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鎮魂歌《レクイエム》を知らない神たちへ  作者: ありんこ。


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3/3

第3話



「……見つからないねぇ」


ロムアが、困ったように笑いながらため息をついた。


その声は柔らかく、いつものようにどこか呑気で、吹けば飛びそうな軽さをまとっていた。


けれど、今この場においては、その軽ささえ妙に場違いだった。


私たちは街道から外れた山岳地帯の一角にいた。


草木はまばらで、乾いた土の匂いが風に混じっている。ところどころに突き出した岩肌は陽を受けて白く光り、足元には細かな砂利が敷き詰められたように転がっていた。


遠くでは鳥が鳴いている。


けれど、人の気配はない。


魔物の気配もない。


ただ、風だけが山の斜面を撫でていく。


街を出発してから、次の街へ辿り着くまで二週間。


私たちはひたすら歩き続けた。


朝、まだ空気が冷たいうちに支度を整え、昼は強い陽射しに肌を焼かれながら街道を進み、夜は野営の火を囲んで眠る。


その繰り返しだった。


ようやく辿り着いた街、ドルフィンガーポ。


山岳地帯の麓に広がるその街は、行商人や旅人が行き交う中継地として栄えているらしい。


けれど今は、近辺に現れた魔獣のせいで物流が滞り、街全体にどこか沈んだ空気が漂っていた。


ロムアたちは経験と資金集めのため、ギルドに登録した。


そして休む間もなく、魔物討伐の依頼を受けた。


討伐対象は、ガラズマガラ。


山道に現れ、行商人の荷馬車を襲う大型魔獣。


ギルドの受付はそう説明した。


その姿を見た者は少なく、逃げ帰った者の話も要領を得なかったが、少なくとも並の魔物ではないらしい。


だからこそ、勇者一行である彼らに依頼が回ってきたのだろう。


だというのに。


「そもそも僕たちが故郷の街を出てから、一匹も魔物に会ってない」


エドウィンがつまらなさそうに小石を蹴った。


乾いた音を立てて、小石が坂道を転がっていく。


「こんなの、おかしいよ」


その言葉に、私は何も答えなかった。


確かに、彼の言うとおりだった。


私たちはこの二週間、一度も魔物に鉢合わせることなくドルフィンガーポへ辿り着いた。


山道でも、森の傍でも、夜の野営中でさえ。


魔物の影ひとつ見えなかった。


彼らには、この現象が不可解に思えるのだろう。


だが、原因ははっきりしている。


私だ。


私という存在そのもの。


魔族は、天から堕ちてきた堕天使に逆らうことができない。


力の差が、あまりにも隔絶しているからだ。


魔族たちは堕天使を崇め、恐れ、敬う。


なぜなら堕天使とは、人間を殺戮するために地上へ送り込まれる存在だから。


魔族の頂点に立つ者。


魔物たちを従え、人間にとっての最終討伐標的となるもの。


それが、本来の堕天使だ。


恐らく、魔物たちは私の気配に気づいて姿を隠している。


近づけば逆らえない。


逆らえば潰される。


だから、最初から近寄らない。


理屈としては、それだけのことだった。


「……とにかく、原因を探らないと、一生魔物討伐の依頼はクリアできないぞ」


シャガールが剣の柄に手を置きながら言った。


彼は大柄な身体をしているぶん、足場の悪い山道でも安定している。


だがその顔には、わずかな焦りがあった。


「いや、このままだとギルドの魔物討伐もそうだが、本来の目的である魔族討伐すら、現状危うい」


メルザクの声は冷静だった。


その冷静さが、かえって空気を重くする。


「魔物と遭遇しない勇者一行など、笑い話にもならない」


「……そうだねぇ」


ロムアが首を傾げる。


「もしかしたら、魔物の数が少なくなった、とか?」


「ふざけないで、ロムア」


エドウィンがすぐに切り捨てた。


「ギルドにあれだけ魔物討伐の依頼があったんだ。少ないわけないでしょ」


「だよねぇ」


