第二十一話 伯爵令嬢の死
「だって、殿下が交渉すらせずに話を終わらせようとするから……でも次は貞淑な彼女を演じますので、どうかご安心ください」
そう宣言して難を逃れようとしたが、あえなく撃沈。
「その設定はもう終了だ、次はない」
「え? でもこの後もたしか、まだ人に会うんですよね?」
「ああ、それはただ話を聞くだけだ、細かい設定は必要ない」
「なあんだ、この後もまだ続くのかと思ってました」
ほっとしたら、小腹が空いてしまった。お品書きを見て、珍しい品が置いてあるのに気づいて、衝立の隙間から店員さんを呼ぶ。
「すみませーん、このブルグル漬けください」
「おい、それは強い酒で漬けたものだぞ、止めておけ」
殿下が知っているのには驚いたけれど、そんなことは承知の上だ。
「これ、大好物です。それに私はお酒には強いから心配いらないです……あ、もちろんこれは自分で支払いますよ」
「そういうことを言っているのではない」
すぐに店員さんが持ってきてくれた漬物を口に入れる。ぎゅっぎゅと独特な歯ごたえのある瓜を、度数が高い特別なお酒で漬けたものがブルグル漬け。喉を瓜が通ると、度数高めの酒で熱くなるのがまた格別。
好物にありつけてほくほく顔の私に、殿下は呆れた様子だ。
「それは王都には入ってこない、ティセリウス領特産だろう。よく知っていたな」
「はい、母が好物だったので」
「お前の母も王都の出身のはずだろう、漬けるための酒はベルゼ王国の特産で、そのためにここでしか作られない」
単純に疑問に思ったのだろう、だが殿下のその言葉に私は内心、しまったと焦る。このブルグル漬けが好きだったのは、産みの母だそう。もちろんそれを教えてくれたのは今の両親だが。
「ええと、母の勤める食堂では、珍しい食べ物を仕入れて出すようです」
母さんが買ってきてくれるのは食堂経由で、これは嘘ではないが、あまり余計なことを喋らないようにと改めて自分を戒める。
そうしていると、衝立の向こうから声が聞こえた。
「探していた人物をお連れしました」
いつもの護衛さんだった。その護衛に殿下が頷くと、後ろに控えていた人物が中に招かれる。
現れたのは一人の年老いた男性で、灰色の髪に白髪が多く混ざり、身なりは気にしないのか裾の汚れた大きめな上着を着ていて、木箱の鞄を抱えていた。しぶしぶといった素振りで入ってきて、護衛に威圧されるような形で椅子に座った。
彼はいったい誰に呼ばれてここに来たのか、知らないのだろう。薄い青の瞳はまっすぐ殿下を見つめ、不当な扱いに負けじと口を引き結んでいる。
「夜遅くに呼びつけて悪かった、往診の帰りか?」
殿下のその言葉に、老医師はより眉間の皺を深くした。
「昨日からうちの診療所の周りを男がうろついていたのは、あんたの指示か?」
「ああ、確実に今夜、会えるように見張らせた。だがそれだけだ」
「それだけであるものか、うちは心を病んだ者も預かっている。僅かな変化にも敏感なんだ、おかげでパニックになるところだったんだぞ。事なきを得たからいいものの、患者を死なせたらどうしてくれるんだ」
殿下は驚いたような表情を浮かべ、そして素直に謝った。
「配慮を欠いていたことは謝罪する。迷惑料は寄付という形でいいか」
「謝られても時間は巻き戻せない。だが薬代はありがたく貰っておく。それより、用件はなんだ。手っ取り早く済ませてくれ」
どうやら、一筋縄ではいかない相手らしい。私はそんな二人の様子を見ながら、寄付の額を予想し、持ってきていたお金の計算をする。
医師の要求通り、殿下は早速用件に入るようだ。
「十年前、王都で働いていたらしいな。そこで診た患者について、知っていることを教えてもらいたい」
「……患者のことを?」
「ああ。行方不明の少年を探している」
「診たのは十年前? なら期待しないでくれ。儂は貴族相手の診療を主にしていた。そこで診た患者のことを不用意に喋ることはできない。それが例え、雇い主の屋敷に勤めていた使用人であろうとも。そういう契約だ」
「承知の上で、頼んでいる」
真剣な面持ちで、殿下は老医師にそう言う。
だがしばらく老人は口を引き結んだまま、膝元に視線を落としている。喋るのだろうか。あの日のことを。私は彼の言葉を、何が語られるのかを、固唾をのんでただ待つしかできなかった。
『──父さん、十年前のあの日、私になにがあったのか教えて』
殿下から聞かされた十年前の出来事と、私の記憶の齟齬。殿下と再会してそれを知ってすぐに、私は父さんを問い詰めた。
