第十四話 どっちの味方?
2025.2改稿
リヴァルタ渓谷橋での帳簿の確認は、順調に進んでいた。
殿下の視察の方はどこまで進んでいるのかは詳細が分からないけれども、私とイオニアスさんとで洗い出した問題点は、既にまとめられている。それはだいたい、三つほど。
まず一つは、着工当時の材料単価とその後二度にわたる大規模修繕工事との比較表を作成し、資材の発注が適切かどうかを洗い出す。それにより、資材発注が少なすぎる前々回の補修工事時から、適切さを欠いていたのではないかと見ている。実際に今回同様、工事中に崩落してかなりの計画修正が余儀なくされている。それを正しく判断するには、最初の補修工事の資料も必要だ。こちらはガレー室長にお願いして揃えてある。あとは設計局の人たちにそこを精査してもらうしかない。
それと二つ目は、今回の工事のための資材運搬費。やはりレリアナが指摘してくれた通り、運搬費用の水増しが疑われる。レリアナたちが新たに請け負った運搬が、足元を見られて値引きをされた可能性もあるが、以前の業者への支払いが同じ運搬料に対して一割近く多い。それが急に支出を減らすのは、業者を変えたというよりも、事業が王家に委ねられたため不正から手を引いたともとれる。
「この、以前、運搬に関わっていた業者について、調べることはできないんですか?」
「殿下からアルシュ侯爵家に要請すれば、可能かもしれません。でもそれはあくまでも、侯爵家の了承と協力次第で、拘束力はありません。厳密に行うには、確実な証拠をもって会計局本院と建築設計局が不正であると認めた場合ぐらいでしょう。そもそも運搬費の一割では、そこまでするには額が小さすぎます」
「……金貨三十枚は、税を支払っている平民にとって小さいものではないんですけれどね」
私も庶民納税課だったとはいえ、国の事業の単位がどれほどかは知っている。庶民と比較するべくもないことくらい分かっているが、不正は不正。会計士としての矜持もある。例え今ここで解放軍とやらに再び襲撃されようと、殿下がシュベレノア様に籠絡されて私との婚約予定が流れようとも、それはそれ、これはこれなのである。
それはイオニアスさんも同じなのだろう、彼の弟がその解放軍とやらで反逆に加担しているかもしれないのに、真剣な面持ちで私と共にまとめた書類と向き合っているのだから。彼の苦悩に比べたら、私の胸になんとなく刺さるチクリとした痛みなど、取るに足りないものに違いない。
だからこそ、どうにかこの不正らしきものの裏取りをできないかと悩んでいると、ちょうど会計資料室にガレー室長が戻ってきた。珍しく部下の会計士は引き連れていないで、一人だ。ただ、いつものように私たちにチラリと渋い視線を投げるものの、自分の机に向かって行った。
そんなガレー室長に酷く疲れた様子が見えて、私とイオニアスさんは顔を見合わす。
「たしか、昼まで殿下とご令嬢の視察に同行するって、おっしゃっていましたよね?」
「そう聞いていますが、何か問題でも起きたのでしょうか」
私は少し考えてから、席を立って室長の方へ向かった。
すぐに私の動きを察してか、ガレー室長は毛虫でも見つけたように嫌そうな顔を上げて私を見た。
「お疲れのようですね、室長。何か問題でもありましたか?」
「何もない。あったとしてもお前に言う必要がどこにある?」
室長は私に向かって、手をヒラヒラと扇ぎ、あっちへ行けと追い払おうとする。その仕草は、庶民納税課でもよく見たものだ。だが今は彼の部下ではない、当然ながら聞き入れる必要もないわけで。
にんまりと笑みを貼り付けて、私は側にあった椅子を引いてきて、彼の机の正面に置いてそこに座る。
ぎょっとする室長の様子などおかまいなしに、質問をぶつけてみる。
「アルシュ侯爵令嬢が、この修復事業を統括されていたのですか? そうだとしたら、ずいぶんな才女でらしたんですね」
