062.安心して下さい。死ぬことはありません
「マーヴェリット公爵様の陛下への忠誠が偽りなきものであるなら、たとえ自身の大切な動物であろうとも陛下の快癒のために捧げられるはずだ、とラッセル侯爵様が会議で発言なさったの」
アナベルが関心を寄せたのを見て取った令嬢は、美しい顔にとても満足そうな笑みを浮かべていた。
「そんな事になっているなんて……」
セインはそのような話はまったくしなかった。
自身の薔薇が選ばれる自信があるから言う必要はないと判断しているのだろう。きゅきゅはそれを信じているから不安な様子を見せないのだ。
それでも、アナベルは心配になってしまう……。
「とはいえ、ラッセル侯爵様がそのように発言されても、飛竜の生き胆に本当に特別な効能があるとは限らないでしょう。そこで、陛下の治療方針に関して決定権を握られる王太后様に、祝賀会の席でその使用の是非を窺うということになったのよ。……マーヴェリット公爵様の薔薇が例年通りお気に入りに選ばれた場合は、王太后様は公爵様の嫌がることはなさらないでしょうね。でも……」
「ラッセル侯爵の薔薇が選ばれた場合は……」
王太后は元々セインに良い感情は持っていない。
セインの薔薇をどうでもよい物と見做した場合、飛竜に王を癒す効能があるとの確信が無くとも、セインを追い詰める格好の手段として、肝を差し出すようにと言うだろう。
「だけど……もし、そんなことになったら公爵様、王家相手だからと素直に飛竜を差し出すとは思えないのよね。皆が驚くほど大切にしていらっしゃるもの。政務を三日も休まれてつきっきりで看病なんて、あの話には本当に驚かされたわ。王家とマーヴェリット家の関係が今以上に悪くなるのは、ベリルにとって良くないと私は思うのよね」
「私も、公爵様がきゅきゅの命を諦めるなど考えられません」
だが、王太后がきゅきゅを差し出せと言うのに反して守れば、王に対する忠誠を疑われるわけで……。
令嬢の言うとおり、ベリルに不穏な風が吹くことになるだろう。
セインは板挟みで苦しみ心労が嵩むことになる。そのような姿は見たくない。
セインの薔薇が選ばれるなら何の問題もないのだが、万が一ということもある。
不測の事態を招かないためには、誕生祝賀会よりも先にアナベルが王を癒す事が出来れば良いのだ。
それさえ成功すれば、きゅきゅの肝など誰の話題にも上らなくなる。
その為には一刻も早く第一王妃に会いたい。
逸る気持ちを何とか静めようとテーブルに置いた手を握りしめると、令嬢は期待に満ち溢れた目を向けてきた。
「知らない情報だったのでしょう? 髪は召使いに整えさせるからいいとして……この首のシミを消してもらえないかしら」
令嬢は己の首に巻かれた花飾りのついたスカーフをはずした。少し顎をあげるようにして首がアナベルによく見えるようにする。
その細い首には、右側面の中ほどから肩の辺りにかけて、赤黒いシミがべったりと広がっていた。
「三か月ほど前から急にできて広がっているのよ。医者に診せても原因はわからないとしか言わないし……私、肌の調子には気を遣って、毎日きちんと整えているのよ。それがこんな気味の悪いシミが広がるなんて、良いお家にお嫁に行けなくなっちゃうわ!」
詰るように不満を述べ、早く消してと急かしてきた令嬢に苦笑した。
「余計なお世話とは思いますが、他人の恋人を奪って楽しむのはおやめになったほうが良いですよ」
「なっ! なんですって……」
令嬢の顔がぎょっとして強張った。アナベルを見る目が険しくなる。
「それは普通のシミではなく、女性たちの怨念が宿った呪いが形となったものです」
「の、呪い?」
令嬢はぞっとした様子で軽く仰け反り、青くなって震えはじめた。そんなものはあり得ない、嘘を吐くなと騒がないところを見ると、心当たりがあるようだ。
「そのシミ以外にも、何かおかしなことが身の回りに起きていませんか?」
「実は毎日夢見が悪くて……朝起きると必ず、首に真っ赤な手形が付いているの。でもすぐに消えるから、誰に言ってもまともに受け取ってもらえなくて……」
令嬢は縋るような眼差しでアナベルに語った。
「ここで呪いを解くことはできますが、再び呪われないためには、泣かせた女性たちにあなた様が謝罪をして誠意を見せるしかないと思います」
「謝るなんて、そんな……簡単に私の美貌の虜となって乗り換える男が悪いのに……私、そこまで本気で男たちを誘惑なんてしていないわ。少し笑いかけてあげるだけで私のほうが良いと向こうのほうが言ってくるのよ!」
理不尽だと口を尖らせ、テーブルを叩いて臍を噛んだ令嬢に、アナベルは少し冷たい目になってしまった。
「あなたに目移りして恋人を捨てた男が悪いのは認めますが、あなたが無罪とも思えませんね。謝罪して回らないなら、私は呪いを解きません。表通りの魔法屋に依頼を出してください。さきほどの情報の対価は、生涯保証付きの最高の髪と爪のつやつや魔法でお支払いします」
