036.第一王妃に繋がる道
「咲いてくれた子?」
「私は、プリシラ・レインと申します。父は男爵でして……その父より教えを受けて薔薇の育種をしております」
「薔薇の育種……」
現在ベリルでは、王侯貴族や富裕な一般市民の間で薔薇の鑑賞が大流行している。
貴族たちは他家にはない珍しい形、色、美しさ、香りのよさを求めて腕の良い育種家を抱えようと躍起になっている、とアナベルは話に聞いたことがある。
自家にて素晴らしい薔薇を咲かせた折にはそれを愛でる会を開き、大勢人を集めて自慢するのを楽しむ貴族は後を絶たないそうだ。
父はそうしたことに興味がなく、アナベルの暮らした屋敷に薔薇園はなかった。
逆に叔父と叔母はかなりの愛好家で薔薇園を作っていた。今頃は、きっと移り住んだ我が家の庭にも作っていることだろう……。
目の前の少女……プリシラ・レイン男爵令嬢はその育種家なのだ。
頻繁に転ぶ姿からは想像できなかったが、自分と同じくらいの若さでこれほどの香りの薔薇を咲かせられるとなると、相当に腕の良い育種家だ。
もしかすると天才かもしれない。
「アナベルや。いつまでも外に出ていると身体が冷えるだろうに……話を聞くのであれば、そのお嬢さんにも入ってもらいなさい」
店の扉が開き祖母が顔を出した。
プリシラは立ち上がり、祖母とアナベルに向かって深々と頭を下げた。
「お招き、ありがとうございます」
再び頭頂部の大きなリボンが揺れ動く。光沢のある美しいリボンであると思うし似合っていないこともない。
が、その大きさはプリシラの顔半分はある。
少しばかり大きすぎるのではないだろうか。
個人の嗜好の問題だから他人がとやかく言う筋合いはないだろうが、気になるのだ。
目が、ついついリボンにばかり向いてしまうアナベルは、プリシラと共に店の中に入った。
店内は、濃茶の柱にクリーム色の壁のこじんまりとしたものだ。
客の話を聞くために赤茶色の丸テーブルと椅子が四脚。
本来は店の真ん中辺りに置かれている物だが、数多のお嬢様たちが強引に店内に入り込んでいたため、現在は端のほうに追いやられている。
そして、入り口から正面にあたる壁の右側に大きな仕掛け時計が置いてあるのみだ。他は、特別これといった調度品は置いていない。
魔法力の弱い下級魔法使いの中には、補助道具に頼って魔法を使う者がいる。
彼らはそうした補助道具をずらりと棚に並べるのだが、祖母は道具に頼ることはない。ゆえに、店内は物寂しささえ覚えるようなものだが、逆に、ごてごて飾り立てないことで魔法力の強さを証明しているとして評判は良い。
唯一目立つ調度品である仕掛け時計は、祖父の気に入りの品だった物だ。
木と銀細工で作られた壁掛け式のそれは、時間が来ると細工の鳥が飛び出し良い声で鳴いてくれる。
祖父が生きていたころは、祖母は鳥が鳴くたびうるさいと顔を顰めていた。が、亡くなってからも壊しも捨てもしない。それどころか、壊れないように魔法をかけているのをアナベルは知っている。
祖母の店には待合室などない。接客中に別の客が来た場合は、外で待ってもらうか日を改めてもらうのが祖母のやり方である。
「今日は閉店ということでカーテンを閉めるでな。話は奥の部屋でするがよい」
祖母が 『本日休店』 の札を扉にかけて鍵もかける。
アナベルはそれを見て、扉にもその左右にある窓にもカーテンを引いて閉じた。
店内が薄暗くなったと同時に、祖母はため息を吐いた。
「まさか、あの三人のお嬢さんが揃って良縁に恵まれるとは……それを、わしの魔法のおかげなどとは……」
「明日の昼から十名ずつ来てもらうということで、話をつけたわ。おばあちゃまではなく私が魔法をかけるから、安心して休んでね。あんなに大勢訪ねて来たのには驚いたけど、おかげでいい商売ができると思えば悪くないわ」
ぽんとその肩に触れる。
店は閑古鳥が鳴くよりも、繁盛している方が良い。
アナベルは微笑むと、自分の後ろにいるプリシラを前に出すようにして祖母に紹介した。
「彼女は、薔薇の育種をしているプリシラ・レイン男爵令嬢よ。とても優秀な人だと思うわ」
「ほう。その若さで優秀な育種家とは……」
祖母もアナベル同様驚いてプリシラを見る。
プリシラは頬を染め、はにかむように笑って首を横に振った。
「優秀だなんてそのようなことは……まだまだ半人前です」
謙遜としか思えないが、アナベルはその場で特に反論するような真似はしなかった。仕掛け時計の側にある扉を開け、廊下を進む。
といっても三歩で終わりだ。
三歩で左手に扉があり、その先が居間となっている。家族がくつろぐ場であり、親しいお客をもてなす部屋でもある。
廊下を突き当りまで進むと二階に続く階段があり、祖母とアナベルの居住空間はそちらとなっている。
殺風景な店内とは違い、祖母好みの角が丸くなっている調度品と茶系の柔らかな色彩で纏められた明るく温かみを感じる居間に、プリシラから緊張が少し解けたように見えた。
