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王子様の訳あり会計士  作者: 小津 カヲル
その後の番外編

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庭師とひだまりととびきり苦い記憶

コミックス2巻発売しました!

 忙しい用事の合間にほっと息をつけたのは、穏やかな色彩の庭が目に入ったからだった。

 滞在していたベルゼ王国から半年後、故郷であるフェアリス王国に戻ってきている。身分はベルゼ王の王族の一員、そしてフェアリス王国の王太子となったラディス殿下の婚約者。

 そんなこんなで戻って来て以降、私の予定はぎっしりと詰まっていて気を抜く暇がない。

 原因は、私が知らぬ間に決定していた結婚式の予定日のせい。なんと帰国してわずか半年後……。

 すべての元凶である婚約者ラディス殿下はというと、文句を言ったら謝ってくれたものの……けれども同時に、涼しい顔で私に「いちいち登城するのも大変だろう、大切な客人として王城に住処を用意してやった」と言ったのだ。

 そんな訳で、私は迫る日のために王城に暮らしながら、忙しく奔走している日々。

 今日はというと、王城の中央政務棟にある会計局を訪れて、新しく手にいれた身分……コレット=フェルミーネ=ベルゼとしての財産目録作成のための手続きを済ませてきた。顔見知りもいて少し余計なお喋りをしつつだったので、久しぶりに楽しかった。

 いっそ会計局に部屋を作ってもらおうかと思ったくらいだったけれど、そこはイオニアスさんから適当にあしらわれて追い出されてしまった。仕方がないので、次の予定に向かう。

 政務棟から中庭を通り、ラディス殿下の執務室に呼ばれて向かっているところだ。


「……良い風」


 一陣の風が吹き抜けて髪をゆらし、じんわりと滲んでいる汗がわずかに乾く気がした。庭に目を向けると、色鮮やかな美しい庭が広がっているし、自然と足を止めて風を受けていた。

 ベルゼ王国の王族の一員として戻った以上、私は今もベルゼ風の衣装を着用している。薄地の布を使っているから涼しげではあるものの、そのせいでスカートの下にもズボンのような履き物が必須となり、今日のように日差しが強い日はそれなりに暑い。コルセットが必要ないのは大変好ましいのだが、あちらを立てればこちらが立たず……といった具合だ。


「……ちょっと休憩しても、許されるよね?」


 勝手な言い訳を口にしてから、周囲をキョロキョロと見回す。中庭通路の入り口には警備の人影が見えるが、ちょうど良いことに背を向けていた。誰の目もないのをいいことに、手摺りに手をかけてからひょいと壁を飛び越える。


「おっと、危ないよ」

「え? わっ!!!」


 のんびりした声がして反射的に振り向いてしまったがゆえに、体重を支えていた手を滑らせて尻餅をつきそうになった。

 そんな私を支えてくれたのは、庭師のマリオさんだった。


「あ、ありがとうございます……あはははは」


 改めて人がいないか周囲を見てから、笑って誤魔化す。


「マリオさんもここで休憩ですか?」

「ええ、ここは人目を遮る壁と、その下に隙間があるので良い風が入るんですよ。休憩にちょうどいい場所ですし……他に誰もいませんから安心していいですよ、コレット姫」

「わ、姫なんて呼ばないでください、前と同じで『さん』付けでお願いします」

「でも、王太子殿下の婚約者様でもありますし」


 マリオさんを困らせたい訳ではない。ならばと提案してみる。


「私も今から休憩しようと思ったところだったんです。だからこの休憩中だけ……駄目ですか?」


 人の良いマリオさんは苦笑いをしつつも、私の方に小さな足踏み台を寄せてくれて、そこに大きめの布をかけてくれた。


「ならば一緒に休憩をする間だけということで……どうぞコレットさん」

「わあ、ありがとうございます!」

「殿下には内緒ですよ」

「もちろんです!」


 こうして庭の片隅で隠れるように休憩を取っていることが殿下に知られたら、また雷を落とされかねない。

 それを差し引いても、この中庭の景色と吹き抜ける風の気持ちよさは、魅力的すぎる。それは隣で腰を下ろす老庭師の働きのおかげだ。それは十年……ううん、もう十一年前になるかしら、あの日から変わらない。