「シュベレノア様が優秀なのは、当然である。だが、事業そのものは今も侯爵様が指揮されている、ご病気になられても視察の代行は任されているのは仕方が無いことだが。それも帳簿に記載があるだろう、そんなことすら読み解けないのか」
「では微妙に署名が違うように見えるのは、ご令嬢がお父様の名を偽装しているのですか?」
「はあ? そんなわけがあるか、いくら高位貴族といえども署名の代行など許される行為ではない。療養中であっても、署名だけは領都まで行き侯爵様に……」
そこまで言ってから、ガレー室長はハッとする。
「ちょっと待て、コレット=レイビィ。署名の筆跡が違うと言いたいのか?」
「いいえ、侯爵様はご病気で寝所から出られないのでしょう? でしたら筆跡も多少は変わるのも仕方がないですよねぇ……」
そう、これが疑惑の三つ目。
侯爵様の筆跡が、変わっている可能性があること。とても微妙な違いなので、本当に病気のせいという可能性もある。私もイオニアスさんも、筆跡鑑定が仕事ではない。けれども文字を多く見ている仕事柄、気づくことも多い。
もし事業責任者である侯爵様の署名が他の者によるものならば、問題だ。病気で筆が持てなくなったのなら、手続きをして代理を立てればいい。それをしていないのならば、不正である。
「……いつからだ?」
私相手だとあからさまに迂鈍だったガレー室長の目つきが、すっと鋭くなる。
彼の女性と見るや格下と決めつけ侮り、下と決めつけたら嫌味を加えずに話せない性格は嫌いだが、会計士として仕事が出来ないわけではない。すぐに見逃せない問題であることは理解したようだった。
「そうですね、ここにあるだけでは侯爵様が署名するほどの書類の数は少ないので定かではありませんが、少なくとも半年前の書類から疑わしいですね」
「見せてみろ」
すぐさま立ち上がるガレー室長に気づき、後ろで様子を窺っていたイオニアスさんが書類の束の中から私の言ったものを拾い上げ、差し出した。
私も彼らの元へ加わり、ついでに過去の侯爵様の直筆の署名があるものを出して並べる。
「ここです、かなり慎重に真似てはいますが、力の入り具合が少し不自然です」
二つを見比べて、ガレー室長の眉間に皺が寄る。そして書類を片手に、胸ポケットのハンカチを額……いや、すでにそこは頭かもしれないが、汗をぬぐった。
「これを、殿下に報告するつもりか?」
室長の問いに、私とイオニアスさんは顔を見合わせる。
「当たり前です、私たちは殿下の部下としてこの仕事を任されているんですから。例え補修工事に直接影響がない結果になったとしても、疑いがあるものは全て報告します」
私の返答に、イオニアスさんも真顔で頷いている。
だがガレー室長は汗を拭いながらも、再び迂鈍な顔で私を見て、驚くべきことを口にする。
「今頃、噂に聞いた堅物殿下も、そのような些細な不正には関心がなくなっているさ。出すだけ無駄だ」
な……無駄って、殿下相手にさすがにそれは言い過ぎでは。そんな風に思ったのが顔に出ていたのだろうか。室長は呆れたような顔で、舌打ちをする。
「外の常識が、ここで通用すると思わないことだな。現にシュベレノア様がいらしている以上、あの方の不利に物事が進むことはない。現に、殿下が引き連れてきた屈強の近衛兵たちなど、すぐに使い物にならなくなるだろう」
「ど、どういう事ですか、それって」
まさかガレー室長も、シュベレノア様周辺での異変に気づいているとは思わず、ただ聞き返して反応を見るつもりでの問いかけだったはずが、とんでもない言葉が返ってきた。
「リヴァルタ村と寺院のあるロゼは、崩壊した。ほとんどの者たちがシュベレノア様を女神かのように敬い、言いなりになってここを去ったのだ。クラウスの町はまだ免れているが、それも時間の問題だ。まともな者のうち何とかしようと足掻く者だけが、クラウスの一部と坑道に残っただけで、数としてはほんの僅か」
