異世界からの訪問者 15
<Asteria Side>
イスラン様をティリシアへ無事に送り届け、やっとのことアステリア城へと戻ってきたと思ったら。
シェニム様が、リノを自分の補佐官兼侍女にすると言い出した。
レーリア様は柳眉を上げて怒り出す寸前だし、リノは突然のことだったようでオロオロとしているし。まあ、隊長はいつものように無表情だけど。
そしてシェニム様は、面白そうに面々を見渡し、得体の知れない不遜な表情を浮かべている。
俺はというと、何が何だか分からないけれど、リノが戸惑っているのだから、事前に話し合われた結果ではないことは分かった。
さて、どうなるか。
俺にこの場で発言権があるわけではないので、壁際に立って状況を見守ることしかできない。だが、もしリノに不都合な話になったら、不敬ではあるけれど口出しをする気は満々だった。
だけどまあ、それは杞憂で終わるだろう。
誰よりも、レーリア様がご立腹だ。
「ちょっと待って、シェニム兄さん! ここ数日、梨乃ちゃんにお手伝いをさせていたのは目をつむってきたわ。梨乃ちゃんも、ここで何もせず不安な日々を送るより、すべきことがある方が気分転換になっていいと思ったから。だけどね、お手伝いと補佐官という肩書がつくのとは、わけが違うわ!」
少し驚いた。
レーリア様が、ここまで真っ向からシェニム様に反論するのはとても珍しい。
白皙に赤みを差しつつ、レーリア様はとうとう立ち上がり、シェニム様と対峙した。
俺は少なからず驚いたし、リノはますますオロオロするし、隊長は我関せずと窓の外を見ているし(ちょっとは心配しろ)。
そしてシェニム様に至っては、面白そうに顎の下で手を組み、レーリア様の反論を聞く構えだ。
レーリア様は、シェニム様の眼差しを受けて、さらに言い募る。
「こんなわけも分からない異世界にいるだけで心労がたまるのに、さらにシェニム兄さんの膨大な仕事のお手伝いなんて。休む暇もないじゃないの!」
「おや、レーリアは随分とリノを庇うのですね。それはなぜですか? 自分が育った地球から来た子だから?」
「それもあるけれど、わたしだって記憶をなくした状態でアステリアに帰ってきた時は不安だったわよ! だけれどね、ラディがいたから。地球へ迎えに来てくれて、記憶のないわたしの傍にずっといてくれて、アステリアまで一緒に戻ってきてくれたから! だから、私は不安で怖かったけれど、でも、自分を見失わないでいられたの! でも、梨乃ちゃんは違うでしょう!」
そこまで言い募り、レーリア様ははっとしたように、微笑んで彼女を見つめる隊長と、困ったように微笑むリノに目を向けた。
隊長は小さく首を振り、「大丈夫だよ」と呟いた。
その「大丈夫」がどういう意味なのか、俺には分からない。
でも、きっとレーリア様の気持ちをすべて理解したうえで言った言葉なのだと思う。
だからだろうか。レーリア様の眦には、うっすらと光るものが浮かんでいた。
俺が知らない、地球での二人。
レーリア様の言う通り、きっとお互いに不安で怖くてたまらなくて、それでも、それ以上にお互いを信頼し合い、支え合って、ここまでの道のりを辿ってきたんだと思う。
だが、リノは。
リノには誰もいない。
地球でのリノを知る者は、誰もいないんだ。
それがどんなに恐ろしく、不安定なものなのか。俺は今さらながら、背筋が凍る思いだった。
生まれ育った軌跡。
自分がわずかにでも残した痕跡。
そのすべてが、リノにとってのこの異世界にはない。
それを、改めて突きつけられた気がした。
息をのみ、リノを見守っていると、彼女は困ったような微笑を浮かべたまま、小さな唇を開いた。
「ありがとうございます、レーリアさん。私のことをこんなに思って怒ってくださって。とても嬉しいです。でも、私、シェニムさんのお仕事のお手伝い、これからも続けたいです。この世界のことを知れるのは楽しいです。私、今、とても楽しいんです」
リノは勉強するのが好きだと言った。