「良かったら、飲みますか」


 そう言って差し出されたのは、マリオさんがよく持ち歩いている水筒。


「はいぜひ」


 まだ今日は使っていないから綺麗ですよと、自前のカップを差し出してくれた。それに注がれたのは、ほんのりと薄緑色に染まったお茶。私はそれにピンときて、目を輝かせる。


「もしかしてこれ、キュリロス茶ですか?」

「よくご存知ですな」

「大好きです、あまり知られてないのが残念ですけど、爽やかで美味しいんですよね。さすが庭師だけあって、ご存知なんですね」


 柑橘系のような爽やな香りがするハーブティー。一口飲むと、想像していた通りの酸味とほんのり感じる甘みが、汗をかく季節にはちょうどいい。

 すぐさま二口目を含むと、マリオさんがとても嬉しそうに微笑んでいた。


「今よりずっと若い頃に、儂もこれの存在を教わりまして……それ以来、こうしてよく作って飲むようになりました」

「へえ、造園の先生ですか?」

「いいえ、素人の方でした」


 マリオさんが遠くを見ながら目を細める。

 それは大切な思い出なのだろうか……。そう思って深くは追求しないでおこうと、話題を変える。


「王城の庭って、樹木が多いですよね。野草にも観賞にふさわしいような美しい花を咲かせるものもあるのに、どうして植えないんですか?」

「ああそれは……古い慣習からきていまして。樹木もそうですが、よからぬことに使われないよう、持ち込める植物を限定していた時代があったのです」

「よからぬこと……もしかしてそれって」


 薬効のある植物は、量をや配合を工夫すれば毒にもなる。


「そう、もし王城に根に猛毒をもつ花を植えて、それを誰かが引き抜いて食事に混入したとしても、原因をつくった庭師も同じように責任を負わせられる。古い法律ですが、確かまだ残っていたはずです」

「法律で罰せられるんですか?!」

「薬草学の知識が充分でなかった頃に作られた、苦肉の策の法律でしょうね」


 言い換えれば、それだけ暗殺を企てる者がいたということで。

 いや……殿下もまた毒を盛られたのは記憶に新しい。だから植えられる植物は限られているのか。

 それでも宝冠の庭に咲き乱れる薔薇は、いつも見事で素晴らしい。限られた植物でも、庭を極上に彩る庭師たちの腕は、素晴らしい。


「しかし今は、かなり制限を緩めてくださって……そうそう、このお茶に使ったキュリロスというハーブも、王城の庭で作ったもので……」

「えっ、王城内で?」


 驚いてお茶の入ったカップを見下ろすと、マリオさんが笑いながらそばにあった篭を引き寄せて見せてくれた。


「剪定仕事の帰りなんですよ」

「へえ……そうだったんですね、あ」


 再び爽やかな風が吹き、篭に入っていた葉がいくつか散ってしまった。

 足元に来たそれを掴んで持ち上げると、見覚えのあるものだった。

 改めて篭の中を覗くと、そこには剪定をして落とした枝や葉が入っていた。生け垣に使われている細葉に混ざって、見覚えのあるハーブが見えた。キュリロスだけでなく安眠に効くものや、肉料理に使える臭み消しに使うものまで様々だ。

 キュリロスと、それから疲労と重圧や抑圧からの緊張をほぐす効果のあるリンデッサという葉を選んで手に取る。


「すごい、色んな種類を植えているんですね、王城のどこに畑があるんですか?」


 興味津々で尋ねると、思いもよらない返事が返ってきた。


「国王陛下のお住まいになる棟の庭だよ。お世話も頻繁ではないけれど、陛下と王妃様がなるべく自ら手をかけていらっしゃる」

「ええ?」


 意外な場所で思わず大きな声が漏れた。


「意外かい?」


 微笑みながらマリオさんが聞いてくるので、素直に二度三度と頷く。


「ハーブはどれも素朴な姿形をしているからね、そう思うのも無理はない。けれども、その素朴さがゆえに、惹かれるものがあるのかもしれないよ」

「そ、それは確かに……」


 国王陛下はまさに王様って印象で、仏頂面した殿下よりも穏やかそうなのに、近寄りがたい威厳がありまさに『王族』然としている方。そんな人が庭いじりをしている姿なんて……上手く想像できない。


