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何かを追い求めて  作者: 立方体
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とある悲劇

「起きたかしら?」

 少女が目を覚ますとそこには天井があった。居心地が悪いとばかりに体をよじらせると、見たことがない柔らかな台の上で眠っていた。視線を彷徨わせると女性と目が合う。少女はそれだけでなぜか安心できた。よくわからないのに安心できる、この人にならば身を委ねても構わないというただの直感が納得させた。そういうものだと。

「あなた歳はいくつ? 名前は? 何か欲しい物はあるかしら?」

 矢継ぎ早の質問に少女は戸惑った。以前声を出したのがいつだったのか思い出せなくて、声の出し方すらも思い出せず沈黙するしかない。

「……そう、声は出せる?」

 少女はもう一度試そうとして、やはりできなくて、仕方がなく首を振る。その仕草を確認して女性はちょっとだけ悲しそうな表情をする。少女はその表情を見て、嫌な気持ちになった。そして、同時に戸惑った。

 こんな感情を抱いた経験がなかったから。その感情の正体を知らず、持て余してしまっているから。

「大変だったわね……」

 女性は、少女の頭を優しく撫でた後、そこから野暮ったく伸びる髪に手櫛をかけていく。時折、枝毛に当たって少女は痛そうに体を震わせるがそれでもなすがままにされていた。

「あたしも、あなたと一緒だったの。なんとかここにたどり着いて、同じようにしてもらった。不思議でしょ? でも、そういうものだとあたしは思っているの。一緒にいるとなんだか落ち着いて、安心できる。あなたもそう思ってくれている?」

 少女はくすぐったそうにしながら、その話を聞いていた。女性の言葉の通り、一緒にいるとなぜか安心できた。どうしてなのかはわからなかったがそれは好ましいものだと少女は感じた。あの場所にいたころの日々とはまるで異なる。硬く冷たい時間が、柔らかく暖かな時間へと……そんな変化。

「あたしは、あなたを歓迎するわ。あなたの名前も考えないといけないわね」

 そうやってまるで親子のように女性と少女は互いに寄り添う。また、いつの間にか、少女の瞳から涙が流れていく。女性はその涙が頬を伝っていくのを、窓ガラスを通して見つめた。

「あなた、意外と泣き虫なのかしら」

 女性はそう言って笑いながら、一旦手を止めて少女の涙を拭う。そして、また髪を梳いていく。

 少女は細い指が滴を掬い取るのを感じて、自分が泣いていることに気づいた。けれど、その理由はわからない。どうして泣いてしまったのか、わからない。

 それでも、あの玄関口の前で流した涙とは違う。そのことだけは確かに理解できた。

「いい子ね。あたしがされたときは嫌がっちゃって随分と困らせたものだけど、あなたは大人しい。楽というより、なんだか楽しいわ」

 女性はなんだかよくわからないことを口ずさむ。少女はそれがなんだかよくわからないけれど、女性と同じようにちょっとだけ楽しいのかもしれないと思った。女性の言う楽しいが、自分の楽しいだと思うと嬉しくなった。女性と一緒であることに安心できた。

「あ、ようやく笑ってくれた」

 壁に映る自分の顔がどこかぎこちない。女性が言うほど、価値のあるものには見えなかった。けれど、その隣。満面の笑みを見せる女性を見て、少女は自分もこんなふうに笑えるようになろう、そんな誓いを密かに立てた。少女にとって女性の笑みが、何より価値のあるものに見えた。

 少女は、幸せな時間を過ごしていった。身長で女性に多大な差をつけようとも、ついつい甘えてしまうことはあったし、女性もそれを受け入れていた。見た目だけで判断すれば、女性が子供で、少女が母親のように見えるが、実情は逆。体の成長差に少女が不思議がっていると、

「あたしは、もう成人しているから身長は流石に伸びないかな」

 と、女性は精一杯背伸びをして頭を撫でくれた。やがて、少女が少し屈まなければならなくなったが、少女はそれでも嬉しそうにしていた。館での生活は二人きりだったが、少女はそれを寂しいとは思わなかった。館には黒い猫がたくさんいて、女性の姿が見えないときは相手をしてくれたからだ。

