064.宰相は浮かない
「長官様が解任されるのですか?」
まったく思いもよらない言葉を耳にし、アナベルは愕然とした。ジャンも、腕を組み怪訝な顔をしている。
「一体、長官が何をしてそんな話になっているのだ?」
「陛下が、先日の宰相閣下の誕生祝賀会での出来事をお知りになったようでして、魔法とは宙に浮くのも可能とするものなのかと長官様に……」
会議ではない気楽な席ということで、重臣達に付き従う書記官や秘書官なども二名までなら同席が認められた。もちろん、少し離れた位置で王と重臣たちの談笑を聞くだけなのだが、それでも嬉しく拝聴しているとそのようなことを王が長官に問い始めたのだと男性は語った。
「上級魔法使いであるなら、空中浮揚は特別難しい魔法ではありません。長官様が陛下にご覧いただくのは容易い事かと……」
アナベルは思わず口を挟んでしまった。
アナベルが宙に浮いて見せたのを、あの日の招待客の誰かから王が聞き及び、それを自分も見てみたいと興味を抱いた……そこで、自身の魔法使いにそれを命じた。
王宮魔法使いは王のために生きると誓いを立てている魔法使いだ。
たとえそれが王の守りに何の関係もない余興のような空中浮揚であったとしても、主たる王の言葉である。その命令であれば何でも喜んで叶えるものではないのだろうか。
それがどうして解任騒ぎになるのだろう? さっぱりわからない。
訝るアナベルに、男性は苦しげな顔をして首を横に振った。
「もちろん、長官様もそう思われました。陛下に楽しんで頂けるなら、と喜んで空中浮揚の魔法を使おうとされました。その時です。陛下が 『軽い長官が浮いた姿を見てもつまらない』 と、おっしゃられまして 『大きくて重い宰相を浮かせてみろ』 と……」
「っ!」
アナベルは、大の苦手とする辛い物を無理矢理口に押し込まれたように感じた。
冷汗が背に伝う。握りしめた手の内にも同様に汗を掻いていた。
先程感じた魔法は、長官がセインを浮かせようとしたものなのだ。
攻撃魔法でないと感じたことで、遠視魔法を使用してまで詳しく状況を把握しなかった。
単純に、セインが纏わりつく魔法を喜んでいない事だけを確認し、それで弾き飛ばしてしまった……。
「もちろん、そのご命令にも長官様は喜んで従いました。ですが、長官様がいくら魔法をかけても宰相閣下は浮かなかったのです」
「…………」
男性が重々しい口調で語る内容を聞けば聞くほど、アナベルの顔は強張り、背筋は寒くなるばかりだった。
「その結果に陛下はとても興を削がれたようでして 『人を浮かせるなど容易い事と言わなかったか』 と、慌てる長官様に不愉快そうにおっしゃいました」
機嫌の悪い最高権力者に声をかけられる。
それはどれほど恐ろしいことだろう。
その原因を作ったのが自分であるなど最悪だ。
アナベルは己が仕出かしてしまったことに、目の前が真っ暗になりそうだった。
「『出来ないものを出来ると言うのが我が国最高の魔法使いとは、なんとも情けないことだ。他国に笑われぬ内にどうにかできぬものかな』 と、長官様の言葉を聞くことなく退出を命じたのです。その後、宰相閣下のみを残して他の重臣たちも部屋から出しまして……私たちももちろん出ました」
二人でセインに付いていたので一人はセインと王の話が終わるのを隣室で待ち、自分は先にこちらへ戻って来たのだと男性は締めくくった。
「なるほど。あなたより先にその場からこちらに戻った者がいたから……それで妙に落ち着きがなくなっていたのだな。陛下は解任とははっきり言っていないが、そのお言葉は厳しいものだ。しかも長官の弁明は聞かず部屋から出した。おまけに、セインだけを残して話をしているなど……確かに長官によい未来はなさそうだ」
どこか楽しそうにジャンは言葉にし、表情も満足げなものだった。が、アナベルはとても楽しい気持ちになどなれなかった。
「わ、私が、魔法を使ったから……」
まさか、王の要望によってセインに魔法がかけられているなど、まったく考えもしなかったのだ。
