第52話:転移門、希望への扉
「ダメだ! この温度では、表面を撫でるのが精々じゃ!」
ゴードンの怒声が、工房に響き渡った。彼の額には汗が浮かび、その目には焦りと、職人としての屈辱の色が滲んでいる。
工房の中央に据えられた、彼が持つ最大の火力を誇る炉の中では、真っ赤に焼かれた星脈鋼が、まるで周囲の熱を嘲笑うかのように、その神秘的な蒼い輝きを一切失わずに鎮座していた。
「くそっ…! これほどの熱を加えても、傷一つつけられんとは! まるで生きとるかのようだ……いや、本当に生きとるのかもしれん、この金属は!」
「私の解析でも、星脈鋼の内部マナ構造は、外部からの熱エネルギーに対して極めて高い自己修復能力と抵抗性を示しています。通常の物理的な加熱だけでは、この結合を断ち切ることは不可能に近いでしょう」
ティアーナも、探知用の魔道具を片手に、悔しそうに唇を噛む。彼女の青い瞳は、目の前の伝説の金属が放つ挑戦的な輝きを、真正面から受け止めていた。
星脈鋼。それは、大陸とエルム村を繋ぐ希望の扉『転移門』を建造するための、素材となる可能性が高いもの。だが、その伝説に謳われるほどの硬度と魔力特性は、加工するという段階において、二人の技術者に壁を見せつけていた。
「どうにかならんのか、レン! お主の火魔法を直接炉に叩き込んでも、この有様じゃぞ!」
ゴードンが、炉の火力を魔法で補助していた俺に苛立ちをぶつける。俺も、先程から最大級の火魔法を連続で行使しているが、星脈鋼は涼しい顔をしている。魔力の消耗だけが激しい。
「すみません、ゴードンさん。俺の魔法でも、この炉の構造では熱が分散してしまうようです。もっと、こう……エネルギーを一点に収束させて、内部から構造を破壊するような……」
その俺の呟きに、ティアーナの目がキラリと光った。
「……内部から、ですか? レン、あなたのその発想、面白いですわ!」
彼女はすぐさま羊皮紙を広げ、猛烈な勢いで設計図を描き始めた。
「ゴードンさん! 今の炉を改造します! レンから供給される火の魔力を、ただの熱源としてではなく、炉そのものの『動力源』として組み込むのです!」
「なにぃ!? 魔法を動力源にじゃと!? そんな無茶な!」
「無茶ではありません、理論上は可能です!」
ティアーナの目は、もはや完全に魔道具師のそれだった。彼女は興奮に頬を染めながら、俺とゴードンにその画期的なアイデアを説明し始めた。
「炉の内部に、私が設計する特殊な魔力回路と、熱を増幅させるための陽熱石を組み込んだレンズを設置します。そして、レンがその回路に直接、高密度の火の魔力を流し込む。炉は魔力を吸収・増幅し、レンズを通して超高温のエネルギー奔流へと変換、それを星脈鋼の一点に集中させるのです! これなら!」
「……全く新しい炉……か。ふん、面白い! 面白えじゃねえか!」
ゴードンの目にも、再び職人の炎が宿った。絶望の淵から、新たな挑戦への道筋が見えたのだ。
「よし、決まりだ! やろう、二人とも! 俺たちの手で炉を創り出すぞ!」
こうして、エルム村の未来を懸けた、前代未聞の『魔力溶解炉』開発プロジェクトが、静かに、しかし熱く始動した。
◇◇◇
それからの数日間、工房はまさに戦場と化した。
ゴードンが、既存の炉を解体・改造していく。ティアーナは、工房に籠りきりになり、寝る間も惜しんで魔力回路の設計と、増幅レンズの研磨に没頭した。俺も、二人の指示に従いながら、魔法での資材加工や、動力源となる俺自身の魔力制御の訓練を繰り返した。
「レン! そこの隔壁、もっと強度が必要だ! 俺の指示通りに土魔法で圧縮しろ!」
「レン! 魔力レンズの最終調整です!炎の出力を調整していただけますか?」
