065.弱い者いじめ
三人のみとなった部屋で、セインは先程までアナベルが座っていた席に腰をおろした。
アナベルは隣にと促され、良いのだろうかと思いながらもその通りにして座らせてもらう。大きなソファなので、窮屈ということはまったくなかった。
「長官……なんだか、面白いことになったようだな」
ジャンが、にやりと笑ってそう言うとセインも楽しげに笑った。
「『どんなに重いものでも浮くはずなのに、どういうことだ。私の魔法がなぜ弾かれるのだ!』 と、己の魔法に驕る長官が半狂乱になって慌てふためき必死で陛下に言い訳する姿は、中々に愉快な見せ物だった」
「他の者はすべて下がらせて、陛下はおまえにだけ何を言ったのだ?」
「特に我らが中身のあることを話さずとも、こうして話していると知るだけで、長官はいろいろ考えるだろうな、とおっしゃられた」
ジャンの問いにセインが秘密にすることなく答える。
それを聞いた彼は、ひょいと片眉を上げると意地の悪い表情となった。
「いろいろ考える、ね……。そのうちの一つは間違いなく、おまえが陛下に役立たずの長官の権限縮小を願っている、だろうな」
「おそらくな」
「それで逆恨みして突っかかってきたところを、おまえの魔法使いで倒して見せろというのが陛下のお気持ちではないのか?」
「え?」
最後に意味深な目でこちらを見たジャンと目が合う。アナベルはその言葉に、訳がわからず怪訝な声が出てしまった。
「陛下は、セインの誕生祝賀会の出来事を知っている。ということは、そこでセインが上級白黒魔法使いを自身の婚約者として紹介したことも当然ご存じのはずだ。500年ぶりにベリルに現れた上級白黒魔法使い。あの陛下であれば、何かに使えるとお考えになられてもおかしくない」
「あの陛下?」
どこか含みを感じる物言いに、アナベルは思わず復唱してしまった。
「ご病弱で床に就くことが多いからかな……陛下は物静かで大人しい人間と思われがちだが、そんなことはない。結構したたかで手厳しいお方だ。社交界はセインを怖い人間とよく囀るが、私が見るに、陛下のほうが怖い人間だよ」
「怖い人間……」
ちょっとぞくっとし、ついその王の従兄弟であり幼なじみでもあるセインの顔を見てしまう。
「ジャンは口が過ぎると思わないでもないが……大人しいだけの人間が一国の王として生きられるわけがない。ベリルを守る要であられる陛下は、私などより遙かにすべてを把握している。何倍も怖ろしい人間であられるよ」
苦笑しつつ教えてくれる。
その声音には、国王に対する確かな敬意が滲んでいた。
「……そこに、今回の長官の失態だ。それを君の仕業とは流石に気づかなかっただろうが、さぞ、都合がいいとは思われただろうな」
ジャンに視線を向けられるも、アナベルには困惑しか芽生えなかった。
「何かに使えるとか都合がいいとか言われましても、私は王宮魔法使いにはなりません」
ベリルに暮らす魔法使いで、王の御前に呼ばれるのを拒否できる者はいないが、王宮魔法使いとなって王に仕えることは本人が選択できる。
そうであるから、充分王宮魔法使いになれる力を有していながら、西区で魔法屋をしている者が存在するのだ。
魔法使いを尊重するベリルでは、たとえ王であろうと、自身に仕えるようにと命じることはしてはならないと建国時より定められているのだ。
だからこそ、魔法使いはいつの時代も常に自由である。
「王宮魔法使いとなって公の場で長官を倒せとまではお考えではないのだろう。長官に、世には自身よりも強い魔法使いがいることを自覚させ、驕るなと釘を刺したいのだろうな」
ジャンの説明を聞いて、アナベルは複雑な気持ちになってしまう。
「釘と言われましても……。私は長官様とは戦いたくありません」
「もちろんだとも。ジャンの言葉を気にする必要はない。私は君に魔法で戦えなどとは言わないよ。たとえ長官が私に何かして来ようとも、それは私が対処すべきことだ。君が私を守って危険な目に遭うなどあってはならないことだ」
守らずとも良いときっぱりと言い切る。偽りない眼差しでアナベルを見ているセインに、小さく首を横に振った。
