第46話:五人の絆
ティアーナが倒れてから、数刻が過ぎた。
俺の家の、一番日当たりの良い部屋。そこに静かに横たわる彼女の周りには、重く、そして出口の見えない絶望が漂っていた。
アリシアがつきっきりで看病を続けているが、ティアーナの顔色は蒼白なままで、その耳に浮かび上がった黒い蔓のような紋様は、僅かだが確実にその範囲を広げているように見えた。
俺は静かに立ち上がり、部屋にいる全員に向かって、固い決意を告げた。
「ティアーナは、俺が運びます」
その言葉に、全員の視線が俺に集中する。
「正気か、レン殿! 衰弱したティアーナ様を連れて、あの危険な森の奥へ向かうなど、無謀にもほどがある!」
リオンが、厳しく俺を諌めた。
「ええ、無謀でしょう。だから、ティアーナを歩かせるわけじゃない」
俺は、仲間たちの顔を順番に見回し、静かに、しかしはっきりと続けた。
「俺たちが先発隊として、先に『星涙の泉』へ向かいます。道中の危険を排除し、泉の安全を確保する。その後、俺の転移魔法で、ティアーナをこの部屋から直接、泉のほとりへと転移させるんです」
「確かに、レンの転移魔法なら……!」
「それしか、方法はないと思う」
俺は言った。
「俺の判断ミスが招いた事態だ。この責任は、俺が取る。カイル、アリシア、力を貸してくれないか?」
「当たり前だろ!」
カイルが、間髪入れずに叫んだ。
「そしてお前のせいじゃねえ! 俺たち全員の問題だ! ティアーナは、俺たちの仲間なんだからな!」
「うん……!」
アリシアも、涙を拭って力強く頷く。
「ティアーナさんを、絶対に助けよう! 私も、最後まで一緒に戦う!」
三人の間に、揺るぎない覚悟が満ちる。だが、その時だった。
部屋の入口に静かに立っていた影が、一歩前に進み出た。
「レン盟主。その唯一の希望である作戦、わたくしたちにも同行させていただけますか?」
凛とした声。そこに立っていたのは、オリヴィアだった。彼女の隣には、忠実な騎士イリスが、同じように真剣な眼差しでこちらを見据えている。
「オリヴィアさん……?」
アリシアが驚きの声を上げる。
「なぜ、あなたたちが……。」
俺が問いかけると、オリヴィアは静かに首を振った。
彼女は、もはや客人ではない、同盟者としての強い意志を込めて、理由を述べ始めた。
「ティアーナ殿は、我々が帝国と戦う上で、代わりのいない重要な存在です。彼女が持つ魔道具の知識と技術は、今後の我々の戦力を大きく左右するでしょう。彼女を失うことは、同盟にとって計り知れない戦略的損失です」
その言葉には、為政者としての冷静な計算があった。だが、彼女の瞳の奥には、それだけではない感情が揺らめいている。
そして、彼女は少しだけ表情を和らげ、眠るティアーナに優しい視線を送った。
「……それに、ティアーナ殿は、この村で初めてできた、わたくしの友人でもあります。友の危機に、黙って見ていることなどできません。これが最も大きな理由です。」
オリヴィアの言葉を引き継ぐように、イリスも一歩前に出て、完璧な騎士の礼で頭を下げた。
「レン盟主。姫様のおっしゃる通りです。そして、僭越ながら、戦力的な観点からも申し上げたい。この任務の危険度は、これまでのゴブリンや魔物との戦いとは比較にならないでしょう。皆様でも乗り越えられない試練が待ち受けているやもしれません」
彼女は顔を上げ、その鋭い瞳で俺を見据えた。
