第二十四話 言葉の刃
ガチャガチャと鉄の扉を乱暴に開ける音とともに、ランプの揺らめく光が地下の暗闇を照らした。
淡い黄色の炎が、これほどまぶしいと感じたのは初めてだった。入口は上部にあるらしく、頭上から注がれる光に思わず目を背ける。しかし背けた先、部屋の片隅にさらに目をそむけたくなるものを見つけてしまった。
それは、干からびた何か。動物のようだけれど、ぼそぼそになった毛皮と……骨となった足だろうか?
「意識が戻っていたようだな」
降りてくる足音とランプの明かり。すぐに格子の向こうから、サイラスが顔を覗かせた。そして私を庇うようにして前に出ているレスターとジェストさんを見て、彼は嘲るように鼻で笑った。
「ここは特別な仕掛けがある部屋だ。元々診療所などではなく、処分場だ。野犬や仕掛けにかかって処理に困った猿、大量発生した猫やネズミの。意味が分かるか?」
ジェストさんが、天上を見上げる。つられて見上げた先は、暗くてよく見えないけれども、いくつも穴が空いているようだった。
「そうだ、あそこから毒薬を散布し、ここに閉じ込めた動物を処分するための施設だ。非常に上手く出来ていて、人間は外から管に薬を流せばいい。儂が来た時には既に使われなくなって十年ほどだったが、まだ使えることは確認済みだ」
部屋の隅に転がっている毛皮と骨の正体が、それか。そんな話を淡々とできる老人に、吐き気がする。
「殺されたくなかったら、言う通りにしろ。外では既に助手が薬を流す準備をして、いつでも儂の合図を待っている」
「我々に、何をさせたい?」
ジェストさんが老医師に聞き返すと、彼は微笑んだ。
「察しのいいあんたはここに残れ。そっちの若いの、女を抱きかかえてこちらに連れ出すんだ。外に馬車を用意してある」
サイラスに指名されたレスターは、緊張した声で問う。
「……コレットを、どうする気だ?」
「売るんだよ、その女は金になる。商品に傷がつくと困るからな、そのために動けなくしたんだ。さあお前、縄を解くから手を出せ。ただし余計なことをするなよ、合図をしたら、すぐに薬を散布するよう言ってある」
サイラスは、こちらが既に縄を外せるとは露ほども思っていない様子。
レスターがジェストさんの方を窺うと、彼は小さく頷いた。今は言うことを聞いておいた方がいいという考えなのだろう。とはいえ一刻も早くここを脱出しないと、いつサイラスの気が変わるか分からない。
レスターは指示された通り、格子の隙間から腕と足を出してサイラスに縄を切らせ、自由になる。そうしてから、慎重に私を抱き上げた。
それを見届けてから、サイラス医師はようやく錠前の鍵を開けた。
その瞬間だった。とうに縄をほどいて自由だったジェストさんが、格子に飛びかかり扉を引き開けた。その力の強さに老人がかなうはずもなく、扉とともに牢屋の中に倒れ込む。
レスターは私を抱えたまま倒れこむサイラス医師を避け、私を抱えて飛び出した。
「上にいる助手をまず抑えてくれ!」
ジェストさんの声を背に、レスターが狭い階段を駆け上がる。同時に、サイラス医師の「なにをする、離せ、やめろ」という叫びも続くが、すぐに口を塞がれたのかくぐもったうめき声に変わる。
レスターは私を抱えているのにもかかわらず、飛ぶように階段を駆け上がり、地上に出た。
外の明るさに目がくらんでいる私をよそに、レスターは止まることなく突進する。
「姉さん、しっかり僕にしがみついてて!」
足は動かないが、手は弱いものの力が入る。言われるがまま、レスターの首にしがみつくと、そのままレスターは私を抱えたまま何かに体当たりしたのだった。
「…………っぐ!」
声にならない悲鳴とともに、私を抱えたレスターが地面に倒れ込む。そして壁際に私を横たえると、彼は体当たりした人物の手から、薬瓶らしき物を取り上げた。
相手は、あの時お茶を用意した痩せ細った助手だ。その手にあったのは、サイラスの言った通りの「薬」なのだろうか。茶色い瓶の、中身は不明だ。
そうしてレスターは逃げようとする助手を追いかけ、拘束する。
「レスター、これ使って」
私はまだ自分の手足に残されていた縄を引っぱってほどき、それを投げて渡す。
縄を受け取ったレスターは、私たちがされていたのと同じように、彼女の手足を縛り上げた。
私がそれを見てホッとするのと同時に、レスターは階段に駆け寄り、声を張り上げる。
「こっちは無事、取り押さえました。大丈夫ですか⁉」
すると、それに応えるまでもなく、地下へ続く鉄の蓋がついた穴から、ジェストさんが顔を出した。
「こちらも拘束できました、だがまだ協力者がいるかもしれないので、周囲を見てきます。バウアー卿は彼女を頼みます。彼女に投与された薬の中和剤が、ここにあるか調べましょう」
「分かりました」
ジェストさんが警戒しながら、外へ向かった。
どうやら、ここは診療所の診察室の奥らしい。ジェストさんが出て行った扉の向こうに、見覚えのあるベッドと机が見えた。
「姉さん、怪我はない? 痛いところは?」
「ううん、大丈夫そう」
動ける上半身と腕を動かして、レスターを安心させる。彼は私のすぐ側まで来て、心配そうな顔を見せている。
「ありがとう、あなたを巻き込んでしまったけれど、居てくれて助かったわ」
