第三十二話 提案
食事のあとヴィンセント様が迎えに来て、殿下は休憩も取らずに次の仕事に向かった。
私は広い部屋に一人残され、やることもないので仕事を続けようとしたところに、ジェストさんが迎えに来た。その姿が、いつもの黒が多めの地味な感じではなくて、近衛に近い上質な制服を着用しているのに驚いてしまった。
「どうしたんですか、凜々しいですね」
「王城内だと、本来はこちらの方が目立たないんですよ」
なるほど、言われたらそうかもしれない。
「近衛たちが多くいる場所に近いですから、なるべく素早く移動しましょう。バウアー卿は別の者が連れてくる手はずです」
私は頷き、ジェストさんの後に続いた。
殿下の部屋から出て、長い渡り廊下を行政官たちの執務室が並ぶ中央へ向かう。その手前で中庭に出て、近衛詰め所がある近くに立ち並ぶ建物が、殿下の私財を保管してある金庫棟を含む宝物殿一帯だ。これは警護上、仕方の無い配置だろう。
黙って長い廊下を歩く間に、近衛の制服を着た者たちと何度もすれ違う。同時に、チラリと視線を向けられているのが嫌でも分かる。けれども、先導するジェストさんが殿下から預かっている笏を手にしていることと、私が殿下の紋章が入った包みを携えているおかげで、誰にも声をかけられることはない。
そうして金庫棟に入ると、ジェストさんは私に中で待つように言って、再び外に出た。
今日は厳重な鍵をかけられた更に奥へ入る必要はないので、入り口近くで待っていると、すぐに意外な人物がレスターを連れてやってきた。
陛下の面会時に護衛としてついていた、あの人だ。
どうして彼が? とそう不思議に思っていると、最後に周囲に警戒しながら入ってきたジェストさんと並んだことで、その良く似た顔立ちにどうりで見覚えのある顔立ちなのかと納得する。
「コレットさん、紹介します。これは私の息子の、アレン=エルダンです。陛下の護衛を担当する近衛班を専任しておりますので、かなり多方面に出入りをしても不自然ではないため、今回は協力をしてもらいました」
アレンさんは以前と同じく、固い表情を崩さずに私に会釈をする。
「既にご存知でしょうが、コレット=レイビィです。先日に続いて、お世話をおかけしました」
「コレットさん、私は外で警戒しますので、ゆっくりお話をされてください。ただ、アレンはバウアー卿とともに戻らせるので、そこで待たせることになります」
陛下の専属護衛といえど、彼は近衛籍。どこまで話をしたらいいのか悩んでいると、アレンさんから心配はいらないと言葉をもらう。
「陛下から、どちらにも加担しないと申しつけられております。ここで耳にしてしまったことは、陛下に伝わることはあれど、勝手に近衛関係者、ならびにラディス殿下にも陛下から伝わることはないでしょう、ご安心ください」
「……わかりました。それなら大丈夫です」
私が納得すると、ジェストさんは金庫棟の外に出て行った。
アレンさんは部屋の隅に移動し、私はようやくレスターに向き合った。
「ようやく、話ができたわね。あれからレスターも変わりない?」
「それは僕の台詞だよ、姉さん。ようやく会えた。殿下に酷いことされてない? 体はもう大丈夫?」
私は笑いながら「大丈夫」と伝え、彼に座るよう手を引き、長椅子に並んで座った。
「レスターには、話しておかなくちゃいけないことがあるの。少し長くなるけど、聞いてくれる?」
心配性の弟の負担にならないよう、私はこれまでの経緯を、なるべく軽い口調で話した。レスターは十年前のことを、自分のせいだと思っているから。
あの日、私の説得に負けて、変装した私を馬車に招き入れたのはレスターだった。それだけではない。紛れ込んだ衣装ケースから出して自由にしたのも、しばらくしたら逃げてきた私を見つけて、継母からも必死に隠し帰路につく馬車に乗せたのもレスター。結局、意識のない私を見つけてしまった継母により酷く叱られ、そしてそのまま離ればなれになった。
それを自分に力がないせいだと、ずっと後悔していたのを知っている。ノーランド家が取り潰しになったのだって、養子とはいえ己が幼く頼りなかったからだと……そういう自責の念を、明るい言動の奥に隠しているのを……気づかないわけがない。
