プロローグ
大切な人はいるか。
もしもそんな問いを投げかけられたなら、古河瑞樹は間違いなくこう答えるだろう。
『幼馴染の四人だ』と。
両親だとか、家族だとか、世間一般でよしとされる月並みな回答を、瑞樹は持ち合わせていない。彼にとって最も価値があり、何よりも優先されるべき存在は、正真正銘、四人の幼馴染たちだった。
運動神経抜群で、クールなイケメンの天音遊。
スポーツ推薦で高校に入学するほどサッカーの才能に恵まれている彼は、誰もが振り返るような端正な顔立ちをしている。常にどこか冷めたような、世の中を俯瞰している薄い色の瞳。他人への期待を切り捨てたような彼の口調はいつも静かで、温度が低い。けれど、その冷たさの奥底にある不器用な誠実さを、瑞樹は知っている。
常にポジティブで、派手な見た目の金髪美女、城ヶ崎朱音。
目を焼くような眩しい金髪に、華やかなファッション。彼女がいるだけでその場の空気がパッと明るくなるほど、太陽のような女の子だ。何も考えていないような破天荒さで笑う彼女の明るさに、瑞樹たちは何度救われてきたかわからない。
友達が多くて頭の回転が早く、猫みたいに甘えてくる井上一花。
ショートカットがよく似合う彼女は、誰とでもすぐに打ち解ける器用さを持っている。それでいて、瑞樹の前ではまるで人懐っこい猫のように、無防備に甘えた声を出してすり寄ってくる。その距離の近さは、彼女が瑞樹に完全に心を許している証拠でもあった。
そして、大人しくて優しく、仲間思いの更科雫。
他の三人のように目立つような特技や派手さがあるわけではない。内気で、自分の思いを口にするのが少し苦手な彼女の存在は、瑞樹たちにとって静かなオアシスだった。誰かが傷つけば自分のことのように心を痛め、争いになるくらいなら自分の思いは隠して微笑む。そんな優しくて不器用な女の子だ。
遊、朱音、一花、雫。
この四人が、瑞樹の幼馴染であり、お互いを支え合って生きてきた、心からの友達だった。
家族のような存在で、大好きで、大切な人たち。それこそ、みんなのためなら命を張れると、心の底から本気で思い合っていた。
なぜ、ただの他人であるはずの彼らが、そこまで深く思い合えるのか。
答えは至極単純なことだった。
みんな、救われたのだ。
他人と比べること自体がナンセンスであると分かってはいても、それでもあえて比べるならば、この五人は世間からひどく浮いていた。
子どもの残酷な社会の中で、完全に孤立していたのだ。
周囲に上手く溶け込めないとか、空気が読めないとか、そういった生温かい次元の話ではない。世間一般でいうところの『普通』という定規から、あまりにもかけ離れ過ぎていた。
息をするだけで肺が焼け焦げるような、そんな冷たい世界。
だから自然と、五人は群れをなした。
まるで、嵐の夜に見知らぬ動物たちが一つの洞穴に身を寄せるように。互いに互いの傷を舐め合い、凍える体を寄せ合いながら、必死に生をまっとうしてきた。そうしなければ、生きていけなかった。
その結果、彼らの間には、血の繋がりすらも凌駕する家族以上の絆が生まれたのだ。
そんな瑞樹の人生には、もう一人、大切な存在がいた。
『大切』と表現するにはあまりにも薄っぺらいかもしれないが、自分の心の平穏と幸せを享受してくれる、絶対に欠かせない相手。
本名も、声も、顔も、性別も、どこに住んでいる何歳の人なのかもわからない、『ころも』という名前のオタク友達だ。
ネットの海で出会ったころもとは、チャットアプリを通して毎日のようにやり取りをしている。
幼馴染たちには、ころもの存在はおろか、自分自身にオタク趣味があることすら完全に秘密にしている。瑞樹にとって、アニメや漫画を見ている時間、ゲームをしている時間は何よりも幸せであり、その幸せを偽りなく語り合えるころもとの時間は、何物にも代え難い大切なものとなっていた。
部屋の明かりを落とした暗闇の中、スマートフォンの液晶画面だけが瑞樹の顔を青白く照らし出している。
瑞樹はチャットアプリを開き、ころもからのメッセージを確認した。画面をタップし、文字を打ち込む。
『お疲れ様ー、ころもさん』
送信ボタンを押すと、すぐに軽快な通知音と共に返事が画面に滑り込んできた。
『おっつーみずきさん。あれ見た?』
『見た。神アニメ確定。やっぱりころもさんのセンスは自分と似てる』
『好きなものが似てるのは良いことだよねー。ところでみずきさん』
『ん?』
瑞樹が短い返信を送った直後、画面の端に入力中の文字が浮かび上がった。
しかし、その文字はすぐに消え、また浮かび上がっては消えるのを繰り返す。なんて打とうか迷っているような、そんな雰囲気が画面越しにも伝わってくる。
瑞樹は少しだけ目を細め、次の言葉を待った。
やがて、ポン、とメッセージが届く。
『殺したいほど愛している人はいるかい?』
その一文を見て、瑞樹の口角が微かに上がった。
昨日、二人で話題にしていた深夜アニメの、印象的なクライマックスの台詞だ。
瑞樹は少しだけ迷い、キーボードの上で指を滑らせた。
『ああ、もちろんいるさ。この醜い愛憎をぶちまけたい相手がね』
すぐに、ころもからテンションの高い返事が返ってくる。
『はっはー!昨日のアニメのオチ、ちゃっかり覚えてるねー!』
『もちろん。鳥肌立ったよあのシーン!怖すぎて泣いた』
『怖すぎてチビった』
『上には上がいた』
『えへ』
喉の奥から、ふふっと自然な笑いがこぼれ落ちる。
楽しい。
このころもとの会話が、瑞樹は本当に楽しかった。
現実のしがらみも、重苦しい感情もすべて忘れて、ただ何気なく、好きなものをありのまま語り合えるこの時間が、今の古河瑞樹の唯一の安らぎだった。
液晶の光を見つめながら、瑞樹は深く、静かに息を吐き出した。