宝冠に触れたあと、激しい頭痛に襲われたのは、あの宝冠から鐘のような音が頭に響いたからだとばかり思っていた。けれども殿下の言う通り、頭に出血を伴う怪我を負っていたのなら、曖昧だった記憶やその後何日も寝込んでいたことに筋が通る。
『父さんと母さんはあの日、大怪我を負って意識を取り戻さないコレットの姿に、生きた心地がしなかった』
その言葉で、殿下の言ったことが真実だったのだと知った。
でもそれが本当なら、どうしてそのことを教えてくれなかったのかと問うと。父さんは酷く辛そうな顔で……その時の光景は、今でも父さんたちの脳裏に焼き付いていること。それを思い出すたびに、二度と娘を失いたくない、そんな思いにかられると教えられた。
その頃は既に、父さんと母さんは実の娘のコリンを亡くしていた。その失意から、伯爵家の家令を辞めて街に移り住み、商家など相手の会計士を始めてまだ間もなかった。そこに幼い頃から娘と同様に成長を見守ってきた私が、大怪我をして運び込まれたのだ。その驚きとショックはいかほどだったろう。でもだからこそ、父さんと母さんは寝るのも惜しまず、私を看病してくれたという。もう二度と、幼子の命が失われないようにと。
そしてその私を診てくれたのが、当時伯爵家の主治医として契約をしていた……確か名が、サイラス……
「サイラス=ディカヴール。これは王国の未来を左右する案件だ」
殿下がいつもの威圧感を遺憾なく発揮する。何が変わったわけでもない、服もそれまでと同じく平民が着るもののままだし、上質なローブを羽織っているわけでもない、ましてや王冠を被っているわけでも、勲章を胸に並べているのでもない。それなのに、殿下はやはり殿下であることに、私は驚きをもって見る。
それは老医師も同じだったのか、表情は変わらないものの額に汗を滲ませている。
そして根負けしたのは、当然ながら医師のほうだった。
「探しておられるのは、どのような人物でしょうか」
絞り出すような声に、殿下は静かに返す。
「十年前の春に、頭部に傷を負った、約八歳くらいの少年を探している」
ええぇ⁉ と、横の殿下を振り返る。私、十の誕生日を迎える頃だったんですが。
「髪は金髪で短かった、瞳は薄い紫、細く華奢な少年だ。側頭部に打撲による裂傷を負い、かなり出血をしていたはずだ。恐らく、縫合も必要だっただろう。王城に入り込んでいたのだから、恐らく貴族家の使用人かと思われる」
それを聞いて、老医師はしばし考え込む。
「少女ではなく?」
そう聞き返す医師の言葉に、私の心臓が跳ねる。い、息が……落ち着け私。
殿下はサイラス医師の問いには、首を横に振った。
「髪が短かった。さすがに使用人の子とはいえ、女児の髪を切るなどありえないだろう」
そうだ、きっと人違い。と口から出そうになったが、慌てて飲み込む。そして誤魔化すように、ブルグル漬けを口に入れて、その酒の強さに咽せた。
げほごほと咳き込んでいると、殿下に「うるさい」と叱責される。
涙目になって「すみません」とヴィンセント様から水を受け取る。
「……あ、そういえば」
そう呟いたのは、老医師のほうだった。
「どうした? なにか思い出したのか?」
促す殿下の横で、私はある意味諦めのような、自暴自棄のような気持ちが募っていく。
だがサイラス医師は、しばらく視線を泳がせた後に、こう告げた。
「いえ……同じ、金髪と紫の瞳の少女でしたら、治療をいたしました。頭に傷を負い、急ぎの治療をと呼ばれ、縫合をしております。年は十歳だったはず、とても華奢なお嬢様で、八歳と見られてもおかしくはなかったかと」
「少女……? だが、そんなはずは」
「髪が、短く切りそろえられていました。年齢の割に細く成長も悪く、恐らく……何らかの虐待を受けていたのでは」
明らかに動揺している、殿下。
そんな殿下の代わりとばかりに、後ろから身を乗り出したのはヴィンセント様。
「これは非常に重要なことです、その少女はどこに? 名前を憶えていますか?」
その問いにサイラス医師は、首を横に振ってみせる。
「残念ながら、治療のかいなくお亡くなりになられました。その場で私が、死亡診断書を書きましたので間違いありません」
殿下、ヴィンセント様ともに、言葉を失っている。
でもどういうことだろう、と私も混乱している。私の治療をしたのは、このサイラス医師ではなかったのかしら……いいえ、父さんからコレット=ノーランドの死は、正式なものとして処理されているとも聞いている。医師が診断書を書いているのは事実だろう。
じゃあ、このサイラス医師が診た少女というのは、また別人?
