116:スカーフェイス
会談は既に夜遅くまで及んでいる。
ここまで深く会談を行っているのは久しぶりのような気がする。
カロン・ド・ボーマルシェなどの対英担当官を呼び出して気が付けば緊急閣僚会談を行っている所だ。
こればっかりはヤバイ。
フランスの貴重な外貨獲得を成している植民地を手放すのは実に惜しい。
閣僚たちと一緒に持ってきた資料とにらめっこをしているが、やはりじーっと見ていると辛いな。
「オーギュスト様……大丈夫ですか?」
「ああ、アントワネットか……ごめんね、今日はちょっと徹夜になりそうだ」
「無理をなさってはいけませんよ?よろしければこちらをどうぞ……」
「ありがとう、しっかりと頂くよ」
そう言ってアントワネットは夜食用にと、わざわざ俺の為にお菓子を作ってきてくれたんだ。
ぷっくりと器の中で大きくなったスフレという原料はメレンゲのお菓子。
ふかふかとした食感がつい癖になる。
これも最近ではアントワネットが料理総長に頼んで調理法を教わっているらしいが、それでもアントワネットの料理に関する意欲は特筆すべきだな。
(やはりどの時代でも乙女はスイーツ系が好きなのね)
スイーツは大事だ。
そう、何と言っても嫁さんが作ってくれた料理だもんね。
他にも閣僚の人達にもスフレと紅茶を配っているけど、こうした張りつめている時ほどひと時の休息、ほんのささやかな休息が必要になってくるものだ。
アントワネットがお茶やお菓子を持ってきてくれるのが本当に有り難い。
それに、こうしたお菓子以外にもライ麦などの価格が安価で寒冷にも強い農作物から出来たお菓子なども開発中だ。
こうした重大な会議の合間に甘い物を食べていると、こんなに大変な時でも頑張ろうと思う気持ちが沸き起こってくるんだよね。
本当にアントワネットはいいお嫁さんだ。
これは後で家族サービスもしておかないとね。
スフレを食べながら小休憩をしていると、ハウザー氏が資料を持って駆け込んできた。
「陛下、大変お待たせしました。精度の高い情報を持ってきました……こちらがその資料です」
ハウザー氏が持ってきたのは一か月以内にサン=ドマングからパリに戻ってきた人達を対象に聞き取り調査を大急ぎでやって来たのだ。
調査報告書をまとめた際に派閥など関係なく色んな場所から調査した結果に基づくものだ。
それによれば、ノリボス総督らの証言通りサン=ドマングで自称反乱軍が各所の奴隷継続を支持しているプランテーション農園に襲撃を起こしている事が判明したのだ。
「やはり彼らの語っている事は嘘ではないようです。複数人からの情報ではプランテーション農園から脱走した元奴隷達が結成した組織があるようです。数は多くはないそうですが、少人数による攻撃を繰り返しているとのことです」
「なんと……しかし、最初の報告ではサン=ドマングではそうした行為について確認は取れていないと言っていたではないか?」
「はい、おっしゃる通りです。活発化したのは8月の下旬頃だそうです。丁度サン=ドマングに派遣する予定だった調査員が死亡したため、急きょ代わりの調査員を手配する際に書類上の手違いがあったようです。その為に報告が2日ほど遅れてきたそうです」
「そうだったのか……サン=ドマングまで早くても13日ぐらいは掛かるからなぁ……報告が遅れてしまったのも無理はない」
ノボリス総督の家族が人質に囚われているという手紙も、間違いではなかったんだ。
ジェレミー・ディナール氏の家族も同様であった。
二人からしっかりと話を聞いたところによれば、サン=ドマングで起こるであろう反乱に備えるべく、フランス本国から軍の救援を求めるために、敢えて二人を派遣したのだという。
「しかし、本来であれば支援を要請するには部下でも良かったでしょう?なぜ直接サン=ドマングの最高責任者であるノボリス総督とジェレミー氏を派遣する必要があったのですか?」
「お恥ずかしながら……サン=ドマングでは”奴隷に対する恐怖”が蔓延しているのです。これまで虐げてきた奴隷による反乱……いえ、反乱というには小さい盗みなどの軽犯罪が中心ですが、それでもサン=ドマングの政府だけでなく民間でも他人を信用できないという事態であるのです」
「ノボリス総督はご家族を……そしてジェレミー氏は家族だけでなくサン=ドマングで所有しているコーヒーのプランテーション農園の所有権や資産まで抑えられているとの事です」
奴隷解放宣言は閣僚たちを集めて議論し、3か月かけて細かい取り決めなどを調整して行ったものだ。
しかし、サン=ドマングでは余りにも宗主国からやってきたフランス人をはじめ多くの白人経営者を中心に奴隷などを弾圧してその利益で儲けていたツケが大きく跳ね返る結果となってしまったようだ。
このまま放置するわけにもいかないし、できれば戦争という事態は避けたいが戦争にならないようにするために海軍を派遣することをしないといけないようだ。
矛盾しているように聞こえるかもしれないが、抑止力となる軍隊がいなければ反乱軍が大きくなってサン=ドマング中の都市部を攻撃するかもしれない。
そうなればその都市にいる人々が危険にさらされる。
また本格的な反乱が起こればサン=ドマングの利益を失うだけでなく、仮想敵国であるイギリスが今まで以上に大きく動く可能性もある。
俺は閣議を重ねた結果、早急に事態を解決するべく反乱軍との交渉人、並びに治安維持の為に海軍に対してサン=ドマングへの派兵を決定したのだ。
時に、1771年9月15日の事であった。