055.飛竜の生き胆と忠誠心
「ですが侯爵殿。それは何の効果もないことでは……」
セインが反論する前に、ラッセル侯爵を注視する貴族たちから困惑の声があがった。
それらの声には、世界の誰もが知る常識だろうに、との呆れた感情が多分に込められていた。
だが、侯爵は寄せられる声に微塵も動じることなく滔々と語った。
「確かに、世界にはそうと広まっています。ですがわが国ではこれまでの歴史上、一度も試したことがないのです。その生き胆を食べると不老不死となる、などと話が広まったのは、飛竜の肝に何らかの力があったからではないのでしょうか。まったく何の力もなければ、そのような話自体語られることはなかったと私は思うのです!」
威勢良く議場を見渡す侯爵に 『まあ、我が国に試した事実がないというのは、確かだな……』 と、歴史をよく知る者達の声がいくつかあがる。
それを聞いた侯爵は、自身の言葉に皆が呆れるだけでなく関心を寄せ始めた、と感じたのだろう。意気揚々として目を輝かせた。
「とは言いましても、私は飛竜を食したからと不老不死になるなど、さすがにそこまでの事は信じておりません。ですが人間一人を健康とするのであれば、可能な力を秘めているのではないかと考える次第であります。試してみる価値は充分にあると思うのです!」
大仰な身振り手振りを交えて訴えた侯爵は、最後には両腕を広げて見せた。
私の意見は間違っていますか、と言わんばかりのそれに、今度は呆れた声があがることはなかった。
「なるほど。不老不死は夢物語であっても、健康状態を良くするくらいならば期待しても……」
「大切な陛下のお身体であるし、試せることはなんでも……」
王の健康を願わない者などこの場にはいない。
侯爵の話に乗ってみてもよいのではないか、と意識を変え始めた者達の声を遮るように、硬質な音が大きく響いた。
議場に広がっていたざわめきがやむ。皆が、手を打ち鳴らしたセインに注目した。
「ラッセル侯爵殿。人間の役に立つ可能性がある。その言葉を使えば何をしても許されると考えた者達により乱獲され、飛竜の数は激減した。人間の身勝手な欲が、何の罪もない種族を滅ぼそうとしたのだ。世界中がそれを悔いて絶滅危惧種として守っていることを知らないとでも言うのか?」
なんと気分の悪くなる言葉を聞かせるのだ。胸を張ってこちらを挑戦的に見ている侯爵に、セインは苦々しいものしか感じない。
「もちろん、存じておりますとも宰相殿。生き胆を狙う人間たちに嫌気が差した飛竜たちは、今では人間の滅多に訪れない秘境で暮らし、その同意なく捕獲するような真似をすれば重罪に処されるということも……重々承知しておりますとも」
侯爵は、セインを小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「承知しているなら、おかしな提案はすべきでない。外務大臣ともあろう者が飛竜の生き胆を狙っているなどと各国に知れ渡れば、そのような者を重職に就けているのかとベリルが蔑まれる。それは、陛下のご尊名に傷をつけることにも繋がるとわからない侯爵殿ではなかろうに……」
「乱獲を禁じる世界の法に背き、秘境にて捕獲するなどとは申しません。各国に恥をさらすような真似は私とてお断りです。どうぞご安心を」
セインが厳しく咎めるも侯爵に反省する素振りはまったく見られない。
逆に、その面に浮かぶ陰湿な笑みは深まっており、どう見ても安心できるようなものではなかった。
「ならばなぜ、飛竜の生き胆を召し上がって頂くなどと……」
各国の非難を浴びないように絶滅危惧種の飛竜を手に入れて食用にするなど、いくら侯爵が外務大臣の地位を利用して各国の要人と親しくしているからと、不可能なはずだ。
セインがきゅきゅと共に在れるのとて、きゅきゅのほうがセインと共にいると主張してくれたからこそ、各国は認めたのだ。
