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転生龍覚者と導きの紋章 〜始原の森から始まる英雄譚〜  作者: シェルフィールド
3章:囚われの民と雷鳴の姫君 〜目覚める龍の紋章〜

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第83話:叡智の雫と未来への布石

公国の三大都市建設が本格的に始動し、首都エルムヘイムがその中枢として機能し始めてから数日が過ぎた。活気に満ちる槌音や人々の声とは少し離れた場所にある、錬金術師エラーラに与えられた工房は、静かな、しかし知的な熱気に満ちていた。


ガラス製の蒸留器からは錬金術特有の複雑な香りを伴う蒸気が立ち上り、作業台の上には様々な色や粘度の液体が入ったビーカーやフラスコが整然と並べられている。その中央で、エラーラは乳鉢に入った深い緑色の植物の根を、集中した面持ちですり潰していた。


(素晴らしい……。この国の、この始原の森の素材は、私の知識を遥かに超えている。ドラグニアの王宮にあったどんな希少な素材よりも、純粋で、力強いマナを秘めているわ)


彼女の胸には、研究者としての純粋な喜びと、この場所を与えてくれた若き公王への深い感謝が満ちていた。


故郷を失い、山賊に囚われ、絶望の淵にいた自分を救い出してくれただけでなく、こうして再び錬金術師としての道を歩む機会を与えてくれたのだ。この御恩に報いるためにも、必ずや公国の力となってみせる。エラーラは、改めて心に誓いながら、すり潰した根から染み出す濃緑色の液体を、スポイトで慎重に吸い上げた。


その時、工房の扉が控えめにノックされ、聞き慣れた優しい声が響いた。


「エラーラさん、入ってもいい?」


「ええ、どうぞ。開いていますわ」


扉が開き、籠を抱えたアリシアがひょっこりと顔を出した。彼女の存在は、無機質になりがちな工房に陽だまりのような温かさをもたらす。


「エラーラさん、頼まれていた【月影のシダ】と【獣除けの根】、持ってきましたよ!」


アリシアは、籠いっぱいの新鮮な薬草を、嬉しそうに作業台の上に広げた。土の香りと、植物の持つ生命力豊かな匂いが、工房の空気を和らげる。


エラーラは、アリシアが持ってきた薬草を手に取り、その状態の良さに目を細めた。


「ありがとうございます、アリシアさん。どちらも素晴らしい品質ですわ。特にこの【獣除けの根】に含まれる魔物に対する忌避成分……始原の森の植物は、本当に興味が尽きません」


「えへへ、ティアーナさんと一緒に温室で育て始めたものだから、普通に採ってくるより魔力の循環が良いみたい。エラーラさんの研究に役立てるなら、私も嬉しいな」


アリシアはそう言うと、エラーラの手元を興味深そうに覗き込んだ。乳鉢から抽出された濃緑色の液体が、フラスコの中で静かな輝きを放っている。


「すごい……。ただ乾燥させて煎じるだけじゃなくて、こうして成分だけを取り出すと、効果も凝縮されるのですね」


「ええ。錬金術は、万物が持つ本質を分解し、再構築する技術。アリシアさんの持つ薬草学の知識と組み合わせることで、これまでにない効果を生み出すことができるはずですわ」


エラーラは、アリシアの純粋な好奇心に満ちた瞳を見て、穏やかに微笑んだ。


「アリシアさんの薬草学は、植物が持つ力を、自然との調和の中で最大限に引き出す素晴らしい学問です。わたくしには、その植物一つ一つが持つ個性や、森全体との繋がりを見極めるような繊細な感覚はありません。ですが、錬金術は、その引き出された力をさらに純化させ、特定の目的に特化させることができます。例えば……」


エラーラは、別のフラスコを指さした。中には、彼女が以前アリシアから譲り受けた回復薬を、錬金術で再構築したという透明な液体が入っている。


「アリシアさんの回復薬は、体全体の生命力を穏やかに高めることで傷を癒します。ですが、わたくしがこれを分解・再構築することで、例えば『外傷治癒』に特化した成分だけを抽出し、即効性を高めた軟膏を作ったり、『内臓機能の回復』に特化したポーションを生み出したりすることも可能になるのです」


「すご……! 同じ薬草から、そんな風に効果を分けられるの!?」


「はい。アリシアさんの知識と、わたくしの技術。この二つが合わされば、きっとエルム公国に、大陸のどこにもない、新しい薬学の扉を開くことができると信じていますわ」



◇◇◇



「二人とも、頑張っているな」


俺はハーブティーのカップを片手に工房の中へ入った。三大都市の建設は順調に進んでいるが、それに伴う新たな課題も山積している。その一つが、作業員たちの安全確保だった。工房の中は、薬草の良い香りと、錬金術特有の不思議な匂いが混じり合い、知的な熱気に満ちていた。


