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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
第二章 リヴァルタ渓谷の秘密

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第八話 リヴァルタ渓谷橋

2025.1改稿

 宿場町を出発して二時間ほど馬車を走らせると、それまで通ってきた山間の街道からは、がらりと景色が変わる。

 曲がりくねった山道を抜け、緩やかだが上り坂が続く道をひたすら進んだ後、突に現れたその絶景に目を奪われる。

 開けた視界いっぱいに、山がぱっくりと割れたかのような断崖絶壁に挟まれた、巨大な谷が現れたのだ。人知を超える何かの力で、大地が抉り取られたかのよう。

 それとも山ひとつまるまる消えてしまったのだろうか。続いていた山が途絶え、はるか遠くまで空が続く。街道から一歩でも逸れてしまったら、人の手が入っていない森が生い茂る谷へと、真っ逆さまだ。谷が抉れたかのようと表現したのは、山肌が岩むき出しになっているから。そんな岩山に囲まれた谷の底は、木々に阻まれて全容は確認できないが、曲がりくねる沢がある。けれども田畑や人の集落らしきものは見えないのは、谷が厳しい自然に囲まれているからだろう。そんな厳しい渓谷で、自由に生きていけるのは鳥たちぐらいかもしれない。

 ピイと高い声に誘われて見上げると、秋の澄んだ空に、大きな翼を広げる巨鳥の影が見えた。


「シーバス鳥だ、ここのは驚くほど大きいな……」


 ダンちゃんも空を見上げて、感嘆の声をあげる。断崖で巣をつくり、森で狩りをする巨鳥シーバスの繁殖地として、リヴァルタは有名だという。

 そういえば幼い頃に読んだ絵本のなかに、赤子が鳥に攫われる逸話があった。子供だましだと思っていたが、シーバス鳥を見てしまうとあながち嘘とは言い切れないかも。

 そうして絶景と巨鳥に圧倒されながら馬車に揺られていると、また違った景色が私を驚かせてくれた。

 険しい断崖に埋め込まれた、巨大な建造物が現れたのだ。

 あれが、リヴァルタ渓谷橋か。

 岩場に、三つのアーチ型の橋脚が根を下ろす重厚荘厳な建築物。私は普通の川にかかるような橋を想像していたけれど、実際には城塞のような姿だ。アーチの橋脚の上には分厚い層があり、そこに小さいけれども窓がいくつもある。

 その窓から、こちらを窺う人影が見えた。


「イオニアスさん、あそこ……橋脚と上部の通路との間がかなりありますけれど、何があるんですか?」

「あれは橋脚に負担がかからないよう、空洞になっています。そこを仕切っていくつか部屋があるはずです。昔は監獄代わりに使われていた時もあったようですが、今は工事のための資材置き場、それから休憩場所になっていると聞いています」


 馬車が近づくと、はっきりとリヴァルタ渓谷橋の全貌が見えるようになった。

 橋は断崖の間を繋ぐようにかけられている。断崖はいびつに凹凸があり、一部は橋を支えるように接している部分もあるようだった。

 どうやら一番手前の橋脚が、崩れかけているのが分かる。補修の作業がされていた途中の出来事だったのだろう、建築のための足場が組まれていた。だがそれも崩れた橋脚の石材によってなのか、折れ曲がって原型をとどめていない。最下層の足場周辺には、散乱した岩と砂を手押し車に乗せて、搬出する人たちが見える。

 不思議なのは、橋脚に寄り添うように、不思議な櫓のような装置が建てられている。大きな梯子なのかと思ったけれど、近づくとそうではなさそう。修復のための足場なのだろうけれど、かなり複雑な造りのようだった。

 そうして観察しているうちに、近衛兵たちに誘導されて、無事にリヴァルタ橋に到着する。

 街道を真っ直ぐ進んで到達したのは、橋の最上部分。そこが人や馬車が通る街道となっている。その橋の脇から伸びる道を降りていくと、かつてリヴァルタ村があった集落跡に繋がっていた。その道から、崩落事故のあった橋脚部分に行けるとのこと。