「……というわけなの、黙っていてごめんねレスター?」
黙っていたことを詫びるが、レスターの関心はそこではなかったようで。
殿下と宝冠の徴を顕したことにはさほど反応しなかったのに、殿下にあっさり妃になれと言われたところで憤慨し、そして正体を隠しながらも殿下の仮初めのお相手として協力することになったと告げたところで怒りだしたのだ。
「なんで姉さんがそこまで協力してあげる必要があるんだよ。そんな宝冠なんてさっさとぶっ壊して、一緒に逃げよう。そうすればあとは殿下は、誰でも好きな人を選んだらいいんだよ!」
さすが姉弟。同じ発想をするとは。だがそのぶっ壊してという台詞に焦りながらアレンさんを伺うと、彼の眉がぴくぴくと揺れている。
さすがにあの場以外では、禁句のようだ。
「いやいや、壊すのはダメだって。それに逃げたら、犯罪者として私もレスターも追われる身だよ? レスターが犯罪者になるなんて姉さんは絶対に嫌よ。だからそうならないよう、殿下に恩を売って、無事に立太子してもらおうって魂胆なの!」
「そうなの? 僕のため?」
急に目を潤ませてくるレスター。
「レスターもそうだけど、レイビィ家の父さん母さんも、家族全員が一蓮托生だわ」
「うん、そうだね、十年前の因縁より、家族の方が大事だよね」
因縁はちょっと表現がどうかと思うが、レスターの言うことはもっともだ。
「それでね、レスターには味方になって欲しいの」
「いやだな姉さん、僕はいつだって姉さんの味方じゃないか」
「そうじゃなくって、殿下の味方になって欲しいの」
「……殿下、の?」
急にレスターのトーンが落ちる。
「そう、約束してもらったのよ。半年後の式典の頃までに殿下の立太子が確実になった暁には、私は無罪放免ですって。それにレスターが協力してくれるなら、レスターの立場も殿下が守ってくれるって」
「ちょっと待ってよ姉さん。それって殿下の……王位継承が危ぶまれているってこと?」
さすがに脳天気なレスターも、気づいたようだ。
派閥ができあがり、デルサルト卿を殿下の代わりに推す者がいることは知っていても、それでも陛下が血の繋がったただ一人の息子へ、王位を譲らないかもしれないと本気で思う者は少ない。
考え込むレスター。
そしてしばらく後、レスターは珍しく落ち着いた様子で話し始めた。
「実は、視察同行から帰城した次の日に、ジョエル様から呼び出されたんだ」
「……デルサルト卿が、レスターを?」
「突然だったから驚いたけれど、姉さんが殿下の会計士だというのが、ジョエル様にバレてて」
「……そうね、仕事上隠しきれるものじゃないし。それで、いったい何をどうしろって言われたの?」
「どうやら今も僕が姉さんに気があるって思われているらしくて。でもそれは、姉さんをジョエル様から遠ざけるにはちょうどいいし、あえて放置していたからいいんだ。それで僕が本気なら、姉さんの両親にジョエル様から働きかけて、縁談を勧めさせてもいいと。殿下はいずれ廃嫡されるだろう、だから姉さんをそのままにしておくと巻き込まれる……これは僕のためでもあるから考えてみたらどうかと、そう提案されたんだ」
「私が、レスターと? 姉弟なんだから、それは無理よ」
「血は繋がってない。それに戸籍上だって、赤の他人になってるんだから、隠れ蓑にするならちょうどいいじゃないか」
「でも、偽りを通していざ数年後に解消した時に、レスターの評判は落ちてしまうわ。そうなったら、レスターが本当に好きな人と結婚したい時に、障害になってしまう、そんなの私は嫌よ」
私が罪から逃れるために、レスターの人生の邪魔をするなんてあってはならない。だからこの提案はのめないと伝えると、レスターは、悲しそうな顔をする。
「じゃあ、例えばよ? その提案を受け入れたら、デルサルト卿への見返りはなに?」
レスターは首を横に振る。
「どうしてそこまでしてくれるのかと聞いてみたんだ。でもジョエル様は、部下が思い人と結ばれるよう、心を砕いてあげたいんだと」
次期公爵様が、同じく貴族とはいえ末端の男爵家の跡継ぎに?