「意外でしたけれど、こうして見てもちゃんと手入れされているのが分かります。篭の中にあるハーブは、どれも青々として健康そう。枯れたり病気になって枝を落としたのではなく、茂りすぎて手を入れたというものですよね」

「物知りですね」

「母が……ええと、生んでくれた母ですけどね、その母がとても薬草について詳しかったので、ノーランド伯爵家の庭にもハーブ園がありましたから」

「……そうですか」


 私は手にしていたキュリロスの葉を一枚取って、口に入れる。

 お茶にするよりもずっと濃い酸っぱさが、口いっぱいに広がって「んんん~」と足をばたつかせながら肩をすぼめる。

 マリオさんがそんな私を見て笑い、目を細めながら言った。


「キュリロスを食べたのなら、そっちのリンデッサは置いていった方がいいですよ」


 そう言われて、私は偶然にしては出来過ぎだったと気づいて笑う。


「わあ、マリオさんも知っているんですね! この二つを同時に食べるなんて、絶対にしません。子供の頃にやって死ぬほど後悔しましたから!」

「それは……大変だ」


 マリオさんが渋ーい表情をしたので、彼も経験者なのだとすぐに悟る。

 そして私もまた子供の頃に味わった、忘れられない苦さを思い出して、思わず舌を出す。


「あれはもう二度と、経験したくないな……」

「私もです!」


 私とマリオさんは同時に笑い出す。

 実はこのキュリロスとリンデッサ、とてもよく使われるハーブなのだが、生の葉を合わせると口の中でとてつもなく苦みを感じる代物なのだ。よく日に当てて乾燥させたもの同士ならば、調合してもそこまで苦くはならないせいか、このことはあまり知られていない。もちろん食べても毒ではないし、むしろ生葉で調合したこの激苦の方が効果は高いと言われている。いわゆる良薬口に苦し、を体現しているハーブだ。

