第十二話 濁った宝冠
2025.2改稿
会計資料室に戻ってくると、ガレー室長とその助手の会計士たちが話し合いをしていた。
元々、襲撃がある前から侯爵令嬢と殿下の視察の対応のため、近々の資料を持って出払っていたはず。さすがにそれどころではなかったのだろう、室長をはじめとして、皆疲れた顔をしていた。
私とダンちゃんが戻って来たのを見て、ガレー室長はあからさまに嫌そうな顔をすると。
「私にとって、やっかい事は常にお前と共にある気がする。早く仕事を済ませて王都にでもなんでも帰ってくれ」
まあ、今日の出来事は災難と言っても過言ではないが、私のせいとはとんだ八つ当たりである。
「殿下がこの事業の責任者を請け負っている限り、それは無理でしょうね」
私はそれだけ言って、待っていてくれたイオニアスさんの元へ。
「はっ、本院で助手をさせてもらっているくらいで偉そうに。そもそも、今回の襲撃も、殿下がいらっしゃらなかったら起きていなかったかもしれないのだ」
「ずいぶん断定的な言い方ですけれど、根拠はあるんですか、ガレー室長? 適当なことを口になされると、不敬罪に当たりますよ」
そう忠告すると、さすがのガレー室長とて、しまったという風な顔をした。
「い、いや……要人がわざわざ来る日を狙ったことくらい、誰にだって予想できるだろう?」
「確かに、堅物と言われているほどの殿下が自ら調査が入る、それは悪いことを考える者にとっては気に入らないかもしれません」
私が言おうとしていたことを、すっくと立ち上がったイオニアスさんが代わりに答えていた。私はあくまでも彼の助手、本院会計士のイオニアスさんにそう言われることで、ガレー室長は少しだけたじろいでいる。
「まだ調査の途中ですが、いくつか疑問のある会計処理が見られます。これらは全て殿下に報告し、後に到着する建築設計局の設計士とともに詳しい再調査がなされるでしょう。ガレー室長、あなたも非常に長い経験をお持ちの会計士と伺っています。もし何か気づいている事がおありでしたら、今のうちに私かコレットさんに説明しておいた方が、賢明ですよ」
淡々とした声音は、いつものイオニアスさんらしい冷たさで、私の方がなんだか叱られているような気がしてくる。
けれどもガレー室長は、鈍感なのが長所でもあって。
「随分、舐められたものですな。本院所属とはいえ、半分ほどの歳の会計士にそこまで言われる謂われはありません。それにあなたは男爵家、ほぼ平民も同然。私は侯爵家と……当主であるトーラス=アルシュ閣下と直接契約を交わした会計責任者ですぞ」
予想した通りに、逆ギレしてしまった。こうなったら、相当追い詰められるまで正直に話すことはないだろう。そう思っていたから、まだ私からもガレー室長へ接触しないようにしていたのだけれど。
「へえ、凄いですね、アルシュ侯爵閣下と直接ですか、さすがガレー室長。王都の庶民納税課を任されていただけのことはありますね」
私が驚いて見せると、彼はまんざらでもないような顔で、ジャケットの胸ポケットから虹色の石が嵌まったピンバッチを見せてきた。
「そうだろうとも、この私だからこそだ。このリヴァルタ橋補修事業で、侯爵様から直接雇われているのは、前責任者だった者と私、現場監督者の数人だけだからな!」
「それで約束の石で契約したわけですね、信用されているんですねえ」
「当たり前だ、私はこのリヴァルタの……おっと」
ガレー室長は、慌てて口を噤む。
「あら、よく考えたらおかしいですよね。このリヴァルタ橋の補修事業は、公共事業。行政局も関わっているから、守秘義務のような事項が生じる隙なんてないと思っていましたけど」
すっとぼけて呟くが、ガレー室長は口を引き結んだまま、苦々しい表情を浮かべるだけだ
相変わらず、自慢話をさせると口が軽くなる人だったようだけれど、今回ばかりは滑らせることはなかった。
まあ、顔で「だからお前は嫌いなんだ」と大いに語ってくれているけれども。
「ではガレー室長からは、我々には報告するべき事柄はないと、そう受け止めるということでよろしいですか?」
「あ、あたりまえだ。会計は公明正大、不正などしていない!」
そうして話は平行線のまま、今日の終業時間を迎えた。
ガレー室長たちはギレンの町へ、私たちは再び谷底のリヴァルタ村へと戻る。その道すがら、私はイオニアスさんに訊ねる。
「イオニアスさんが室長を、あんなに上手に煽るなんて思いませんでした。なにか、決定的な証拠でも見つけましたか?」
「いえ……実は、あまり褒められた理由ではありません。つい感情的になっただけで」
珍しいこともあるものだ。
イオニアスさんに理由を訊くと、私がダンちゃんとともに手紙を出しに行っている間に戻ってきた室長たちが、殿下について陰口を言い合っていたのが原因だった。