時には意見がぶつかり、火花を散らすこともあった。
「嬢ちゃん! こんなか細い回路で、レンの莫大な魔力に耐えられると本気で思っとるのか!」
「失礼ですね、ゴードンさん! 強度だけが全てではありませんわ! この流麗な曲線こそが、魔力の奔流をスムーズに受け流し、増幅させるのです!」
だが、その根底にあるのは、最高のものを創り出そうという共通の情熱だった。カイルやアリシアも、心配して何度も食事や回復薬を差し入れてくれた。
「お前ら、本当に好きだな、そういうの……。まあ、無理だけはするなよ」
「三人とも、すごい集中力……。でも、ちゃんと休んでね?」
そして、一週間後。
三人の知恵と技術、そして情熱の結晶である、全く新しい炉――【魔力溶解炉】が、ついに完成した。それは、ドワーフの剛健な造形美と、エルフの精緻な機能美が融合した、神々しささえ感じさせる芸術品のような炉だった。
「……よし、火入れを始めるぞ」
俺の言葉に、ゴードンとティアーナが固唾を飲んで頷く。
俺は炉の動力源である魔力回路に手を置き、ゆっくりと、そして慎重に火の魔力を流し込み始めた。
ゴォォォォォッ……!
炉が、まるで生きているかのように唸りを上げる。内部の魔力回路が青白い光を放ち、増幅レンズがキィン、と甲高い音を立てて輝き始めた! 炉内の温度が、これまでの比ではない速度で上昇していくのが肌で感じられた。
「温度、安定! 魔力循環、正常!」
ティアーナが計測器の数値を読み上げる。
「よし、レン! 星脈鋼を投入するぞ!」
ゴードンが、特別な耐熱トングで星脈鋼を掴み、炉の中へと慎重に投入する。
そして、俺は魔力の出力を引き上げた!
「うおおおおおおっ!!」
炉内のレンズから、太陽光を凝縮したかのような、純白のエネルギー奔流が放たれ、星脈鋼を直撃した!
工房全体が、目も眩むほどの光と熱に包まれる!
しばらくして、光が収まった時。炉の中では、あれほど頑固だった星脈鋼が、まるで溶けた飴のように真っ赤に輝き、その形を変え始めていた。
「……溶けた……! ついに……!」
ゴードンの声が、感動に震えている。
「やりましたわ……!」
ティアーナも、安堵と喜びにその場にへたり込んでいる。
俺たちは、ついに伝説を乗り越えたのだ。
ゴードンは、水を得た魚のように、溶けた星脈鋼を金床の上で鍛え始めた。その槌音は、まるで新しい時代の到来を告げるファンファーレのように、エルム村中に響き渡った。
◇◇◇
転移門のフレームが形を成していく数日、俺は一つの懸念を拭えずにいた。それは、ティアーナと星脈鋼の関係だ。
工房で、ティアーナは完成したばかりのフレームに魔力回路を刻む作業に没頭していた。その横顔は生き生きとしており、星脈鋼に触れても以前のような拒絶反応は一切見られない。だが、俺の心の中の不安は、彼女が元気そうであればあるほど、逆に大きくなっていった。
「ティアーナ、少し休憩しないか? 根を詰めすぎだ」
俺が声をかけると、彼女は顔を上げ、自信に満ちた笑顔で頷いた。
「ありがとうございます、レン。ですが、大丈夫ですわ。星涙の泉の力で、私の魂は完全に浄化されたようですから。むしろ、この金属に触れていると、心が落ち着くくらいです」
彼女がそう言うのなら、信じたい。だが、盟主として、そして彼女を大切に想う一人の男として、万が一の事態を放置することはできなかった。あの苦しむ姿を、もう二度と見たくない。
「……それでも、だ。俺は心配なんだ。少しでいい、今日はもう休んでくれないか。」
俺が強い口調で言うと、ティアーナは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがて俺の瞳の奥にある深い憂慮の色を読み取ったのか、静かに工具を置いた。
