第七話 馬車の旅といつものやる気
2025.1改稿
王都から南に向かう馬車は、北部の国境の領地ティセリウスへ向かった時よりもはるかに快適だった。もちろん王都を離れるほどに馬車は揺れるし、殿下の大きな馬車ではないからお尻が痺れることもあるけれど、酔うほどのものではなかった。
一番の理由は、街道そのものにある。石畳が敷かれた街道は長年使われて轍が出来ているが、そもそも素材が良質なのだそう。かつて建国の立役者だったアルシュ侯爵へ続く道、そこに王国としての最大限の敬意を払った証。
だが行き交う馬車は次第に減り、リヴァルタ渓谷の通行制限がさらに衰退に拍車をかけている。
馬車に揺られながら、次第に山が近くなっていく景色を眺める。木々は大いに茂り、時折見える谷間の集落はのどかで、秋の空は高く澄んでいた。そんな旅程は一日半、リヴァルタ渓谷への到着は明日の昼頃になる予定だ。
けれども私の気分は、澄んだ空気とはうらはらに沈んだままだった。
馬車の中はとても静か。向かいに座るイオニアスさんは準備に追われて寝不足だったらしく、目を伏せてうつらうつらしている。隣に座るダンちゃんは、元から寡黙な人だ。座席の後ろは荷物でいっぱいだし、ときおり馬車の外、荷台の天井に据えられている鳥かごの中から、伝書鳩の鳴き声が聞こえるくらい。
そんななか、走る馬車の窓を小さく叩く音がした。
窓から顔を覗かせると、併走して護衛頭のハルさんが様子をうかがっていた。
「コレット、体調はどうだい?」
「ありがとうございます、今回は酔うこともなく過ごしていますよ」
「そうか、安心した。だが何かあったら、いつでも遠慮無く知らせてくれ。あと一時間ほどで休憩を取る予定だから」
「はい、分かりました」
護衛頭のハルさんは優しく微笑み、頷いた。けれども彼は先頭へ戻ることなく併走したまま、しばらく私を見て何か言いたげだった。
「……コレット、昨夜のことはエルから聞いた。部下が失礼なことを口にしたのは、私の監督不行き届きだ、申し訳ない」
「ハルさんが謝ることじゃないです、エルさんは冗談を言っただけだって分かっていますから。私、怒っていませんよ?」
「それは、エルにですか? それとも両方……」
「もちろん、怒っていませんよ、エルさんには」
そう言うと、ハルさんはあからさまに狼狽える。エルさんの軽口を謝るついでに、殿下のことも取り繕いたかったのだろう。そういう配慮ができるのは、さすが現護衛官唯一の妻帯者。
ここで意地悪をするとそんなハルさんに申し訳ないので、「冗談ですよ」と訂正する。
「殿下にも怒っていません。確かに、この後に及んで私を遠ざけようとした殿下には、すごく腹が立って残念でしたけど」
「それだけ、貴女のことを大切に思っているのです。それと同時に、戸惑ってらっしゃるのですよ」
「戸惑う……殿下が?」
「対人になると不器用な方ですから、大事にするそのやり方が分からないのだと思います」
なにそれ、子供ですか。
眉を下げて「私がこのようなことを伝えたのは内緒でおねがいしますね」と言うハルさんに、私は思わず吹き出してしまう。
そんな私の様子を見て安心したのか、ハルさんは鐙を蹴って、馬の歩を速ませる。彼は殿下と後ろに続く近衛たちとの連携を担っている。忙しい中、時間を作って様子を見に来てくれたのだろう。
ねえ、殿下。やっぱり私は、一人じゃないよ。今までだって、たくさんの人に支えられて、助けられて今がある。殿下にとって、そういう一人になりたい私を、分かって欲しい。
