061.あったかい夜
かわいい、というのが年上の男性を形容する言葉でないことはわかっている。
それでも、まるで小動物のように怯えて嫌われてしまうなどと言われては、他に何が言えると言うのだ。
どこか皆の知らないところに浚って、自分だけが眺めていたい。それがどんなに無茶なことであろうと挑戦してみたくなるではないか。
そんな邪悪な欲を思いきり刺激してくるセインという存在は、アナベルの心を猛烈に鷲掴みにしていた。
「かわいい、とは?」
怪訝そうに言って再びアナベルを見たセインに、にっこりと微笑みかける。
あなたが食べてしまいたくなるほどかわいい、などとこちらの本音は胸の内にしまう。
もう一つのほうを、アナベルは口にした。
「魔法を頼られたくらいの事でセインを嫌ったりなど、絶対にいたしません」
何に誓いを立ててもいい。後悔しない。
セインはぽよぽよして柔らかくてあったかい。
穏やかな性格に、アナベルのことを無条件で優しく包んでくれる心も素敵だ。その上、かわいいなど反則技としか思えない。
ここまででアナベルとしては充分なのだが、セインにはさらに、地位や財産や身分まで上乗せされるのだ。女性など選り取り見取りであるだろうに、魔法が使えること以外さしたる特別があるわけでもないアナベルを選んで想ってくれるなど、まさしく奇跡だ。
ブルーノが呪いをかけたからこの素晴らしい人との出会いがあったわけだが……。
あの男に感謝しなければならないのかとさえ思ってしまうアナベルだった。
とにかく、呪いが解けて生きていられる今に感謝しておこう。
「アナベル……」
何かに感じ入った様子でこちらを凝視しているセインに頷きかけたところで、はっとする。
「あ、いや……駄目です。ないとは信じますが、女、子供を殺してこい、といった頼みをされた場合は、素直にお引き受けできないと思います。それ以外でしたら大丈夫です」
セインがそのような命令をアナベルに出すなど想像もできないのだが、政に付き纏う闇、との言葉がついそのことを脳裏に過らせていた。
「駄目な頼みはそれだけなのか。君こそ……私を甘やかして駄目人間にするつもりなのかい?」
「セインは、私に甘やかせるならいくらでも甘やかしたいお方ですが、駄目人間になられては困ります」
こちらのほうが甘やかされるばかりで、セインにはこちらが甘やかせるような隙は無いように思う。
「困るのかい?」
面白そうな笑みを浮かべたセインを、アナベルは真面目な顔をして見つめ返した。
「私は、宰相閣下にこのベリルをもっと良い国にしていただきたいのです。貴族が一般市民から不当な搾取をおこなわない。理不尽な暴力を振るわない。法の下には皆が平等で、明るく笑って暮らせる。希望に満ちた国に……」
この国の政治形態を変えたいと、そこまで大それた望みを抱いたことはない。
だが、一般市民はどう扱っても良いと考える貴族たちに、貴族と一般市民が結ばれその両方の血を受け継いでいるからこそアナベルは、一般市民も貴族も同じ人間なのだと知ってほしい。
その手伝いが自分にできるならば、町の魔法屋にて三人で暮らすことはできずとも、それ以上の幸せを見つけられるように思う。
「それは、未来にもベリルを強国として存続させるためには絶対に必要なことだと私も思っているよ」
アナベルを見ている黄金の瞳が、強い光を宿している。魂が吸い込まれてしまいそうなほどの美しい輝きに、陶然となり見惚れた。
「君が私と同じことを望んでくれているのが嬉しい。この先どんなに君に頼っても、人殺しだけはさせない。この世のすべてに誓う」
膝に置いている手に、そっとセインの手が触れて握られる。あったかいその手にアナベルは会心の笑みを浮かべた。
「……では、お話が纏まりましたところで、そろそろ休みましょう。あまり遅くまで起きていては、明日に疲れが残ってしまいます」
端っこに移動しようとすると、腕を掴んで止められた。
「どこに行くのだ? ここで眠ればいいではないか。同意が得られない内は何もしないよ」
「それは駄目です。私は寝相が悪いのです。このままここで眠ってまた噛みつくなどすれば謝っても謝り切れません」
やはり、セインはアナベルを端っこに押すという取り決めを忘れている。
あったかい場所で眠らせてあげようとしか考えていない様子に、いくら知恵者であろうとも、こんなに優しくては政の場で悪者たちに良いように浸け込まれるのではないかと心配になってしまう。
「噛みついても引っ掻いてもいいから、ここで一緒に眠ろう。一人より二人のほうがあったかいからね。離れて眠るなど、寒くて寂しいではないか」
「…………」
本当に寂しげで、見ていると胸が締め付けられそうな表情でじっと見つめられては、別の場所で休むなどとは言えない。
アナベルは小さく頷くとその場でシーツに潜り込んだ。
「あったかいね」
機嫌良く笑っているセインに、目を細めて微笑む。
「はい。一人より二人のほうがあったかいですね」
これで、自分の寝相さえよければ最高の寝床なのだが……。
セインが眠った後も起きていて、朝まで眠らずにいよう。それで拙い寝相をさらさずに済む。
睡眠不足は、魔法屋で令嬢たちに魔法をかける合間に眠って解消する。
アナベルは心の内でそう決めた。
「さあ、目を閉じてゆっくりお休み」
「え?」
そっと目蓋の上に手を置かれ、閉じるようにと促される。眠るつもりなどないのに、アナベルは優しいそれに自然と従ってしまっていた。
「魔法屋で、無理だけはしては駄目だよ」
視界は閉ざされているが、うっとりするような心地よい声音の甘い囁きと、額に頬にと柔らかな唇が触れているのはわかる。
セインがくれるお休みのキスにアナベルは微笑む。お返しに夢見の良くなる魔法をかけた。
心地よい触れ合いが続く内に、眠気のほうが勝ってくる。起きていなければと思うも、寝床がとってもあたたかくて幸せで、アナベルはいつしか睡魔に完全敗北していた。
大人しく眠る……大人しく眠る……と、必死で言い聞かせながら……。
そうして翌日……。
「嚙んでない!」
セインに何の迷惑もかけずに起きられた己に、アナベルは両の拳を握って快哉の声をあげた。
「抱きついて、噛んでくれたほうが楽しくていいのだがね……」
きゅきゅを連れて先に部屋を出るセインのどこかつまらなそうな呟きが、大人しく眠った己を褒めるアナベルの耳に届くことはなかった。
◆◆◆
「え? 王太后様が今回の誕生祝賀会で公爵様の薔薇を選ばなかった場合、隊ちょ……きゅきゅの肝が陛下の薬とされるかもしれないのですか?」
朝食後。セインは王宮に、アナベルは魔法屋に移動してお客の令嬢を迎えた。
社交界の有益な情報と引き換えに高度な美容魔法が掛けてもらえる、というのは今日の令嬢たちにもきちんと伝わっていた。
アナベルが何も言わなくとも、令嬢たちは自身の知ることを話してくれた。
とはいえ、これという情報を得ることは叶わないまま、十人目の令嬢となり……。
内心がっかりしていたアナベルに、本日最後の令嬢が 『知っているかもしれないけれど……』 との前置きで語ったきゅきゅの危機は、まったく知らない話だった。




