未必の故意の物語
「マスター、ソルティ・ドッグを」
私の注文にマスターが申し訳なさそうに頭を下げた。
「あいにく今日はグレープフルーツジュースを切らしておりまして」
「えっ!? グレフル祭りでもあったの!?」
「はい。あるお客さんがグレープフルーツを使ったカクテルをたくさん頼まれまして、他のお客さんまで同じのが飲みたいと言い出したものですから、ジュースも果物もすっかり使い切ってしまったのです」
「はあ」
バーにはたまに「祭り」と呼ばれる現象が起きる。一人がおいしそうなカクテルを頼むと、他の客も我も我もと頼み始めるのだ。
前にガルフストリーム祭りやニコラシカ祭りが起きたのは観測したが、グレフル祭りというのは初耳だ。
「そのお客さん、何を飲んでったの」
「まずは定番のガルフストリームでした」
ガルフストリームは、グレープフルーツジュース、ウォッカ、ペシェ(ピーチリキュール)、ブルーキュラソー、パイナップルジュースをシェイクして作るトロピカルなカクテルだ。
「いいねえ。じゃあ私はデス・オブ・ザ・ガルフストリームを」
「えっ!? なんですか、それ?」
百戦錬磨のマスターも初耳のカクテルのようだ。
「ググってみてよ。私も名前をきいただけだし、レシピまでは覚えていない」
スマホをいじるマスター。
「えっと、正しくはデス・イン・ザ・ガルフストリームですね。アーネスト・ヘミングウェイが好んだカクテルで、ジュネヴァにライムジュース、アンゴスチュラ・ビターズ、ライムのくし切り。これならできます」
デス・イン・ザ・ガルフストリームを作ってもらう。
「うーん、酸っぱい。こりゃ死ぬ~」
「ですよねー」
苦笑いをするマスター。そして、本音をもらす。
「正直なところ、私はヘミングウェイが味音痴だったと思っています。ダイキリのパパ・ドブレとか、全然おいしくないですよ」
パパ・ドブレとは、ダイキリの標準レシピのラムを倍量にして砂糖を抜いた、ヘミングウェイ考案のカクテルだ。
「デス・イン・ジ・アフタヌーンなんかも、いまいちだよねえ」
「アブサンとシャンパンですか。あんなもの、酒に対する冒涜ですよ」
「文豪、必ずしも酒好きならず、だ。で。次は何を飲んでったの、そのお客さん」
「ソルティ・ドッグでした。男女二人で来られたのですが、年輩の男性の方が頼んでおられました」
ウォッカとグレープフルーツジュースで作る定番カクテルだ。グラスの縁に塩をつけるスノウスタイルが目にも楽しい。
「甘いガルフストリームの後に塩味のソルティ・ドッグか。いいチョイスだねえ」
口の中に想像した味が広がる。私もよく頼むカクテルだ。
「で、次は何を頼んだの?」
「シーブリーズです」
「ああ、• ウォッカにクランベリージュースとグレープフルーツジュース。いいなあ。そうだ、シーブリーズのクラシックレシピを出してよ。あれならグレフルは使わないでしょう」
「はい。えっと、記憶だけで作ると間違えるので、少々お待ちください」
マスターはスマホを見ながら、ジン、アプリコットブランデー、レモンジュース、グレナデンシロップをカウンターに並べる。これらをシェイクして最後にソーダをアップして完成。『サヴォイ・カクテルブック』版のシーブリーズだ。
「シーブリーズのクラシックです。どうぞ」
なかなかのい味だ。もっと世の中に知られてもいいレシピだと思う。
「で、次は何を頼んだのかな」
「お連れの女性が パロマを頼まれました」
「スノウスタイルの二回目か。なかなか心得たお客さんだね」
そう、スノウスタイルのカクテルを作るには、塩を皿に薄く入れなくてはならない。余ってしまうと使い道がないのだ。
「いえ、それが驚かれた風でした。スノウスタイルだとはご存じなかったようです」
パロマは、テキーラ、グレープフルーツジュース、ライムジュースをステアしてからソーダをアップするカクテルだ。これも定番の飲み物だ。
「二人ともかなりのグレフル好きだったんだ」
「ええ。最後にブリンカーを頼まれたのですが、その時には二人ともかなりきこしめしていて、見るからにふらふらな様子でした」
ブリンカーは、ライ麦のウイスキーとグレープフルーツジュースとグレナデンシロップをシェイクして、仕上げにグレープフルーツの皮をピールして完成、というちょっとマニアックなカクテルだ。
「ちょっと待って。その二人ってどんな感じ? 年上の男性と若い女性?」
「はい」
「不倫カップルかもしれない」
「かもしれませんね。ただ、そういうことは詮索しないのがバーキーパーとしての職業倫理です」
眉をしかめるマスター。
「いや、そんな事を言っている場合じゃないぞ。マスターが、殺人の片棒をかつがされているかもしれん」
「えっ?」
「血圧を下げる薬には、グレープフルーツが禁忌となるものがあるんだ。血圧が下がりすぎるんだよ。どちらかが降圧剤を飲ませてからバーに誘った。あるいは粉末にしてこのバーで飲み物に入れたのかもしれない。ふらふらになったところを駅のプラットフォームの端かどこかに連れて行く。確実に線路に落ちるという確証はない。が、もし落ちて電車に轢かれでもしたら目的は達成だ。酔っ払いの事故死なら血液検査はされないだろう。高血圧で普段から降圧剤を飲んでいるなら、たとえ血液検査や解剖をしても不幸な事故ですまされる」
「そう言われると気持ち悪くなってきました。通報した方がいいですかね」
「ああ。たとえ今の推理が間違いだったとしても、警察が酔っ払いを保護して事故を防げるのならそれはそれでいいことだ。何もしないよりはいいと思うよ」
「おっしゃる通りです」
マスターは奥にこもると電話していた。けっこうな時間話していたようだったが、ついには晴れやかな顔で出てきた。
「警察が動いてくれるそうです」
「やあ、よかった。じゃあ次は『羊たちの沈没』を頼もうかな」
「オリジナル・レシピのアレですね。少々お待ちを」
マスターはメモ帳をめくると、シェイクするする材料を並べ始めた。
ジン、コアントロー、ホワイトチョコリキュール、そしてキルシュ。
ジンが半分でコアントローが三分の一、チョコリキュールが六分の一、キルシュがワンティースプーン。いにしえの名作パロディー映画をモチーフにした創作カクテルだ。もちろん『羊たちの沈黙』というカクテルのパロディーである。
そこにAI氏が現れた。
「駅でいやなものを見ちゃいましたよ」
「まさか、線路で誰か轢かれたとか?」
「いえ、酔っ払いです。いい年をしたおっさんと若い女がへべれけに酔っていて、床に坐り込んで口論していたんですよ。それもろれつの回らない感じで。すぐに警察官が来て囲まれていました。みっともないったらありゃしない。あんな酔い方はしたくないものです」
そう言いつつAI氏は最初の一杯を頼んだ。
「ガルフストリームを」
「あいにく今日はグレープフルーツジュースを切らしておりまして」
マスターが頭を下げた。