 少女はここに来るまで猫を見たことがなかったが、これほど可愛らしい生き物がいることに心底驚いた。食べたら美味しそうだなと思っていると逃げられてしまったので、気をつけるようにした。少女が心を入れ替えると猫はまた寄りついてくれるようになった。

 たくさんの猫と大切な女性との日々は少女にとってとても幸せな時間だった。何のために生きているかなんて問題はさておくとしても、とりあえず幸せは噛みしめられた。日が暮れ始めると、自分の胸の辺りまでしかない女性の下へ少女は向かう。一緒の寝具に入り、抱きかかえられながら横になるとよく眠れた。

 逆に、忙しい女性がちょっと離れると少女は嫌な夢を見る。それは何にもない場所に、一人きりでいた頃の夢。あの場所に置いてきたものは何もないと思っていたけれど、記憶だけは置いてきてしまったみたいだ。

 少女はその夢を見ると女性の下へ駆けだして、床にへたりこんで泣き出してしまう。

「仕方がないなあ」

 と、女性は突然泣き出した少女の頭を溜め息混じりに撫でてあやしてくれる。女性が何かを言うと、少女は落ち着くことができた。凄い、どうしてだろうと不思議に思っていると、

「あたしとあなたはそういう関係なの」

 と、苦笑いしながら教えてくれた。けれど、少女にはどこかその表情は悲しそうにも見えた。少女の気持ちも、せっかく落ち着いたのに、それを見るとまた乱れた。すると、女性は仕方ないなあとばかりに今度はばっちりと笑顔を見せる。少女も嬉しくて笑顔になった。女性が一緒だねと笑うと、少女はさらに嬉しくなった。

 しかし、少女は時折不思議に思うことがあった。女性はいなくなって、何をしているかわからないときがある。きっと事情があるのだろうと少女は何も詮索はしないようにしていた。たまに黒猫たちと一緒に館を探索することがあっても、結局全容がどうなっているのはわからなかった。だから、こんなに広い館だから、色んなするべきことがあるのだろうと少女はそんなふうに思い込んでおいた。それで納得したし、納得しなければいけないとも思った。

 そんなあるとき、また夢を見た。あの場所で一人ぼっち。けれど、普段ならそこで終わるはずの夢はまだ続いた。まるで目がおかしくなったみたいに世界が赤く染まる。そして、少女は自分の体すら、真っ赤に染まっていることに気づいて、その強烈な臭いの正体にも気づく。そこで、目が覚めた。少女は寝汗を大量にかいていて、一刻も早く女性に会いたいと思った。

 だから、黒猫に女性の下に連れて行ってとお願いした。少女は相変わらず声が出せなかったけれど、ここの黒猫はたまに少女のしてほしいことがわかるみたいに行動するからだ。黒猫は、一瞬わからないとばかりに首を傾げたが、それでも少女を導こうと先を進む。少女はそれに着いていくが、心臓が嫌な昂ぶり方をしていた。

 少女は館の中は随分と歩き回ったつもりではあったが、それがまったくの自惚れであると思い知らされた。見覚えのない道をひたすら進み、嫌な感じだけが積もり積もっていく。やはり見たこともない大きな扉の前で黒猫は止まった。どうやら、ここに女性がいるということだと少女は理解した。重い扉を精一杯押して、中に入ろうとする。

「ああ、来てくれた? あの子は連れてきていないわよね?」

 と、中から女性の声がした。自分がいることにちょっとだけ罪悪感を覚えたが、すぐにでも女性に会いたくて、少女はそのまま中に入った。

 少女は、後悔をした。扉を開けようとしていつの間にか腕全体に広がっている紋様が禍々しく光を放った気がした。女性の紋様は全身に入っていて、むしろないところを探す方が難しかった。

 少女はそれを、悪いものなのかもしれないと初めて自覚した。これが他の人を遠ざけたのは、これが悪いものだから、と。

「シェイネ……」

 女性は、少女の名前を呼んだ。部屋の中に入ってきた少女を視界に捉えてしまったから。

 キテラ、と少女は教えてもらった女性の名前を呼ぼうとした。けれど、当然のごとく言葉は音にならない。

 キテラという背が小さくて、耳の尖った女性は人を食べていた。

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