その主張がなければ、マーヴェリット公爵家の力を使ってどれほど手を回したところで認めず、秘境に返すべきだとベリルを非難してくる国はあったと生前の父に言われている。
自家より力を持たないラッセル侯爵が、共に在るどころか食用などという最悪のおこないを各国上層部に認めさせるほどの影響力を持っているとはさすがに考えられない。
「ちょうど良い飛竜が、現在我が国にいるからです。しかも、小さな身体で成竜であり、聖獣とまで呼ばれる飛竜の中でも特別な存在が……常に宰相殿の傍にいるではありませんか」
「!」
にこにこと朗らかに、侯爵は好々爺のような顔をしてセインを見ている。
その言葉と顔を目の当たりにして、奴隷買の事実を知った時よりも激しい殺意が芽生えた。
「重篤な病に罹ったと聞き心配していましたが、先ほど庭園で見かけた姿はとても元気そうでした。あの状態であれば、新鮮で食べごたえのある肝を陛下の御前に提供できると安心しました」
「勝手に安心されては困る。私の傍にいるからと、飛竜が絶滅危惧種として世界各国で保護対象となっている事実を忘れた発言は慎んでもらいたい」
だから、きゅきゅの身を案じるようなことを言っていたのか。
侯爵とは思えない態度に違和感を抱いたが、これで納得できた。とはいえ、怒りが収まることはない。余計に腹立たしく思うだけである。
セインが不快な気持ちを眼差しに込めて睨むも、侯爵は面白そうに笑むだけだった。
「宰相殿は先程、陛下に対する忠誠は誰にも負けぬと私に豪語されたではありませんか。それが真実の言葉であるなら、飛竜の死因を世界に偽るなど容易いことではないかと……それをもって、自身の言葉が偽りでないと、是非ともこの場にいるすべての者に証明して頂きたいものです!」
この場の主役は自分であるとばかりに、侯爵は堂々と声を張り泰然としていた。
「…………」
セインの王に忠誠を誓う気持ちに、一片の曇りもない。それでもだ。公にはきゅきゅは突然死として葬り、その実、王に生き血と肝を提供するために殺すというのは、とても呑めるものではなかった。
「それとも、陛下の快癒よりも己の愛玩動物のほうが大事とおっしゃりますかな?」
無言のセインに、侯爵が勝者の笑みを浮かべて攻撃してくる。
ここで拒否すれば、王の命よりも優先することがあるのか、王がこのまま亡くなってもよいと考えているのか、と王位簒奪を目論む反逆者扱いで声高に非難してくるのは間違いない。
侯爵の取り巻きたちも、それを狙って次々と囀り始めた。
「陛下のご健康に関わることであるのだから、宰相殿は飛竜を差し出しても……」
「それで、陛下のお身体に素晴らしい効果が得られるとなれば、なんと喜ばしいことであるか」
「この場にいるものすべてが口を噤めば、他国への言い訳などどうにでもなるのでは……」
「宰相殿の忠義の心は、長く語り継がれるでしょうな」
きゅきゅを食べさせれば王が快癒する、と決まっているかのような思考が会議室に広がっていく。
侯爵の意見を後押しする者達には、秘境の地で強引に捕獲して世界の非難を浴びないのであれば、飛竜が一匹生きていようが死んでいようがどうでもよいことなのだ。
それで、王が健康体となれば祝福し、ならなければまた別の方法を考える。それだけなのだ。
司法大臣やセインと親しい貴族たちはその考えに嫌そうな顔をし、席を立って発言しようとした。
だが、ここで彼らが声をあげても侯爵が素直に退くとは思えない。不毛な時間が続くだけだ。セインは軽く手を振り、何もしないようにと示した。
それを見た侯爵が満足そうに目を細める。
飛竜を差し出すと言う他ないだろうと、その侯爵を初めとする幾多の目がセインをじっと見た。
「宰相殿が長年にわたり飛竜を大切にしていることは、知らぬ者がいないであろうに。その飛竜の命を奪う決断を、この場ですぐに求めるというのは、いくら陛下のお為であろうと酷なことと思わぬのか。ベリルの貴族は、いつからそのような他者に対する思いやりを忘れた非情な精神を持つようになったのだ」