「表通りの魔法屋……そこで、本当にこの呪いは解けるの?」
不満顔から一転。不安げな目でアナベルを凝視する令嬢に、さあ、と笑ってみせる。
「大勢の呪いが重なり合っていますからねえ、どうでしょうか。表通りの魔法屋には中級魔法使いしかいませんから、彼らには少し荷が重いかもしれませんね」
「上級魔法使いじゃないと、駄目なの?」
涙目になって問われるのに、令嬢のシミに軽く右手で触れながら頷いた。
「かなり恨みが強いようですから……完全に払うには光の上級白魔法が必要かと……中級では半端に呪いが残ってしまうと思います」
「王宮魔法使いになら上級魔法の使い手がいらっしゃるけど、あの方々は、貴族だからとそう簡単に依頼を受けてはくださらないわ……」
令嬢は、両手で顔を覆って絶望の色濃く滲む嘆きの声をあげた。
アナベルはその顔に微笑みかけた。
「もし誰にも引き受けてもらえなくとも、死ぬようなことはありませんので大丈夫ですよ。安心してください。そのシミが全身に広がって赤黒い汁を噴くだけですので」
男を誘惑するどころか、公の場に出難くなるのは間違いない。が、この令嬢の美にダメージを与えて男性に嫌われるように仕向ける呪いなので、命を奪うほどの力は感じなかった。
それをそのまま伝えたアナベルに、令嬢は店が震えるほどの声で絶叫した。
「そ、そんなのいやあああああああっ!」
アナベルはさっと両手で耳を塞いだ。
「何が大丈夫よ。全身に広がって汁を噴くなんて、安心できるわけないじゃない! そんなの死の呪いと同じよ。酷いわ!」
令嬢は立ちあがって怒鳴りつけてきた。
眉を吊り上げ顔中真っ赤にしてこちらを睨んでいるが、アナベルは同情できなかった。
「でもですね、あなたにとって男性を誘惑するのはただの面白い遊びだったのかもしれませんが、あなたに恋人を奪われた女性たちは、あなたに死の呪いをかけられたのと同じ苦痛を味わったのだと思いますよ」
愛しい人が自身の許から去ってしまった嘆きと悲しみが長じて恨みとなり、令嬢を呪う力となっているのだ。
「そ、そんなに大事な恋人なら取り戻すために己を磨いて足掻けば良かったじゃない。私を呪うなんて陰険な手を使わずに! それに、呪うなら自分を捨てた男を呪えばいいのよ!」
開き直りとしか思えない主張を繰り出してきた令嬢に、アナベルのこめかみがピクリと震えた。
「奪った人間がそれを言うのですか。あなたが、どうしてもその殿方が好きで堪らなかったと言うなら、その言葉も仕方ないと思わないのでもないのですが、あなたはそうではないようなので不愉快です」
女性たちに、自分を捨てた男を恨む気持ちはもちろんあるだろう。それでも、愛情が残っているから呪えないのではないだろうか。
殿方とまともにお付き合いをしたことがなく、恋愛について人に語れるような知識など持たないアナベルでも何となくわかることが、この令嬢にはわからないようだ。
「え?」
どうしても苛立ちが募り、目に剣がこもってしまうアナベルに、令嬢は気勢を削がれた様子で一歩身を退いた。
「自己顕示欲を満たすためだけに女性から恋人を奪い、その女性の心を死なせておきながら上から目線で何を言っているのですか。あなたには、恨まれるのを酷いと嘆く資格などありません」
己の美貌に慢心し、遊びで他人の大事なものを奪っておきなら、逆襲されたら酷いと嘆くのはお門違いとしか思えない。
恨まれる覚悟くらいは持つべきではないだろうか。
「うっ! わ、わかったわ。謝る。謝りに行くから呪いを解いて。お願い。お願いします!」
令嬢は咽喉に何か詰まったかのようなうめき声をあげた。
ここでようやく己の行動を省みたのか、反論はせずアナベルに懇願してきた。他の魔法使いに頼る道は選ばないようだ。
「必ずですよ。今ここで呪いを解いても、あなたの謝罪が適当なものであれば、あなたを呪った方々の怒りは解けないと思います。その場合、再びシミが出来ます。そうなってからここを訪れても私は何もいたしません」
「誠心誠意謝ります!」
どのような報酬を用意されても拒否するときっぱり言い切ったアナベルに、令嬢は深々と頭を下げて謝罪を誓った。
アナベルはその言葉を受けて光の白魔法を使う。
この令嬢は決して好意を抱ける人間ではないし、呪われたままにしておいたほうが被害者たちの留飲も下がるだろう。が、令嬢には反省の心が芽生えている。
しかも、情報を貰ってしまった手前もある。赤黒い汁を噴きながら生涯暮らせと追い払うほど、非情にはなれなかった。
上級魔法にて完璧に解呪するとシミは跡形もなく消えた。
「よ、良かった……元に戻ったわ」
己の首を鏡で確認した令嬢は、上機嫌で店から去った。
「今日の分は、終わり」
王太后の腕輪や悪徳貴族に関する情報は明日に期待しよう。そう思いつつ令嬢を見送ったアナベルは、奥の部屋へと引っ込んだ。
祖母にセインの屋敷に戻ることを伝えると移動魔法を使った。