「ちょ、ちょっと待ってください、ガレー室長……それってもしかして昨日の」
「アルシュ解放軍と、名乗ることにしたようだな」
室長は平然としたまま書類を置いて、自分の席に戻って深く椅子に座る。
彼の様子からは、彼自身がどちら側の人間なのか、私には判断がつかない。だから言葉に詰まってしまっていると。
「コレット=レイビィ、お前もまともで居たかったら、シュベレノア様に直接会わないようにすることだ……いや、お前はそもそもまともではないが」
「ちょ、ちょっと待ってください、それを言ったら室長だってご令嬢とは直接会って、話だってしているじゃないんですか? もしかして、既に操られています?」
そう問うと、ガレー室長はもの凄く嫌そうに顔をしかめる。
「私は毒されてなどいない、職務を全うしているだけだ」
「なおさら信用できないですよ。室長は侯爵家と約束の石で契約しているって、ご自分で自慢していたじゃないですか」
「私が契約を交わしたのは、アルシュ侯爵当主様だ。シュベレノア様ではない」
「だから大丈夫ってことにはならないのでは? それに既に何ヶ月もここに居るわけですし、殿下の話では既婚者は免れているようだって聞きましたけれど、室長は独り身ですよね」
「う、うるさいっ、そんなの私の方が知りたいくらいだ! ……まて、王子殿下は既にその、皆の様子がおかしいことを把握しておられるのか?」
「ええ。私も殿下からそう聞いていますから、対策を既にされているはずですよ。室長は勘違いされているみたいですが、殿下は無能ではありません」
彼らが口にしていた殿下への陰口を私が知っているのだと暗に示唆すると、室長はばつが悪そうに顔をそらす。
けれども実際に、私に対して以前と同じように怒鳴り返すくらいだから、室長が侯爵令嬢へ心酔していないのは真実の可能性は高い。
ならば室長が、何故そのままなのか理由がやっぱり気になる。帳簿を管理している彼を洗脳して使った方が、何をするにしても便利そうなのに。いや、ガレー室長だったらそのままでも不正しそうだけど。
腕を組んで唸っていると、ガレー室長が「おい」と声をかけてくる。
「部下たちが戻ってきた。この話は終わりだ、いいか、あいつらに滅多なことを喋るんじゃないぞ、特に私のことは!」
「はいそれはもちろん……え、でもまってください、結局のところ室長は……」
どっちの味方なんですか? そう問おうとしている間に、会計資料室で働く者たちが戻ってきてしまった。私は自分の机に戻って書類を整理するふりをしながら、彼らの様子を観察する。
元からガレー室長に文句ひとつ言わず、よく従う人たちだなぁと感心していたのだけれど、それがガレー室長ではなく別の何かのために動いているとしたら、なんとも不気味な光景にも思えてくる。その普通でない人たちに囲まれながら仕事を続けている室長に、ここにきて初めて尊敬の念が芽生える。
それにしてもまさかガレー室長がまとも……いや、元々まともでない人だから、まともと評していいのかわからないけれど。とにかく、シュベレノア様に心酔しておかしくなっていないことに驚いている。
「あ、でもそういえば……」
私は橋を渡る前に立ち寄ったクラウスの町での、ダディスのラッセルさんの言葉を思い出す。ガレー室長の仲間が、クラウスの酒場に居ると言われたのだった。
ならば、やっぱりガレー室長は、解放軍に身を置く正気のままの人たちの仲間?
今すぐ問いただしたいのに室長の周りには、彼の言を借りれば心酔する人たち。つまりシュベレノア様のために動く人だ。室長の言う通り、彼らに接触するのはあまり得策ではないのだろう。
私は解決しそうにないもやもやを抱えつつ、どうしたものかと頭を悩ませるしかなかった。それはイオニアスさんと、護衛として息を潜めたまま見守っていたダンちゃんも同じだったようで。
私たちは三人集まって、とりあえず筆談で今後のことを話し合うことにしたのだった。