どんな陰口だろうと、目を輝かせつつその内容を詳しく聞き出そうとする私に、イオニアスさんは信じられないと呟く。興味津々なのが、そんなにおかしいだろうか。
「曰く、デルサルト卿の失脚は息子を想う陛下の意向が働いていて、真実は政局などではなかったのではないか。だから殿下は実績を得るためだけに、このリヴァルタ橋事業を無理に引き受けたのではないか。怪しげな賊の襲撃を誘うのも仕方ない……それから、殿下は堅実などと言われているが、無能をそう揶揄されているに過ぎないとも」
「あらら、それを殿下担当の会計士である、イオニアスさんの前で?」
迂闊だなあと思いつつも、そういえば彼がイオニアスさんに対して取った侮りともとれる言動を思い出して、ため息をつく。
「ですが、煽った甲斐があったようでしたね」
「ええ、そうですね。まさか約束の石を使ってまで、アルシュ侯爵家が彼を雇い入れていたとは思いませんでした」
そのことは、エルさんと交替で戻ったレスターに、トンボ帰りで報告に行かせようかと思ったけれど、どうやら近衛の方でも問題が起きたらしくレスターはそちらへ合流している。
ただ、殿下からの手紙は預かっている。
そのまま私はダンちゃんとイオニアスさんの、三人だけで宿泊所に戻った。
すぐに目を通した殿下からの手紙には、思ってもみなかった事態が書かれていたのだった。驚いて食い入るように手紙を読んでいた私に、ダンちゃんが食事と温かいお茶を持ってきてくれる。
「なにか、良くない知らせのようだね、コレット?」
「あ、うん……」
あまりの内容に、私は頭の整理が追いつかない。後でゆっくり説明するからと伝え、私たちは無言のまま食事を取る。
イオニアスさんにも加わってもらい、殿下からの手紙の内容を話して聞かせることにした。
「侯爵令嬢シュベレノア様の周囲に居る者たちの様子が、どうもおかしいらしいの。なんというか……心酔しきっているらしくて」
そう言うと、ダンちゃんがハッとした顔をする。
「それで、それが殿下の周囲にも伝播しつつあるって。例えば、今回は殿下の側の護衛を任せているエルさんとか……」
「おかしいと思ったんだ、いくらコレット相手とはいえ、エルがあんなこと言うなんて」
そういえばシュベレノア様のことを褒めていたような。
「私は、そんなにおかしいと思ってなかったんだけどね、本人も自覚がないところで令嬢を褒める言葉を口にしていて、まだエルさんは殿下が指摘すると一旦は正気に戻るらしいんだけど……」
「ハルムートは? ……いや、そもそも殿下は大丈夫なのか?」
「ええと、ハルさんとレスターは何故か全く影響がないらしいの。もちろん殿下も。だけど近衛の中には、少し出ているらしくて」
きっとその対応のために、レスターは近衛隊に合流したのだろう。
呆然とするダンちゃんの横で、イオニアスさんが訝しむように訊ねてきた。
「具体的にどういった症状ですか、褒めると言ってもご令嬢は元より美しい方だと聞いておりますし、さほど不自然とも言い難い気がします」
「うん、何でも令嬢の意見には反対しないらしいよ。例えば、今日の視察同行も令嬢の鶴の一声で、早朝から領都を発って殿下の居るギレンに合流したらしいわ。それも、今回の襲撃の予告まであったらしいのに」
「予告があったんですか? アルシュ侯爵家に?」
「うん、それなのに殿下には報告すらなかったらしくって、それで問い詰めたら令嬢の護衛や侍女までもが、令嬢を庇って殿下に強く言い返すほどだったみたい」
イオニアスさんが眉をひそめている。
「それでね、問題はここからなんだけど……」
イオニアスさんにこれを教えてもいいのかなと、ふと迷う。すると察しがいいイオニアスさんがすっと席を立とうとするので、私はそれを止めた。
「聞いておいてください、きっとイオニアスさんにも影響があるから」
「いいのですか?」
「はい、ここに殿下が連れてきたということは、そういう事だと判断します」
イオニアスさんは再び席につき、私は改めて手紙を見返しながら言葉にする。
「視察に来たシュベレノア様の首に、大きな約束の石らしきものが入ったネックレスがあったそうです。輝きは約束の石のごとく虹色に光り輝いているものの、石の中は赤黒く濁っていて、まるで花が咲いたような意匠。殿下も初めて見るものだったそうです」
「コレット、それがもしかして」
ダンちゃんの言葉に、私は深く頷く。
「もう一つの宝冠が、この濁った石のネックレスではないかと、殿下は見ているらしいわ」
「宝冠?」
驚くイオニアスさんに、宝冠がもう一つ存在するらしいということを教える。
「宝冠も約束の石も、結局は同じ精霊王の石から出来ていると言われています。もう一つの宝冠と呼ぶからには、何か特別な特徴があるのですか? 王宮にあると言われているのが王の徴であるわけですし……対になるものならば」
そこまで言って、イオニアスさんも何かを察した様子で言葉を切る。
