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異世界配信サービス -その一声で始まった。恋と戦い、そして世界を壊す物語-  作者: vincent_madder
第1章 ささやきの彼方に / Whisper Not

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第3話 誰かに見られている

朝の光が、薄く開いた木の窓から差し込んでいた。


干しかけの洗濯物がカーテン代わりに揺れ、部屋には布と乾いた石鹸の匂いが漂っている。


リゼは眠気を抱えたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。木枠の隙間から差し込む陽が、天井の節をじわじわと照らし、細い埃が浮かんでいる。


ふとまばたきをひとつ。まだ夢の残り香が瞼の裏にまとわりついていた。


──変な朝だな。

身体は軽いはずなのに、ほんの少し重だるさが残っている。夢を見ていた気もするけど、細部はもう曖昧だ。


目覚めきらない頭の奥で、ひっかかる何かをそっと追い出すように、リゼはゆっくりと身体を起こした。


廊下の向こうで、カヤと宿の女将が朝の雑談を交わしている。台所からは湯の沸く音。カヤのくぐもった笑い声に、どこかほっとする。

──あの人の声は、なんであんなに朝に馴染むんだろ。


耳を澄ませたまま、リゼは上着の袖に腕を通し、装備のベルトを締めた。

小さく背伸びをひとつ。背筋がぱきんと鳴った。

──さて、と。


冒険者としての一日が、また始まる。



ギルドは、いつもと変わらぬ喧騒に包まれていた。ざらついた石床には泥が混ざり、椅子と机の脚があちこちで引きずられている。


剣を背負った者、商人と話す者、仲間と地図を広げる者。その全員が“今日を生きるため”に集まっている。


掲示板前に立ったリゼは、羊皮紙の束に目を走らせた。


近隣の巡回、荷物の護衛、討伐、調査。どれもそれなりの報酬と危険がある。


「このあたり、遺跡探索の再調査が多いね」


声をかけてきたのはカヤだった。肩越しに依頼内容を覗き込んでくる。


「魔物の痕跡だけ確認してほしいってさ。報酬は少なめだけど、時間かからなさそう」


「……じゃあ、これで」


リゼが指さしたのは、街の北東にある古い遺跡跡。カヤは小さくうなずき、羊皮紙を引き抜いた。


「終わったら集合ね! 帰りにパン屋寄ろうよ。あそこの干し葡萄のやつ、また出てたよ」


「……うん、いいね」


誰かと予定を口にすることに、リゼはまだ少し慣れなかった。



石畳の奥、風の抜けない空間。


北東の遺跡は、外観こそ崩れていたが、内部はまだ深く残っていた。


松明に火を灯し、リゼは足元を慎重に確かめながら進む。壁には古びた文様が刻まれ、所々に石器の破片が転がっている。


空気は乾いているはずなのに、肌がじっとりと汗ばむ。しんとした静けさの中、水の滴る音がどこか遠くで響いていた。


ふと立ち止まり、周囲を見回す。

何もいない。音もない。だが、空気が張りつくような圧を持っていた。


「……罠は、なさそう」


声に出してみた。けれど自分の声すら、壁に吸い込まれて返ってこない。一歩、また一歩と進んだところで、リゼの足が止まる。


(……やめておこう)

明確な根拠はない。


だがこの違和感は、何度か命を拾ったときに似ていた。勘ではなく、肌が覚えている何か。リゼはゆっくりと後ずさり、松明の灯りを頼りに、来た道を引き返した。



依頼の報告を済ませたあと、街の石畳をリゼはひとり歩いていた。


カヤはパン屋の前で店主と話し込んでいた。なにやら新作のパンを薦められているようだった。


パン屋の角で別れたあと、水路沿いの小道を歩く。家々の軒先には洗濯物や薬草が吊るされ、草花の鉢植えがところどころに並んでいた。


「帰ったらまず洗濯しなきゃ」


そんな独り言に、近所の主婦が反応した。


「あらリゼちゃん、おかえり。ひとり?」


「はい、ただいまです」


挨拶だけは自然に出るようになった。けれど、それ以上の言葉が続かない。街の人々と“地続き”に生きているという実感は、まだどこか遠い。


水面に日差しが砕け、きらきらと輝いている。

風が髪をなで、パンの甘い香りと街の土埃が混じりあう。


光の形が、どこか懐かしいものに見えたのは──ただの気のせいだろうか。



宿に戻った頃には、カヤはすでに部屋に戻っていた。ベッドに腰かけ、布張りの本を静かに読んでいる。


「おかえり」


「ただいま」


リゼは洗面器の水で手と顔を洗い、濡れたタオルで首元を拭う。


孤児院にいた頃と比べて、少し発育したかも……と密かに思うが、カヤを横目で見て、すぐに打ち消す。


簡単に身支度を整えると、自分のベッドに身体を倒した。天井を見つめ、静かに息を吐く。


──さっきの遺跡。あの空気。

──あの、背中にまとわりつくような違和感。


「……なんだったんだろ」


声は部屋の空気に吸い込まれた。

窓の外では、夜の風がそっと部屋を撫でていく。


──誰かが、見ていたような気がした。


その言葉が喉まで来て、けれど口にはしなかった。

今日のことは、明日の自分に委ねよう。


そう決めて、リゼはそっと目を閉じた。

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