 私たちはとりあえず、真っ先に補修工事責任者が居るという、橋の中層にある部屋で説明を聞くことになった。


「わざわざお越しいただき、恐悦至極に存じます」


 殿下を招きまずは深々と頭を下げたのは、補修工事責任者として事業を統括する、クリスティアン=ロレンソン男爵。彼は建築設計局に在籍し、なおかつアルシュ侯爵家の親類籍の人間でもある。以前から補修事業に関わっていたために、今回殿下が事業を請け負ったのをきっかけに就任となったという。


「それで、早速だが崩落被害の詳細を説明してくれ」

「はい、現在工事を行っていた第三橋脚部分ではなく、既に終わらせていた第一橋脚で起きました。被害は怪我人が十五名、足の骨折などの重傷者は出ましたが、命に別状はなしでございます。橋脚部分から横穴へ避難して難を逃れた者が五名取り残されましたが、それも派遣していただきました近衛兵の協力もあり、昨日には救助が終わっております」

「そうか、ご苦労だった。その第一橋脚の被害状況はどうだ?」

「第三橋脚と同じく、古い基礎の部分に多数のヒビが入っておりまして、今後の工事にどのような影響が出るかは今後の調査次第かと」

「済ませた補修箇所ではなかったのだな? 」

「崩落した石材と煉瓦がかなりの量になっておりまして、撤去するまで時間を要するかと。元から最下層の橋脚基礎部分には馬車が入り込めませんので、特殊な装置を用いて引き上げるしかありません」

「……特殊な引き上げ装置?」

「あ、はい。ちょうどここから見えると思います、どうぞこちらからご覧になってください」


 殿下が促されて向かったのは、部屋にある小窓だ。私たちも興味を引かれて、離れた窓から外を眺める。

 そこから橋脚の下を見ると、例の櫓のような建造物がちょうどすぐそばにあった。

 櫓の足元には、鉄製だろうか、とても大きな水車が設置されている。橋脚の間に流れる川が、さらに谷底に向かって落ちる水を受けるように作られていた。その動力を使って、中層部にある歯車と繋がっているロープを巻き、引き上げる仕組みのようだ。

 強風に煽られて落ちないよう、しっかりとガイドも設置されていて、よく考えられている


「私もここに来て驚いたのが、あの装置です。あれを導入するまでは、基礎用の石材は数十人がかりで引き上げるしかなかったようですが、今では引き上げるのも、下ろすのも楽になったと評判です」

「話には聞いていたが、思っていたよりも大きいな。いつから導入していると言ったか」

「確か、一年くらい前でしょうか。前任者の時代でしたので詳しくは存じ上げません」


 殿下が説明を受けている間、私は目を輝かせて運搬装置を眺めていた。動力は水車だけど、いくつもの滑車を使って、かかる重量を上手く分散させているのだと思う。見ただけでは分からないけれど、水力だけで重い石材をはるか高い位置まで運べてしまうなんて凄い。設計者は天才に違いない。