王の徴の宝冠、そしてもう一つあると言われたら、それは王妃と思うのは誰でも同じなのではないだろうか。
「確か、以前からアルシュ侯爵は、娘のシュベレノア様を殿下の伴侶にと願い出ていたはずですよね。もしかしてその宝冠が手元にあったからでしょうか。いやでも、本当にそのネックレスが宝冠という証明は?」
困惑しているのはイオニアスさんだけではない。ダンちゃんが先を促す。
「コレット、それについて殿下の見解は?」
「宝冠の効果がどのような物かは伝わってないけれど、ただの約束の石とは段違いな代物。だから何か強い作用があるはずだって……ねえダンちゃん、近衛で異変があったと思われる人のリストが、ここに載っているの。共通点とか見つけられないかしら。シュベレノア様に限らず、突然誰かに心酔して行動が変わるって、相当だもの。何かきっかけ……条件とかあるならば対策できるかもしれない」
私は手紙の一枚をダンちゃんとイオニアスさんの前に広げた。レスターが在籍しているとはいえ、私には近衛の人脈は皆無。元々在籍していたダンちゃんと、貴族家出身のイオニアスさんの方が、よほど何か掴めそう。
「若い者が多いな。独身ばかり……? いや、無事な者にも独身者はいるし、この異常を示した者の中にも一人、妻帯者がいるから違うか……」
「ダンジェンさん、彼は浮気者として名を馳せている者で、妻とは別居中なはずです」
それを聞いて、ダンちゃんがうーんと唸る。
「こう考えたらどうでしょうか。心酔するというのは、恋愛に近い感情です。妻に相当するほどの恋人、もしくは婚約者がいると、心を奪われずに済むとか?」
「イオニアスさん、それを言ったらうちのレスターが無事だった説明がつきません」
「いや、コレットが居るから説明がつく」
ダンちゃんの言葉に、イオニアスさんも微妙は顔をして「そうですね」と同調する。
「コレットさんが分かるように言い換えましょうか、自分の身よりも優先すべく大切な人、家族などが居ると」
イオニアスさんにそう示唆されて、ダンちゃんの反応を窺うと、しっかり頷かれた。
じゃあレスターが自分よりも大事に思っているのって、私? そんなに姉離れできてなかったの、レスター⁈
「そこまでの存在が居ない者を魅了し、意のままに操る力があるということですか。侯爵令嬢、もしくは令嬢の所持している石には」
「まあ殿下はそう見ているのでしょうね、五行続けてねちっこくシュベレノア様に近づくなと書いてあります」
最後の頁の最後の五行は、同じ事を繰り返している。
そんなに心配なのかと呆れてしまうけれど、どうやら侍女も同じ症状らしいので、男女関係なさそう。
それが本当ならば、なんて恐ろしい……。
「ん? てことは、私もシュベレノア様に魅了されると思っているのかな、殿下は……それはなんだか心外だなあ」
「コレット、少なくとも殿下は影響受けていない。つまりそういうことだ」
あああ、それを言われると、確かに魅了されていないならば殿下は勝ち誇ってもいいんだけど!
なんか負けた気がする。そう呟いていると。
「勝ち負けで語る方がおかしいですよ」
「イオニアス、あれはコレット特有の照れ隠しだ」
ダンちゃんの言う通りなので、私は反論の余地がない。
私は抵抗は諦めて、頬を赤くしながら手紙を折りたたみ封筒に収める。
「エルは、急ぎハルムートによって性根を叩き直されるだろう。主君を己の上に置いていないから、そのような不甲斐ない事になる」
「まあまあ、こっちはこっちで対策を立てましょう。シュベレノア様は、リヴァルタに何度も訪れているのよね? それなら多くの者たちが彼女の言うとおりに動く可能性があるってことでしょう? これって冷静に考えたら、怖い状況じゃないかしら?」
「ああ……そうですね、会計資料室も例外ではなさそうです」
私たちは、別れぎわのガレー室長のことを思い出して、暗澹たる気持ちになる。
だがしかし、ふと疑問に思う。
「まって、彼、約束の石で契約したって……それって相当上手くやらないと、二重に契約を交わした事になりかねないわ」
「おかしいですね……約束の石は、結局のところ相手の精神に左様する仕組みですから、二重契約を施されると精神に少なからず影響を与えるので、同じ相手や事柄については交わさないのが通常です。リヴァルタ渓谷橋事業はいわば、アルシュ家への貢献に繋がることですし、切り離すのは難しいかと」
「ってことは、ガレー室長はああ見えてシュベレノア様には魅了されていない可能性もあるわけですね」
「もう既におかしくなっている可能性は? かなり言動が酷かったようですが」
イオニアスさんの言うことは尤もだが、私は確信している。
「元々庶民納税課課長時代から、ああいうこと平気で言う上司でしたから!」
なんだか二人から、ひどく同情の目を向けられているのは、気のせいだろうか。




