第二十話 尻に敷かれよ
それから順調に旅を終えて、予定通りの時刻に使節団はティセリウス伯爵領に到着した。
領主館は驚くことに頑強な砦のごときお城だった。かつて隣国との小競り合いのため、前線の砦として実際に使われていた、歴史ある建造物だそう。その城を改装して、代々伯爵家の屋敷として使われている。その城下には王都には比べるべくもないけれど、活気ある街が広がっており、近年の交易によって発展著しい土地だ。
領主館への道すがら、殿下の視察団がやってくることは周知されていたのだろう。街道で歓迎を受けていて、酔い回避のためだけに殿下の馬車に同乗していた私は、肩身が狭い思いだった。
とりあえず、領民には殿下は人気のようだ。一応、部下としては一安心。
領主館に到着すると、殿下とヴィンセント様はすぐに、ティセリウス伯爵に出迎えられて、屋敷の奥に連れられていってしまった。
ティセリウス伯爵は、お年を召しているようで白髪の、恰幅の良い男性だった。穏やかな表情を浮かべて殿下のみならず、使節団の面々にも旅の疲れを労る言葉をくれた。それなりに長く辺境を守ってきただけはある、堂々とした所作の人に見受けられた。
あの人が、お母様の養父。そう思って遠くから眺めるものの、まったく何の感慨も湧かない。母の記憶ですら微かなのだから、それもそうかとすぐに思い直す。
それから私たち使用人には、各部屋が案内された。三泊と短いとはいえ殿下が滞在するには、それなりの荷物を持参している。私もアデルさんたちを手伝って荷下ろしに加わった。彼女たちの手際の良さに私の手が加わるといっても、さほど手伝いになったかは分からないが。それが終わると私たちにも歓迎の食事が用意され、各自お腹を満たした。どうやら近衛たちは、領兵たちの方にお世話になるらしく、滞在場所は離れているのでホッと胸を撫で下ろす。レスターには悪いが、逃げ場の無い視察中には顔を合わせることは、やはり避けるべきだ。
「コレットさん、こちらへいらしてください」
食事が終われば私にやることはない。殿下と合流する待ち合わせの時間まで、本でも読んで時間を潰そうと思っていた矢先に、アデルさんに手招きされた。
請われるままに後についていくと、アデルさんたちにあてがわれた部屋にやってきた。そこで簡素なワンピースを差し出される。
「殿下から指示を受けております、こちらを着て町娘らしく髪を整えましょう」
食事の合間に護衛の一人が用意してきたのだという。そのワンピースに着替えると、私を椅子に座らせてアデルさん自ら、髪を櫛で梳かしてくれた。
「コレットさんの髪は、とても華やかですね。いつかこうして編み上げたり、飾ってみたかったのです」
意外なことを言われ、驚いていると。
「私は殿下にお仕えして長いので、かつて習った腕を披露する機会がありませんの。子供たちも男ばかりで……」
「ああ、侍女の皆さんは貴婦人の衣装や髪を整える訓練を受けているんでしたっけ」
「はい、飾り立てるお手伝いが好きなんですよ」
アデルさんはいつも表情を崩すことなく、淡々と仕事をこなす人なのだけれど、今は分かりやすく笑みが浮かんでいる。案外、可愛い人なんだな。
ゆるくくせ毛の入る私の髪を、丁寧に両サイドのみを編み込み、ぐるりと巻いて小さくまとめてくれた。そこにリボンを結び、後ろ髪はいつもと同じく下ろしたまま。前髪を少しなでつけて可愛いピンで止めると、幼すぎず働き者の町娘らしくなった。
「どうでしょうか?」
「うん、素敵になりました。ありがとうございますアデルさん」
「殿下の瞳は金ですので、指輪は変えなくても大丈夫そうですね」
ふと指を見る。何気なく金額で選んだ金細工の指輪だけれど、そう言われるとまるで殿下の瞳に合わせたように見えなくも無い。
私は肩からななめにかけられるポシェットを用意して、その中に仕事道具のノートと筆、それからずしりと重い金貨の入った革袋を入れる。そうしてから地味な上着を着ると、すっかり仕事帰りの町娘だ。
準備を終えてしばらくすると、顔見知りの護衛が迎えに来た。彼に連れられて、私は待ち合わせ場所へ向かう。同時にアデルさんたちは、殿下の就寝の支度を手伝う振りをする名目、つまりアリバイ工作として殿下の部屋に向かった。