「すごいですね、あんな装置は初めて見ました。イオニアスさんはここにあれがあるって知っていましたか?」


 少々興奮気味に、イオニアスさんを振り返ると、彼は窓の下を眺めたまま、青い顔をして固まっている。

 高所恐怖症だったのかしら。


「……大丈夫ですか?」


 固まったままのイオニアスさんに声をかけると、彼はハッとして窓から後ずさり「なんでもありません」と言って、再び黙りこくってしまった。

 それから殿下は崩落した箇所の調査を指示。その結果を見てから本格的に事業計画の見直しをせねばならないと伝え、監査を始めると伝えた。

 そしてようやく私とイオニアスさんが呼ばれ、責任者に紹介される。


「会計帳簿を確認させるため、会計局本院の者を同行させた。早速仕事を始めさせたい」

「はい、承知しております。まずは担当者をご紹介いたしましょう」


 殿下たちはさらに責任者のロレンソン男爵と今後の計画について話があるようで、案内役が私とイオニアスさんを迎えに来た。連れて行かれた先は、資料室のような部屋だった。

 これまでの設計資料や会計書類、事業の計画書など全ての書類を保管してある部屋だそう。そこで会計士と主な搬入業者が顔合わせのために待っているとのことだった。

 石と煉瓦でできた部屋に、簡素な木の棚が作られてそこにびっしりと書類が積まれている。その真ん中で待ち構えていたのは、予想した通りの人で。


「な……お、お前、は」


 にっこり微笑んで立つ私と、イオニアスさんを見比べて、わなわなと開けた唇を震わせているのは、懐かしい元上司その人だった。

 痩せ細った体躯に、痩けた頬。薄い唇は血色が悪く、ギョロリとした目元のクマのせいで、不健康そうな印象。以前と変わらず茸のような髪型だが、頭頂部は以前見た時より寂しげになっているのは、きっと苦労したせいもあるだろう。そんな見た目だけど、案外アグレッシブで元気な人だったりする。


「お久しぶりですね、ガレー課長。あ、違いましたね、元課長でしたっけ」

「な、なんでおまえがここに、その本院会計士の制服などを着ている、コレット=レイビィ!」

「いやですね、本院会計士の助手に任命されたからですよ、どうです、似合っていますか?」


 自慢するように、セージ色の上着の両手を広げ、そして腰まである会計士襟がふわりと舞うようにクルリと一回り。


「お前が、どうして本院に所属しているんだ……私はお前のせいで左遷されたというのに!」


 悔しそうに地団駄を踏むガレー課長だったが、私に手を伸ばしたところで、ずっと気配を消したままだったダンちゃんが間に立ち塞がった。


「ひっ……なんだ、おま……きみも会計士なのか?」


 熊のような体格で見下ろされたガレー課長の口から小さな悲鳴が出たが、すぐに虚勢を張ることを忘れない。ダンちゃんを前にして、案外骨がある。


「いえ、彼は殿下の護衛官です」


 イオニアスさんがそう説明すると、一気に熱が冷めたように、ごほんと一つ咳をしてから姿勢を正した。


「そ、そうですか、殿下の……誤解を与えたようで申し訳ない。私はリヴァルタ渓谷橋の補修事業の会計処理を、アルシュ侯爵閣下から任されております、トットリオ=ガレー会計室長です」


 ようやく挨拶を口にすると、それを受けてダンちゃんが私たちの前から避ける。そして代わりにイオニアスさんが一歩前に出た。


「財務会計局本院、ラディス=ロイド王子殿下の公務担当会計士のイオニアス=バルナです。こちらはバギンズ子爵がつけてくださった、コレット=レイビィ補佐官です、しばらくの間ご協力願います」


 イオニアスさんが差し出した手を、ガレー室長は握り返す。


「あなたもご苦労が多いことでしょう、あのような生意気な小娘の世話を焼かねばならないとは」

「いえ、彼女は非常に優秀な会計士ですので、心配には及びません」


 イオニアスさんに褒められるなんて滅多にないことで、ちょっと嬉しくなる。

 けれどもそんな私を見て、ガレー室長は顔をしかめていた。

 少し空気が悪くなってしまったのは否めないが、これからしばらくは顔を突き合わせねばならない相手、以前のように足を引っ張られて仕事に遅れを生じてさせてはならないので、牽制も大事だろう。

 そうしてガレー室長の後ろに控えていた、資材搬入業者を紹介してもらう。彼らのほとんどは昨夜泊まった町の、商会だった。そこに今後は、セシウス=ブラッドさんが加わるのだ。きっと今頃、私からの手紙を受け取ったレリアナが、懐かしい名前を読んで嫌な顔をしているに違いない。