セインが侯爵に返答するより先に、ゆったりとした動作で席を立って発言したのは、財務大臣を務める公爵だった。
父の親友であり、先王の御世から変わらず重臣としてベリルの政に携わる人物である。その公正な心根を慕う者は多く、セインにとっても父のように大切に思う人でもあり頭が上がらない。
嘆かわしいことだと眉を顰めるその姿に、ラッセル侯爵の尻馬に乗っていた者達が気圧されていた。少し身を縮めるようにし、ごにょごにょと言い訳がましい呟きを零した。
「陛下に対する忠誠心を誇った方に、それが真実であるかどうかを見せてほしいと求めることの、一体何が酷と言うのですかな?」
しかし、ラッセル侯爵だけは引き下がらず、不愉快そうに言い放った。
「宰相殿は飛竜の命を差し出さずとも、常日頃のおこないで充分陛下に忠誠を尽くしているではないか。そなたは、宰相殿以上に陛下のお心に添う働きをしているとこの場で言えるのか?」
「それは……」
ぎろ、と眼光鋭く財務大臣に睨みつけられた侯爵は、様々な場でさらなる貴族優遇政策を求めては王を辟易させている身だ。
さすがに、それを良く知っている財務大臣相手に言えるとは豪語できないようで、悔しげに声を詰まらせた。
「言えぬなら、この場は下がることだな」
「では、陛下の体調管理に最もお心を砕いておられる王太后様に、私の提案の是非をお決めいただこうではありませんか!」
「王太后様に?」
財務大臣が怪訝そうに侯爵へ問い返すのを耳にしながらセインは、厄介な存在を出してくるものだと心の内で溜息をついた。
これはうまく立ち回らなければ、きゅきゅを王に食べさせると言うに決まっている。
「誕生祝いの席で問うてみるのです。その場で王太后様が飛竜の生き胆が陛下のためになると判断されたなら、その時こそ宰相殿には皆の前ではっきりと返答していただく。ということであればよろしいか?」
侯爵は財務大臣を見て、それからその視線を真っ直ぐにセインへ向けた。
毎年、その日ばかりはセインに対する憎しみを封じて振る舞う王太后を知っていながら、あえて指定してきた。今年の薔薇に絶対の自信がある証拠だ。
返答は、財務大臣ではなくセインに求めている侯爵の眼差しに、一つ頷いて見せる。
「陛下のお身体を最も案じられているお方のご意見は、尊重すべきものと思う。……だが、王太后様は、確たる証のない飛竜の肝を陛下に召し上がっていただくよりも他に、陛下のお身体を癒す素晴らしい力があることを知るだろう」
「それは自身の魔法使いのことですかな? 身分のない家から娶ることになったご自分の婚約者に価値を付けたいからと、ベリル一の技を持つ長官にできないことができる魔法使いであるなど、すぐにばれる偽りなど言わぬほうがよいのでは。そのくだらぬ話に、王太后様はことのほかご立腹であったと聞いておりますよ」
くく、と喉を鳴らして侯爵は楽しげに笑いセインを蔑んでいた。
「偽りかどうか、それは実際に目にしていただければわかることだ。……それと、婚約者に価値を付けるためだけであれば、長官に話を持って行くなどしていない。彼女の価値は、私だけが知っていればいいことだからな」
「ずいぶんと入れあげているご様子で……。宰相殿は、今年も最も美しい薔薇を贈ることで王太后様の怒りを解き、飛竜の肝ではなく、自身の魔法使いに治療を委ねるとのお言葉をいただこうと考えているようですが……そう都合よく行くでしょうかね。この世は、あなたにだけ甘いものではないのですよ」
財務大臣の発言により、この場は退くしかなくなった侯爵であるが、再び席に着いたその表情には余裕が窺える。
心持ち心配そうにこちらを見ている財務大臣も席に着いたのを確認し、セインは本日の会議を終りとした。




