第134話:アイギス・フォート防衛戦(前編) - 剣と盾
軍事都市『アイギス・フォート』。
鉛色の重苦しい雲が低く垂れ込め、今にも空が落ちてきそうな圧迫感が戦場を支配していた。
大地を震わせる無数の魔獣の遠吠え。
腐肉と獣の脂が混じり合ったような強烈な悪臭が、北風に乗って鼻腔を刺激する。
「……来るぞ。総員、構え!」
城壁の上で、総司令官セレスティーナの声が冷徹に響いた。
防衛ラインの最前列。
そこには、エルム公国が誇る最強の前衛たちが並び立っていた。
風の共鳴者、カイル。
近衛騎士、イリス。
そして、彼女たちを支える豪快なリゼット。
鉄壁の布陣であるはずだった。
だが、その空気はどこか妙によそよそしい。
カイルは盾を構えながら、ちらりと横目で隣のイリスを盗み見た。
銀色の鎧に身を包んだ彼女は、いつも通り凛とした表情で前を見据えている。
だが、その肩は強張り、視線は頑なにカイルの方を向こうとしない。
(……くそっ、気まずい……!)
カイルは内心で頭を抱えた。
原因は分かっている。
先日、リゼットに「あんたたち、お似合いだよ」とからかわれたこと。
そして、ジュリアス爺さんとの訓練で、互いの魔力を合わせる感覚――魂が触れ合うような濃密な繋がりを知ってしまったことだ。
意識するなと言う方が無理だった。
ふとした仕草、呼吸の音、風に乗って漂う彼女の髪の香り。
その全てが、以前とは違った意味を持ってカイルの神経を逆撫でする。
(リゼットの奴があんなこと言うから、イリスの顔をまともに見れねえ!)
カイルは盾を握る手に力を込めた。
(変に意識しすぎて、剣の振りが鈍らなきゃいいが……)
そんなカイルの葛藤をあざ笑うかのように、地響きが一層大きくなった。
ズシン、ズシン、ズシン……!
地平線を黒く塗りつぶすような影の波。
ヴェルガント帝国四将軍の一角、“獣王”グラッフが率いる魔獣部隊の本隊だ。
「グルァァァァァッ!!」
先頭を切るのは、異様に筋肉が膨れ上がったオークやオーガたち。
その目は血走って赤く染まり、口からは涎を垂れ流している。
帝国の薬物によって理性を焼かれ、ただ殺戮衝動のみを植え付けられた哀れな兵器たち。
その後ろには、巨大なウォーウルフの群れが津波のように押し寄せてくる。
「来るぞ! 衝撃に備えろ!」
カイルが叫び、盾に風の魔力を纏わせる。
イリスも短剣を構え、闇のオーラを練り上げる。
だが、衝突の直前。
「風向きよし! 今だ!」
防衛ラインの側面から、鋭い声が上がった。
獣人の青年、ゲイルだ。
彼は風の匂いを読み、その鼻をピクリと動かして叫んだ。
「『鎮静の香』、散布開始!」
彼の合図と共に、後方に配置されていた投石機が一斉に火を噴いた。
ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
放たれたのは石ではない。
無数の穴が開いた、特殊な金属製の「香炉」だ。
それらは放物線を描いて敵陣の中央へと吸い込まれ、着弾と同時に砕け散った。
パァンッ!!
