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転生龍覚者と導きの紋章 〜始原の森から始まる英雄譚〜  作者: シェルフィールド
3章

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第95話:影との遭遇

私の名はイリス・ヴァリエール。王女オリヴィア様にお仕えする近衛騎士であり、レン公王をはじめとするかけがえのない仲間を持つエルム公国の礎を築く一員だ。


山脈を隔てたヴェルガント帝国国境付近の森は、凍てつく静寂と、異常な緊張に包まれていた。また、エルム公国を出立してから、すでに一週間が経過していた。


私の任務は、極めて危険度の高いもの。先行して帝国国境付近に潜入した北部偵察隊(フォルカス隊)の消息が途絶したため、彼らを捜索し、安全を確保し、そして公国との合流を支援すること。


私の生死が、公国の運命を左右しかねない、重要な役割を担っていた。公国の公王執務室で、セレスティーナ総長から直々にこの任務を拝命した時のことを思い出す。


レン公王、そしてオリヴィア様も、私の身を案じてくれた。


『イリス、危険すぎる。俺もフィーナと共に行こうか?』


『いいえ、レン公王。あなた様は公国の要。軽々しく動くべきではありません。それに、この任務は、隠密行動に長けた私一人の方が、成功の確率は上がります』


『……イリス。どうか、生きて帰ってきてくださいましね』


『はい、姫様。必ずや』


オリヴィア様の不安げな表情を振り切り、私はこの任務に志願した。姫様をお守りするという私の誓いは、姫様の傍にいることだけではない。姫様が築こうとしている国の未来、その礎となる仲間たちを守ることこそが、今の私の忠誠の形なのだから。


私は闇属性の魔力を微かに足裏に纏わせ、落ち葉一枚踏み鳴らすことなく、森の闇に溶け込んでいた。この一週間、帝国の監視網を幾度となくかいくぐってきた。彼らの警戒は執拗で、斥候犬や魔力感知器を配備した小隊が、網の目のように巡回している。


だが、私の闇魔法を応用した隠蔽術と、騎士として培った五感の前では、彼らの監視網も無力だった。


フォルカス隊が最後に定時連絡を入れてきた座標へと、私は慎重に進んでいた。しかし、目的地に近づくにつれ、森の空気は重く、その静寂は不自然なほど深まっていた。


鳥の鳴き声がしない。獣の足音も聞こえない。まるで、この一帯から生命そのものが逃げ出したかのような、死の静寂だった。


道中、私はその異変の根源を目の当たりにしてきた。放棄された複数の猟師小屋。そこには戦闘の痕跡ではなく、土壌が不自然な黒い塊で汚染され、鼻腔を突く刺激臭――謎の薬物が散布された痕跡――が残っていた。


これは、ただの掃討作戦ではない。帝国による、「実験」の痕跡だ。彼らは、この森で何かを試している。その「何か」が、フォルカス隊の失踪と無関係とは思えなかった。


怒りを押し殺し、さらに数日進んだ私は、ついにフォルカス隊が目指していたと思われる方向にあった廃村にたどり着いた。そこは、かつてドラグニアの民が細々と暮らしていた小さな集落だったが、今は見る影もない。


私は警戒を最大まで高め、集落の内部へと慎重に足を踏み入れた。家々は破壊され、畑は荒れ果て、まるで疫病が通り過ぎた後のように、人の気配はまったくない。


瓦礫の中に混じって見つけたのは、人間の衣服の切れ端や、生活道具の残骸だった。そして、ひときわ目を引いたのは、焼け焦げた木片に、血で描かれたような禍々しい紫色の紋様が残っていること。


私は、奥歯を強く噛み締めた。任務は、斥候隊の捜索と接触。


私は、自らの五感を頼りに、集落の隅々まで注意深く探索を続けた。だが、フォルカス隊の痕跡は見つからない。


捜索を続け、心身ともに疲労が蓄積し始めた頃、私は一つの古い家屋の地下室へと続く、隠された入り口を見つけた。床下に隠された、小さな扉。限界に近い疲労を回復させる必要性から、私はその暗い地下室へと身を滑り込ませた。


地下室はひんやりとしており、湿ったカビ臭い空気が満ちていた 。松明に火を灯し、周囲を見渡す。岩と土壁に囲まれた、小さな倉庫のような空間だ。身を休めるには十分な広さがある。


その時、地下室の隅、古びた毛布の下から、微かな人間の呼吸音が聞こえた。


「――っ!」


私は反射的に剣を抜き、その音の根源に鋭く剣先を向けた。闇魔法で気配を完全に遮断し、獲物を狙う狩人のように静かに近づく。


ゆっくりと毛布を捲り上げる。そこにいたのは、敵兵ではなかった。まだ幼い、14歳ほどの少女だった。


少女の姿を見た瞬間、私の胸は激しく締め付けられた。


彼女の右腕は、肘から先が完全に切断されている 。切り口は生々しく、適切な処置もされぬまま放置されたのだろう、傷口からは重度の敗血症を起こし、皮膚は黒ずんで、その命の灯火は今にも消えそうだ 。瞳は虚ろに開かれているが、光を捉えていない。


彼女は、あまりの苦痛と衰弱からか、意識はほとんどなく、か細い呼吸を繰り返しているだけだ。私は、思わず剣を下ろした。


(なんてことだ……。帝国は、子供にまで……! いったいどこまで非道なのだ……!)