「レン!」


「レン公王」


アリシアとエラーラが、同時に顔を輝かせる。アリシアは嬉しそうに駆け寄ってきて、俺の腕にそっと自分の腕を絡ませた。


「見てください、エラーラさんが新しい薬を!」


アリシアが目を輝かせながら、エラーラが持つ小さなガラス瓶を指さす。


「レン公王。ちょうど良いところへお越しになりました。先日ご依頼いただいた件、最終段階に入っております」


エラーラは居住まいを正し、一つの小さなガラス瓶を手に取った。中には、彼女が先ほど抽出した濃緑色の液体が満たされている。


「これは……?」


「各都市の建設現場や、資源採集を行う方々のための、強力な魔物よけの薬ですわ」


エラーラは、公王である俺に研究の成果を説明し始めた。


「軍事都市や生産都市の建設地は、始原の森の未開拓地。当然、強力な魔物も生息しています。防衛隊の護衛には限りがありますし、作業員の方々が常に脅威に怯えながらでは、作業効率も上がりません」


俺は深く頷いた。それこそが、俺が今最も懸念している課題だった。ドラグニアの兵士たちがどれほど優秀でも、広大な建設現場の全てを完璧にカバーすることは不可能だ。


「そこで、始原の森の植物が持つ特有の魔力成分に着目しました。アリシアさんから提供いただいた数種類の植物……特にこの【獣除けの根】から抽出した成分を、わたくしの錬金術で精製・濃縮することで、強力な忌避効果を持つ香油を開発したのです」


彼女はそう言うと、ガラス瓶から濃緑色の液体を少量、布切れに染み込ませた。途端に、ツンと鼻をつく、しかし決して不快ではない、凝縮された植物の香りが工房に満ちる。


「うわ、すごい匂い……!」


アリシアが、思わず鼻をつまむ。


「この匂いは、多くの肉食系魔物が本能的に嫌うものです。これを体に塗布するか、あるいは拠点の周囲に撒くことで、下級から中級の魔物であれば、ほとんど寄せ付けなくなるはず。効果の持続時間も1週間程度と長く、作業の安全性を飛躍的に高めることができるでしょう」


その説明に、俺は目を見開いた。これは、単なる便利な道具ではない。公国の拡大戦略を支える、重要な発明だ。


「すごいじゃないか、エラーラさん! これがあれば、村を守る兵士やボルグたちの負担も大幅に減らせるし、皆が安心して作業に集中できる!」


「はい。これも、あなたが与えてくださったこの素晴らしい研究環境と、アリシアさんという最高の協力者がいてくれたおかげですわ」


エラーラは、アリシアを見て優しく微笑む。アリシアも、少し照れくさそうに、でも誇らしげに笑い返した。


「よし、その香油……【獣避けの香油】とでも名付けよう。すぐに量産体制を整え、各都市の建設現場へ転移門で送ろう。エラーラさん、アリシア、本当にありがとう。君たちの知恵が、この国の未来をまた一つ、確かなものにしてくれた」


俺の言葉に、エラーラは錬金術師として、そしてエルム公国の仲間として、力強く、そして誇らしげに頷いた。


「はい、公王! 量産化に向けて、早速アリシアさんと協力し、より効率的な精製方法の確立と、必要な薬草の栽培計画を立案します!」


「うん! 私も頑張る! エラーラさんと一緒なら、もっとすごい薬だって作れる気がするもん!」


アリシアの薬草学とエラーラの錬金術。二つの異なる叡智が融合し、エルム公国はまた一つ、未来への確かな布石を打ったのだった。


俺は、目を輝かせながら次の研究について語り合う二人を見て、心の中で安堵の息をついた。だが、同時に、新たな野心が静かに芽生えるのを感じていた。


「エラーラさん、アリシア」


俺が真剣な声で呼びかけると、二人は不思議そうな顔でこちらを振り返った。


「その【獣避けの香油】は、我々を守るための『盾』の薬だ。だが、これから我々が大陸で帝国と戦うためには、攻めるための『剣』となる薬も必要になる」


俺は、二人の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「例えば、兵士たちの身体能力を一時的に引き上げる強化薬や、瀕死の重傷さえも瞬時に治癒する、より強力な回復薬……いわゆる『エリクサー』のような伝説級のポーション。君たち二人の力が合わされば、そんな夢のような薬の開発も、不可能ではないかもしれない。どうだろうか?」


俺の提案に、工房の空気が一瞬、シンと静まり返った。


そして次の瞬間、エラーラとアリシアの瞳に、これまでにないほど強く、そして熱い探求心の炎が燃え上がった。


「強化薬……エリクサーですって……!?」


「そんな……物語の中だけの、伝説の薬を……!?」


「ああ。不可能だと思うか?」


「……いいえ!」


二人の声が、力強く重なった。


「やってみます!」


「やってみたいです!」


アリシアの薬草学とエラーラの錬金術。この二つの叡智の融合は、単に魔物よけの薬を生み出すだけに留まらない。それは、この国の未来の大いなる希望の始まりだった。


俺は、目を輝かせる二人の天才を前に、満足げに微笑んだ。公国の未来は、明るい。そう確信できる、確かな手応えを感じていた。


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