第十三話 シーバス鳥
2025.2改稿
私たちはその日の晩、できる限りの対策を練ることにした。
まず第一に出来ることといえば、殿下がしつこく書いて寄越した通りに、シュベレノア様との遭遇を回避すること。話し合って立てた仮設は、侯爵令嬢に魅了されるには特別な相手がいないという、一定条件が必要だということ。もしこれが正しいのならば、私達に警戒は欠かせない。なぜならその一定条件に、イオニアスさんとダンちゃんが当てはまるからだ。
今まで個人的なことを聞く機会がなかったけれど、イオニアスさんには婚約者や恋人はいないらしい。片思いでもいいから、好意を寄せている人がいたら良かったのだけれど、それも特になし。まあ、普段から残業三昧な彼には、仕事への使命感で燃えてもらおう。
ダンちゃんも適齢期をとっくに過ぎているが、独身だ。人見知りだからか、恋人もいないみたい。まあ、本人は結婚を諦めていると……いや、ダンちゃん優しいから、人見知りさえ克服したら、絶対に素敵な人と縁ができるって! ああ、でも今は慰めている場合ではなくて。
とにかく、イオニアスさんは私とともに接触を避け、忠誠心と鍛えた心身を武器に、ダンちゃんが身を張って盾になってくれることになった。
「でも本当は、ダンちゃんに盾になんてなって欲しくない……」
「いいんだ、コレット。たぶん、この中で一番可能性が低いのは、自分だから。殿下への忠誠は、誰にも負けない自負がある。こんな自分を……近衛だった頃、からかわれて仲間を手にかけてしまったのに、殿下は信頼して護衛に置いてくれた。それだけじゃない、大事なコレットを預けてくれた。殿下のためなら命を賭けられる」
私は、ダンちゃんの固くて大きな手を取り、包むようにして握る。
「ダンちゃんは、私たちと共にダンちゃん自身も、守って欲しい。だってダンちゃんが傷ついたら私は哀しいから。でもダンちゃんが判断して取った行動は、私が責任を取る。どこまで出来るかは、分からないけれど……私もダンちゃんを守るからね」
そう言うと、ダンちゃんはとても驚いたように目を見開く。でもすぐに柔らかく笑った。
白い髪が揺れて、ふわふわしていて、こっちもなんだか温かい気持ちになる。
「コレットは、やっぱり殿下とお似合いだな。揃って同じ言葉を、くれるのだから」
「……同じ、言葉?」
「ああ、殿下は言ってくれた『お前が再び仲間に手をかけた時は、私が責任を取る』と。最初は、怒っているのかと思ったよ、真剣な顔だったから。でも、今のコレットと同じように、まっすぐ僕を見て言ったんだ」
……なんだか、想像ついてしまう。
仏頂面しながら、ダンちゃんの全てを背負ってしまう、殿下の姿が。
不思議だな。殿下と直接会うと、すぐけんか腰になってばかりなのに、こうして他の人を通して感じる殿下は、いつだって温かくて。
だから、少しだけ不安だったことも晴れて、心が奮い立たつ。
「ダンちゃん、イオニアスさん、聞いて欲しいの。実は……」
私は、殿下から渡されたリヴァルタ村の名簿を持ってきて広げる。そして一番最後の頁を指差す。
「ここにリュシアン=シェリーの名前があって、彼は私の学校時代の同期生……イオニアスさんに話したことありますよね? 私が勝てなかった天才」
「……はい」
イオニアスさんは掠れた声で、短く答えた。
「あの襲撃に使われた大きな傘状の空を滑空する道具……仮に落下傘と呼びますね、あれを発明したのは、リュシアンだと思っています。実は、彼が姿を消す直前、人が空を飛ぶ道具を設計していたことを耳にしました。形状も同じで、彼はその時に既に実験には成功したと言っていました。そしてその技術に興味を持ってくれている人がいるとも」
「待ってくれコレット、その学友が、今日襲撃してきた賊なのか?」
「分からないけれど、偶然の一致にしては重なりすぎていて……この名簿に載せられた日付は、彼が卒業を待たずに失踪した頃で」
イオニアスさんの顔色が更に白くなる。そして一つ、大きくため息をついてから、口を開いた。
