第80話:工業の鼓動と温泉の約束
軍事都市『アイギス・フォート』の建設は、セレスティーナ総長のもとで迅速に進み、生産都市『アグリ・ヴィータ』の開墾と基盤構築も、テラスさんの地力活性化魔法と俺の土魔法によって順調に進んでいた。
俺は首都エルムヘイムの公王執務室で、最後の要となる都市、鉱山都市の青写真が描かれた羊皮紙を広げていた。この都市の使命は、公国の技術的な優位性を確立するための第二中枢となることだ。
武具や転移門のフレームに不可欠な特殊合金「星脈鋼」はもちろん、軍事・生産活動に必要な様々な鉱石を採掘・加工するための堅固な基盤を構築しなければならない。
「軍事、生産と来た。次は資源と技術だ」
俺は立ち上がり、机に向かっていたティアーナに視線を向けた。彼女は、以前俺が不在の間に転移門の複製技術に関する素案を既に作成してくれていた。
「ティアーナ。鉱山都市の最高責任者は、君に任せる」
「はい、レンさん。承知いたしました」
ティアーナは恭しく頭を下げた。その青い瞳は、新たな技術領域への挑戦に、知的な興奮を宿している。
「この都市の核となるのは、星脈鋼の加工技術と、採掘・精錬技術の応用研究だ。君の魔道具技術と古代の知識、そしてゴードンさんの伝統技術を融合させ、公国の技術力を揺るぎないものにしてほしい」
「この使命、公国の未来のために、必ず果たします!」
俺は次に、この都市の技術サポート役を指名する。彼らの協力なくして、特殊合金の加工や、大規模なインフラ構築は不可能だ。
「技術サポート役には、そのゴードンさんと、そして錬金術師のエラーラさんに加わってもらおう」
「エラーラ嬢ですか。彼女の錬金術と素材解析の能力は、多岐にわたる鉱石の最適な精錬プロセスを確立するのに不可欠です」
ティアーナが即座にその人選の合理性を評価した。エラーラは錬金術師だ。彼女の知識は、ゴードンさんの鍛冶技術、ティアーナの魔道具技術と組み合わせることで、無限の可能性を秘めていると考えている。
そこへ、巨大なハンマーを肩に担いだゴードンさんが、工房から現れた。
「盟主直々の指名じゃな! 仕方ない、儂が、小僧どもの計画に、魂を注入してやろう!」
ゴードンさんは相変わらず口は悪いが、その顔は嬉しそうだ。
「ゴードンさん、頼みますよ。あなたの加工理論・技術と知恵がなければ、この都市は立ち上がりません」
◇◇◇
さて、建設地の選定だ。通常の手段で言えば、主要な鉱脈、例えば「星の傷跡」と呼ばれる星脈鋼の鉱脈の近くに都市を設営するのが常識だろう。
「ティアーナの探知データに基づくと、星の傷跡の洞窟に近い、この山脈の谷間が最も理にかなっています」
俺が地図上の座標を指し示すと、ゴードンさんは再び顔をしかめた。
「そのことなんじゃがな、儂から一つだけ、ある条件を飲んでほしい事がある」
「その条件とは、何でしょうか」
「簡単じゃ! 建設地は、必ず大規模な温泉が湧き出る場所にしたい!」
俺は、一瞬固まった。カイルならともかく、ゴードンさんが、国家の重要プロジェクトの建設地を「温泉」で決めろと言うとは、予想外だった。
「温泉……ですか。ゴードンさん。この都市は、公国の技術開発の要であり、資材生産の心臓となる場所です。その場所を、鉱石が取れる場所よりも温泉を優先するとなると……」
ゴードンさんはニヤリと笑った。
「温泉は、大規模な地熱源がある証拠じゃろう?星脈鋼や他の鉱石の加工には、工業用熱源が必要じゃ。温泉が湧く場所こそ、最も合理的で効率的な工業地帯と言えるのではないか!」