ロムアは困ったように笑う。


彼はいつもそうだ。


周りが苛立っても、焦っても、自分だけ一歩外側から眺めているような顔をする。


本当に何も考えていないのか。


それとも、分かっていてあえてそう振る舞っているのか。


いまだに掴めない男だった。


「……お前も、何か意見したらどうだ」


唐突に、メルザクが歩みを止めた。


その声が私に向けられたものだと気づくまで、一拍遅れた。


私は視線だけをメルザクに向け、そのまま歩き続ける。


答える義理はない。


「アナキア」


今度はロムアに呼ばれた。


その声は責めるものではなかった。


けれど、不思議と足を止めさせる響きがあった。


私はようやく歩みを止め、振り向く。


数歩離れたところに、四人が立っていた。


ロムアはいつもの調子で微笑んでいる。


エドウィンは腕を組んで、不服そうにこちらを見ている。


シャガールは困ったように眉を下げている。


そしてメルザクだけは、じっと私を見据えていた。


眼鏡の奥の黒い瞳。


冷たく、疑い深く、そして鋭い。


「私たちが故郷の街を出てから、お前は一言も言葉を発さずここまで来た」


メルザクが言う。


「今回のことは、どう考えている?」


他の三人は黙っていた。


私の答えを待っている。


彼はきっと何かを察している。


そんな目だった。


「……私のせいだと、そう言いたいのか」


「でなければ、どう説明する」


メルザクは一歩も引かなかった。


「それを聞いているんだ」


沈黙が落ちる。


風が吹いた。


乾いた草が、ざわりと揺れる。


私とメルザクの間に、目には見えない刃のようなものが張り詰めた。


彼は私を疑っている。


当然だ。


正しい。


魔物が現れない理由は、私にある。


ただし、それを認めたところで、私が彼らにすべてを話すつもりはなかった。


堕天使だと告げれば、どうなる。


ロムアはそれでも私を庇うだろうか。


エドウィンは即座に距離を取るだろう。


メルザクは討つべきだと判断するかもしれない。


シャガールは……困るだろう。


しばらく睨み合ったあと、シャガールの咳払いが響いた。


「……ほら、やっぱりアナキアは俺たちの女神様だったってことだよ」


空気が一瞬だけずれた。


メルザクは眉間に深く皺を寄せる。


言葉にせずとも、全身で否定していた。


呆れて何も言わないメルザクの代わりに、エドウィンが口を開く。


「馬鹿は黙ってな」


「いや、ほら、だって」


シャガールは両手を少し上げる。


「アナキアがいてくれるおかげで、魔除けみたいな効果を発してるとかだな……」


「だから、黙ってなって」


エドウィンがぎろりと睨む。


シャガールは大人しく口を噤んだ。


場の空気を和らげようとしてくれている。


彼なりの精一杯が、見事に玉砕された瞬間だった。


魔除け。


良いように言えば、そうなのかもしれない。


けれど私は、そこまでしてこのパーティに縋るつもりはなかった。


都合の良いように事実をねじ曲げるつもりも、毛頭ない。


私は小さく息を吐いた。


「……私は——」


堕天使だから。


そう言おうとした。


その時だった。


ひらり、と風が頬を撫でた。


次の瞬間、視界が横転した。


「っ……!」


地面が遠ざかる。


空が回る。


身体が浮く。


一拍遅れて、耳障りな破裂音のようなものが鼓膜を打った。


「危ないところだった」


低く、けれど穏やかな声がすぐ近くで聞こえた。


視界に映ったのは、晴れ渡る空。


その下にある、ロムアの顔。


私は彼に抱き上げられていた。


下から見上げる形になったその顔は、いつもより少し大人びて見えた。


長い睫毛。


光を宿す虹彩。


選定の瞳が、私ではなく前方を見据えている。


その瞬間、ようやく事態を理解した。


私がさっきまで立っていた場所を、巨大な何かが横切っていた。


地面が抉れている。


石が砕け、土が跳ね上がっていた。