「……分かりましたわ、レン。あなたの心を乱してまで、作業を続けるわけにはいきませんものね」
彼女はそう言って、少し寂しげに微笑むと、その日は工房から下がっていった。
それから二日間、ティアーナは転移門の作業には顔を出さなかった。心配になった俺がエルフの居住区を訪ねても、「少し考え事がありますので」と、自室にこもっているようだった。
(俺は、彼女を傷つけてしまったのだろうか……)
後悔の念が胸をよぎった三日目の朝。工房でゴードンさんと二人、無言で作業を進めていると、扉が静かに開いた。
「レン、ゴードンさん。お待たせいたしました」
そこには、以前にも増して晴れやかな、吹っ切れたような表情のティアーナが立っていた。そして、彼女の胸元には、見慣れない一つの装飾品が輝いていた。
銀の鎖に通された、涙の雫のような形をした小さな青い宝石のペンダント。その宝石からは、温かく、そして清浄な魔力が穏やかに放たれている。
「ティアーナ、そのペンダントは……?」
俺が尋ねると、彼女は少し照れたように、でも誇らしげに胸を張った。
「はい。レンが、私のことを心配してくださっているのが分かりましたから。だから、あなたに心から安心していただくために、私自身で作りました」
彼女はペンダントをそっと手に取り、俺に見せてくれる。
「これは、星涙の泉の水を私の魔力で結晶化させ封じ込めたものです。万が一、星脈鋼の暴走の兆候が現れた場合、この宝石が光を放ち中和してくれます。これがあれば、もう大丈夫ですわ」
俺は、言葉を失った。彼女は、俺の不安を解消するために、俺を安心させるためだけに、この数日間、このお守りを作ってくれていたのだ。
「……ティアーナ……」
「レンが、私のことを想ってくださるように、私も、あなたのことを想っているのです。あなたの心が、憂いや不安で曇るのは、私も見たくありませんから」
彼女は、真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
「だから、もう心配なさらないでください。……あなたがいる限り、私はもう大丈夫ですから」
その言葉と笑顔、そして彼女の深い思いやりに、俺の心は温かい光で満たされた。
遠くで作業を見ていたゴードンが「ふん、心配させおってからに。まあ、エルフの嬢ちゃんも大したもんじゃわい」と、誰にも聞こえないように呟いていたのを、俺は知らない。
◇◇◇
万全の対策を講じ、星脈鋼の加工に成功したことで、転移門の建設は一気に加速した。
ゴードンが鍛え上げた、流麗かつ剛健な星脈鋼のフレームが、村の中央広場から少し離れた、新たに造成された専用の施設に運び込まれ、巨大な門の形に組み上げられていく。それは高さ3メートル、幅2メートル程度の、二つのアーチ門だった。一つは村に、もう一つは対となる門と空間を繋ぐために、同じ施設内に数メートル離して設置された。
転移門は、俺のストレージに片方の転移門を格納し、必要な場所にすぐに設置して使用できるように設計してある。
そして、ティアーナが、エルフの仲間たちと共に、フレームの内部に複雑怪奇な魔力回路を、まるで刺繍を施すかのように、寸分の狂いもなく組み込んでいく。
星脈鋼のフレームに、銀線草の繊維や、細かく砕いた魔石が埋め込まれ、門は徐々に、ただの金属の塊から、神秘的な魔力を秘めた装置へと姿を変えていった。
そして、星涙の泉から帰還して一月が過ぎた、ある晴れた日。
ついに、二対の転移門が完成した。
星脈鋼のフレームは太陽光を反射して虹色に輝き、刻まれた魔力回路は静かに蒼い光を明滅させている。それは、息を呑むほどに美しく、そして神々しい光景だった。
