フォルトの思惑
俺達が修練場に閉じ込められてからおよそ五時間が経過し、ようやく全て――たった三つの初級呪文を唱え終わった。
いや、本当に辛かった。単語の羅列を唱えるだけなのに、絶望感と空腹感で、途中何度三途の川を見たことか。
精神だけとなり俺を少しながら(実際は九割以上です。見栄はってすいません)助けてくれたフォルトもかなりキてたのか、終盤には『もうさ、何度もあのドアに触れた方が楽な気がしてきたよ』とか錯乱した台詞を吐いていた。本当にすまない。
それで、これからまたあの廊下を歩くのか……とガックリしながら電流トラップがオフになった扉を開けると、目の前には食堂の長机――というか食堂があった。毎度お馴染みカウンセラーさんのスーパーイリュージョンだろうか?
ちなみに、もう既に従者と俺らの両親という名の年増バカップルの姿は全くない。ただ俺の分(フォルトは小食なのか、普段俺が家で食ってた量よりはやや少ない)が机の上に置かれていた。
どうせまた娯楽施設(主にキャバクラ)に行ったり、寝室で嬌声を上げているのだろう。親の情事なんか知りたくないが。
『そういえば、秋人君』
「ん? なんだ?」
冷めきったスープをすすりながら、誰もいないことを確認してから、俺は声に出して応えた。
『秋人君が前に生きていた人間界って、どんなところなの?』
転校してきた帰国子女に聞く質問みたいだな。
「ん~とそうだな……ここよりは文明がある分、それに反比例して生きててもつまらない世界だな」
『え? そうなの?』
「当たり前だろ。そりゃこっちにも学校があったことには驚いたが、ホントそれだけに時間を削がれているからな。こっちの学校って、週何なんだ?」
『週3だよ? ノーム、セウェンド、リーフの3日』
「こっちの方が少ないだろ……ってオイ」
『何?』
「なんだその聞いたことの無い単語」
頼むからそういった新しい語句を増やさないでくれ。これが俺の望んだファンタジーなのか? メッチャ中二っぽいんだが。
『一週間の2日目、4日目、6日目のことだよ。そっちで言う、月水金曜のことだね。ちなみに残りの4日は日曜から順に、アンス、エスト、シュルト、サートかな。あと、全ての曜日の後にはヤードって付くからね』
いらん知識をありがとう。まあつまり、こっち世界の曜日の事か。ホント、俺って中二病なのかね?
にしても、フォルトが出てきてからどうもこっちの語句が分からない。2つの記憶が入って来たのは、意識がまだ分かれてなかったからなのだろうか。
だいたい、カウンセラーさんは高林秋人の記憶を前世の記憶として残すって言ってたよな? フォルトの存在を忌み嫌っているわけじゃないが、普通は最初から俺の記憶がフォルトの中に組み込まれて、つまり人格は1つのまま転生は出来なかったのだろうか。それも謎のトラブルのせいなんだろうけど。
『そっちは?』
「人間界は基本週5だ。お前らは良いよな、こんな生活を出来て」
『そうでもないんだよ?』
「ん? どういうことだ?」
『その目の前のご飯を食べたら説明するよ』
フォルトの声が低くなる。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか?
とにかく真実はこの後だな、と思いつつ俺は中央が深くへこんだ皿の底に残ったスープをかきこんだ。
『秋人君、一旦僕に交代してくれないかな?』
自分の部屋に戻ってのフォルトの第一声はそれであった。
「良いけど……“チェンジ”」
意識が身体から抜け、ふわふわと浮いた感じになる。
「ふう……じゃあ説明するよ。この世界で生きるのがどれだけ辛いのか」
『お、おう。それにしても……』
「ん? どうしたの?」
『さっき起きたときはあまりの事態にパニクってたから分からなかったけど、お前の部屋って、なんか家具が少ないよな』
例え魔王の息子と言えど思春期真っ盛りの男子高校生の部屋に、真っ黒な天蓋のベッドと少し豪華なライトしか無いのはありえないような気がするな。
「普段は収納されているからね」
そう言うとフォルト壁際に寄り、カーテンの裏に隠れた赤いボタンを押した。
軽く揺れを生じながら、壁が右回りに反転する。そこには魔王様には似合わないような、木製の勉強机や、恐らくはプラスチックに似た物質製のクロゼットが現れた。
……ここまでくると、もう訳が分からないな。なんだこの技術は。本当にここはファンタジーの世界なのか?
今ここで自殺したらまともなファンタジーの世界に行けるのだろうか?
「あったあった」
そんな葛藤を俺が繰り広げている内に、フォルトは整頓されていた勉強机を荒らし、少し朽ちた、赤い表紙の辞典並みの厚さの本を取り出した。
『なんだそれ?』
「これは僕専用の教科書だよ」
『いや、普通教科書ってそこまで貧しくない地域なら全員に、新しいのが分け与えられるから、専用も何も無いんじゃないか?』
魔王故に貧困ではなさそうだし、見たところ学校の周囲の街も豊かだしな。
「ゴメンゴメン、言い方が悪かったよ。正確には、僕の一族、魔王専用の教科書なんだ」
『他の奴らのとは違うのか?』
「そりゃあ色んな種族が1つの学校に行っているからね」
フォルトが通っている高校、というかこの世界の学校では、国語(呪文書にもあったあの訳の分からない暗号がこの世界の共通原語らしい)、数学、魔導科学、社会の4教科の他に、自分の種族に適した分野を無制限に習うことができる。
魔物によって魔法が使えたり使えなかったり、剣や槍の使用に長けている奴がいるのはこの制度のおかげだ。
俺の友達(サラマンダーの……ジョーだったっけ?)も、飛行術や火炎放射術を受けている。あと確か、人間体を保つための訓練も受けていたっけ。
で、今フォルトが手にしている教科書(……?)は今日の授業には無かったはずだが……どうもまだこの記憶は重なってないようだ。何だこれ?