俺は言葉を失った。ゴードンさんは、俺の論理的な壁を、技術的要求(熱源の確保)という武器で打ち破ってきたのだ。
俺は少しの間、思考を巡らせたが、ゴードンさんの主張の真実性を認めた。温泉は、職人の安らぎであると同時に、工業的な熱源を確保し、ひいては都市全体のエネルギー供給を安定させる条件だった。
「ただ、それだと鉱石の採掘に不便ではないでしょうか?」
「それなら問題ない。転移門を、鉱山都市と洞窟の鉱石が取れる場所まで繋げてしまえばいいだけじゃ! そうすれば、資源の採掘と、職人が暮らす場所を、わざわざ同じ不便な場所にする必要はない」
「な……なるほど。言われてみれば、確かに」
彼の発想の転換に、俺は思わず目から鱗が落ちる思いだった。物流の課題が、転移門の存在によって完全に解決するのだ。
「……分かりました、ゴードンさん」
俺は観念し、深く息を吐いた。
「ゴードンさんの条件を飲みましょう。建設地は、転移門による鉱脈への直結を前提とし、大規模な地熱源(温泉)が豊富にあり、かつ防衛上、優位性を確保できる場所を最優先で選定します」
ゴードンさんは、満足げに長い顎髭を撫で、ハンマーを肩に担ぎ直した。
「話が早くて助かるわい、レン公王」
◇◇◇
建設地の条件は定まった。次は、その場所を特定することだ。
俺はティアーナと、錬金術師のエラーラを伴い、大きな地熱源の探査を開始する。
「レンの魔力感知と、この探査結晶を組み合わせれば、地熱による魔力反応の異常を、より精密に捉えられるはずです」
そして、俺の転移魔法でいくつかの候補地まで転移し、調査を開始した。
全員で何度かの転移を繰り返した時、俺の意識が、始原の森の内側にある、一つの峻険な山脈の谷間に強く引き付けられた。そこは、周囲を岩山に囲まれた天然の要塞であり、地下深くで強大な熱の魔力が渦巻いているのがはっきりと感じられた。
「見つけたぞ。この座標だ」
俺は座標を伝えた。
「探査を進めるのがはやいですね……!もし大きな熱源であれば、工業炉の稼働に必要な熱や蒸気は、賄えるはずですわ」
ティアーナが、興奮気味に分析結果を伝えてくれる。エラーラも、探査結晶に顔を近づけ、その反応に知的な興味を示している。
「よし。この地を調査し、転移門を設置しよう」
◇◇◇
転移門を谷の中心に設置した後、俺はすぐにセレスティーナ総長に【遠話の魔石】で連絡を取った。
『レン公王。鉱山都市の建設地、決定したのですね』
セレスティーナの落ち着いた声が、魔石を通して響く。
「ええ、総長。今、門を設置したところです。この都市は、公国の資源確保と技術中枢となりますが、その防衛体制も極めて重要です」
『承知しております。軍事都市『アイギス・フォート』、生産都市に続き、鉱山都市もまた、帝国の脅威に晒される可能性のある最重要拠点です』
「この都市にも、初期の防衛隊の派遣をお願いしたい。転移門が稼働した今、資材の運搬や、鉱脈への出入りは頻繁になります。転移門の防御を最優先とする防衛体制を、早急に構築したい」
『御意に。生産都市への派遣と連携し、バルトロメオ副官に命じ、部隊を即座に転移門を通じて派遣させます。門の周囲に即席の防衛陣地を構築し、建設期間中の安全を確保させましょう』
セレスティーナの迅速な采配に、俺は心の中で感謝した。彼女の的確な状況判断は、国家運営の要である。
◇◇◇
防衛部隊の到着を待つ間、俺は造成作業に取り掛かった。
「皆、少し下がってくれ。風圧と粉塵が酷くなる」
俺は谷の中心に立ち、体内の膨大な魔力を解放した。右手の手の甲に刻まれた龍の紋章が、眩い光を放ち、俺の意志に呼応する。
ゴオオオオオオオオッ!!