「姉さん……僕の方こそ。無事で良かった。すぐに安全な場所に連れていくから。そこで医者に診てもらおう」
昏倒した助手以外、私たちの他に誰も居ないせいか、レスターは泣きそうな顔だ。
「怖い目に遭わせちゃったね」
「そうだよ、姉さんを危ない目にあわせること以上に、僕にとって怖いものなんてない」
可愛い弟を慰めようと手を伸ばすと、その手を取られ、レスターは自らの額をそこに添えてくる。
そうして居る間に、ジェストさんが戻ってきた。
「どうやら、他に協力者はいなさそうですね。コレットさん、足の具合はどうですか?」
「……まだ感覚が戻ってないので、歩くのは難しそうです」
しばし考えていたジェストさんだったが、「少し待っていてください」とそう言って地下に入っていく。尋問でもするのだろうかと思っていたら、なんとぐったりとしたサイラスを支え、上がってきたのだ。
そうして意識がもうろうとしているサイラスを柱に縛り付け、ジェストさんはポケットから小瓶を出して、その中身をサイラスの口に含ませた。
すると老人は可哀想なくらい咳き込み、意識を取り戻す。どうやら気付け薬のたぐいらしい。
「彼女に投与した薬の中和剤を教えろ」
「そんなものは、ない」
ジェストさんが彼の頬を打った。その素早く躊躇のない動作に、私は呆然と見守るしかなかった。
サイラスの口の端から血が一筋落ちる。
「嘘ではない、信じてくれ。時間が経てば自然と抜けるし後遺症もない。傷をつけないことが条件だった」
「それは、誰と交わした条件だ?」
その問いに、サイラスは口を引き結んで黙り込んだ。
「何者の差し金だ?」
「い、言えない、殺される」
捕まってしまった以上、罰から逃れられないはずなのに、口を割らないなんて。もしかして、相手がそれなりの地位にいる人間とか……?
でも、こんな人攫いにまさか。
しかしこのまま睨み合っていても、埒が明かない。
「行方が知れない他の女性たちはどこ? それもあなたが攫ったの?」
サイラスは、口をつぐんだまま、首を横に振った。
「じゃあどうして、あなた仮にも医者でしょう!」
するとサイラスは私を睨みつけ、そして縛られた体のことを忘れたかのように、身を捩って叫んだ。
「全ての元凶であるおまえが言うな! 今さらこんな所まで来て、儂を脅す気だったんだろうが!」
突然、矛先を向けられて言葉を失う私に、サイラスは畳みかける。
「あいつはお前を探させていた。他の女たちは身代わりだ、お前が生きているから儂の、女たちの運命が狂ったんだ!」
彼の言葉を、私は飲み込めずにいた。けれども、心のどこかで警鐘が鳴る。私が誰かを知っている、サイラスの言葉は無視することはできなくて……
投げかけられた暴言を頭で整理するよりも前に、側にいたレスターが私の耳を両手で塞ぐ。
そして、叫んだ。
「いいかげんな事を言うな! おまえが人を攫おうとしたことを、どうして人のせいにできるんだ。これ以上……コレットを傷つけるなら僕が許さない!」
耳を塞ぐ手から、私の背を支える体が、怒りで震えているのが伝わってくる。
滅多に怒りをあらわにすることのないレスターを、ここまで怒らせてしまった。優しい弟は、反動で後から落ち込むだろうに。
塞がれたままでも、サイラスが何かを言い続けているのがわかる。でもレスターが聞かせたくないと私の耳に蓋をするなら、聞かないでいようと思った。でも売り言葉に買い言葉で汚い言葉を返そうとする彼を、私はもう止めたかった。だからもういい、そう伝えたくて彼の手に、自分のものを重ねた。
けれどもそれと同時に、ジェストさんが私たちに向かって人差し指を立てて口に当てる仕草をしてみせる。
レスターがハッとして、周囲に耳を澄ましているのを見て、私も息を止めて聞き耳を立てる。
かすかに、馬の蹄の音が聞こえた。しかも複数。もしかしてサイラスの仲間……?
にわかに緊張が走る。
「動かずにここに居てください、様子を見てきます。バウアー卿、無いよりはマシ程度ですが、これを」
ジェストさんはどこで見つけてきたのか、杖をレスターに渡した。
「ジェストさんも、気をつけてください」
その場を離れるジェストさんを見送り、レスターは手に入れた杖の先を、サイラスに向けて警戒している。
サイラスは、しっかりと縛られていて動けないのにもかかわらず。
それを憎らしげにサイラスは睨み返したまま、無言の時が流れた。しかし蹄の音は次第に大きくなっていく。そして診療所の周囲を取り囲んでいるのが分かる。
レスターは杖を持ったまま、再び私を抱き上げた。
「万が一に備えて、しっかり掴まっていて」
「うん……」
彼の邪魔にならないよう、首にしがみついた時だった。
部屋の向こうから、足音がいくつも近づいてくる。そして……
「コレット、無事か⁉」
思ってもみなかった人の声に、驚いて顔を上げると。私の目に飛び込んできたのは、温かい暖炉の炎のような髪に、太陽を思わせる琥珀色の瞳。視察に向かったはずの殿下が、いつにも増して王子様な衣装に身をつつみ、肩で荒い息をする姿だった。
ああ、助けが来たんだ。
彼の顔を見ただけで、張り詰めていた緊張が、全身から溶けていくのだった。