もしロムアが引き剥がすように私を抱き上げていなければ、私はまともにその攻撃を受けていただろう。


「で、でた!」


エドウィンの焦った声が響く。


「前衛! ほらシャガール! 盾になってよ!!!」


「盾って言うな!」


シャガールが叫び返しながら、大剣を抜く。


その前方に、今回の討伐依頼の標的がいた。


ガラズマガラ。


あまりにも巨大な四足歩行の魔獣だった。


岩の塊に獣の四肢を無理やり生やしたような図体。


背は人間の倍以上ある。


胴は分厚く、筋肉とも脂肪ともつかない不気味な膨らみが蠢いていた。


体格だけなら鈍重に見える。


だが、その動きは異様に素早かった。


巨体に似合わぬしなやかさで地面を蹴り、低く這うように走る。


身体の表面には粘ついた体液がまとわりついていた。


腐った油のような光沢。


黒とも緑ともつかない色をした粘液が、動くたびに糸を引き、地面へぼたりぼたりと落ちる。


鼻を突く腐臭が風に乗った。


生き物が腐りかけた匂い。


泥と血と膿を混ぜたような、吐き気を誘う臭気。


何とも醜悪な姿だった。


「うわあ!! シャガール! ちょっと僕に近寄せないで!!!」


エドウィンが全力で後退する。


「女に振られた時の君みたいな陰湿な化け物!!!」


「誰が陰湿だ!!!」


シャガールは怒鳴りながらも、魔獣の前に立ちはだかった。


逃げ回るエドウィンとは対照的に、彼の動きに怖気づいた様子はない。


大剣を両手で構え、巨体が突進してくる瞬間を待つ。


魔獣が唸った。


耳障りな咆哮。


喉の奥で泥を煮立てるような音がした。


シャガールが踏み込む。


大剣が振り下ろされた。


鈍い音。


刃は確かに魔獣の表皮を裂いた。


だが深くは入らない。


粘ついた体液が衝撃を滑らせ、刃筋を狂わせている。


斬りつけられた箇所から、ねっとりとした液体が弾けるように飛び散った。


「うっわ、最悪!」


エドウィンが悲鳴のような声を上げて避ける。


「絶対かかりたくない!」


「メルザク!」


シャガールが叫ぶ。


「こいつの体液で滑って斬りつけられねえ! 何か加護魔法を頼む!」


メルザクはすでに動いていた。


彼は右手を静かに前へ出す。


その指先の空間が、水面のように揺れた。


何もなかったはずの場所に、白銀の光が細く走る。


空間が裂ける。


いや、裂けたというより、聖域へ繋がる扉が一瞬だけ開いたようだった。


そこから、神杖が姿を現す。


普段は彼自身の神聖なる収納領域——浄化の結界内に収められているのだろう。


聖職者の武具は穢れを嫌う。


だからこそ、彼の杖は地上の埃にも、魔物の瘴気にも触れない場所で保たれている。


メルザクはその杖を掴み取ると、迷いなく地面へ突いた。


低く、早口に呪文を唱える。


その声は風に紛れて聞き取りづらかったが、言葉の響きは清らかだった。


祈りというより、命令に近い。


次の瞬間、シャガールの大剣が淡く光った。


黒かった刀身が、じわじわと青く染まっていく。


刃の表面に白い霜が走った。


冷気が立ち上り、薄い煙となって刀身を覆う。


「なるほど、賢いね」


未だ私を抱えたままのロムアが言った。


その声は妙に落ち着いていた。


まるで目の前で仲間が命懸けで戦っているのを、少し離れた場所から観察しているように。


「冷気であの粘ついた体液を凍らせて、粉砕するように斬りつけるつもりだね」


「お前は戦わなくていいのか」


私はロムアを睨む。


「え?」


ロムアはきょとんとする。


「そりゃ、僕は君を守ることで精一杯だから」


「余計なお世話だ。自分の身は自分で守る」


「えー?」


ロムアが笑う。


「でも、さっき完全に油断してたよね?」


「……」


「まるで、自分には魔物が寄ってこないと本当に思っているように見えたけど。僕が君を助けなかったら、今頃魔獣の腹の中だよ」


心臓が嫌な音を立てた。


本当にこいつは、その瞳で何も見えていないのだろうか。


時折、確信を突いたような言葉を言う。