「コレットさん、実は私にも気になっているにもかかわらず、報告するのを躊躇っていた疑念が一つあるのです」
「気になること? それはいったい何ですか?」
「はい、リヴァルタ橋から資材を下ろすために設置されている、水車の力を利用した巻き取り昇降装置の件です。あれと全く同じものを、弟が子供の頃に遊びで作ったことがあったのです」
「子供の頃に、あのような複雑な装置を?」
今でこそ水車の動力を利用する仕組みが広がってきているが、子供の頃に既にそんな複雑なものを作れていたなんて、彼の弟もまさに天才だったのだ。
「恐らく、昇降装置を作ったのも、襲撃の落下傘を発明したのも、同一人物なのではないでしょうか……つまり、リュシアン=シェリーが、ティル=バルナだとしか、私には思えません」
イオニアスさんは苦しそうだ。当然だろう、行方不明で心配していた弟が、まさか反逆を企む組織に属しているかもしれないのだから。
「でも、まだ二人が同一人物だと決まったわけじゃないですよ。リュシアンは、教師から建築設計局へ入局するよう勧められて、酷く反発していました。そのすぐ後に、学校に来なくなったんです」
けれどもすぐにイオニアスさんによって、私が上げた可能性を否定されてしまう。
「父が……犬猿の仲だった父が、建築設計局に居るので、弟ならば特に嫌がるでしょう。見つかったら、必ず連れ戻されますから」
「イオニアスさん、リュシアンがどうしてあの技術を提供したのか、彼らの仲間なのか、それとも脅されて協力しているのか、今はまだ判断がつきません。でも関わっていることは確かで……弟さんのことを含めて、殿下に報告してもいいですか?」
そう訊ねた私に、イオニアスさんは力なく笑った。
「当然です、黙っていることなどあり得ません……いえ、黙っていたのは私でしたね」
「いいえ、イオニアスさんだって確証なんてなかったんですから!」
でもイオニアスさんは首を横に振ってから「すみません、私はもう休ませてもらいます」と部屋に戻ってしまう。
追いかけようとした私を、ダンちゃんが制止する。
「今はそっとしておいてやった方がいい。気持ちの整理に時間がかかるだろう。それよりコレット。今朝の子供が口にした名を覚えているか?」
「もちろん、パリスのことよね」
「そう。誰と、誰にパンをあげると言っていた?」
──パン? パンがあるの? レーニィとリュシーの分もある?
「リュシー!」
ダンちゃんが頷く。そうだ、リュシー。リュシアンだ。
パリスの口から真っ先に出るのは、常に側にいるから。それに火薬の残り香……
「もうっ! あいつってば、いったい何を考えているのよ、これだから天才は!」
リュシアンのことも心配だが、今日の襲撃がこれからも起きる可能性がある今、パリスのような子供をそのままに出来ない。何とかあの少女だけでも、引き離して保護できないだろうか。
ああ、次から次へと問題が起きて、対処しきれない。
とにかく殿下への報告はしなければ。明日も会えるかどうか分からないし、下手したら殿下の側には常にシュベレノア様が居る可能性だってある。私は今日の出来事と、私たちが出した考察、それからリュシアンのことを書き綴って、封をした。
会えないからこそ、情報を細かく共有しなくては。
同じ情報を持っている限り、きっと私たちの行動は同じ方向になる、そう信じて突き進むしかない。
そして翌朝、やっぱり早めに目が覚めた私は、昨日と同じように庭に出る。もちろん、手にはちゃっかりパンが入った篭を持って。
子兎がまた来てくれるとは限らないけれど、万が一この篭を渡せたら、動きがあるかもしれない。本当は殿下の判断を待った方がいいのかもしれないけれど、私はどうしても、すぐにパリスを保護したかった。だから篭の中のパンに、メモ書きを挟んでいる。
日が昇りきらない空が白みはじめ、辺りが徐々に明るくなりつつある。
昨日は既に、パリスが去った頃だ。今日は会えなくても、せめて昨日のことを咎められていなければいい。そう思って引き返そうとした時だった。
