054.侯爵の提案
「私はその有効な使い道を、領主の搾取により困窮している民へ返すことだと考えます。それを偽善と思われましても、この方針を変えるつもりはありません」
「そなたには、年長者を敬いその言葉をよく聞くという心がないのか」
申し出をはっきりと拒否したセインに、侯爵が眉間に皺を寄せて心底不愉快そうな顔をした。
その姿につくづく思う。年長者だからと誰彼構わず敬えるものか、と。
他者から敬意を寄せられる人間とは、ただ長く生きたからではなく、その生き方に理由があるのだとセインは思う。
だからこそ、たとえ自身より年が下であろうとも、生き方が素晴らしいと感じれば、敬う気持ちは自然と芽生える。
逆に、年が上であろうと嫌悪しか感じない生き様を見せられれば、尊敬などできるはずがない。
「侯爵殿。なぜそれほど没収した財産にこだわりを見せるのですか? 彼らはずいぶんと不正を重ねて蓄財していましたので、確かにその額は少額とは言いません。ですが、あなたにとってははした金と言ってもよいものです」
侯爵が没収した貴族の財産を自身の懐に入れることに拘り続けるのに、正直セインは首を傾げるところが多々ある。
財産に乏しいというのであれば、まだ納得できる。だが、彼はベリル有数の財産家の一人なのだ。
充分以上に豊かな暮らしを営んでいるだろうに……。
そのような人物が他人の財産を手に入れることに拘る必要がどこにあるのだ。どうしても不思議でならなかった。
疑問を呈したセインを、侯爵は鼻で笑った。
「はした金でも、金には変わりがない。それどころか、労力を使わずに手に入る。このようなとても都合のよい機会を逃すなど、愚か者のすることだ。金は私を裏切らず、大抵の望みを叶えてくれる。人生をより幸福なものとしてくれるのだ。拘るに決まっているだろう」
「……ですが、幾ら拘られても、現在侯爵殿が求める金は渡せるものではありません。陛下のご英断により民を蔑ろにし続けた領主たちは断罪され、今は心ある者が治めております。とはいえ、援助をせずに放っておけば、どのようなまっとうな領主が治めても立て直しは難しいのです」
侯爵の幸せは金と共にあり、その金を手に入るためなら何でもする、という心積もりであることはよくわかった。
人生の幸福が金と共にある、という意見をセインは全面的に否定しようとは思わない。だが、それを手に入れるためなら人道を介さない考え方にはやはり納得できない。
「立て直す必要などない、と言っているのがまだわからないのか?」
理解能力の乏しい人間はこれだから駄目だ、と言いたげに睨まれる。
「そなたが裏から手を回し、新たに領主となった者達を排除しろ。その地に残る者どもが全滅した後に、そなたの領から人を入れてまともに作物の実る地となるよう整えればいいではないか。そうなれば、陛下は褒美としてその地をそなたの物としてくれるやも知れぬ。私もそうなるように可能な限りの協力をしよう。所領が増えるのだ。どうだ悪い話ではあるまい?」
にやりと笑んだ侯爵の顔には、本気でいい取引を持ちかけているとの自信が満ち溢れていた。
醜悪としか思えないその顔を見ていたくなくて、セインは目蓋を伏せるようにして軽く首を横に振った。
このような考えの持ち主であるからこそ、奴隷買が平気でおこなえるのだ。その心根の貧しさに、呆れるばかりである。
奴隷買についてはどれほど腹立たしくとも、ここで問い詰めたところで素直に認めるはずなどない。正確な証拠を手にできるまでは、こちらが探っているのを気取らせぬためにも沈黙を保つとセインは決めていた。
「立て直す必要がないなど……苦しみにあえぐ同胞に対して、それは口に出していい言葉とは思えません。私は、侯爵殿がどうしてそこまで同じ国に生きる民に優しい感情が持てないのか、それがとても不思議です」
「私の役に立たぬ者を、同国民と思ったことなど一度もない。貧民どもは礼儀など一切弁えぬ、際限なく援助を求める国庫の金を食い荒らすだけの害虫でしかないのだ。して貰うことを当たり前と考える者達のことなど知るものか!」
侯爵が、こちらを叱りつけるように言い放った。
セインは、その足を思い切り蹴りつけて転ばさない自分を褒めてやりたい、と真剣に思う。
守るべき民たちを援助を求めるまでに追い詰めたのは、その上に立つ貴族である。
この厳然たる事実を無視する上、貧しい暮らしを余儀なくされている者達を、己の懐に入ると思っていた財産を奪う悪としか見ないなど、心根が歪みすぎている。
しかし、なんという最悪な人間だと苛立つセインの心情が伝わるようなことはなく、侯爵は熱の入った口調で持論を展開した。