知識を得るのは、とても楽しい。考えることが増えるのが、嬉しい。そう言った。
どうして星空が綺麗なのか。この光を、綺麗だと思うのか。
たったそれだけのことを話し合うだけでも、幸せに思うと言った。
リノは、そういう子だった。
「レーリア、あなたの心配も理解しています。ですが、リノの処理能力は得難いものですし、一を言えば十を知る理解度も素晴らしい。何より、リノの地球の知識は、私の知力を刺激してくれます」
驚いた。
リノが頭の回転の速い子だとは思っていたが、まさかアステリアの参謀の信頼を、こんな数日で得てしまうとは。
「それに何より、私の補佐官という肩書があれば、リノは何不自由なくここで生活する保障を得られます」
すとん、と何かが俺の中に納まった気がする。
これが「腑に落ちた」ってやつなのかな。
何だかんだ言って、結局のところ、シェニム様はリノの「居場所」を確かなものにするために、あのような回りくどい言い方をしていたんだろう。
……まあ、リノの地球の知識を欲しがっているのは、まんざら詭弁でもないような気がするけれど。
でも、レーリア様はまだ不安なようで、リノの肩に触れ、その顔を覗き込むように尋ねた。
「梨乃ちゃん、正直に言っていいの。嫌なら嫌って言っていいのよ。無理をする必要はないの」
「本当にありがとうございます。でも、私にできることだったら、頑張りたいです。それに、レーリアさんの隣に隊長さんがいたように、私にも傍にいてくれる人、いますから」
ね? と長い髪を揺らして振り返り、俺に微笑んだリノ。
完全に傍観者になっていた俺は、思わずびくりと身体を震わせた。そして、その言葉の意味を咀嚼して。
次の瞬間、顔が真っ赤になるのが分かった。
リノ、おい、マジか。
その言葉、分かって言っている?
思わず額に手を当てて俯いた俺に、リノの不安げな声が掛かった。
「サーシャさん……?」
「おやおや。まあ、そういうことでしたら、何も問題ないでしょう。リノ、これまで通り、私の補佐を頼みます。今の業務に慣れてきたら、次の仕事を与えます」
「は、はい!」
「いいですね、レーリア、サーシャ」
「……梨乃ちゃんがいいのなら」
渋々といった様子でレーリア様が返事をして、俺はリノが頷くのを見てから頭を垂れた。
そのままその場で解散となり、俺はリノを伴って彼女の部屋へと向かった。
暗くなり始めた空の下、回廊を歩きながらリノを見下ろした。
長い髪が揺れる彼女の小さな顔には、不安は見て取れない。むしろ、楽しそうだ。
この世界に慣れてきていることが分かって、少し嬉しかった。
「何かすごいな。参謀閣下に信頼されているんだな」
「えっ、そんなことないですよ。時折お話しする、私の世界のことが珍しいらしくて。シェニムさんのお話も面白いので、毎日充実しています」
「へえ」
あのシェニム様が、面白い話、ねえ……。
「他の領地のお話とか、とっても興味深いです。シェニムさんが領主をやってらっしゃるフォーティニアって、海が綺麗だそうですね。いつか行ってみたいなあ」
そう楽しげに話すリノを見ていて、何だか少し面白くなくなってきて、思わず「ふうん」と低く相槌を打ってしまった。
だって、ずるいじゃないか。
俺の知らないところで、俺の知らない話をして。
リノとシェニム様、二人で盛り上がって。
フォーティニア?
行きたいなら、俺に言えばいいのに。
そう思って、はっとした。
何、俺、一人でふてくされてんの?
そんなの、リノが楽しい時間を過ごせたのなら、「良かったね」って言えば済むことなのに。
どうしてその話を一緒に聞けなかったんだって、自分が拗ねているのに気づいて。
俺の知らないところで、俺の知らないリノがいる気がして。
その感情に気づき、嬉しそうに俺に話しかけるリノを見下ろしながら、知らず知らずのうちに左胸を服の上からぎゅっと握りしめた。
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