「違います。危険な目に遭いたくないから言っているのではありません。長官様と魔法で戦うのは、弱い者いじめをするようにしか思えなくて……そういう悪いことはできればしたくないな、と」
「弱い者いじめ?」
驚いたような声をあげて目を丸くしているのはセインだったが、対面からジャンも同じような様子でこちらを見ているのが分かった。
そんな二人に、アナベルは肩を竦めるようにして正直な感想を語った。
「セインのお話では、長官様は隊長の生命力回復もできず、自然災害の対処もできないようですので……あまり魔法力が強くないのではないかと……」
そのような相手と戦うことになれば、一方的なものとなる。
そうとしかアナベルには思えないのだ。
そんな弱い相手と戦うのは、なんだか悪いことをするようにしか感じず、もやもやして気が重くなる……。
「ははっ! 長年、王宮魔法使いの誰も敵わない長官を、強くないと君は言い切るのかい。弱い者いじめになるとはなんと頼もしいことだ」
セインが破顔して朗らかに笑う。ジャンもとても満足そうに、その言葉に同意するよう頷いていた。
「セインを攻撃してきたならもちろん戦いますが、その原因を私が作ってしまうとは……」
知らずにやってしまったこととはいえ、とほほである。
セインに対して申し訳なさすぎて肩が落ちるアナベルだった。
「まさか、長官様が浮揚魔法をかけているとは思わなかったのです。確認もせず弾いてしまったせいでセインが恨まれるなんて……申し訳ございません」
簡単に弾き飛ばせたので、上級魔法使いの魔法力による魔法とは夢にも思わなかった。というのが偽りない気持ちである。
しかしこれでは、役に立ちたくて側にいるのに余計なことをするお荷物でしかない。
気持ちが落ち込み身を窄めるアナベルの肩に、そっとセインの手が触れた。
「やはり、あれは君だったのだね。なんとなく、君の優しい気配を強く感じた途端、長官が私を浮かせようとする魔法の力が完全に消えたから、そうではないかと思っていたのだ」
アナベルを見るセインは、にっこりとまるで太陽のようにあったかい笑みを浮かべていた。
自身が逆恨みされる原因をアナベルが作ったとわかっているはずなのに、それでも笑ってくれる姿に目頭が熱くなる。
「ごめんなさい。決して、長官様を貶めようなどとは考えていなかったのです。ただ……あまり歓迎していない気配を感じましたので、お傍から余計な魔法を排除したいと、それだけを……」
「謝る必要などないよ。君は私にとても良いことをしてくれただけだ。ありがとう。長官の魔法に勝ってくれて。感謝している」
今度は頭に触れた手が優しく撫でてくれた。柔らかなその手が己に触れていると、なんとも言えない幸せな心地になる。
「ですが、逆恨みされてしまうのですよ?」
セインから貰えるありがとうの言葉には、心底安堵した。が、問題が解決したわけではなく、それはアナベルに重くのしかかってくる。
「私の側に付くのをやめて、他の貴族におもねった長官から恨まれたところで痛くも痒くもない。君は何も気にしなくて良いのだよ」
「セインは私に甘すぎると思います。怒られるのが好きとは言いませんが、たまには怒ってくださらないと、私は悪い人間になってしまいそうです」
強力な甘え癖がついてしまい、この先もっと禄でもないことを仕出かしてしまうのではないかと不安な気持ちになるほどだ。
「怒るようなことなど何もしていない君に、どうして怒ったりできるものか。君は小さくなることなく、いつでも堂々として笑っているといい」
額にやさしくキスをしてくれる。柔らかいそれが、本当に嬉しくて心が芯からあったかくなる。
「セイン。そういうことは、二人きりの場でしろ。アナベルはセインに可愛がってもらうのではなく、話があって来たのだろう?」
うっとりと目を細めて浸りそうになったところで耳に入った。ジャンの少し低い声に、はっとして背筋を伸ばす。
「そうでした! 長官様のことも気になるのですが……隊長きゅきゅのことです……あの、お傍にいないようですが、どちらに?」
