第118話:暴かれた聖域、迎撃の布石
首都エルムヘイム、公王執務室。
いつもの穏やかな空気は消え失せ、部屋全体が鉛のように重苦しい沈黙に支配されていた。
円卓を囲むのは、この公国の中枢を担うメンバーたち。
俺、セレスティーナ総長、ジュリアス殿、オリヴィア、ティアーナ、カイル、アリシア、イリス。
全員の視線が、テーブル中央に広げられた地図に注がれている。
だが、誰も口を開こうとはしない。
あまりにも残酷な現実が、そこに横たわっていたからだ。
「……報告します」
沈黙を破ったのは、セレスティーナ総長だった。
彼女は鋼鉄の意思で表情を引き締めているが、その瞳の奥には隠しきれない痛恨の色が滲んでいた。
「認めねばなりません。カジミール卿の離反により、我々がこれまで保ってきた『隠匿』は……完全に崩れ去りました」
その言葉が、部屋の温度を数度下げたように感じられた。
「エルム公国の正確な座標、保有戦力、主要な施設の配置……そして何より、レン公王が『龍覚者』であるという最重要機密。これら全てが、帝国に露見したのです」
セレスティーナの声は震えていなかった。
だが、それが逆に事態の深刻さを物語っていた。
カジミール卿。
かつてオリヴィアの側近であり、この執務室にも自由に出入りしていた男。
彼は知っている。
この国のどこに何があり、誰がどんな能力を持っているのかを。
「……っ」
オリヴィアが、唇を強く噛みしめた。
扇子を持つ手が白くなるほど震えている。
「わたくしの……不徳の致すところです。あの男を……あのような毒蛇を、懐に入れていたなどと……!」
「オリヴィア、自分を責めるな」
俺は静かに、だが力強く彼女に声をかけた。
「奴は父王の代から仕えていた。誰にも見抜けなかったんだ。……悔やんでいる時間はない。今は、これからどう動くかだ」
俺は地図を見下ろした。
始原の森の奥深く。険しい山脈に囲まれたこの場所は、これまで天然の要塞だった。
帝国も、まさかこんな未開の地に国があるとは思っていなかっただろう。
だが、座標がバレた今、山脈はただの障害物に過ぎない。
始原の森を知る魔術師ゼノンの知識、そして帝国の魔導技術があれば、ワイバーンの巣食うあの山脈さえも突破してくる恐れがある。
「……ギデオンを討ち取った以上、帝国はメンツにかけても報復に来るだろうな」
俺は言った。
「四将軍の一角を殺されたんだ。黙っているはずがない。……もはや、この始原の森は安全地帯じゃない」
その事実を、全員が飲み込んだ。
守られるべき聖域は、暴かれたのだ。
「では、奴らはどう攻めてくるか……ですな」
ジュリアス殿が、長い髭を撫でながら進み出た。
老魔術師の鋭い眼光が、地図上の三つの拠点を射抜く。
軍事都市『アイギス・フォート』。
鉱山都市『グラニット・ベース』。
生産都市『アグリ・ヴィータ』。
公国を支える三本の柱だ。
「カジミール奴は、我々の強みを知り尽くしておる。ゆえに、奴らが最も警戒するのは……ティアーナ殿が開発した『転移門』による『戦力の即時展開』じゃ」
ジュリアス殿が、杖で首都を叩く。
「通常ならば、敵がどこかの都市を攻めれば、我々は転移門を使って即座に首都から全軍を送り込み、数的有利を作って撃退できる。……帝国軍が一点突破を試みれば、我々は鉄壁の防御でそれを粉砕できる可能性が上がる」
「ええ。そのための転移門ネットワークですもの」
ティアーナが頷く。
だが、ジュリアス殿の表情は険しいままだ。
「左様。奴が帝国軍に入れ知恵をするなら、その『強み』を封じに来るはず。……すなわち」
ジュリアス殿が、地図上に三つの赤い駒を同時に置いた。
「『三都市同時侵攻』じゃ」
「同時……侵攻……?」
カイルが眉をひそめる。
「三都市を同時に攻めれば、我々はどこか一箇所に戦力を集中させることができなくなる。転移門で援軍を送ろうにも、全ての都市が戦場となれば、送るべき兵力が足りん」
ジュリアス殿の声が、冷徹な事実を告げる。
「我々を各都市に釘付けにし、転移門による『戦力の集中』という最大のメリットを封殺する。そして、孤立して手薄になった各都市を、圧倒的な物量ですり潰す……それが奴らの狙いじゃろう」
部屋に、絶望的な空気が漂った。
(……転移門による『一点集中』……そのカードを切らせてもらえないなんて)
ティアーナが、青ざめた顔で唇に手を当てる。
転移門があるからこそ、我々は少ない戦力で広大な領土を守れていた。
だが、全拠点が同時に攻められれば、その機動力は意味をなさなくなる。
一番痛いところを突かれる。
カジミールという内通者がもたらした情報の価値は、計り知れないほど致命的だった。
「……打つ手なしかよ」
カイルが悔しげに拳を握る。
「首都に籠城するか? いや、それじゃあ他の三都市が見捨てられることに……」
「見捨てるわけにはいきません!」
アリシアが叫ぶ。
「あそこには、たくさんの人が暮らしているんです! 故郷を追われ、ようやく見つけた安住の地なのに……また追われるようなことなんて、絶対にさせない!」
だが、どうやって?
戦力差は歴然としている。
帝国は大陸の覇者。動員できる兵力は桁違いだ。
分散させられれば各個撃破され、集中すれば他を失う。
完全に、詰んでいるように見えた。
沈黙が支配する会議室。
敵のシナリオ通りに動けば、負ける。
「分散すれば、負ける」。
……本当に、そうか?