「これは帝王学の教科書なんだ。それも、魔王専用のね」
『帝王学って……そんなことも学校で習っているのか?』
「これは学校で教わることじゃないよ。もう2年は使ってないし」
『2年も使ってないって……魔王ならそういうのって必要なんじゃないのか?』
「いや、そうでもないよ?」
『ん?』
フォルトは表紙に軽く付いたホコリを払うと本を元の場所に戻し、ベッドに寝転がって天蓋を眺める。
「……秋人君は、やっぱり帝王学は必要だと思うよね?」
『まあな。面倒臭そうだけど、上に立つ者として必要なら覚えなきゃ駄目だろ?』
「従来ならばそれで合っているよ。現代の社会じゃそれはあまり意味が無いんだけど」
『従来?』
「お祖父様の代まではそういったものを主体とした、恐怖政治で魔界は統一されていたんだ」
ああ、ちゃんとファンタジーな勇者対魔王してた時代ね。ゴリマッチョな勇者と豪傑な魔王の。
「だけどお祖父様が勇者に討伐されたあと、今の時代はそんな政治じゃ魔界を統治出来ないことに、当時16歳の父上が気付いたんだ」
『あのボンクラ親父が?』
今やバカップルの片割れなのに、大昔は真面目にやってたんだな。
『それでも帝王学は必要なんじゃないのか?』
「父上は一応学んだらしいんだけど、あまり活用してなかったみたいでね」
『まあ、どう考えても活用してないな』
「それに、父上は個人の自由を尊重しているしね」
『個人の自由?』
「そう。種族とか関係無しに、自分達の思い思いのことをするのを推奨したんだ」
うーん……つまりはどういうことなんだ? そう思っていると、それを感知したのかフォルトはまた口を開いた。
「例えば獣類の魔族で、槍での闘いに長けている、オークっていう魔物がいるよね?」
『あー、確かにいたな』
この世界はドラクエの世界観を主体としているみたいだしな。文明の発展の異常さはそれの比じゃないけど。
「それまでは、彼らは種族が種族だから、槍で闘うのが暗黙の了解で決まっていたんだけど、それじゃ闘いにくいっていう者が出てきたんだ」
『具体的にはどういう風に?』
「槍じゃなくて、短剣や棍といった別の武器を使う者、他よりも不器用で、武器を用いるよりも素手で闘った方が良い者、攻撃呪文を沢山唱えられる者ってところかな」
『なるほど……』
魔物の世界も千差万別ってことか。
「そういった魔物達は、例え優秀な従者だろうとお祖父様の時代までは“再教育”という形で矯正されてて、余りの過酷さに死人も沢山出たんだって」
『まさに魔王じゃねーか! そこまでやってよく反逆者が出なかったな!』
「いや、少しは出たらしいけど、お祖父様は歴代でもトップクラスの実力を持っていたらしいからね。勇者が現れるまで無傷無敗だったらしいし」
『どんなチート性能だよ……』
フォルトの祖父はそんなに強いのに、なんでそこから生まれたのが親父なんだろうか? まあ聞いていると、親父もそれなりに凄いらしいが……。
「話を戻すね。それで、お祖父様は勇者によって討伐されるんだけど、それとほぼ同時に父上が新魔王に即位したんだ」
『あ、再開早々話を止めてすまんが、1つ質問していいか?』
つい学校の感覚で手を挙げそうになりながら、俺はフォルトの話を遮らせてもらった。
「どうしたの?」
『ふと気になったんだけどさ、お前ら、ていうか俺って、魔王が勇者と闘っている時はどうすんの? 下手したら一族全員殺されるだろ?』
「それなら大丈夫。妃と後継者と、ごく一部の従者は、勇者には絶対破られない結界に守られた空間に避難するから」
『そんなのがあんの?』
「それを人間が唱えるには、かなり心が淀んでないといけないらしいからね。――まあそれで、父上は目の前で跪く兵士達の顔を見て思ったんだ。何故彼らは怯えきった表情をしているんだろうかって」
新しい魔王も同じ様に自分達を虐げるのだろうかと、見る前から思っていたんだな。
「それで父上は、ある程度の自由を許す条例を定めることにした。だけどそれはあの人の代だけでは全体の半分にも満たない量の条例しか、遂行することが出来ないほど膨大な量なんだよ」
『なるほどな……それで、お前はその残りの条例を完了する、っていうかしたいのか?』
「もちろん。最初は父上が、自由に選択しても良いと言っていたけど、民の一人一人が死ぬまで幸福に暮らせるようにするのも、一国の王としての役目だろうしね。そのためにも」
フォルトは再び立ち上がり、先程手にした帝王学の教科書をまた持った。
「僕は帝王学という王と民の垣根の無くし、もっと住み良い世界を作らないといけないんだ」
そう言った次に彼の口から溢れたのは、先刻俺が覚えたばかりの火炎呪文で、それにより発生した小さな火球に包まれて、やがて教科書は灰になった。
フォルトの魔王としての意識はちゃんとしていると分かり、なんだか自分の最初の浅はかな質問が恥ずかしく思えてきた。
『……なあフォルト』
「何、秋人君?」
『俺、なんか魔王になるってことに油断してたっつーか、甘く見てたわ。ゴメンな』
「うん、僕も気付いてもらえて嬉しいよ。もう夜も遅いだろうし、早くお風呂入って寝ようか」
きっとこの話をしたのは、俺が魔王は楽だと勘違いしていると、早めに伝えたかったからなんだろう。考えを改めた俺を感じたフォルトはニッコリと笑い部屋を出た。