もっときちんと調べるべきだった。
長官はセインの政敵になってしまったようなので、面識のない存在であるが正直いい感情は抱いていない。
しかし、そのような相手であっても、王の前で恥を掻かせるというのは拙いおこないだ。
これでもし本当に長官が解任ということになれば、姿を見せずにその原因を作った自分という人間は、陰険極まりないではないか。
アナベルは考えなしに魔法を使ってしまった己に、頭を抱えた。
そんなアナベルとは対照的に、ジャンはどこまでも陽気で朗らかだった。
「拝金主義者で徳もなく、人々の敬意を受けるにふさわしくない人柄の長官を、陛下は平素より快く思われていない。セインが浮かなかったのを見て、さぞ都合がよいと思われたことだろうな」
「ですが、それで長官様を解任などとんでもない事です」
「不興をあらわにされた陛下が、今後長官を冷遇する理由にそれを使うことはあるだろうが、解任とまではいかないと私は思うよ」
「冷遇……」
鸚鵡返しのように呟くと、ジャンが軽くうなずいた。
「陛下が長官を疎んじているから、どうにかしたいとのお言葉を聞いて、その場にいた者たちは解任もあり得ると感じたのだろう。だが、解任するには長官よりも強い魔法使いが必要だ。今の王宮魔法使いの中にそれは存在しない。この現状では、陛下といえどそうたやすく長官を解任することはできないはずだ」
「あ、そうですね……」
冷静な声が語る内容を聞いているうちに、アナベルの頭も冷えた。
そうだった。王宮魔法使いの長官は、国王が任命するが、王宮魔法使いすべての合意も必要なのだ。
王を守る最強の盾とも呼ばれる王宮魔法使いとなるのに必要なものは、年齢でも家柄でもない。
魔法力がある程度の基準に達していること、ただそれだけである。
その彼らを束ねる長官となるには、最も強い魔法力の持ち主であると王宮魔法使いが総意で認めなければならない。
ベリル最強の魔法使いと認められない者が長官となった事は、これまでの歴史上一度もないのだ。
それを、長官が突然死去したとでもいうならいざ知らず、そうでもないのに国王の意思のみで解任し、力の劣る者を後任に据えるというのは、王宮魔法使いたちが絶対に納得しない。
そして、セインから聞いた長官の人となりから察するに、王命であろうと素直に解任を受け入れるとは思えない。
「長官となった者にはその特別な力に敬意を表すという意味で、大臣と同等の権限が与えられる。これは、魔法使いを大切にするベリルにおいて代々の決まり事だ。長官はそれをいいことにずいぶんと増長していたのだが、今回のことで解任は無理でも、その権限を縮小するのは可能となるだろう。それは君のおかげでできることだ」
君は王とセインを助けただけだ。何も悪いことなどしていないよ、と笑顔を向けられて少し気が楽になった。
「君と長官が公の場で魔法対決でもすれば、水の魔法が得意と言いつつ、陛下の熱を下げるのは魔法のかかりが悪いから難しいとばかりの長官の解任など一発で決まるだろうが、セインの魔法使いとなる君にそれは望めないからね」
いたずらっぽく片目を瞑って見せたジャンに、アナベルはこくりと頷く。
長官がどのような権限が約束された地位であろうとも、アナベルはセインのそばにいるほうがいいのだ。
それにしても、魔法のかかりが悪い?
ベリル最強と認められた魔法使いが、熱を下げるのが難しいとはどういうことだろう。
「お帰りなさいませ。宰相閣下」
疑問を問おうとしたその時、扉のほうからセインを迎える声が聞こえた。アナベルは待ち人のお帰りに勢い良く席を立つ。
疑問はひとまず置いて急いでそちらに向かうと、すぐに入室したセインと目が合った。
「アナベル。来ていたのかい」
「お仕事中、お邪魔しております」
迷惑そうなそぶりを一切見せず、いつも通り優しく笑んでくれた顔に、そんな場合ではないと思っても、つい嬉しくなって口元が綻んだ。
セインはジャンにも一つ頷くと、書記官二人にしばらく誰からの取り次ぎも断るようにと命じて、外に出した。