そのたびに、胸の奥を冷たい指で撫でられるような気分になる。


私は何も答えなかった。


「まあ、よかった」


ロムアは前方へ視線を戻す。


「本当は僕も焦ってたんだ。本当に魔物に遭遇しないんじゃ、話にならないから。一歩前に進めて、僕は安心したよ」


自分の仲間が必死に戦っているというのに。


ロムアは安心したように笑っていた。


けれど私は、そんな彼の表情どころではなかった。


なぜだ。


本来なら、私の気配に魔族は近づけないはずだ。


ましてや、攻撃しようなどと。


堕天使に牙を剥くなど、魔族にとって自死と同義のはず。


それなのに、あの魔獣は私を狙った。


いや。


狙ったのか。


偶然だったのか。


どちらにせよ、私の存在を恐れていない。


「……」


「どうしたの?」


ロムアが私を見下ろす。


「納得いかないって顔してる。もしかして、君は本当に僕らの魔除けだった?」


私はぎろりとロムアを睨みつけた。


その瞬間、いまだ彼に抱き上げられたままだということに気づく。


腹立たしさが増した。


私は彼の胸を押し、拳で叩くようにして腕の中から抜け出した。


ロムアは素直に私を下ろす。


足が地面についた瞬間、少しふらついたが、すぐに踏みとどまった。


きっと、これもゼウーザの一興に過ぎない。


つまり、これからの私は、堕天使だからといって魔族が避け、ひれ伏す存在ではなくなったということだ。


奴は天界から私を見下ろし、嘲笑っているのだろう。


出来損ないが、堕天使としての役目すら満足に果たせない姿を。


気に食わない。


魔獣は耳障りな咆哮を上げながら、シャガールの攻撃から身を捩った。


冷気をまとった大剣が、その粘液を凍らせながら表皮を削る。


砕けた粘液が氷の欠片のように宙へ散る。


それでも、致命傷には至らない。


ガラズマガラは巨体をぐねらせると、突然こちらへ向きを変えた。


四肢が地面を蹴る。


岩が砕ける。


粘液が飛ぶ。


こちらへ向かってくる。


とにかく、この世界はすべてゼウーザの思い通りだ。


私もまた、奴の遊戯盤の上で転がる駒にすぎない。


天界にいた頃から、それを嫌悪してきた。


声を上げた。


だから格を落とされ、翼をもがれ、この地に堕とされた。


それでもなお、私は奴の盤上から降りられない。


どうしようもないこの世の秩序に、苛立ちが募る。


耳障りな魔獣の咆哮も気に食わない。


粘ついた体液を撒き散らして迫る、その醜悪な姿も。


私に牙を剥きながら、それでもゼウーザの退屈しのぎに使われているだけの、その哀れさも。


全部、気に食わない。


「ロムア! 気をつけろ!」


巨体の後ろから追いかけるシャガールが叫ぶ。


「そいつの粘液は、触れただけで麻痺や腐敗を引き起こすぞ!!」


ガラズマガラが目前まで迫る。


ロムアは焦る様子もなく、ただじっと魔獣を見据えていた。


まるで、私が何かをするのを待っているみたいに。


その横顔が、また腹立たしかった。


私は息を吸う。


術式は声に出さない。


地上の者たちが唱える呪文とは違う。


神に近い存在が扱う力は、言葉よりも前に意志がある。


滅びを命じる。


喪失を定める。


存在そのものを、世界から切り離す。


——アポーレイア。


破滅。


喪失。


完全なる消滅。


その名を、心の内で念じた。


次の瞬間。


目前まで迫っていたガラズマガラの巨体が、音もなく歪んだ。


いや、音はあったのかもしれない。


けれど耳に届く前に、すべてが消えた。


空間が一瞬だけ黒く裂ける。


魔獣の肉も、骨も、粘液も、咆哮も、その醜悪な輪郭さえも。


何もかもが内側から崩れ、爆ぜ、跡形もなく消滅した。


血も残らない。


肉片も残らない。


地面に影すら落とさない。


そこには、ただぽっかりと不自然な空白だけが残った。


「!」


後を追っていたシャガールの姿が露わになる。


彼は大剣を構えたまま、その場で固まっていた。


目の前で起きた突然の消滅に、目を見開いている。


