219:長旅
いよいよあと五分後にトスカーナからやってきたレオポルト1世、ヴェルサイユに降り立つ!
勿論、馬車からだ。
馬車以外の乗り物はまだ普及していないよ。
キュニョーの砲車を改良した鉄道列車は作っている最中だけどね。
レオポルト1世はヴェルサイユ宮殿に到着するまでに10日間の道のりを経てやってきたのだ。
現代のように高速道路や鉄道、飛行機が無いので移動する時間って物凄く長いわけよ。
王族の身分で国公認の高級宿で泊まりながら来たとはいえ、長時間馬車に乗るのは結構つらいようだ。
アントワネットもフランスに嫁いで来るときには4月21日に出発して、結婚式前の引き渡しの儀式やら祖父ルイ15世との面会やらイベントが目白押しで最終的にヴェルサイユに到着したのが5月16日だった。
そのうち大半が馬車で移動してアントワネットの乗っている馬車を見てくる民衆に対して笑顔で手を振らないといけなかったらしく、滅茶苦茶腕が筋肉痛になって辛かったらしい。
「レオポルトお兄様がヴェルサイユ宮殿にやってくることは国民の皆様も知っているとは思いますが、結構フランスの道のりは大変でしたね……馬車の移動も一苦労でしたわ。皆さんに笑顔で手を振って応えなければいけません。それが王室の責務なのだとお母様から厳命されておりましたわ」
「そうだねぇ……確か嫁いできた時もかなり緊張していたからね……」
「ええ、それもありますが……一番きつかったのが手を振り過ぎて腕が筋肉痛になった事ですの。馬車から手を振るだけと思っても、道行く先々で人々が手を振ってくださるのですから、私もそれに応えて精一杯手を振ったら次の日は肘が中々上がらなくて苦労しましたわ……」
「あー……それは確かに辛いね。どうやって筋肉痛は克服したの?」
「とりあえず冷えた水を馬車の中に入れて、人とあまり出くわさない場所でひたすらに冷やしていましたわ……それで何とか治しましたの」
アントワネットから筋肉痛の治し方も伝授してもらったが、現代の冷えてピタッと患部に貼るこう薬が如何に優れているか身に染みて理解できるぜ……。
アントワネットですらかなり揺れる馬車で手を振って応えていたようなので、レオポルト1世もさぞかし疲れている事だろう。
しっかりとゲストを出迎えておもてなしをしなければならない。
会談をする前に、少しばかり休息を取らせたほうがいいかな。
「陛下、もうじきトスカーナ大公陛下の馬車がヴェルサイユ宮殿に到着するとの事です」
「よし分かった。それじゃあ行こうかアントワネット」
「はい!」
アントワネットと共にレオポルト1世を出迎える。
以前ヨーゼフ2世を出迎えた時以上にヴェルサイユ宮殿は大きくなった。
俺が建設を命じたヴェルサイユ公衆浴場が大きく出来上がったこともあり、見ず知らずの人からみればヴェルサイユ公衆浴場のほうが宮殿の本体扱いされそうだ。
国賓として出迎えるので盛大に盛り上げている。
レオポルト1世が乗った馬車が宮殿に到着すると、外で待機していた守衛が二列に整列してキリッと待機している。
その後ろでは音楽隊の人達がラッパや太鼓を鳴らしながら出迎えを歓迎している。
レオポルト1世が馬車から降りたち、周囲を見渡してから俺とアントワネットの方にやってきた。
そして握手を交わしたのだ。
「お初にお目にかかります。この度は盛大なお出迎えをして下さり誠にありがとうございます。トスカーナ大公のレオポルトです」
「国王のルイ16世です。遠路はるばるご苦労様でした。既にお部屋の準備が出来ていますが、少しばかり休息を取るのはどうでしょうか?会談はその後からでもできますので」
「それはそれは……では、陛下のお言葉に甘えて休息を取らせていただきます。アントワネットも元気にしていたか?」
「ええ、勿論ですわ!オーギュスト様を妻としてしっかりと支えてますの!しっかりと務めはやっております!」
「そうかそうか、いやはや……陛下に嫁いでから本当にアントワネットは変わったねぇ……」
やはりヨーゼフ2世といい、レオポルト1世もアントワネットの性格が変化した事にかなりギャップを感じているらしい。
おてんば娘だった彼女が今では俺を支えてくれる美人で綺麗な奥さんだもんなぁ……。
ヨーゼフ2世から話は聞いていたようだが、やはり目を見開いて驚いている様子を見るに相当のギャップがあるのかもしれない。
積もる話もさることながら、長旅で疲れているであろうレオポルト1世を応接室に招いて休息を取らせる。
休息を行った後のほうが会談もスムーズに行えるだろう。