いつもの定位置、セインの肩に居ない。朝出掛けるときは確かに共に王宮に向かった筈だ。お見送りをしたアナベルはしっかり見ている。
「……ここにある庭のどれかで遊んでいるよ。きゅきゅは政務室や会議室にはあまり近づかないのだ。きゅきゅがどうかしたかい?」
「遊んでいるならいいのです。王太后様の誕生祝賀会でセインが贈る薔薇をお気に召して頂けなければ、隊長が陛下の薬にされるというのは本当なのですか?」
きゅきゅの目の前では言いにくい内容だったので、危険な目に遭っていないのであれば、他の場所で遊んでくれているというのはありがたい。
「それは、魔法屋で令嬢たちから情報として聞いてきたのかい?」
知られたくなかったな、と言いたげに微苦笑を浮かべたセインを、アナベルは真率な目をして凝視した。
「セインが、みすみす隊長を犠牲にするようなことはないと信じていますが、それでも心配なのです」
「ありがとう。君に心配してもらえるのはとてもうれしい。……でねも、もし薔薇が駄目でも、王太后様はきゅきゅを陛下に食べさせるとだけは言えないのだよ。私は、それを可能とする秘密を握っている。だから安心してほしい」
やんわりとセインの手がアナベルの頬に触れた。
頭を撫でてもらうのと同様にとても気持ちいいのだが、アナベルは己が恥ずかしくなって俯いた。
やはり、心配するなど余計なお世話だったのだ。
「どうして俯くのだ。具合でも悪いのかい?」
「いいえ……ただ、本当にセインには隙が無いと思いまして……」
隙だらけであれば、悪徳貴族たちにその地位から追われてしまう。だから、セインのような人は隙など見せてはいけないのだ。そう思えど、これでは頼ってもらうなど不可能な夢に終わるのではないかと感じた。
「王太后様のことかい? マーヴェリットは王家に目の上の瘤のように思われている家だからね。自衛のためにも王族の秘密はすべて握るつもりで情報を集めているのだよ」
「私に頼って頂く道のりは遠そうです」
王族の秘密はすべて握っている。
セインは何の気負いもなく、ごく当たり前の口調で言っているが、それはとんでもないことだ。
マーヴェリット家が何代にも渡りベリル一の名門と呼ばれ続けるのは、ただ領地を繁栄させて財力を蓄え国政に関与しているからだけではない。
常に王家の動向に目を配るのを怠らないからなのだ、と思い知らされるアナベルだった。
「遠くないよ」
アナベルの左右の手を、セインの両手が柔らかくふんわりと包み込んでくれる。
慰めだと思うと同時に、まるで気持ちが伝わっているかのように否定された。
「これは慰めではない。私は本当に君を頼りに思っている」
「セイン……」
顔を上げたアナベルを、セインがまっすぐに見ていた。その真摯な美しい黄金の瞳から、アナベルは目を逸らせなくなる。
異様に胸がドキドキして、全身の血が沸騰して茹ってしまいそうだ。
「あ、あの……」
そんなに見ないでください、とお願いしかけたところで、正面の席からコホン、と妙に大きな咳払いが聞こえた。
「セイン。かわいい婚約者をとにかく愛でたい気持ちはわかるが、政務はいいのか? 机の上を見る限り、終わっているようには思えないぞ」
輝くような満開の笑顔でそう言ってのけたジャンを、セインが物凄くいやそうな顔をして見た。
おかげで自分から視線が逸れる。
アナベルはほっとして緊張がゆるんだ。おそらく、真っ赤になっているであろう頬を、そっと撫でて冷やす。
「……ジャン、おまえ……邪魔をして楽しむのは、悪趣味だぞ」
「悪趣味とは? 私は見たままをそのまま問うただけだ。アナベル、君の心配事は解消したようだし、政務の邪魔にならないよう先に屋敷に戻ってはどうだい?」
ジャンに話を振られて、アナベルは慌てて立ち上がった。
「は、はい。戻ります! お邪魔いたしました。セイン」
きゅきゅが無事ならばそれでいいのだ。ここに来た目的は達した。
長官の言う 『陛下は魔法のかかりが悪い』 との言葉が気になるが、長居をして政務の邪魔をするつもりなど毛頭ない。一礼して部屋から出ようとした。
「アナベル。邪魔じゃないから!」
「え?」
素早くセインに手を握られて、アナベルはきょとんとした。




