095.窓磨きをする上級黒魔法使い
「あなた……何をやっているの?」
「ぐ、ぐぐっ……」
戦いを覚悟して魔法屋に戻ったアナベルは、そこで目の当たりにした光景に毒気を抜かれた。
苦虫を噛み潰したような顔にて、呻きながら窓磨きをしているグレアムに呆然とする。
そのグレアムの傍では祖母が 「曇りが取れていない!」 と手に持つはたきで窓の隅をトントンと叩き、指導していた。
「急いで戻ってこなくとも良いと言うたのに……用事はすんだのかい? 難しい治療依頼のようじゃったが……」
レイン男爵とのやり取りを聞いていたらしい祖母に訊ねられる。
身体を損なっている様子はまったくない。それどころか、平然とグレアムに掃除を命じている姿に、アナベルは驚きを隠せなかった。
「おばあちゃま、どうして……グレアムは上級黒魔法使いなのよ。中級のおばあちゃまが支配してこき使うなんて出来ないはず……え? おばあちゃま、その力は何?」
祖母を取り巻く、尋常でない威力の守護魔法を感じる。
とても中級魔法使いが使用できる守護魔法とは思えないものに、アナベルは首を傾げた。
「わしのことは、じい様が守ってくれておるでな。もし、わしを殺せる魔法使いがベリルにいるとすれば、それはおまえくらいじゃろう」
祖母は少し得意げに笑うと、自身の首元を探った。服に隠すようにかけているネックレスを、引き出して見せてくれる。
細い白銀のチェーンに、黄金の指輪が通されていた。細かい紋様が掘り込まれたその指輪には、大きな深紅のルビーとダイヤモンドが燦然と輝いている。
見覚えのあるそれは、祖父がいつも大切に填めていた指輪だった。
「でも、おばあちゃま……おじいちゃまは黒魔法使いよ。どうやって、白の守護魔法をおばあちゃまにかけているの?」
祖父が極めて優れた魔法使いであったことは知っている。
それでも、黒魔法使いに守護魔法は不可能なはずなのだ。
「命の最期にかけられる特別じゃと言うて、この指輪を残してくれた。守護の魔法ではあるが、これはわしに害なす人間も魔法も排除する黒魔法なのじゃ」
祖父のことを思い出しているのだろうか。祖母は少し遠くを見るような目をして、しんみりと語って教えてくれた。
「黒魔法で、守護……おじいちゃまの……おばあちゃまだけを守る特別な魔法なのね」
ルビーとダイヤに、アナベルは畏怖を抱いた。祖母の危機を回避するための強大な力が、そこから発せられている。
今日まで、祖母の傍にいても何も感じなかった。
おそらく、祖母の身に危険が訪れた場合にのみ、発動する魔法なのだろう。
黒魔法で守護などアナベルは初めて見た。そんな、普通ではありえないことをしてまで、祖父は死してなお祖母を守っているのだ。
祖父の、この世に残す祖母に対する深い愛情をひしひしと感じ、アナベルは緊張を忘れて胸が熱くなる。自分も、これくらいのことをセインにしてあげたいとしみじみ思う。
「指輪一つが私の魔法をすべて弾くなど、信じられない……しかも、支配まで……」
グレアムが悔しげに唸りながらも祖母の指示には逆らえないようで、窓の隅を丁寧に磨いている。
「魔法をすべて弾いた、ですって? あなた、まさか即死魔法を祖母に撃っていないでしょうね?」
アナベルはグレアムの気になる言動に、眉間に皺を寄せて詰問した。
「殺しては取引材料に使えない。脚を焼いて動けなくしようとしただけだ」
「何を当たり前に言っているのよ。そんな真似をしていたら、蛙にした上で丸焼きよ!」
アナベルが憤って怒鳴ると、祖母が優しく背を叩いた。
「まあ、まあ……そう怒るでないよ。わしはこの通り無事なのじゃ。窓磨きは大変じゃから、ちょうどよい手伝いが手に入って助かっておる」
機嫌よく笑い、少し移動して別の窓の前に立った。
