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罹患した兵士達が療養し、隔離されている教会ではまさに戦場さながらの光景が広がっていた。
教会は元々地域コミュニティとして活用されていたものの、流感が流行り始めてからは集団での生活を避けてなるべく家族ないし個人での行動をするように制限が設けられていた。
結果として教会は閉鎖された代わりに、症状が重い感染者を収容する施設へと移り変わったのである。
これは要塞や基地での感染拡大を防ぐと同時に、増え続けている感染への対処として、ある程度大きな施設で大勢の人間を収容できるというメリットから教会が選ばれたのである。
この時代、教会というものは宗派を超えて絶対的な影響力を持っており、聖職者という立場も決して信仰を無碍にされるようなことは、国家間や地域間の宗教対立を除けば、大体の地域で深く信仰されているものであった。
アメリカにおいては新大陸動乱後にプロテスタント系から派生した福音派が大多数を占めており、プロテスタント系の牧師が多くいた。
彼らに協力してもらうように要請を出しており、今現在までにフロリダにある15箇所の教会において、福音派や少数ながらカトリック系の教会の建物を貸切って治療用の建物として使用しているのである。
無論、反発こそあったもののフランス軍などが『感染症対策に関する法』を取り出した上で、牧師ならびに神父に対して宗派を問わず、臨時の収容施設として所有する代わりに、税金や収入面などをサポートする制度を説明したのである。
多くの宗派において、税金を免除されるだけでなく収入まで感染症流行前と同じ金額を保障されるということもあってか、多くの教会が協力して感染者の収容を受け入れたのである。
要塞や基地などにおいては、軽症者の多くを収容していたものの、その中でも症状が重くなって肺炎などの症状を引き起こしてしまった者が複数名出ており、そうした者達がどうすることもできない罪悪感と虚無を感じ、藁にも縋る想いで述べたのが神に祈りを捧げる場であった。
「イエス様、どうか……どうかお救いください……」
「お願いします。助けてください……」
謙虚なキリスト教徒が多いこともあってか、主にカトリックの信仰を持っていた者達には時折マスクを身に着けて祈りを捧げる神父の姿があったり、聖母の像の前でひたすらに祈りを捧げる兵士達も少なくなかった。
中等症の症状を患っている者の多くが助かる見込みが半分程度と言われているが故に、漢方薬などの薬以外では対処療法を行うしかなかったのである。
故に、彼らは神に頼った。
奇跡的に回復した者は、神によって救われたと泣いて感謝し、回復せずに症状が悪化していく者は、自分は神に見放されたのだと絶望し、そのまま失意の中で死んでいく。
多くの兵士は寛解した者が多かったが、生活習慣病や肥満体の者が重篤化の症状を引き起こしており、特にひどかったのは十年以上流感に感染した事がない兵士達が劇症症状を引き起こしてインフルエンザ肺炎を引き起こしてしまっていたのである。
膿が絶えず口の中に逆流するような状態が引き起こし、このインフルエンザ肺炎が悪化してさらに症状が酷くなっていく。
「先生!ラック上等兵の出血が止まりません!」
「すぐに止血を!包帯をありったけ使っても構わん!」
「3名の心肺停止!蘇生を試みるも……」
「もうその3人は駄目だ。諦めろ……」
「くそっ、なんでこんなに急激に症状が悪化するんだ……!」
流感の恐ろしい症状として、肺炎を引き起こすケースが起こるが、今回フロリダを中心に流行している流感にはインフルエンザ肺炎を引き起こす症例が多く見受けられた。
これはこの時代において一度でもインフルエンザに感染した経験のある者に対しては、免疫機能が働いて風邪のような症状でおさまり、3日から5日ほど安静にしていれば完治する程であった。
しかし、劇症症状を引き起こした者の多くが過去十年間の間に流感に感染したことがなく、また高血圧症などの生活習慣病を罹患していた者が多かった。
そして症例として深刻だったのは気管支喘息などを併発し、息が出来ずにもがき苦しんで死ぬケースであった。
これは吐き出しきれなかった痰が気道を塞いでしまい、肺に十分な酸素が行届くことが出来ずに、そのまま窒息してしまう事例であった。
インフルエンザの咳や痰が悪化して肺炎を併発した場合には、胸の痛みやチアノーゼによる皮膚や粘膜が青紫色に変色し、見るからに症状が酷いと分かるほどに悪化してしまうのだ。
それもまだ二十代や三十代の兵士の間で多く発生し、肺炎症状を引き起こした兵士の3割以上が帰らぬ人となった。
これは、フランス軍だけでなくスペイン軍やポルトガル軍でも同様であった。
重症化してしまえば、その分回復の見込みが減っていくだけでなく、例え回復できたとしても肺炎を引き起こした後の肺はダメージを受けており、筋力や運動能力が低下して兵士として行動を行うのは無理であったのだ。
さらに、軍人よりも症状が重かったのは中高年の人々であり、彼らの多くが民間人であったことも相まって、教会の中には多くの民間人も収容されていたのである。
民間人で収容された多くの人が収容された翌日や三日後に亡くなることが多かったのも、体力が無くなった事と、肺炎を拗らせて多臓器不全を発症したりした結果である。
「A班に割り振られている患者ですが、先ほどまでに4名亡くなりました……死亡届を記入後は遺族の下に返しますか?」
「いや、感染症対策のため遺体は如何なる理由があっても火葬せよとの指示だ。ご遺族の方が遺体を引き取りたいと申し出た場合は火葬した上でお返しすると返答しておけ」
「畏まりました。ご遺族には感染症対策の説明をした上で遺骨を棺に納めてお返しします」
「今日だけですでに23名が死亡しているからな……夜までに何人死ぬことやら……」
「これだけの被害を出しているんだ……恐らく、フロリダ全域で感染者が増えていることを鑑みれば、軽症者はともかく、重症化した人間の場合は本人の回復を祈っていることしか出来ないのがもどかしいな……」
重症化した者の多くが日常生活ではなく、ベッドの上で生涯を終えることとなり、その度に看護師や軍医たちが死亡確認を行う日々が続いているのだ。
現地で採用した民間の医師もいるが、彼らも馴染みの知り合いが重症化したとなれば、可能な限り治療を施すも、そのほとんどが効果を発揮することなく、インフルエンザによって斃れていく。
このインフルエンザは【1796年のフロリダ風邪】と呼ばれるようになったが、このフロリダ風邪という名称が付けられたインフルエンザが猛威を振るっていたのは南部ではなく、ニューヨークをはじめとする北米複合産業共同体の中心部で大流行を起こしていたことは歴史を知っている者が多く認知している事だろう。
当時の人々の情報伝達手段を考えれば、欧州協定機構側に情報が到着したころには、既にニューヨークにおいてペストに匹敵するレベルの惨事を引き起こしていたのだ。