エドウィンも、メルザクも、息を呑んでいた。


風が吹いた。


さっきまで漂っていた腐臭が、嘘のように薄れていく。


「お、おい、エドウィン……」


シャガールが、やっと声を出した。


「お前、どんな呪文をやつにかけたんだ?」


「……僕じゃないよ」


エドウィンは青ざめた顔で首を振った。


「僕は今回、情けないことに何もできなかったから」


「じゃ、じゃあメルザクか?」


「私は神術である加護魔法しか使えない」


メルザクの声は硬かった。


彼は私を見ている。


もう疑いではない。


確信に近い眼差しだった。


「じゃあ……ロ、ロムアが?」


「なに、その“一応聞いておくか”みたいな顔」


ロムアが肩をすくめる。


「僕が魔法使えないこと、馬鹿にしてる?」


「いや、そういうわけじゃ……」


そして。


一気に視線が私へ集まった。


シャガールの驚き。


エドウィンの警戒。


メルザクの鋭い疑念。


ロムアの、底の見えない静かな微笑み。


私は気にせず、少し溶けてしまった服の裾を払った。


粘液がかすったのか、布の端が黒く焦げたように変色している。


気に食わない。


「良かったな」


私は淡々と言った。


「これでギルドにいい報告ができるではないか。魔物が避けているわけでもないと証明された」


その言葉に、エドウィンがぴくりと眉を動かした。


「……馬鹿なの?」


可愛い顔に似合わない、苛立った声だった。


「姿形もなくなったんじゃ、どうやって討伐報告するつもり?」


「これで行商人が行き交うことができる。街が再び賑わいを取り戻す。それが何よりの証明だろう」


「死体か、魔獣の一部を持ち帰って討伐証明するんだよ」


エドウィンは一歩こちらへ近づいた。


緑の瞳が苛立ちに揺れている。


「じゃないと、誰がふらっと来た旅人の僕たちを信用して、またこの山岳地帯を大荷物引っ張って行き交うんだよって言ってるの。分かる?」


可愛い顔をして、人を苛立たせる言い方をする男だ。


信じなければそれでいい。


損をするのは、信じなかった者たちだ。


それの何がいけない。


「まあまあ、落ち着け、エドウィン」


シャガールが間に入る。


「お前、手も足も出なかっただろ? あのままだったら討伐どころか、こっちがやつに討伐されてたとこだぞ」


「なに、シャガール」


エドウィンが冷ややかに振り返る。


「何もできなかった僕を責めてるの?」


「いや、そうじゃなくてだな」


「君だって、そのでかい剣を振り回すだけで、ガラズマガラに致命傷を与えられなかったでしょ」


「だから、そういう意味じゃ……」


シャガールが頭を抱える。


屁理屈の止まらないエドウィンに、どう返せばいいか分からないらしい。


全く、仲の悪いパーティだ。


これから先、こんなことでいちいちぶつかり合っていたら、魔族討伐など夢のまた夢だ。


魔族の頂点に立つ堕天使は、今の彼らなど虫けら同然に踏み潰す。


それなのに、協力して戦わなければ勝てない相手を前にして、このまとまりの悪さ。


呆れるほかない。


「ここで僕の出番でしょ」


ロムアが、場に似合わないほどひょうきんな声で言った。


全員の視線が彼へ向く。


「は?」


エドウィンが不機嫌そうな顔でロムアを睨んだ。


「今度は何」


「まあ、ギルドに戻れば分かるよ」


ロムアはにこりと笑った。


その笑顔は柔らかい。


けれど、私はもう知っている。


この男の柔らかさは、油断ならない。


「さあ、街へ戻ろうか」


彼がそう言うと、誰もそれ以上反論しなかった。


私たちはそのまま、ロムアに促されるまま山道を下った。


帰り道の空気は悪かった。


エドウィンは不機嫌さを隠そうともせず、シャガールは何度か話しかけようとしては諦め、メルザクはずっと黙っていた。


彼の視線が、時折こちらに刺さる。


何者だ。


そう問いかけるように。


私は答えない。


答えるつもりもない。


唯一、ロムアだけがいつも通りだった。