怒り、悲しみ、そして深い無力感。様々な感情が、私の心を激しく揺さぶる。私の任務は、フォルカス隊の捜索。そして、この場所から離脱し、情報を公国へ持ち帰ることだ。


この瀕死の少女を連れて移動することは、私の卓越した隠密行動の全てを崩壊させ、任務の失敗、あるいは公国への重要な情報が途絶えるという最悪の事態に直結する。


彼女は、もう長くは持たないだろう。このままそっと立ち去れば、任務は完遂できる。


(騎士として、私は、何を優先すべきか……!)


頭の中では、理性と任務の遂行を求める声が響く。公国の未来のためには、非情な決断が必要だと。だが、私の心は、目の前の幼い命を見捨てることを、断固として拒否していた。


オリヴィア様が目指す国、レン公王が築く国は、このような非道を見過ごす国ではないはずだ 。彼らが目指すのは、弱き者が虐げられることのない、温かい光に満ちた場所。その国に仕える騎士が、目の前の命を見捨てて、何の誇りがあろうか。


私は、静かに決意した。たとえ任務を中断し、この身が危険に晒されようとも、私はこの少女を保護する。


私は、その幼い体を優しく抱き上げ、毛布で丁寧に包み込んだ。その体は、あまりにも軽く、骨と皮だけになっている 。この子の名前は知らない。だが、彼女の瞳には、まだ生きる意志の光が残っていた。


少女を抱え、地下室の出口へと向かおうとした、その直後だった。


「――見つけたぞ、ドラグニアのネズミめ!」


地下室の入り口から、複数の帝国兵が居ることが感じ取られた。松明の光が、彼らの黒の鎧を不気味に照らし出す。その数は十数名。しかも、その中には指揮官クラスの、ただならぬ威圧感を放つ者まで含まれている。


「……っ!」


私は、息を呑んだ 。


私は瀕死の少女を抱え、圧倒的に不利な状況で、戦闘を余儀なくされた。私の手には、長剣しかない。


「くそっ……!」


私は、自らに向けられた怒りと、少女を巻き込んでしまった後悔に、唇を噛み締めた。このまま戦闘に突入すれば、勝機などどこにもない。


私は、最後の望みを託し、懐から遠話の魔石を取り出した。公国へ、援軍を求めるための唯一の手段だ 。


「オリヴィア様! レン公王! 応答願います! ――こちらイリス! 敵に包囲された! 座標は……!」


私は魔石に、全魔力を込めて叫んだ。しかし、私の通信を阻むように、周囲の空間に、禍々しい紫色の魔力の波紋が広がっていくのを感じた。


「無駄だ、ドラグニアの騎士」


指揮官が地下室への入口で嘲笑う。


「我らの魔術師が展開した強力な『魔力ジャミング』の前では、お前の通信など届かぬ!」


帝国兵の言葉通り、通信はノイズに紛れて断片的にしか公国に届いていないだろう。


圧倒的に不利な状況下、私は冷静沈着な判断を下した。


私は瀕死の少女を地下室の最も奥深く、瓦礫の山に隠された狭い隙間へと押し込んだ。


「必ず、レン公王が助けに来てくれる。それまで、どうか生きていてくれ」


私は少女に最後の祈りを捧げ、その隠匿場所を瓦礫で完璧に封鎖した。


少女の隠匿が完了すると、帝国兵が雪崩れ込んできた。私は単身で帝国兵の前に立ち塞がった 。長剣を抜き放ち、私は叫ぶ。


「――来るがいい、帝国兵ども! お前たちの相手は、私がしてやる!」


「愚かな。だが、その時間稼ぎも無駄だ。かかれ!」


指揮官の号令一下、帝国兵たちが一斉に襲いかかってくる。地下室という狭い空間、逃げ場はない。私は長剣を構え、迫り来る死の刃を迎撃した。


ガキンッ! 最初の二人の攻撃を捌き、カウンターで一人を斬り伏せる。だが、すぐに三人目、四人目が左右から襲いかかる。多勢に無勢。私の剣は空しく弾かれ、体は衝撃で吹き飛ばされる 。


「ぐっ……!」


壁に背中を打ち付け、呼吸が詰まる。だが、まだだ。まだ、姫様のために、レン公王のために、そして、今隠したあの少女のために、ここで倒れるわけにはいかない。


私は最後の力を振り絞って立ち上がろうとした。だが、その体はもはや私の意志に応えず、再び膝をついた。薄れゆく意識の中、帝国兵たちの声が聞こえた。


「指揮官殿、やりました!こいつは、近衛騎士イリス・ヴァリエールではないでしょうか?」


「うむ、大金星だ。こいつは重要な情報源になる。生かしたまま、本国の指示通り、直ちに『ベスラ砦』へ移送しろ。尋問し、公国の情報を全て吐かせるのだ」


(ベスラ砦……)


その言葉が、私の最後の意識に突き刺さる。


(姫様……レン殿……どうか、ご無事で……)


私は、静かに目を閉じた。


そして、その全てを、瓦礫の奥深く、意識の淵を彷徨いながらも、少女はその「ベスラ砦」という言葉だけを、確かにその耳に刻み込んでいた 。

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