前方に離れていくハルさんの後ろ姿を見送っていると、ダンちゃんがおずおずと口を開いた
「昨夜、何かあったのは聞いている。そのせいで今朝は元気がなかったのか?」
「……実は、少し喧嘩しちゃった。だって、殿下ってば今さらベルゼに行ったらどうかって言うんだもの」
「そうか……でも殿下は命令したわけじゃないだろう?」
「うん、提案だった。でも腹が立ったから、つい殿下の顔を叩いちゃった」
そう言うと、正面に座って聞かない振りをしてくれていたイオニアスさんが、ぎょっとした顔をこちらに向ける。
「か、軽くですよ、殴り飛ばしてないですからね」
「いえ、そういう問題ではありませんよ……」
眉を寄せるイオニアスさんと反対に、普段から私たちの様子を知っているダンちゃんは、小さく笑っている。
「コレットは、どうして怒ったのだ、やはりベルゼに行けと言われたからか?」
ダンちゃんに聞かれて、私は一晩かけて向き合った自分の気持ちを吐露する。
「さっきもハルさんに言った通り、やっぱり残念だなっていうのが大きかったみたい。私の思っていた理想と、殿下が良しとする私の扱いが違っていたから……だって以前は、頼んでもいないのに殿下の部下として巻き込まれていたのに、いざ一番近くに居てもいいのかと思ったら、逆に遠ざけられるんだもの」
まるで役立たずと言われているみたいで寂しかった。
「コレット、余計なお世話かもしれないけれど……殿下に分かって欲しいことがあるなら、ちゃんと口にした方がいい。殿下はとても頭がいいから、コレットの行動から察してくれることが多いかもしれないが、人はみな同じ経験をしたからといって、同じ気持ちを抱くとは限らない」
「ダンちゃん……」
「殿下は、聞く耳を持たない人ではないし、コレットなりの理由があれば後からだって理解してくれると思う」
「うん、そうだね。ダンちゃんの言う通りかも。ちゃんと話をしてみる」
今回の視察が全部片付いたら。という部分は呑み込んでおくと、ダンちゃんは安心したように微笑む。
うん……今回は別行動だから、話をするのは先になる。しばらく二人で話す機会が持てないのだから、しょうがないよね。
私は私の方法で、殿下の役に立てることを証明するしかない。
悩むのが面倒くさくなったという訳ではない、と思う。
そうして何度か休憩を挟んで、殿下の視察団はその日の宿場町に到着した。既にアルシュ領に入っていて、リヴァルタ峡谷に近い町で一泊する。街道の宿場ではあるものの町はそれほど大きくないので、宿は数軒しかなく小さい。殿下は町長さんの家に泊まり、私たちは宿に分散する。私が泊まった宿にも定番の酒場があり、人で賑わっていた。私がイオニアスさんとダンちゃんの三人で食事を取っていると、自然と人々の声が耳に入るわけで。
殿下の視察団が来ていることから、一番の話題はリヴァルタ橋の事故について。そこから話題は工事自体へと波及していき、最後は責任者であった領主のものへと移っていく。
「そろそろこの町からも、食料の配達は難しくなってきた……資材の方も足りているか?」
「そっちは駄目だ……『中』とまだ連絡が途絶えたままだ」
「とにかく食料だけでも何とかしないと。いつまで保つか……」
聞き耳を立てていたこと気づかれてしまったようだ。
「おい、勘定を」
と話していたうちの一人の男性が宿に声をかけて、他の仲間を立たせて去っていってしまう。恐らく、私とイオニアスさんの制服姿を見て、聞かれてしまうのを恐れたのだろう。
食料と、資材。それから『中』?