あの日、一度だけ出会ったデルサルト卿の、人懐こそうでそれでいてどこか読めない表情を思い出す。
「それはデルサルト卿の独断なの? 呼び出されたって、他に直接の上司とかは?」
「いいや、ジョエル様だけだった……いや、そういえば執務室には、ロザン=グレゴリオ将軍閣下もそこに」
「デルサルト卿は、近衛最高顧問だよね。なんで国軍の将軍がそこに同席してるの?」
「いや、よくあることなんだよそれは。デルサルト公爵は、国軍総司令であるし、将来的にはジョエル様がそちらも同じく継がれるのだろうし」
「……軍事は世襲なんですか、アレンさん?」
私は同じく近衛として籍を置くアレンさんに尋ねる。
「規約には、一切そのような定めはありません。ただし、いくつかの家系が主だった役職を得ることは多くなっています」
淡々と言葉が返ってくる。
「僕は殿下のことはよく知らない……だから、姉さんをこんな政治の中枢から助け出すなら、ジョエル様の提案の方が確実じゃないかと思うんだ」
「本当に、そう思う?」
「だって殿下は姉さんを利用する気満々じゃないか、巻き込まれるんだよ? だけどジョエル様はそんな要求をしてきてない。それでいて僕がしっかり姉さんを保護できるじゃないか。それに殿下は本当に約束を守ってくれるの?」
「レスター……」
「殿下の方がずるいと思う。姉さんを駒のように利用して、王位も得て、たぶん姉さんをその後も離さないつもりだよ、きっと」
小さな頃のように拗ねたレスターの顔に、私は思わず笑ってしまった。それにレスターは更に不服そうだ。
「私はね、逃げ足だけは速いみたいよ。だから心配はいらないわ」
「僕はそんな姉さんを十年も見張ってるんだ、僕の予測だって馬鹿にならないと思うよ?」
「そうね、でも人を見る目はまだまだね」
「……姉さんは、殿下を信じてるの?」
「少なくとも、互いの利益と生じるリスクについて、説明してもらってる。でも次期公爵様の純粋な親切心は、身に余るわ。それに彼は、ブライス家の後押しを受け入れている。彼の庇護下に入るということは、再びあなたと私がブライス家にかかわるという意味よ」
レスターは厳しい表情で黙り込んでしまった。
「すぐに答えを出さなくてもいいわ。レスターは私を売るようなこと、しないでしょう?」
「当たり前だよ、姉さんを一番大事に思っているのは僕なんだから」
私はレスターに笑いかける。
「ありがとう、レスター。あのね、明後日はお休みをもらえたの。だから一度、両親に会ってくる。修道院にも行きたいし」
「そうなの? だったら僕も休みを申請するよ」
「だめよ、レスター」
その言葉に不服そうだ。
「今は、どちらにも目をつけられてるの。だからあなたがどちらに付くか決めるまで、関係を秘密にしましょう」
「だから僕は姉さんの味方だってば」
「まあまあ、いいじゃないの。どっちもいいとこ取りしましょうよ。私たちの望みを叶えるために」
「……分かった。でも姉さん、絶対に無茶なことしないでね」
話の切りがついたのを悟ったのか、アレンさんが立ち上がる。そして小さな窓から外の様子を伺うと、頷いている。外のジェストさんへ合図を送ったのだろう。すぐに外から閂を開ける音がする。
促されて、レスターは足早に外に出て行く。アレンさんがその後ろを見守り、小さくため息をつく。
「どうしましたか?」
「いや、少々受け入れがたいといいますか……いつもとは違うバウアー卿の様子が」
「レスターが? 弟は優しい子なので、ちゃんと騎士としてやっていけるのか心配です」
レスターが騎士になって一年、それまでだって職務をこなしていただろうに、いつまでも心配してしまう。
けれども私の言葉に、アレンさんは。
「あなたは騎士団に近づかない方が良い……バウアー卿のためにも」
え? まさかうちの可愛い弟が、苛められてるわけじゃないでしょうね?
そうしてレスターと短い話し合いが終わり、私は仕事場に戻る。
来たときと同じように、ジェストさんに付き添われ、渡り廊下を歩いている時だった。あともう少しで渡りきるところで、私たちは呼び止められた。
「おい待て、ジェスト=エルダン、貴様には聞きたいことがある」
後ろから不躾に呼び止められた。
聞き覚えのない不遜な声音に、いったい誰だろうと振り返る。
とても大柄の、軍服を纏った男性。眼光は鋭く、太い腕、頑健な肩、胸には階級章が三つほどついていて、明らかに関わりたくない地位の人間だ。
私は物々しいその男性の視線から避けるように、ジェストさんの脇に移動する。
「これは、グレゴリオ将軍閣下。今は王子殿下からの大事な任務の途中ですが、なにか御用ですか」
この人が、レスターの言っていた人。
私たちを見るその目が、蔑みの色に見えるのは、気のせいではないんだろうなぁ。
 