俺の中で、一つの疑問が浮かび、そして強烈な閃きへと変わった。
敵の作戦には、一つの「前提」がある。
それは、「分散したエルム公国の戦力は、帝国軍の物量に耐えきれない」という前提だ。
「……いや、違うな」
俺は、力強く立ち上がった。
椅子の音が、静寂を切り裂く。
全員の視線が俺に集まる。
「レン?」
「相手が我々の戦力を分散させたいなら……あえてその戦略に乗ってやる」
俺は、地図上の首都に置かれていた駒を掴み取ると、それを三都市へと散らした。
「敵が来るのを待つんじゃない。我々が『先手』を打って戦力を分散配置し、各都市を『要塞化』して敵を迎え撃つんだ!」
「なっ……!?」
セレスティーナ総長が目を見開く。
「分散配置!? それこそ敵の思う壺では!? 援軍なしで孤立すれば、数の暴力に押し切られます!」
「いいや。カジミールが知っているのは『過去の』我々だ」
俺は言い放った。
「奴は、俺たちが『首都からの援軍ありき』で防衛プランを組んでいると思っているはずだ。だからこそ、分散させれば勝てると思っている」
俺は、仲間たちの顔を一人ひとり見渡した。
「だが、違う。……お前たちは、援軍がなければ戦えないほど、ヤワな連中だったか?」
「……っ!」
カイルが、ハッとして顔を上げた。
イリスが、剣の柄を強く握りしめる。
「俺たちは、黒鉄鉱山でギデオンを倒した。……少数精鋭で、あの鉄壁を打ち破ったんだ。」
俺は断言した。
「各都市に最強の指揮官を配置する。援軍を待つための部隊じゃない。単独で敵を殲滅できる『独立要塞』として機能させるんだ。……奴らが分散して攻めてくるなら、分散した先で返り討ちにしてやる」
「それにだ」
俺は、地図を指差しながら不敵に笑った。
「もし奴らが、俺たちの分散配置がばれて、一点突破に切り替えてきたらどうすると思う?」
「え……?」
「話は簡単だ。……その時は、転移門を使って俺たち全員がそこへ集まればいい」
全員が、ハッとして息を呑む。
「敵が分散してくれば、各個撃破。敵が集中してくれば、転移門で全軍集結。……どちらに転んでも、俺たちに隙はない」
これが、俺の描いた逆転のシナリオだ。
分散配置は「賭け」ではない。あらゆる状況に対応するための、最強の布陣なのだ。
「……はっ!」
カイルが、吹き出したように笑った。
ニヤリと、三日月のように口元を吊り上げる。
「なるほどな……! どっちに来ても迎撃可能ってわけか! へっ……! 受け身で震えて待つより、そっちの方が性に合ってるぜ!」
「ええ、そうですわね」
ティアーナも、瞳に光を取り戻す。
「私たちの技術と魔法……見くびられては困りますわ。カジミール卿には、古いデータで計算したことを後悔させてやりましょう」
絶望は消えた。
代わりに部屋に満ちたのは、燃えるような闘志と、やるべきことを見据えた覚悟だった。
「配置を決定する!」
俺の声が響く。
迷いはなかった。この配置こそが、仲間への絶対的な信頼の証だ。
「軍事都市『アイギス・フォート』」
俺は、三人の戦士の名を呼んだ。
「セレスティーナ総長! カイル! イリス!」
「「「はっ!!」」」
三人が同時に進み出る。
「お前たちは最強の矛であり盾だ。敵の主力は必ず軍事都市を狙う。……正面から叩き潰してくれ」
「御意! ドラグニアの誇りにかけて!」
「鉱山都市『グラニット・ベース』はティアーナ! ゴードンさん!」
「はい!」
ティアーナが力強く頷く。
「あそこは技術の心臓部だ。魔導兵器による搦め手が来る可能性もある。……新技術を開発し敵を翻弄できる体制構築を頼む」
「お任せください。私の魔道具で、帝国の鼻を明かしてみせますわ!」
「そして、生産都市『アグリ・ヴィータ』はアリシアとオリヴィア」
「はい、レン!」
「承知いたしました!」
「あそこは食料庫であり、多くの民が暮らす場所だ。敵は多くいる民を利用……人質を取るような卑劣な手を使ってくるかもしれない。……民を守り抜けるのは、お前たちしかいない」
「……任せて。私の光で、絶対に誰も死なせない」
アリシアの瞳に、慈愛と決意の炎が宿る。
全員の配置が決まった。
公国の全戦力を、三つの都市に分散させる。
それは、首都を空にするというリスクを背負うことでもあった。
「そして、俺は……」
俺は、地図の真ん中、首都エルムヘイムに自分の駒を置いた。
「首都に残り、全戦域を常時監視・統括する」
俺は、こめかみを指差した。
「マッピングと遠話の魔石をリンクさせ、全ての戦場の情報をリアルタイムで処理する。……俺が、公国の『目』となり『脳』となる」
前線には出ることはできない。
だが、それは安全地帯に隠れるということではない。
三つの戦場を同時に見渡し、必要な瞬間に、必要な場所へ、的確な魔法支援と指示を飛ばす。
ジュリアス殿に叩き込まれた役割。
それを、公国全土という規模で実行するのだ。
「……これが、エルム公国の総力戦だ!」
俺の宣言に、全員が深く頷いた。
もはや、恐怖はない。
帝国軍の侵攻は不可避だ。ならば、受けて立つ。
守るための戦いではない。
勝つための戦いが、今、幕を開けようとしていた。
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