その日、転移門が設置された場所には、俺とカイル、アリシア、ティアーナ、そしてゴードン、オリヴィア、イリスの姿があった。村の未来を左右する実験だ。国民に不安を与えぬよう、秘密裏に行う必要があった。
「レン」
起動を前に、ティアーナが真剣な表情で俺に向き直った。
「設計上、この門の初回起動には、空間そのものに魔力の経路を刻み込むため、想像を絶する魔力が必要です。あなたの莫大な魔力をもってしても、一人では危険かもしれません。」
彼女の青い瞳が、心配そうに揺れている。
「ああ、分かってる。だが、やらなければ始まらない。俺がやらなければ、誰もできないことだ。魔力を注ぐのは、対の片方の転移門でいいんだよな?」
「はい、2つの対となる転移門は同調しているので、片方のみで問題ありません。」
俺は頷き、門の脇に設置された制御台座に手を置いた。仲間たちが見守る中、俺はゆっくりと魔力を注ぎ込み始めた。
門が、ゴゴゴ……と低い唸り声を上げ、魔力回路の輝きが徐々に強まっていく。施設内に、期待と緊張が満ちる。俺はさらに魔力を注ぎ込む。額に汗が滲み、呼吸が荒くなる。
「レン! 無理するな!」
カイルが叫ぶ。
だが続けて魔力を注ぎ込み続けると、門が、これまでとは比較にならないほどの激しい光と音を発する!
二つの門の内側の空間が、水面のように揺らめき、やがて――
眩い光と共に、門の向こうに、対となる転移門の景色が映し出された!
「やった……! 繋がったんだ!」
俺は興奮して叫んだ。
「すごい……! 本当に、空間が繋がってる……!」
その光景を見ていたオリヴィアの瞳からも、大粒の涙が流れ落ちていた。
「この扉が……この扉さえあれば、大陸に散り散りになった我が民を……この安全な地へ……! 希望は、まだ……!」
イリスが、感極まる主君の肩を、そっと支えている。
「よし、俺が一番乗りで行ってみるぜ!」
カイルが、興奮を抑えきれない様子で名乗りを上げた。
「おい、カイル、まだ安全かどうかも……」
俺の制止も聞かず、カイルは起動した門へと歩み寄り、揺らめく光の中へと足を踏み入れた。彼の姿が、門に吸い込まれるように消える。
一瞬の静寂。そして、
「うおおおっ!」
という声と共に、数メートル離れたもう一つの門から、カイルが勢いよく飛び出してきた。
「すげえ! 本当に繋がってる! …うっぷ、ちょっと酔うがな…」
彼は少し顔を青くしながらも、興奮して拳を突き上げた。
完全な成功だ。俺たちは、互いの顔を見合わせ、歓声を上げた。
喜びを分ち合っていると、ティアーナが少し照れくさそうに、しかし誇らしげに説明を始めた。
「レン、皆さん。今ので、門の魔力経路は完全に最適化・定着されました。これでもう、あんな無茶な魔力供給は必要ありません。次回からは……」
彼女は微笑んだ。
「おそらく、私かアリシアさん、どちらか一人の魔力量でも、短時間なら起動できるはずです。もちろん、レンの莫大な魔力があれば、より安定して長時間稼働させられますが」
「本当か、ティアーナ!?」
「はい。そして……」
彼女は、少し悪戯っぽく続けた。
「防犯のため、この門は、私とアリシアさん、そしてレン……私たち三人の魔力パターンにしか反応しないように、特別なロックをかけておきました。この村の最高の切り札ですから、最高のセキュリティが必要でしょう?」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせ、そして笑い合った。
俺は、仲間たちの笑顔と、希望に満ちたオリヴィアたちの表情を見ながら、静かに、しかし力強く、その決意を固めるのだった。