宮殿に向かって歩いていると、レオポルト1世がヴェルサイユ公衆浴場を指差して質問をしてきた。
「それにしても、本当にヴェルサイユ宮殿は広いですねぇ~……あの真新しい建物は?」
「ああ、あれは公衆浴場ですよ。主に宮殿で働いている職員や来賓の方々が利用する為に新造したばかりです。もしお入りになりたい場合は申し付け下されば貸切も出来ますよ」
「おお、それはスゴイですなぁ……では明日にでも一度入りたいのでいいでしょうか?」
「いいですとも!お時間はいつ頃にしますか?」
「うーむ、明日の午後はパリへの視察もありますので……朝の9時頃でもよろしいでしょうか?」
「いいですよ!では、その時間から一時間貸切に致しますね」
「ありがとうございます!いやはや、こんなに立派な浴場があるとは……」
レオポルト1世は浴場で貸切が出来ると教えると、早速申し出てくれた。
やはりオーストリアは入浴の風習があるので、お風呂に入る事が好きなのだ。
逆にフランスは全然風呂に入る風習が無かったこともあり、今になってようやくお風呂の風習が広がり始めたばかりだ。
パリでは公衆浴場の整備も始まったが、まだまだ普及率は22パーセント台だ。
簡易シャワールームの設置も進めているが、都市部ではやっと1号店がオープンしたばかりだ。
ワンコインを投入して一定時間シャワーを浴びれるようにする。
古代ローマの入浴施設で使われていた技術を復活させたが、水量の調整などもあるので課題も多い。
それに田舎では水浴びや樽に入れた水で身体を拭く程度なので、入浴文化の定着はもっと時間をかけなければならない。
多分、レオポルト1世の泊まった宿には浴槽……あったのかなぁ?
いや、国賓クラスが泊まるんだから一つぐらいあるだろう。
都市部だけではなく地方にも入浴施設を建設させたほうがいいな。
さて、レオポルト1世を応接室に案内しよう。
閣議の間……前にもヨーゼフ2世がやってきた際に使用した部屋だ。
政府の基本方針などは大トリアノン宮殿で行っているが、最近になって再び部署などが増えてきたので増設工事を予定している。
ドンドン史実のヴェルサイユ宮殿と違う姿になってきているけど……まぁいいでしょう。
閣議の間に到着して、早速俺はレオポルト1世にくつろいでくださいと伝えた。
「ささっ、どうぞお座りください。長距離の移動でお疲れでしょう。今飲み物をお持ち致しますが、何か飲みたいものはありますか?」
「ありがとうございます、それではお言葉に甘えてワインを貰えますか?折角フランスに来たのでワインを一杯頂きたいのです」
「勿論ですとも、赤ワインでいいですか?」
「ええ、お任せ致します」
「分かりました。早速ボルドーワインを持ってくるように伝えます、あー……折角だからラフィットを持ってくるように伝えなさい。私はいつものアイスティーを頼む」
「かしこまりました」
傍に立っていた召使い長にボルドーワインの中でも最高級と謳われるシャトー・ラフィットだ。
かのルイ15世の愛妾で博学多才であったポンパドゥール夫人が大いに気に入って以来、フランス王家で愛用されているワインだ。
アントワネットもたまに飲んでいるが結構絶賛している。
俺も赤ワインの味が分かればいいのだが、生憎赤ワインはあまり好きではない上に飲めない性質なので、王室に献上される赤ワインがドンドンと溜まってしまう。
シャンパンなら飲めるんだけどねぇ……でもシャンパンって赤ワインの数倍の値段なのでコーラみたいに気軽にガバガバ飲める代物じゃないの。
一本の最低価格が日本円で30万円とかそんぐらいの値段だぞ、気軽に毎日一本開けて飲んでいれば確実に破産してしまう!
なので、仕事で功績を挙げた人などに褒美と称してドンドンとプレゼントしているが、それでもワインが溜まってしまう。
「お待たせしました」
「おお、早速来たね。ささっ、レオポルト1世陛下から先にワインを受け取ってください」
「これはこれは……う~ん、いい香りのワインですね。甘酸っぱくて、実に香りもいい……やはりワインはフランス産に限りますな」
「ええ、我が国の主力産業の一つでもありますからね。ささっ、乾杯致しましょうか!」
「それではお言葉に甘えて……」
「「乾杯!」」
ワインとアイスティーの組み合わせは珍妙だが、会議を行う際には酒は飲まないのが鉄則だ。
例え会議を行う前や後でも頭はスッキリした状態で挑んだほうがいいからね。
俺は氷が入ったアイスティーを、レオポルト1世は王室御用達の最高級品の赤ワインのシャトー・ラフィットを手に取り、乾杯をしたのであった。