「王家に仕え、対人戦闘、対魔物戦闘、そして集団戦の訓練を積んできた騎士の剣技が、必ずや皆様の助けとなるはずです。どうか、我々の力を、仲間として頼ってください」
二人の真摯な申し出。それは、単なる同情や善意からくるものではなかった。同盟者としての責任、指導者としての戦術眼、そして友人としての熱い想い。その全てが込められた、覚悟の言葉だった。
俺は、カイルとアリシアの顔を見た。二人もまた、オリヴィアとイリスの覚悟を感じ取り、力強く頷いている。
俺は、二人に向き直り、深く頭を下げた。
「……ありがとう。あなたたちの覚悟、確かに受け取りました。ぜひ、力を貸してほしい」
こうして、エルム村の未来と、ティアーナの命運を懸けた、新たな先遣隊が結成された。
彼らの新たな戦いが、今、始まろうとしていた。
◇◇◇
出発の朝。エルム村の門の前は、静かな、しかし熱い祈りに満ちていた。
俺たち五人は、万全の準備を整え、仲間たちの前に立っていた。ゴードンが、夜通しでカイルの盾を補強し、イリスの剣を研ぎ澄ましてくれた。アリシアは考えうる限りの回復薬や解毒薬を調合した。俺のストレージは、それらの装備と物資で満たされている。
「レン殿、カイル、アリシア……そして、オリヴィア様、イリス殿。ティアーナ様のこと、頼んだぞ……!」
老エルフのリオンが、震える声で俺たちの手を握る。彼の後ろでは、他のエルフたちが、故郷に伝わる古の祈りを捧げていた。
「おう、任せとけ!」
カイルが、力強く胸を叩く。
「レン、これを」
「気をつけてな、レン! アリシアも、カイルも!」
「無茶だけはするんじゃないよ!」
ボルグやミーナさん、村人たちの温かい声援が、俺たちの背中を押す。
俺は、眠り続けるティアーナの部屋の窓を、もう一度だけ振り返った。
(待ってろ、ティアーナ。必ず、助けに行くからな)
心の中で強く誓い、俺は仲間たちに向き直った。
「よし、行こう!」
俺の号令一下、五人の先遣隊は、仲間たちの祈りを背に受け、転移魔法でシルヴァンの郷まで飛び、未知なる森の奥深くへと、その第一歩を踏み出した。
◇◇◇
シルヴァンの郷を越え、さらに奥へ。
森は、その様相を劇的に変えていた。木々は天を突くほどに巨大になり、地面はシダや苔に覆われ、空気は濃密なマナで満ちている。それは、神話の時代から人の手が加わっていない、原生林の姿だった。
「……すごい。こんな森、見たことない……」
アリシアが、畏敬の念を込めて呟く。
「ああ。だが、マナが濃い分、ここに住む魔物も桁違いに強いはずだ。全員、警戒を怠るな」
俺は魔力感知の範囲を最大まで広げ、慎重に進む。
そして、最初の試練はすぐに訪れた。
開けた谷間に差し掛かった時、地面を揺るがすような咆哮と共に、一体の巨大な魔物が姿を現したのだ。
それは、熊のような屈強な体に、鹿のような巨大な角、そして爬虫類のような硬い鱗を併せ持つ獣だった。体長は五メートルを超え、その目には原始的な凶暴性が宿っている。
「これは、エンシェント・グリズリー……! 古代種の魔獣……! まさか、こんな場所にまだ生き残りが……!」
オリヴィアが、王家の書物で得た知識からか、その名を叫び、戦慄する。
「来るぞ! カイル、イリス、前衛を頼む!」
俺の指示に、二人が即座に反応する。
「うおおおおっ!」
カイルが盾を構え、魔獣の突進を正面から受け止める! 轟音と共に地面が抉れるが、彼は歯を食いしばり、その巨体を押しとどめる!