 マリオさんに聞くと、篭の中のハーブは処分するという。せっかくなのでいくつかいただいて帰ることにして、残りのキュリロスを囓りながら篭を覗いていると。


「ここにいたのか、コレット!」


 顔を上げると、渡り通路の壁ごしにラディス殿下が怖い顔をして私を見下ろしていた。


「あ、見つかった」

「見つかった……じゃない、約束していた時間が過ぎても来ないから心配したではないか! なにを道草食って……」


 殿下は言葉を止めて、まじまじと私と私が手にもつハーブを見比べる。


「本当に草を喰っていたとは」

「いや、これは……草は喰ってもいわゆる道草食っていたわけではなく……」


 違うと抗議するも、自分で言っていて意味が分からなくなる。そうでなくとも説得力が無いのは、口の端からキュリロスがはみ出ていたからで。

 呆れたような目で見据えられ、私は観念してマリオさんに「ごちそうさまでした」とカップを返却する。


「マリオ、世話をかけたな。回収していくぞ」


 殿下がそう言うと、壁越しに手を伸ばしてきた。


「わ、回ってきますから……」

「どうせお前のことだから、飛び越えたのだろう?」

「う……」


 ぐうの音も出ない。

 貰ったハーブをまとめてスカート部分の余った布で包んで右手を差し出すと、殿下が私の手を掴み、持ち上げた拍子に背に腕を回して軽々と抱えてしまった。

 最近は隠す必要がなくなったせいか、騎士団や軍部で兵とともに訓練をしていると聞いた。そのせいか、半年会っていない間に体格差が広がっている。

 殿下に抱えられたまま、私は振り返る。


「マリオさん、またお茶をご馳走してくださいね」


 そう言うと、マリオさんは帽子を脱いで微笑みながら私と殿下に頭を下げたのだった。

 私は抱えられたまま、殿下の執務室へと運ばれることになった。


「いつまで抱えているつもりですか、歩けますよ」

「たかだか自称百八十歩を完遂できずにいた者が、何だって?」

「百八十……そういう事は忘れていいのに! そして下ろしてください」


 そう訴えるも、彼がすたすたと大股で歩くとあっという間に中庭通路を過ぎて、殿下の居室棟へと着いてしまう。


「ねえ殿下、マリオさんって不思議な人ですよね」


 抱えられているせいで、私の視界は中庭方向。

 眺めているとふとマリオさんへの疑問がもたげ、それを口にするも返答がない。


「ねえ殿下ってば?」

「名前」


 細かい。


「ラディス様、これでいいですか?」


 ちょうど執務室の前についたので、さすがに下ろしてくれた。

 扉の横に立っている近衛が、私たちのために扉を開けてくれる。


「マリオは父上が妃を迎えたすぐ後くらいから、庭師筆頭だからな。国王の庭に出入りを許される庭師は、彼だけだ」


 部屋に入りながら、殿下が何もなかったように返答をしてくれた。つい先日にも、ヴィンセント様から「拗らせた男ほど面倒くさいものはありませんよ」って忠告を受けたばかりだったっけ。


「だから、最初から私のことをあの日の少年だって、気づいていたんですね」

「らしいな……主従揃って狸だったということだ」


 私が執務室の大きな机の上で掴んでいたスカートの端を広げて、貰ったハーブを置く。


「まだ草を食べる気か?」

「草じゃなくてハーブです。殿下……えと、ラディス様もどうですか? 最近もまた隈をつくっているようなので、これなんか効きますよ。滋養強壮、抑圧解除、怒りっぽい人も落ち着いて、穏やか~な気持ちにさせてくれますよ」

「怒りたくて怒っているわけではない」


 まるで私のせいだと言いたげな顔はやめてください。


「陛下のお庭で育てられたものだそうですよ、美味しかったです」

「本当に食べていたのか……これか、手に持っていたな」


 え、どれのことですか?

 私が確認する前に、殿下は葉を口に入れてしまった。


「甘い……草臭いし渋いのに甘い」


 眉を寄せて、口の中の違和感と戦っている様子だった。


「待って、どれを食べたんですか?」

「分からん」

「ええ……知らないものを勝手に食べないでください、毒味もせずに。私が叱られるじゃないですか」

「私にもどうだと言ったのはコレットではないか」

「それは、乾燥させてお茶にしようと思って言ったんです、今じゃなくて!」

「美味そうに食べていたお前に欺された」

「あれは恐らく違う葉です。酸っぱい柑橘系みたいな味がするやつですからね」


 そう答えると、手を差し出された。


「口直しに、それをよこせ」

「いやいや、そういう問題じゃないですって」


 即答に、殿下が顔をしかめる。

 相当、甘渋いのが気に入らなかったのだろう。同情するからこそ、キュリロスは渡せない。万が一、殿下が口にしたのがリンデッサだったら、悲惨なことになる。


「水、水を飲みましょう」


 殿下の背後にある水差しが目に入り、取りに言って手渡す。

 水を三杯も飲み干してようやく落ち着いたようで、殿下はほっと一息つく。

 そして私を自分の隣に座らせた。執務室には、二人きり。王城の中とはいえ、殿下の住む棟でないとこうして近くで接する機会はない。会計士でいた時よりも、関係は濃いはずなのに物理的距離が遠くなった気がする。

 こんな時、婚礼の日取りを詰めに詰めた殿下への憤りが、少しだけ和らぐ。それはやっぱり、私にとっても彼が特別だからだと、嫌でも自覚する。

 今日はこの後、婚礼のための打ち合わせがあり、細部のしきたりに詳しい者が説明しにやってくる。それまであと少しの時間しかない。

 殿下を待たせてしまって悪いことをしたかな、やっぱり。

 そんな殊勝なことを考えていたせいで、すぐ側まで彼が近づいていたことに気づくのが遅れた。


「……何ですか?」

「あれだけ水は飲んだが、やはり後味が残る。口直しが欲しい」


 真剣な顔で訴えられても、困ります。それを口直しと言うのは違うでしょう!

 逃げようと思ったけれど、逃げられず。私は祈るしかない。

 彼が口にしたのがリンデッサではありませんように……。

 そして水が全てを浄化してくれていますように!

 …………に、に。



「にっっっがあああいぃぃぃ!!!」



 私の悲痛な叫びが、フェアリス王国王城の一角にこだました。

 もう……もう。

 もう絶対に当面はキス禁止!

 悶絶する殿下にそう宣言していると、アデルさんが駆けつけてきた。そしてすべてのいきさつを知った彼女に、私たちは二人揃って叱られたのでした。

 理不尽!


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