破裂音と共に、淡い緑色の霧が爆発的に広がる。
それは、生産都市の最高責任者アリシアと、錬金術師エラーラが共同開発した特製の薬効成分。
強制的に神経を鎮め、興奮状態を解除する『鎮静の香』だ。
霧は風に乗って魔獣たちの鼻腔へと入り込む。
「グ……ル……?」
「ガァ……?」
効果は劇的だった。
殺気立って突進していたオークたちの足が止まる。
充血していた瞳から狂気の赤色が引き、代わりに困惑の色が浮かび上がる。
薬物による強制的な興奮が、香りの力によって中和されたのだ。
戦場に、一瞬の空白が生まれた。
「効いてるよ! 動きが止まった!」
その静寂を破ったのは、豪快な女の声だった。
「野郎ども、今だ! 押し返せぇ!」
リゼット・ブラン。
彼女は身の丈ほどもある巨大な戦斧を軽々と振り回し、呆然とする魔獣の群れの中へと躍り込んだ。
「ふんっ!」
一閃。
大斧が唸りを上げ、巨大なオーガを盾ごと吹き飛ばす。
彼女の背中から放たれるのは、圧倒的な武力と、そして仲間を鼓舞する安心感。
「続け! リゼットさんに後れを取るな!」
兵士たちの士気が一気に高まり、反撃が開始される。
戦況は一気に公国軍へと傾いた。
だが。
先陣を切って暴れ回っていたリゼットが、ふと眉をひそめて振り返った。
「……ん?」
彼女の視線の先には、カイルとイリスがいた。
二人は背中合わせで戦っている。
カイルが盾で敵の攻撃を受け止め、その隙をイリスが突く。
一見すれば、見事な連携だ。
だが、リゼットの目には、その違和感がはっきりと映っていた。
(……遅い)
かつて見た、言葉なく通じ合う阿吽の呼吸がない。
カイルが踏み込む一歩が、イリスへの配慮でわずかに浅い。
イリスがカバーに入るタイミングが、遠慮によってコンマ数秒遅れている。
互いに傷つけまい、邪魔すまいと意識しすぎるあまり、二人の間に見えない壁ができている。
「あーもうッ! じれったいねえ!」
リゼットは目の前のウォーウルフを柄で殴り飛ばすと、戦場の真ん中で仁王立ちになり、大声で怒鳴った。
「ちょっと! イリス! カイル! あんたたち何やってんのさ!?」
その大声に、カイルとイリスがビクリと肩を震わせる。
「そんな借りてきた猫みたいな動きで、公国の最強の前衛名乗るんじゃないよ!」
リゼットは、ニヤリと意地悪く笑って言い放った。
「私の言葉を意識しすぎて動きが硬いんだよ! 熱い仲を見せつけるのは勝手だけどね、続きは生きて帰ってからにしな!」
その言葉は、戦場の喧騒の中でもはっきりと二人の耳に届いた。
「なっ……!?」
カイルが足を滑らせそうになり、盛大に咳き込む。
そしてイリスは。
(……熱い、仲……!?)
兜の下で、彼女の頬がカッと熱くなるのを感じた。
リゼットのからかいに、心臓が早鐘を打つ。
だが、彼女はそれを表情には出さなかった。
恥じらいよりも、戦友からの指摘を受けた騎士としての矜持が勝ったのだ。
(……いけません。戦場において、私情で連携を乱すなど……騎士にあるまじき失態!)
イリスは奥歯を噛み締め、熱くなった頬を隠すように兜のバイザーを深く下ろした。
(集中なさい、イリス。今は……目の前の敵を倒すことだけを考えるのです!)
「……申し訳ありません、リゼット! 目が覚めました!」
イリスは凛とした声で返し、剣を強く握り直した。
その動きから、迷いが消える。
「カイル殿、参ります!」
「お、おう! 悪かったな、イリス!」
カイルも気まずさを振り払うように吼える。
二人の間にあった見えない壁が、リゼットの一喝で砕け散った。
リゼットはそれを見て、「やれやれ」と肩をすくめた。
「まったく……。世話が焼けるねえ」
だが、そんな空気は、唐突に断ち切られた。
「――ええい、役立たずどもめ!」
地底から響くような怒号が、空気をビリビリと震わせた。
部隊の混乱と停滞に業を煮やした“獣王”グラッフが、ついに動いたのだ。
彼は味方の魔獣たちを踏み台にして、最前線へと躍り出た。
その巨体は、熊のようであり、虎のようでもある。
全身を覆う剛毛と筋肉の鎧。
手には、リゼットの持つ斧よりもさらに巨大で凶悪な戦斧が握られている。
「俺様が直々にひねり潰してやる!」
グラッフの双眸が、血の色に輝く。
その視線が捉えたのは、戦場の空気を変え、兵士たちを鼓舞し続けている要――リゼットだった。
「まずは貴様だ……目障りなやつめ!」
殺気が、物理的な圧力となってリゼットを襲う。
彼女が孤立した、ほんの一瞬の隙。
「死ねぇぇぇッ!!」
グラッフが跳躍した。
隕石のような勢いで、戦斧がリゼットの頭上へと振り下ろされる。
「……ッ!?」
リゼットが反応し、大斧を掲げて防御姿勢を取る。
だが、相手は帝国四将軍、“獣王”。
その一撃の重さは、桁が違っていた。
ドゴォォォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、リゼットの足元の地面が陥没した。
「ぐぅぅ……ッ!!」
「リゼット!!」
イリスの悲鳴が、戦場に響き渡った。
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