そこもはたきでトントン、と叩く。
「さあ、今度はこの窓じゃ。ピカピカにしておくれ」
祖母が笑いながらグレアムに命じると、指輪の宝石が輝きを増した。
「ぐっ……な、なぜ、この私が窓磨きなど……屈辱だ……」
グレアムが必死で祖母の言葉に抵抗しようとするも、結局しきれない。
彼の足は窓の前まで動き、祖母の命じるとおりに、その手は窓を磨き始めた。
「窓くらい、魔法で掃除しろ」
歯ぎしりしながらの恨み言に、祖母が面白そうに笑いながら、曇りの取れていない場所を叩いて知らせる。
「魔法使いだからと、なんでも魔法に頼って生きるのは良くないことじゃよ。人間は、便利な生活に慣れきってしまうと堕落するだけじゃ」
「綺麗ごとを言うなら自分で磨け」
祖母に不満をぶつけたグレアムの口から、ぎぎぎ、と音が聞こえる。余程強く奥歯を噛んでいるのだろう。
「年寄りに窓磨きは重労働じゃ。そういうのは若者の仕事じゃよ」
からり、と笑った祖母は店舗の窓をすべてグレアムに磨かせた。
◆◆◆
「ご苦労さん」
最後の窓がピカピカになったところで、げっそりとしているグレアムを、祖母は店の椅子に座らせた。
アナベルはその姿を正面の席から見つめる。
祖父の魔法に対抗できないグレアムが、祖母に危害を加えるのは不可能と判断し、途中からここに座って窓磨きの様子を眺めていた。
「その指輪の持ち主はいったい何者だ? 指輪にあれほどの魔法をかけられる使い手がいるなど、信じられない……」
祖母の首元を見てグレアムが苦々しげに呻いた。
「ふふ。おじいちゃまはとっても素晴らしい大魔法使いだもの。あなたが敵う相手ではないわ」
「なんだと、大魔法使い?」
アナベルが微笑みながら教えると、グレアムは自尊心を刺激されたらしい。顔を歪めて、ものすごくいやそうな声を発した。
「そうよ。その気になれば王宮魔法使いの長官など簡単になれた人よ」
「……ところで、おまえさんはわしを人質に、孫に何をさせるつもりだったのじゃ?」
祖母が、祖父に関する会話を遮るようにグレアムに問うた。
するとグレアムははっとした様子で目を瞬き、小さく咳払いをした。自身の用件を話し始める。
「……家の取り潰しと財産没収。自身は国外追放を陛下に命じられた父が、それを昨夜、母とイブリンに伝えた。私はその時自室にいて、これは執事から聞いたことなのだが……イブリンは突然没落した父を激しく詰り、父は愛娘が自身を慰めないことに腹を立て……怒りに任せてイブリンに手をあげようとした」
「まさか、叩いて怪我をさせたの?」
アナベルが見る限り、前長官は娘のイブリンを溺愛する人であったように思う。
それが手をあげるなど、意外な行動に驚いて問うも、グレアムは小さく首を横に振った。
「イブリンは無傷だ。……父は、イブリンを庇った母に重傷を負わせた」
「重傷……それって、少し叩いた程度ではない、ということよね?」
グレアムに問うアナベルの眉間には、自然と皺が寄っていた。
男が、女、子どもを叩くというだけでも、アナベルはものすごく気に食わない。猛烈に腹の立つことだ。
それが、被害者が重傷となれば、それよりもさらにひどいおこないを前長官は己の妻にしたことになる……。
「白魔法使いに攻撃魔法は使えないが、風魔法で人を宙に浮かせるのは可能だ。父は 『私は人を浮かせられるのだ!』 と叫びながら母を強引に浮かせ、三階の窓から外に出して魔法を解いた」
グレアムは苦しげな顔をしてアナベルを見ていた。
「なんですって!」
魔法の使えない相手にそんなことをすれば、浮かされていた人は……。
「ややっ! これは窓を磨かせている場合ではなかったぞ」
アナベルがぞっとして顔色を変えた隣では、祖母も同じく慄いていた。