ここに来るまでプリシラは転ばなかった。ゆっくり歩きさえすれば、転ぶことないのだろう。
祖母はプリシラに席を勧めた。布張りの柔らかなソファであり、アナベルのお気に入りでもある。
自身は彼女の正面に座るとこちらに目を向けた。隣に座るようにとの視線の動きに、アナベルはその通りにした。
「本日こちらをお訪ねしましたのは、とても優秀な魔法使い様がこちらで商いをしているとの話を耳にいたしまして、ぜひとも私にも美容魔法をかけて頂きたいと……」
「お前さんに美容魔法?」
プリシラの依頼に、祖母が怪訝な顔をした。
だが、プリシラの方は大真面目にうなずいた。
「はい。……ですが、訪ねてみれば大勢のご令嬢がいらしていて……これほどの人気とは知らず、順番決めにも参加できないのかと悲しくなっていたのですが、機会を作っていただきありがとうございます」
最後の言葉はアナベルに向けられたものだった。
この話ぶりでは、彼女はどうやら三名の令嬢の話を聞いて祖母のことを知ったのではないらしい。
こちらを見て嬉しそうに微笑んでいるプリシラに、アナベルはつい口を挟んでしまっていた。
「祖母に美容魔法をご所望とのことですが、お若く愛らしいプリシラ様には特に必要ないものかと……」
世辞ではない。
恋する殿方の心を得たいからだと言われれば反論しにくいが、それでも、今の姿で充分だと思う。彼女では駄目だというような男は、最初から相手にしない方が良い。
「私に敬称は必要ありません。魔法使い様の方がはるかに貴重で大切な人間ですから……それに、先ほど令嬢様方がおっしゃっていたのが本当でしたら、あなた様はマーヴェリット公爵様の婚約者でもある。私は昨夜の夜会には出席しておりませんのでお名前までは知らないのですが、まさか、この場でお会いするとは思いませんでした。権勢から遠く離れた男爵家の娘に気を遣う必要などありません」
丁寧に言われてはたと気付く。
「……まだ名乗っていませんでしたね。私はアナベル・グローシアと申します。縁あってマーヴェリット公爵様の婚約者となりましたが、貴族の身分を持たない者です。ですから、私にも敬称は必要ありません」
セインとは偽装であるのだし、魔法使いだからと敬ってもらいたいわけではない。
「よろしいのですか……では、お言葉に甘えて……アナベル、私はリボンに負けない髪が欲しいのです!」
「リボンに負けない……髪?!」
冗談の入る余地のない、プリシラの妙な気迫の込められた強い口調に、アナベルもそして祖母も理解できずに目を瞬いた。
「どんなに一生懸命整えても、良い状態の髪とならないのです。そして、リボンの華やぎに負けてしまう……」
そこまで言うと、プリシラは肩を落とししゅんとして俯いた。
華やぎ……というよりも、リボンのほうが大きすぎるし輝きすぎるのではないだろうか。
プリシラの髪は傷んでいるようには見えない。艶やかな黒い髪が綺麗な縦巻きとなっている。
それ以上を求めるのは贅沢にしか思えないのだが、本人の意識はまったく違うようだ。
「虹色に輝くリボンを手に入れたのです。とっても美しい物なのです。それを付けて街を歩きたいのに……こんな髪ではリボンが可哀想で付けられない!」
膝の上でドレスのスカート部分を両手で握りしめるようにして、今にも泣きそうな声をあげたプリシラは、本気で悔しがっていた。
アナベルはその姿になぜか心打たれる。
自分は左程優しい人間ではない。それがどうしたことか、プリシラには親切にしてあげたい気持ちになるのだ。なんとも不思議な心地だった。
「……ずいぶん大きなリボンが好きなのね」
祖母が複雑な顔をして無言となっているので、アナベルが話しかけた。
「はい! 付けていると自分がとてもかわいくなったように思えるのが楽しくて、やめられません! どうかお願いします。お代は少々高くてもきちんと払います。先日父が第一王妃様に薔薇を献上いたしまして、褒美を頂きました。その中からお小遣いをくれたので、お金はあるのです!」
「第一王妃様に薔薇を献上……」
顔をあげたプリシラに勢い込んで頼まれたアナベルは、魔法の代金よりもそちらに強く関心を抱いた。
「わが家は王家のお抱えではありませんが、ありがたいことに、良い花が咲けば献上するようにと第一王妃様には言って頂いております。そして、お気に召して頂ければ、たくさんの褒美をくださいます」
「お抱えでなくても、第一王妃様はあなたの家を記憶にとどめてお声をおかけになる……」
ということは、プリシラはセインを嫌う王太后に与する第一王妃を間近で見ており、その人となりを多少なりと知っているのだ。
まったく知らない自分とは大違いである。
「わが家程度ではお抱えに選ばれるようなことはないでしょうが、良い花が咲けば見てくださるだけでも幸せなことだと父と話しています」
苦笑しつつも小さく頷いたプリシラに、アナベルは身を乗り出すようにしてその手を握った。