鼻歌でも歌い出しそうな足取りで歩き、時折こちらを振り返っては、何か言いたげに微笑む。


その瞳の奥で、星海が揺れている。


本当に何も見えていないのか。


それとも——


私はその考えを振り払うように、視線を前へ戻した。


山道の先に、ドルフィンガーポの街並みが見え始めていた。


石造りの屋根。


煙突から上がる白い煙。


街道の入口に立つ門番。


人の営みの気配。


あの醜悪な魔獣は消えた。


だが、胸の中にはもっと重たいものが残っていた。


ガラズマガラが私を恐れなかった理由。


ゼウーザの気配。


そして、ロムアのあの言葉。


——僕は、その元凶を正すことができる。


ただの人間だという彼が、どうしてそんなことを言えるのか。


選定の瞳は、何も映さないはずだと言った。


未来など見えないと笑った。


それなのに。


彼の言葉は時折、私の隠した傷に触れる。


まるで、見えていないはずのものを、見透かしているかのように。


「アナキア」


ふいに、ロムアが私の名を呼んだ。


私は返事をしなかった。


それでも彼は、少しだけ歩調を落として私の隣に並んだ。


「さっきの、すごかったね」


「……」


「跡形もなく消しちゃうなんて」


「責めるのか」


「ううん」


ロムアはあっさり首を振る。


「助かったから、お礼を言おうと思って」


私は黙った。


礼を言われるようなことをしたつもりはない。


私はただ、気に食わなかっただけだ。


あの魔獣も。


この世界も。


神の思い通りに動かされる自分自身も。


「ありがとう、アナキア」


ロムアの声は、ひどくまっすぐだった。


その声が、かえって胸に刺さる。


私は彼を見なかった。


見ればまた、あの星海の瞳に捕まる気がした。


「……礼などいらない」


「じゃあ、覚えておくだけにする」


「勝手にしろ」


「うん。勝手にする」


そう言って、ロムアは楽しそうに笑った。


本当に、掴めない男だ。


軽い。


優しい。


鈍い。


鋭い。


そのどれもが同時に存在している。


人間らしく脆そうでありながら、時折、こちらの方が見透かされているような錯覚を覚える。


そして何より。


あの瞳。


神王ゼウーザと同じ、選定の瞳。


私は唇を噛む。


ゼウーザ。


お前は何を企んでいる。


この人間に、その瞳を与えて。


私を、この勇者一行に落として。


魔物に私を恐れぬよう仕向けて。


どこまでが偶然で、どこからが奴の戯れなのか。


分からない。


ただ一つだけ、確かなことがある。


私はもう、天界にいた頃の私ではない。


翼をもがれ、格を落とされ、堕天使として地上へ落とされた。


だが、それでも。


奴らの思い通りになど、なってやるものか。


人間を殺せというなら、人間と歩く。


魔族の頂点に立てというなら、魔族を討つ旅に紛れる。


勇者に討たれる運命だというなら、その勇者の隣で、神の筋書きを壊してやる。


街の門が近づいてくる。


門番がロムアに気づき、驚いたように背筋を伸ばした。


「勇者様!」


その声に、周囲の人々がこちらを振り返る。


期待と不安が混じった視線が集まる。


ガラズマガラを討てたのか。


山道は安全になったのか。


そんな問いが、声になる前から空気に満ちていた。


ロムアはいつものように笑った。


何も恐れていないような顔で。


「大丈夫。ちゃんと、報告してくるよ」


彼はそう言って、街の中へ歩き出した。


証拠など残っていない。


討伐対象は跡形もなく消えた。


普通なら、誰も信じない。


だがロムアは、何かを知っているように歩いていく。


その背中を見ながら、私は小さく息を吐いた。


この旅は、私が思っていたよりずっと厄介なものになりそうだった。


そしておそらく。


もう引き返すことはできない。


私はロムアの背を追い、ドルフィンガーポの街へと足を踏み入れた。





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