「貧乏人よりも金が大事など当たり前のことだろう。そなたもそう思うからこそ、鉱山収入だけでは飽き足らず、手広く事業をおこなっているのではないか。今度は織物を大々的にやると耳にしたぞ。いったいどれほど蓄財すれば気がすむのだか……」
この、業突く張りの守銭奴め、と続きそうな侯爵の顔にセインは苦笑した。
「金はないよりあるほうが家を守れますからね」
金儲けが好き、というのは紛れもない事実なので、そこを否定しようとは思わない。
実はセインは政務に携わるよりも、公爵家の事業の監督をするほうが好きだったりする。寄せられる報告書類の多さに辟易することは多々あれど、領地や事業を発展させて収益が上がっていくのを見るのは面白いのだ。
「そうであろう。だから……」
「他人から奪った財産で蓄財しようなどと考えたことは一度もありません」
ようやくこちらの言葉に耳を傾ける気になったか、と期待の眼差しを向けてくる侯爵に、最後まで言わせず遮った。
「ここで彼らを助けず見捨てては、ベリルに対する絶望と恨みだけが残ってしまいます。陛下の治世に安定と平穏を望む身として、そのような事態は看過できません」
「貧民どもの恨みが何だと言うのだ……くだらぬ! これだけ言ってもそなたは、陛下に考えを改めて頂けるよう話すつもりはないのだな。何が、没収した財産は上級貴族のより豊かな暮らしのために用いるだ。そんな言葉にまんまと騙されて、貴族潰しに賛同した己をつくづく馬鹿だと思うぞ」
眼光鋭くぎろりと睨みつけられる。
射殺してやるとばかりのその眼差しを、騙した自覚のあるセインはまったく視線を逸らすことなく受け止めた。
「たとえ侯爵殿に賛同してもらえずとも、私は生活困窮者を放っておくような国がまともな国とは思えません。生まれ育った国を他国から異常な国だと嗤われるなどお断りです。豊かで幸せな国だと、羨望の眼差しが欲しいのです」
「その為なら、体調のよろしくない陛下であろうと都合よく使うのか。自身の言葉に反論する者を押さえるのに、そなたが陛下というカードを切れば抵抗できる者などいなくなる。私は、使い勝手のよい最強の武器を握るそなたが羨ましくてたまらぬよ」
侯爵は顔を歪めるようにして、嫌悪の感情を隠すことなくセインに言葉を投げつけてきた。
他のどのような言葉よりも不愉快極まりないそれに、眉がピクリと震える。
「陛下は、私ごときに都合よく使われるようなお方ではございません。重臣ともあろう方の言葉とはとても思えぬ。陛下を貶めるに等しい言動は慎まれよ!」
語気を強めたセインに、ラッセル侯爵は気圧されたように肩を震わせるものの、すぐに気を取り直して嘲笑した。
「爵位の返還など命じられては堪らぬからここは退くが、貴族潰しの際もさんざん己の傀儡として利用しておきながら、よく言うものだ。あれらの貴族はそなたの政策が気に入らず、度々会議で噛みついては進行を遅らせていたものな。さぞ苛ついていたのだろう。それを民の困窮とやらを理由に、うまいこと陛下を使って排除をしたのだよな」
「…………」
噛みつかせていたのは裏で彼らを操っていた侯爵自身であるのに、よく言う。
そのような、裏でしっかり繋がっていた人間達であろうと 『潰した暁には財産は私達で分けるというのを考えています』 とセインが一言零しただけで、侯爵は簡単に見捨てたのだ。
「そなたの父親もフィラム王家を顎で使ってきたが、そなたはそれ以上だな。王冠はフィラムの一族にくれてやるが、ベリルの支配権は自身が握る。それを平然と続けるマーヴェリットの当主の厚顔無恥には、まったく頭が下がる。大したものだ」
「…………」
明らかにセインを蔑んでいる侯爵を、無表情で見つめた。
何を言っても言い訳しているとしか取らない相手に、無駄な労力を割いてまで、真実を話す気になれなかった。
当初、さきほどの重臣会議に王の臨席はないとされていた。それが当日になって突如変更されたのは、決してセインがごり押ししたからではない。
いつまでも生活困窮者を救うための動きがないことを憂えた王が、ご自身の考えで出席を決められたのだ。
今回に限らず、王は体調の優れない時であろうとも、事前に何の知らせもなく、急きょ会議場に現れることがある。
そして、セインの考えを後押しするような発言をして下さるのだ。
だから、ラッセル侯爵のように思う人間が後を絶たないわけだが、セインとしては都合よく使われているのは間違いなく自分のほうであると思う。
王は、自身の目指す国家運営をもっともよく叶える人間としてセインとを選び、無理の利かない身体である自身の代わりとして、それと敵対する者達を戦わせているのだ。
そうでなければ、父の後に宰相となった者をほんのわずかな期間で引退させて、その席にセインを座らせたりなどするものか。
父の後に宰相となった者はマーヴェリットの一族から出た者ではなく、王太后の影響力を強く受ける人間だった。そして、その考えは王の考えと相容れないものだったのだ。
