は自分でなさい。よいですね?」
「はい! 椿姫さま、ありがとうございます」
夕子のこんなに弾んだ声は、初めて聞いたかもしれない。余程嬉しかったのか、床につかん勢いで頭を下げる。
「しっかり仕事はしていただきますよ。早速、境内の掃除でもしてもらいましょうか」
夕子が勢いよく顔をあげた。
ここで椿姫が声をかけなければ、それこそ土下座までしていたかもしれない。
椿姫は立ち上がり、軽やかに裾を捌きながら外に出る。夕子があわててその後を追う。
柴と視線を合わせ、どちらともなく外を出た。
「まずは掃き掃除です。歩道に転がった玉砂利も戻してください」
社務所の横に立てかけられていた箒を手に取って、夕子に渡す。
夕子は意気揚々とそれを握り、境内をかけていく。
「僕も、様子を見てきます。話も聞きたいですし」
境内をかける少女だけを見て、柴はそう言った。その横顔は、どこかホッとしたようにも見えた。
そうして取り残されたのは、寒川と椿姫のふたりだった。
「……あのときは随分雨に濡れたが、風邪は引かなかったか?」
「無論です。お忘れになったのですか? わたくしは、雨ごときで風邪を引いたりしません」
そのもの言いに、寒川は思わず笑った。
「元気なら良かった」
椿姫は寒川の顔を見て、ぱちくりと目を瞬いている。
「わたくしが元気でなかったら、寒川さまは良くないのですか?」
「は?」
まさか、そんなことを気にされるとは思わなかった。
『元気で良かった』なんて、あたりまえに交わされる言葉で、一種の定型文に近い。
嫌味で言っているのかと思ったが、それにしては椿姫の表情に悪意はない。
純粋に、疑問に感じている顔だ。
まだ物心もつかない子供が、知らない言葉に触れたときのような。
「元気な方が良いに決まっている。元気がなければ、心配するだろう」
「……そういうものですか」
「そういうものだ」
椿姫がふと目を上げる。
「では、寒川さまはお元気ですか?」
「…………は?」
「元気な方が良いのでしょう? ですから、寒川さまは元気か、と」
自分が言ったことだ。それをただ返されただけ。
達観しているようで、当たり前のことにこんなにも疎い。
「どうなんです?」
「……………………元気だ」
「元気なら、良かった」
ふわりと、花が咲いたように微笑まれる。
そう、自分が言ったことだ。
だというのに、どうしてこう痒い気持ちになるのか。
寒川が次の言葉を言いあぐねていると、椿姫は真面目な顔つきになる。顎に手を充て、「ふむ」と呟く。
「なるほど確かに、よいやり取りですね。お互いの健康を願う言霊でしょうか」
「いや、そこまで考えたことはないが」
やはりどこか、人間離れした印象を抱く。
椿姫くらいの歳の女性は、そんなことを考えないだろう。周囲のやり取りを見て、自然と身についていくものだ。そういうものだ、と。
そういえば、紙縒神社は椿姫ひとりだ。家族はどこにいるのだろう。
人の事情に安易に足を突っ込むのも憚られる。寒川は話題を変えることにした。
「ひとつ聞きたい」
「なんでしょう?」
「松林邸の顛末だが――あれは、例の雛人形がやった、ということだよな。付喪神は、天候や自然を操るほどの力を持てるものなのか?」
椿姫は寒川の質問を受け、境内の方を眺めた。そこに、柴と一緒に境内の掃除をしている夕子がいる。
「確か、夕子さまのご実家は江戸時代当初より続いていると仰っていましたね。雛人形もそのときに作られた、と」
「ああ」
「あの頃は、神の信仰が最盛期だったと言っても過言ではありません。今よりも圧倒的に、信心深かったのですよ。その強い信仰心が今まで続いていたのであれば、強い神力を持った神が宿るのも、頷けるというものです」
「どういう意味だ?」
「神の力は、信仰心の強さ、信仰する人の多さ、そういった人間の行動によって決まります。信仰心が強ければ強いほど、信仰する人が多ければ多いほど、神の力は強くなる」
椿姫は真っ直ぐ、寒川を見上げた。
「朝日さまや雛人形の場合は、信仰心の強さでしょう。ゆえに、効力が発揮する範囲は狭いものの、松林家に至っては圧倒的な強さがあった」
思い出す。
押し入れを開けたときの、背筋が凍るような冷たさ。
人知を超えた力に圧倒される恐怖。
邸一棟を丸々焼き尽くす脅威。
あれは、人間の信仰心が作り出した力だとでもいうのか。
「神は偉大な存在と思われがちですが、案外そうでもありません」
「……仮にも神の遣いである巫女が、そんなこと言っていいのか?」
「侮辱ではなく、事実です。人間がいなければ神は産まれない。信心によって神は産まれ、信心がなくなれば神は死ぬ」
あまりにも不遜な言葉に、寒川は絶句する。
生殺与奪の手綱を握っているのは神ではない。人間なのだと。神に仕える巫女は、薄らかに笑った。
「神を生かすも殺すも、人間の意のまま、ということです」