「はあっ!」
その隙に、イリスが魔獣の側面へと回り込み、流れるような剣技で鱗の隙間を狙って斬りつける! キィン!と甲高い音を立てて火花が散るが、確実にダメージを与えている。彼女の剣捌きは、力で押すカイルとは対照的に、速さと技術で敵を翻弄する、洗練されたものだった。
「アリシア、回復と援護!」
「うん! ライトアロー!」
アリシアが光の矢を放ち、魔獣の目を狙撃して牽制する。
「オリヴィア、弱点はあるか!?なにか知っているようだったが!?」
俺は叫びながら、魔法の準備を整える。
「首筋の鱗が逆立っている部分! 古い書物いわく、おそらく、そこが急所です!」
前衛の二人が必死に魔獣を抑え込んでいるが、エンシェント・グリズリーの力は想像を絶していた。カイルの盾が軋み、イリスの剣が鱗に阻まれる。じりじりと、しかし確実に前線が押し込まれ始めていた。
「くそっ、こいつ、タフすぎるぜ!」
「わたくしに任せて!」
その時、オリヴィアの凛とした声が響いた。彼女は一歩前に出ると、その両手を天に掲げた。彼女の体から、金色の魔力が奔流となって溢れ出し、空に暗雲を呼び寄せる。
「王家に伝わる裁きの雷よ、我が声に応え、地を穢す不浄を滅せよ!」
詠唱と共に、雲間から一条の巨大な稲妻が迸る!
「サンダーランス!!」
ゴウッという轟音と共に、雷の槍がエンシェント・グリズリーの巨体を直撃した!
「グギャアアアアアアアアッ!!」
魔獣は、これまでにない苦痛の絶叫を上げた。雷撃を受けた体は激しく痙攣し、硬い鱗の一部が黒く焼け焦げ、砕け散っている。その動きが、完全に麻痺した!
「すごい……! これが、オリヴィアさんの魔法……!」
アリシアが息を呑む。
「今だ! 全員、総攻撃!」
俺の号令が飛ぶ!
「うおおおっ!」
「はあっ!」
カイルとイリスが、麻痺した魔獣に渾身の一撃を叩き込む!
「喰らえ! フレイム・ジャベリン!」
俺の放った炎の槍が、オリヴィアの雷撃で脆くなった鱗を貫き、エンシェント・グリズリーの急所を正確に捉えた!
「グオオオオオオオオオオッ!!」
最後の断末魔の叫びを上げ、古代の魔獣はゆっくりと大地に沈んでいった。
「はぁー。やったか……」
カイルが荒い息を吐く。
「見事な連携でした、カイル殿。あなたの防御力がなければ、持ちこたえられませんでした」
イリスも、額に汗を浮かべながら、カイルの強さを素直に称賛した。
「へへ……イリスさんこそ、すげえ剣だったぜ。あんな動き、見たことねえ」
二人の間には、戦士としての確かな信頼が芽生え始めていた。
「皆、お疲れ様。オリヴィア、見事な魔法だった。助かったよ」
俺が言うと、オリヴィアは少し息を切らしながらも、誇らしげに微笑んだ。
「当然です。わたくしも、同盟の一員ですから。ティアーナさんを救うためなら、この程度の力、幾らも惜しみませんわ」
強敵を打ち破ったことで、俺たち五人の間には、一つのチームとしての固い絆が確かに生まれていた。
だが聞く限り、『星涙の泉』への道は、まだ遠い。そして、その先には、これ以上の試練が待ち受けているに違いない。
俺は、倒した魔獣をストレージに収め、再び歩き始めた。
夜、焚き火を囲みながら、俺たちは今日の戦いを振り返り、明日の行程について話し合う。
アリシアが淹れてくれた温かい薬草茶が、疲れた体に染み渡る。カイルとイリスは、互いの武器や戦術について熱心に語り合っている。オリヴィアは、静かに地図を眺め、何かを思案している。
俺は、そんな仲間たちの姿を見ながら、改めて決意を固めた。
(必ず、ティアーナを助け出す。そして、この仲間たちと共に、エルム村へ帰るんだ)
空には、満天の星が輝いていた。その中の一つが、ひときわ強く輝き、まるで俺たちを導いているかのように見えた。