無詠唱で、土魔法を大地に解き放つ。魔力は、周囲の山肌や岩盤を変質させた。
採掘施設へつなぐ転移門を設置する区画、多岐にわたる鉱石の精錬に耐えるための高温炉区画、錬金術の実験室や研究棟のための区画。
俺の頭の中で描かれた設計図に従い、岩石と土砂が瞬く間に移動し、緻密に圧縮され、建物の基礎を置くのに最適な硬度の地盤へと変わっていく。
そして、ゴードンさんの絶対条件を満たすための区画。地熱活動が最も強い谷の中心部には、大規模な温泉施設のベースとなる区画が整地されていく。
数時間にわたる、大規模造成。
風塵が収まった時、そこには、完璧に整地された巨大な都市の基盤が広がっていた。
「……っ」
ゴードンさんは、口を開けたまま、言葉を失っている。彼の頑固な職人としての常識は、俺の力によって何度も打ち破られてきたが、この規模の造成は、最早神業としか言いようがないようだ。
錬金術師エラーラも、その場で膝をつき、造成後の土壌サンプルを採取し、驚きと探求心に満ちた目で分析を開始した。
「この強固な土台と熱源があれば、あらゆる鉱石の精錬と新しい合金の開発が飛躍的に進むことは間違いありません!」
造成が完了し、転移門の周りでは、セレスティーナ総長から派遣されたバルトロメオ副官が、ドラグニアの兵士たちに指示を出し、即座に防衛陣地の構築を開始していた。兵士たちは、門を公国の心臓部と定め、周囲に強固な防御線を張り巡らせていく。
俺は、全てが整ったこの地に、深い安堵感を覚えた。
「よし。これで、公国の資源・技術中枢の基盤は整った」
◇◇◇
造成された土地の中心。俺は、最高責任者であるティアーナと、サポート役のゴードンさん、エラーラさんに向き合った。
「ティアーナ、ゴードンさん、エラーラさん。この都市の使命は、公国の資源と技術の未来を背負うことだ。この強固な基盤の上で、星脈鋼だけでなく、あらゆる鉱石を、効率よく、そして安定的に供給するインフラを確立してほしい」
「任せておけ、レン! ワシが最高の炉を作り、最高のインフラを構築してやるわい! ただし、温泉棟の建設は最優先じゃぞ!」
ゴードンさんが、ハンマーを振り上げ、コミカルな決意を表明した。
「ふふ、ゴードンさんの温泉棟は、熱源供給システムと連携させることで、都市のエネルギー効率を最大化する鍵となりますわ。この設計は、わたくしが担当いたします」
ティアーナはゴードンさんを優しく諫めながら、技術者としての役割を再確認した。
最後に、俺はティアーナに都市の命名を委ねた。
「ティアーナ。この都市を、君に託したい。この国の未来にふさわしい名を、つけてほしい」
ティアーナは、目を閉じ、造成されたばかりの、強固で揺るぎない地盤の上に、静かに魔力を込めた。
そして、彼女は目を開き、その青い瞳に確固たる決意を宿して、力強く宣言した。
「レンさんの土魔法による、揺るぎない地盤、そして、この地が公国の技術の基盤資源の炉となることを願い……」
「鉱山都市『グラニット・ベース』と命名いたします!」
『グラニット・ベース』。強固で、公国の揺るぎない土台となる、資源と技術の都市。
俺は、その名に心からの満足を覚え、力強く頷いた。
「よし! 鉱山都市『グラニット・ベース』の建設を正式に開始する!」
これで、エルム公国は、軍事、生産、そして資源・技術という三つの主要な機能都市の同時建設を、全て軌道に乗せた。
公国の強固な国家基盤は、今、ここに確立されたのだ。
俺は、仲間たちと共に、この新たな希望の都市の建設が始まる大地に立ち、未来への確かな一歩を踏み出したことを実感した。