「家族か知り合いが、事故で取り残されているのでしょうか……」
「それにしては悲壮感がありませんね。確か崩落事故が起きてから、既に五日が経過しているはず。身内が閉じ込められているならば、ここで話し合っているほど余裕はないでしょう。それにここはリヴァルタ峡谷から近いので、多くの人があの工事に関連して暮らしています。そのせいでは?」
イオニアスさんの言うことは尤もだ。仕事の話をしていたのを、深読みしすぎたのだろう。そう思い直して席を立とうとした時だった。
「コレットさん、ご無沙汰しております」
いつの間にか席の目の前に男性が二人立っていて、その片方が被っていた厚手のフードを脱ぐ
「ラッセルさん、どうしてここに!」
「奇遇にも南部に所用がありまして、近くに来ておりました。部下から手紙を受け取りましたので、今日の内にお会いできればと急ぎ馬を走らせました」
「急いで来てくれたのは嬉しいですけど、そこまで緊急の依頼じゃなかったんですよ?」
立ったままのラッセルさんに座るよう促し、私も席に戻る。
「そうですね、コレットさんの依頼は急ぎではないと聞いています、追加料金はいただきませんのでご安心を」
「そう度々、値切り交渉はしませんよ、さすがに私でも」
そう言うと、ラッセルさんは「冗談ですよ」と爽やかに笑う。
「それで、ラッセルさんが直接来られたのは、どうしてですか?」
するとラッセルさんは、ゆっくり持ち上げた人差し指を、自分の口元に立てた。
私の座る席は、食堂の入り口から最奥、壁を背にしている。ラッセルさんの隣には、身体の大きなダンちゃんが背を丸めて座っていて、ラッセルさんの真後ろには付き添ってきた男性が立ち塞がっている。つまり、今ラッセルさんがしている仕草は、私たちにだけ見られるように隠されている。
私は、ラッセルさんの意図を悟り、黙ったまま頷いた。
「お探しの人物は、コレットさんの予想通りでした。ですがその名を、ここで口に出してはなりません」
「何か、しでかしているわけですね?」
「そうであり、そうではない、今はそのようにしかお伝えできません。ここでは」
煮え切らない言い回しに、私はしばし考える。
ガレー課長の名を出してはならないなんて、それほど恨まれる悪事でもしているのだろうか。いや、彼は小心者だ、そこまで大胆に罪を犯すようなことをしない気がする。
ふと、彼の言葉に違和感を覚える。
「……ここでは?」
この宿の、いま酒場に、彼の仲間がいるからと言いたいのだろうか。
しかしラッセルさんの立てた指の向こうで、笑みが深まる。
私は嫌な予感がして周囲をうかがうけれど、相変わらず食事をしたり歓談したりする人たちに、何も変わった様子を感じ取ることはできない。
「とにかく、ご依頼の件は後日、しっかりと経緯を文書にしてお渡しいたします。それまではお待ちいただきたいのです」
「わかりました、ラッセルさんがそうおっしゃるのでしたら、従います」
元々、急いでいたわけではない。もし本当にガレー元課長がかかわっていたら、注意が必要だなと思ったからで、ここに至るまでの経緯を確認したかった。
役所勤めの会計士は、法に定められた形式と手続きを守らせるために提出された数多の書類に目を通す。不正を暴くには、あらゆる不正に精通していることが必要になる。どうしたら私たちの目を誤魔化せるか、知恵比べのような日々。私たちが通した会計帳簿は、ほぼそのまま受理される。それによって、収める税の金額も決まるのだ。だから会計課に賄賂を持って来る商人は、これでもかと湧いて出る。それを受け流して正しいものを提出させるのも仕事の内だと、最初に上司だった前課長に厳しく指導されたものだ。だがその人の後任としてやってきたガレー課長は、前任者とはまるで違って放置もいいとこ。そして黒い噂が絶えない人だった。
それでも彼は上司。彼の通した帳簿を何度も訂正させたのは、私くらいなものだろう。私が見れていない帳簿の中に、不正が正されぬままに通ってしまったものもあるだろう。事実、レリアナからは何件か不祥事が明るみになったと聞いていたし。
ガレー課長は、私が左遷されたと思った時は、小躍りしたことだろう。だがそれが切欠で悪事がばれて、自分が左遷だ。恨まれている自覚はある。
「ふふふふ」
そうしてやり取りを続けたおかげか、彼のやりそうな手口は、いくつか予測がつく。
反省もなく再び不正に手を染めているのが分かったら、今度こそ容赦なく再起不能にして差し上げようではないか。
私はやる気を漲らせて、拳を握りしめた。
ついでに嫌味やセクハラ、大量に仕事を押しつけられた嫌がらせへの報復を……いやいや、考えていませんよ。
「俄然、やる気になってきました。明日から、頑張りましょうね、イオニアスさん!」
せっかく元気になったのに、彼にはすごく嫌そうな顔をされた。釈然としない。