「それで、その治療した少女の名は?」
「コレット=ノーランド伯爵令嬢です」
「コレット、ノーランドだと……?」
殿下が呟くように繰り返し、私の方をチラリと見る。
いや、うん、よくある名前。だから、そのまま使っているけれど……
「しかも伯爵令嬢だというのは、間違いないか?」
「はい、契約を交わした家のご令嬢でした……ただ、診たのはその時のみです」
「ヴィンセント、再調査だ。ノーランド家は確か、あの日は養子の息子を登城させていたはずだったが、容姿を確認後にリストから外していたと記憶している。だが嫡子である令嬢の死で爵位返上し、今はないはずだが」
「はい、その通りです……ただ、令嬢の死はそれより前だったことが判明し、少々もめた記憶があります」
「墓を暴く、場所を特定しろ」
その言葉に、私は驚きのあまり考えるより先に声を上げていた。
「墓を暴くって、正気ですか?」
つい口を出してしまい、しまったと思うが後の祭り。けれども私の反応は一般的にも、正しいはず。証拠に、サイラス医師も険しい表情だ。
「コレット、この件におまえは口出しするな。暴くといっても、本当に亡骸が収められているのなら、無碍にはしない」
「コレット……? あなたも、コレットというのか?」
サイラス医師は驚いたように私を凝視する。しかし私は今語られている伯爵令嬢であることを悟られないように「奇遇ですね、ふふふ」と返すしかない。
「ノーランド伯爵家とはどれくらいの期間、契約を結んでいたのだ?」
「私は、半年ほど……ご当主様が亡くなられてからでした。後妻に入られたリンジー様の生家、ブライス伯爵家の紹介です。ブライス伯爵は、ここティセリウス伯爵とも懇意だそうで、お取り潰しになったのを機にここへ越してきました」
「名の上がる家名はすべて、デルサルト公爵家の派閥だな」
殿下の呟きに、苛立ちを感じる。
けれどもそれも一瞬で、殿下はひとつ頷き、私に革袋を出すよう指示する。謝礼を渡すのだろう、ポシェットを開けようとすると、それをサイラス医師が制止した。
「その金は、明日、診療所まで直接届けていただきたい」
「……なぜだ?」
「いえ、あなた様はご存知ないでしょうが、この辺りは近年、とても治安が悪くなっています。私のような老人は特に金目のものを奪おうと狙われやすい。ベルゼ王国の者が入り込んでくるようになってから、特に。私に何かあれば診療所は立ち行かなくなるのです」
そこまで治安が悪いとは。
すると殿下はそれを承知し、明日には届けさせると伝え、サイラス医師を解放した。
気づけば日付が変わる時間だ。用が済んだので早々に領主館に戻るため、私たちは酒場を後にした。
夜風は冷たくなっていて、頬に当たると気持ちが良い。安心したのもあって、酔いが回ってきたのか歩きながらふわふわしていると。
「ところで殿下、明日は診療所まで、誰に向かわせましょうか」
「そうだな……護衛のうち、手薄なのは」
「はいはいはーーーい! 私が行きます!」
手を挙げて立候補すると、殿下がうさんくさいモノでも見るかのような目を向けてくる。
「だって、殿下は伯爵と領地の視察がびっしり入ってるじゃないですか、護衛もそのために交替で空きがないですよ。その点、私はもう暇ですから」
「だが、あの男は信用が足りるかまだ判断がつかない」
「大丈夫ですって、値段交渉はまかせてください」
自信満々に胸を叩くと、殿下は小さく首を横に振る。
「そういう意味じゃない。まったく、おまえは……ヴィンセント、人選は任せる。一人、道案内をつけておけ」
「承知しました」
ということで、私がサイラス医師の元に寄付金を届ける役目を、請け負うことになった。
十年前の少年がノーランド伯爵令嬢である可能性が浮上したものの、私がそのコレット=ノーランドであることを、とりあえず殿下に知られずに済んだ。けれどもいつサイラス医師から、私がそのコレットだと知られるかわからない。彼が気づいたのか確かめ、どうにかして口止めをせねば。