しばらく暗い廊下を進むと、使用人たちが使っているという通用門にやってきた。そこには既に、簡素な服を着た殿下とヴィンセント様がいた。
「時間だ、急ごう」
私を見ると、殿下はそう言って門をくぐった。
殿下と護衛を先頭に、私とヴィンセント様が続く。夜も遅いが、使節団を迎えた領主館は、使用人たちの行き来が絶えない。きっと明日の朝の準備のために、人の入れ替えがあり却って目立たない。とはいえこちらは初めてのことでビクビクしているというのに、殿下たちの慣れた様子だ。今までも、こうして密かに行動することがあったのだろうか。だとしたら、なんて王子様だ……
「あそこが、熊の子亭か」
王城と違って、通用門をくぐると細い路地が続き、そこをしばらく歩くとすぐに街に出た。繁華街のようで、いくつもの酒場や宿屋が軒を連ね、人で賑わっていた。
お店を前に、殿下は足を止めて護衛に指示を出す。それを受けて護衛は店の入り口が見張れる向かいの酒場に入る。それを確認してから、殿下は私に向き直る。
「コレット、仮の名は覚えたか?」
目の前の殿下はたしか……
「ロイドさん? ですか」
「疑問形にするな、それでこっちは?」
ヴィンセント様を指差すので、「彼はヴィクターです」と答えると、頷く。
「俺は小さな商店の三男、コレットとは結婚を誓い合った仲だ。コレットはそこの下働きで、反対されていっそ隣国へ逃れて一緒になることを希望。ヴィクターは幼なじみの使用人、協力者だ。頭に入ったか?」
「……なんとなく」
「おまえは喋らなくてもいい、俺の言うことに頷き肯定するように」
わお、殿下の「俺」呼称は、元から滲み出る俺様度がさらに増して、とても小さな商店の三男には見えない。だがそれを指摘してしまうと、話が長くなるに決まっているので、頷いて肯定しておく。
ふと殿下から手を差し出されて、なんだろうと首を傾げる。
ああお金の袋を出せと言われているのだと気づき、ポシェットをまさぐるとその手を取られた。
「早くしろ」
「わあ」
しっかりと手を握られて、しかも指をからませの手つなぎ。驚いている間に引っ張られて、酒場ののれんをくぐった。後ろからついてくるヴィンセント様が、苦笑いを浮かべている。
殿下が店主に何か言伝をすると、しばらく後に奥に通された。恐らく、この店も承知で不正の片棒をかついでいるのだろう。交易が盛んになってきているとはいえ、密入国はかなりの額の罰金刑。場合によっては牢屋行きだ。
案内された先は、王都のカフェにはほど遠い、薄汚れた個室、というより衝立と柱を利用した程度の狭い空間だった。そこには既に、一人の男が酒を飲んでいた。
「約束の時間通りだな、いいだろう座ってくれ」
意外と若いその男性は、私と殿下を向かいに座らせた。そして連れてきた店主に、酒を追加で出すよう伝えて、殿下……いや、ロイドに勧めた。後ろに立つヴィクターをちらりと見やり、慣れているのか特段彼について何も言わずにいた。
ロイドは出された酒を一口だけ飲み、早速だが……と話を切り出す。
「彼女と二人で、ベルゼ王国に入りたい。いくら出せば都合つけてもらえる?」
「おいおい、単刀直入だな。あんた身なりはいいようだが、世間知らずの坊ちゃんか? ……まあいい。きっちり金を払ってくれりゃ仕事はする。だがこっちも命がけだ、一人金貨二十枚でなら引き受けてもいい」
「足元を見るつもりか? こちらでも下調べくらいはしてある。金貨十枚が相場だろう」
ロイドがそう言うと、男は悪びれる様子もなく、酒をあおると杯を机に音を立てながら置いた。
「取り締まりが厳しくなっているのを知らねえのか? その程度の覚悟なら、話はここまでだ」
「いや、待て。二十枚は用意するその代わり……」
言いかけたロイドを制して、私は口を挟む。
「二十枚だなんてダメ、二人で四十枚だなんて暴利です。金貨十二枚でしたらどうでしょう!」
そう交渉をすると、横に座るロイドが目をひんむいてこっちを見た。
いや、値段交渉は話を長引かせる手でしょうが。二十枚言い値で出したらそこで話は終了ですよ!