「だが、私を謀ったこと素直に許す気にはなれぬ。それなりの礼はしてもらうぞ」
ラッセル侯爵は陰湿な笑みを浮かべると、無言のセインに言葉を求めるような真似はせず、その場を去った。
「許す気になれぬ、か……それはこちらの言う言葉だ」
何でも仕掛けてくればいい。
動きを見せてくれたほうが静観されるよりも隙ができるというものだ。
セインは一つ息を吐くと、両手を少し庭園のほうに向かって差し出すようにした。
声には出さず、心の内でその名を呼ぶ。
すると、すぐさまこちらを向いたきゅきゅが真っ直ぐに飛んできた。
距離がものすごく離れていると不可能なのだが、視認できるくらいであれば、声に出さずとも言葉を届けることができるのだ。
【あら……ずいぶん感じの悪い人間が傍にいたのね。嫌な気配が漂っているわ】
差し出した手の上にちょこんと乗ったきゅきゅは、少し首を傾げるようにしてセインの肩の辺りを見ると、ふっふっと何かを吹き飛ばすように数度息を吐いた。
【邪魔よ、邪魔。さっさと消えなさい】
厳しい声で言うと、満足げにうなずき肩のほうへと移動してきた。
セインには感じられないのだが、嫌な気配とやらが消えたのだろう。
「払ってくれてありがとう。だが、無理はしないでおくれ」
再び死に瀕した姿を見るくらいならば、自分のことなど放っておいてくれたので構わないのだ。
傍に呼んだのは、ラッセル侯爵が残した嫌な気配とやらを除去してもらうためではない。次の会議が始まるまでのわずかな間だが、肩に乗ってもらいたいと思った、ただそれだけなのだ。
【呪いを払うわけではないから、無理なんてまったくしていないわ。副隊長のおかげで、呪いはあなたに触れる前に弾かれているわ。私は何もしなくて済むから、今はとっても楽をしているの。疲れるどころか、力があり余っているわ】
セインが背を撫でるのに心地よさそうに目を細めながら、きゅきゅが明るく言った。
無理をしている様子のないその姿に、セインは安堵して頷いた。
「そうかい。元気でいてくれるなら何よりだよ。アナベルには本当に感謝するばかりだね」
【ええ。そうね! 彼女はあなたにとてもお似合いのいい人間だわ。大事にするのよ】
逃がしちゃだめよ、との声が意識に届く。
セインは目を細めて笑いながらも、その助言には神妙に頷いた。
◆◆◆
時間となり、セインはきゅきゅと別れて大会議室へ……。
会議では、ラッセル侯爵が進行を妨げるような意見を述べるかと案じたが杞憂に終わり、セインの思うとおりに進んだ。
いつもこうであれば楽だなと心の内で苦笑しつつ、閉会の挨拶をしようとしたその時。
ラッセル侯爵がすっと席を立った。
「宰相殿。一つよろしいかな」
会議に参加している百名ほどの視線が侯爵に集まる。
拒否する明確な理由がないゆえ頷いて発言を許可すると、侯爵は笑顔で周囲を見渡した。
「私の話は、陛下のお身体のことであります。……現在、周知のことではありますが、陛下はベリル一の才を持つ医師の診察を受けるだけでなく、王宮魔法使いたちによる魔法の治療も受けております。しかし悲しいことに明確な効果が見受けられません。そこで、ごくわずかな希望であっても縋ってみてはいかがかと思う次第であります。私はベリルがこの先も光り輝く国であるために、なんとしても陛下にお元気になって頂きたいのです!」
現在会議場で席を立っているのは、セインと侯爵のみである。
侯爵は、他の者達より少し高い場所に立つセインに向けて、企みがあるのが透けて見えるねっとりとした陰険な笑みを浮かべた。
「侯爵殿。希望とはこれいかに?」
セインがその言葉の意図するところを問う前に、他の者から侯爵に向けて疑問の声があがった。
「他国でしか栽培できない高名な薬草などはすべて試したと聞いているが……」
これまで、王の健康のためにと、ベリル国内のみに拘らず世界各国に知識や技術を求めている。それでも現在まで体質が改善させることはないのだ。
そこに提案された希望。
一体どのようなものだと場内は大いにざわめいた。
「異国の地に、有効な治療手段を持つ医師でも見つけられたのか?」
「医師ではありません。皆も知る伝説です」
貴族の一人に問われた侯爵は、にっこりと微笑んだ。
その答えに、ますます意味が分からないと怪訝な顔をする者が続出した。
「ラッセル侯爵殿。はっきり言って頂かぬと、あなたの論ずるものが良策かどうか判断しかねる」
嫌な予感を抱きつつもセインが場内の疑問を代弁すると、侯爵は嬉しげに目を細めた。
「私は、陛下に飛竜の生き胆と生き血を召し上がって頂くことを提案いたします」
「!」
一片の迷いもない口調でそれを言った侯爵に、セインは顔が強張った。