「お姉ちゃん?」
小さな声がして反射的に振り向くと、植え込みの下から小さな少女が顔を覗かせていた。
「パリス、よかった、また会えた!」
私はそっと彼女の前で膝を折り、新たにパンを入れた篭を差し出す。すると、彼女はすっと顔を引っ込めると、代わりに昨日渡した篭を差し出したのだった。
それを受け取ると、再び笑顔の少女が顔を見せてくれる。
「お姉ちゃんがくれたパン、すごく柔らかくて美味しかったよ。ありがとう」
「食べてくれたんだね。まだあるから、今日もパンを持って行って、食べていいよ」
するとパリスは「ううん」と首を横に振る。
「どうして? 今日はお腹空いていないの?」
「今日のご飯当番はね、レーニィなの」
「レーニィと、リュシーだっけ? 二人ともパリスのお友達?」
「そうよ、レーニィはお友達。リュシーはパパのお友達よ」
パリスの無邪気な言葉に、ふいに村の名簿にあった名前を思い出して、胸がチクリと刺されたように痛む。
彼女の両親の欄は、線を引かれて消されていた。
「じゃあ、子供たちのことを、そのリュシーが面倒を見ているのかな?」
「ううん、子供はパリスとレーニィだけ。リュシーは皆と難しいお話をいつもしているの。リュシーはね、凄いんだよ。ずっとくるくる回るおもちゃを作ってくれたの。それで今はね、すっごく大きなシーバス鳥を穫ってきてて……」
「シーバス鳥って、この渓谷によく飛んでいる、あの頭が白くて体が茶色の、すごく大きな鳥よね?」
「そうよ、シーバス鳥って美味しいの」
目を輝かせて語るパリスに、パンの包みを一つ取って、手に持たせた。
「お姉ちゃん?」
「一つだけ、そのリュシーに渡してくれるかな? きっとシーバス鳥のスープと合うと思うから」
想像したのだろう、パリスが大きな目をこぼれんばかりに開き、唇を引き締めてごくりと喉を鳴らした。
「……いいの?」
「うん、もちろん。リュシーに叱られたら、昨日の残りだって言えばいいよ。その代わり、一つだけお願いがあるの、いいかな?」
「なあに?」
首を傾げるパリスの、煤汚れた髪をそっと撫でる。
「私は、コレット=レイビィというの。名前、憶えておいてくれる?」
「うん、もちろん、コレット!」
パリスの満面の笑みに、私は少しだけ胸を痛めながら、笑顔を返す。
そしてまた会おうねと約束して、パリスと別れた。
「良かったのか、コレット?」
ずっと離れた所で見守っていると思っていたダンちゃんが、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。
「私には、リュシアンが反逆に加担していることが、どうしても不自然でならない。だってリュシアンが逆賊なら、パリスをこんなにも自由にさせておく訳がないもの。だから私のことが伝わったら、何かしらの反応があると思う」
「そうだろうか……」
「ごめんね、ダンちゃん。勝手なことをして……」
ダンちゃんは小さく首を横に振ると、革製の鼻マスクを外す。そしてパリスが去った方向に向けて、鼻をくんと鳴らすと。
「相変わらず火薬の匂いはするが、シーバス鳥の匂いもする。どうやら嘘は言ってないようだ」
「ねえ、ダンちゃん。確かシーバス鳥って、すごく大きいよね、私が両手を広げても足りないくらい」
「ああ、肉は臭みが少なく確かに美味いが、狩りの労力のわりに肉の量は少ないから、そうそう食べることもない。それに骨がやっかいだ」
「骨?」
「ああ、軽いがかなり固い。昔は鏃にも使ったようだ」
「そうか……なら、本当に食べ物に困ってきているのかもね」
あまりにも大きな鳥だから、リヴァルタ渓谷のように森が深く、自然に恵まれているところでしか、繁殖に向かない鳥だ。とはいえ、渓谷ではかなり個体が多いと聞いたことがある。その証拠に、すっかり明るくなった空を見上げると、狩りに勤しむシーバス鳥の影が、遙か遠くに見える。
ここに居る間に、私も食べる機会があったらいいな。
暢気にもこのときには、シーバス鳥と聞いて、そんなことを考えていたのだった。