「それでは、殿下からの指示ですので、早速帳簿確認を始めます。王都で預かっていた帳簿は、これから近衛たちが荷下ろしをするついでに運んでもらう予定なので、すぐにお返しできると思います。まずは、ここで最も古い資料から見せていただきましょうか」

「……最も古いというと、百年前にもなる建設当時のものですが?」


 ガレー室長が冗談でしょうと言いたげだったが、イオニアスさんは声音を一切変えずに繰り返した。


「はい、最も古い資料を見たいのです。そう伝えたはずですが、聞こえませんでしたか」

「聞こえましたが……いったい何の参考になるのですか」


 まだ不満を言い募るつもりらしい。相変わらずだなと、私は苦笑する。


「ガレー室長、場所を教えてくだされば私が揃えます。どこですか?」


 するとちらりと目線を送るのは、壁に沿って取り付けられた棚の一番上だった。埃を被っているそれらは、しばらく誰の目にも触れていないのがよく分かる。

 私はそちらを取ろうと背を伸ばすが、とても届きそうにない。近くにあった椅子を寄せて、そこに足をかけようとしたところで、後ろからぬっと大きな手が伸びた。


「ここの一列を全て出せばいいのか?」

「ダンちゃん、ありがとう」

「コレットが怪我をしないよう、僕がついている。計算は出来ないけれど、こういう事なら手伝うから、遠慮なく使ってくれ」


 埃を頭に被りながら、背の高いダンちゃんが次々に書類を束ねた本を下ろしてくれた。それらを一つずつ窓に持って行き、手で埃を払う。

 古いものは紙が黄ばんでいて、所々ネズミかなにかに囓られた跡まである。

 それらをイオニアスさんと二人で順番に並べた。


「さあ、始めましょうか」


 二人で分担して読み解くのは、過去の使われた材料の種類と価格、それらを扱った業者の名前。それから膨大な作業日報。殿下から指示を受けているのは、単純な帳簿不正の洗い出しだけではない。今回の基礎部分の崩落を受けて、資材の中抜きがなかったかの調査だ。そもそもこのリヴァルタ渓谷橋は今回の修復工事以前から、中抜き工事を疑われている。何故なら今回の修復箇所ではない場所の崩落だからだ。もしかしたら、最初の建設段階から中抜き工事をしていたのではないかと、疑惑がもたれているのだ。

 だからそれらの原因を突き止めるために、私たち会計士は帳簿から原因を探る。一方で殿下たちも、最初の事業を推し進めたアルシュ侯爵家の方を調べる。最終的に判断するのは、王都を後発した建築設計局の者たちだ。専門家が到着するまでに、材料は多い方がいい。

 その結果次第で、殿下は工事そのものについて、大きな判断をせねばならなくなるだろう。

 そうして二人で目当ての部分に付箋を挟みながら、帳簿を読み解く作業を続けていると、私たちの詰める会計資料室にハルさんがやって来た。そして私に、二通の手紙を差し出す。


「これから、殿下は橋を渡ったすぐ先の、リヴァルタ寺院へ向かいます。そこに怪我人が収容されていますので、事情を聞く予定です。私たちが到着したら、そちらからレスター卿が戻る予定です」

「レスターは、怪我人の収容に駆り出されていたんですね」


 先に到着していたはずのレスターの姿が見えないことが気になっていたが、近衛として大いに働いているようで安心した。


「今日は殿下は寺院の方へ泊まる予定ですが、コレットさんたちはレスター卿とともに、橋の下にある廃村の方になります」

「分かりました」


 そう返事をすると、ハルさんはダンちゃんに小さな紙を渡す。どうやら王都で待つヴィンセント様に送るものらしい。レスターが戻るまで待ってから、その手紙を荷馬車に連れてきている鳥に託し、放つよう指示をしていた。

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