そう心の中で突っ込んでいると、声を出して笑ったのは、仲介業者の彼のほうだった。
「なんだ、幼顔の恋人の方が、よほどしっかりしてるじゃねえか」
「向こうに行っても何かと入り用ですので、無一文では行く意味がありません」
「いいだろう、こういう強かな女は嫌いじゃ無い。金貨十八枚で手を打ってやる」
「十八枚だなんて、しみったれた値引きじゃ、男が廃りますよ。十三枚でお願いします」
「いいや、それじゃ経費にもなりゃしねえ。十七枚だ。あんたその髪と瞳の色、ベルゼ王国の方の血を引いてるんじゃないのか? 向こうに伝手がある奴に、これ以上はまけられねえ」
「いいえ、私は純粋にフェアリス王国の者です、まあ容姿で誤魔化しようがあるので助かりますけど。だから十四枚で」
「あんたぐらい口が立てば、どんな商売だって何とかならあ、よし一人十五枚で手を打ってやる。その代わり、ここの酒代全額出せよ」
「ええぇ、どれくらい飲み食いしたんですか?」
「ケチ臭いこと言うなよ、ここに並んだ分しか頼んでないって」
「わかりました、じゃあ交渉成立で!」
気持ちよく交渉を終えて大満足で横を向くと、なぜか頬をひくつかせる殿下が。
「か……勝手に決めてしまいましたが、どうでしょうロイドさん?」
殿下が目を伏せ、小さくため息をつく。そして
「いい、その値で頼もう」
すると仲介人の男が大笑いをする。私と殿下を見比べて、ひいひいと苦しそうだ。
「いい女捕まえたじゃねえか。あんたは顔がいいから、行く先々で女が声かけてくるだろうけど、そういう女は金がかかるばかりだ、だがこの嬢ちゃんならどこ行っても生きていける。このまま尻に敷かれておくんだな」
なんだか気に入ってくれたみたいなので、勧められるままにお酒をいただく。
ちょろちょろと舐めながら、出された料理にも口をつける。味付けはしょっぱいから、酒飲み用だ。そうしていると、殿下も必要なことを聞き出す。
向こうに行くための心づもりという前提で、こういった依頼はどれくらいの頻度なのかとか、やはり水が合わず戻って来る者はいるのかとか、そういったこと。それから密入国に失敗したことはないのかなど。
だが男は国境を渡す手段に自信をのぞかせるものの、客たちのその後には関心がないようだった。それは金儲けとしか考えていないことの現れのような気がしてならない。
そうしてひとしきり聞き取りを終えて、ここの酒代と前金の金貨十五枚を渡す。すると男は決行の日時と待ち合わせの場所を告げて夜の街に消えていった。
静かになった個室で、不機嫌そうな殿下と、笑いを堪えたように口元を手で覆うヴィンセント様、それからつまみをちびちびと口にする私が残されているわけで。
「おまえには喋るなと、言ったはずだったが」
……ええと、説教タイム開始の鐘が鳴ったようです。




