王太子の婚約者
Side グレース
王太子の婚約者。これほど私にとって苦痛なものはない、と常日頃がから思っていた。あの頃の私はまだ、愛など政略結婚では得られないものだと思い込んでいた。
バランド公爵令嬢。グレース・バランド。これが私を表すものだった。それに追加で付与されたのが王太子の婚約者という地位だった。
私が婚約者に内定した年の三年前、国では大きな飢饉が起きていた。原因は水害で、多くの家や作物が流され、王家は市民から多くの憎悪を向けられる存在になってしまっていた。そして何より槍玉にあげられてしまったのは王妃の持参金だった。面白おかしく市民たちの間で囁かれる。事実、王妃の実家では持参金を出せるほど裕福な家系ではなかった。我が国における持参金とは、王と王妃の結婚式を挙げるための費用で、それを王家が補填していたというのが市民たちに知れてしまったのだ。
そして、王妃はその批判に耐えきれずに自ら命を絶った。
それが今度は王の心を蝕んだ。その様子を見かねたお父様は、王家に先払いの持参金として飢饉の対応費を出した。バランド公爵家は肥沃な領地を持ち、資源も豊富。その富を利用して私は王太子の婚約者、となった。
そして、人形のように表情を凍らせた王太子、ジェミリア・オーウェンと出会った。
真っ黒な髪を風に靡かせながら、グレーな瞳はうつろに空を見上げていた。
思えば私にとっては一目惚れに近かったのだろう。母を失ったばかりの彼が涙も零さずに、気丈に母を天に送る彼を支えたいと思った。そっと差し出したハンカチは彼には必要ないかもしれないが、泣けるように願いながら手渡した。
だから、父から婚約者の打診が来ている旨、
それが、王家にお金を送る名目で私が選ばれた旨、
そして、王家には『王家の血』と言われ、運命の人を瞬時に感じてしまうことがある旨、
すべてを伝えられた。
「つまりは、いずれ王太子殿下には『王家の血』に反応する女がいる、それを呑み込め、ということですね?」
「呑み込めとは言っておらん!!」
高圧的な父の言葉に身体は少し驚いたが、表情は変わらずに済んだ。
「では、見守ればよろしいのですね?私は、別にどうでも構いません。政略結婚と分かっていれば、最初から王太子殿下に『愛』は求めません。それでよろしいでしょうか?」
確認を取るように尋ねれば、父は渋い顔をしつつ、頷いた。この時私は14歳。多感な年ごろであるのは間違いなかった。
私の家には母親がいない。私と二歳年上の兄、そして三歳年下の妹がいる。母親は妹の命を産み落とした二日後に身罷った。父と母は仲睦まじい夫婦とは言い難かったが、互いに尊重はしていた。母を亡くした妹に父は甘かった。そして、母の如く注意する私を見てはくれなかった。
「それでいい。」
小さく呟いた父の言葉。この婚約だって幸せになれないのを分かり切って私に受けさせている。愛されていないと分かっていても、この仕打ちに泣きそうになった。