月花を灯して
とある日の夜、あかつき寮の自室にて雛は蘭たちのライブアーカイブを見ていた。ライブの日から、その煌めきに魅了されて毎日のように、暇さえあれば見入っている。
「…凄いなぁ…………。」
いつも近くで見ていた蘭や柚希、莉愛が別人のように感じて、自分もこんな風に…と願う日々が続いていた。
しかし、雛はアイドル志望ではない。自分が何故そう思うのか分からず、その答えを探るようにライブを見ているのかもしれない。
「…妖精さんがいたら、こんなこと考えることも無いのかな。」
雛は脈絡も無くそんな言葉を漏らして、机の横の本棚に仕舞った絵本を慣れた手つきで取り出す。
「花の妖精は、最後に少女へアマリリスと白百合を捧げた…か。」
『フラワーフェアリー』というタイトルの絵本の最後のページを開く。
ファンタジーな世界観の絵で、病弱な女の子が深い森に迷っていたところを妖精に助けられ、森の外まで小さな冒険をするお話だ。
雛が子供の頃に地元の本屋で見かけて、初めて親におねだりして買ってもらったのを彼女は今でも鮮明に覚えている。
「森から帰った少女は穢れのない純粋な心と誇りを胸に、自由に生きていくのだった………。」
子供が読むには少し難しい内容。それを子供の頃の自分が何を思っておねだりしたのか、それはあまり覚えていない。
最後の文を読み終えると、雛はまた絵本の表紙を見る。森の中、少女と妖精が出会うシーンが切り抜かれている。
ファンタジーな世界観の中にある小さなリアリティに、いつしか雛は憧れていた。この絵本のように妖精に出会って、何も出来ない自分に勇気を与えて欲しい…と。
しかし、そんな彼女の望みは叶うことなくここまで来た。これと言った夢も無く、長いものに巻かれていくような人生に意味なんて無い。それに抵抗出来ない自分にも意味が無い。
雛はそうやって自己嫌悪に陥り、そのままベッドに寝ることも無く重い瞼を閉じた。
_____ふわふわとした曖昧な意識の中、気がつくと雛は不思議な場所に立っていた。どこか現実味の無い幻想的な空間。
重かった瞼が嘘のように軽くなり、雛はパチパチと数回瞬きをした。
「…ここって…………。」
ボソリと呟いた言葉も鮮明に聞こえる。頭も次第にハッキリしてくる。その感覚が目の前の空間とは裏腹に、現実味を帯びていく。
『雛。』
すると、頭の中に自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。女神のように美しい、透明感のある声。
その声はどこか聞き覚えがあり、いつ聞いたのか記憶を掘り起こすも、答えは見つからない。そして、その声のする方を向いてもそこには誰もいない。
『初めまして、私はアリア。今はあなたに直接語りかけているから、姿は見えないわ。』
アリアと名乗る少女の声は雛の疑問を見破るようにそう答えた。
あまりに現実から乖離している出来事なのに、夢ではない感覚がまとわりついて混乱する。
「アリア…さん?あなたは、その………妖精さん?」
眠りに着く前に絵本を見たせいか、雛の中ではその答えが浮かぶ。しかし、アリアはクスリと笑ってその考えを柔らかく否定した。
『ここは『煌めきの世界』。世界中の煌めきが集まる場所。雛は昨日見た夢を覚えているかしら?』
「夢………?」
昨日見た夢など、普通は起きたら夢を見たかさえどうか分からなくなる。しかしアリアが「昨日の夢」と言うと同時に、それがスイッチとなったかのように雛の記憶が蘇る。
白い世界、煌めきに溢れたその世界が闇に飲み込まれていく光景が浮かんだ。
『ここにいる理由はその夢が全て。夢の結末、闇に飲み込まれたこの世界を救う為、雛に歌って欲しいの。』
「…歌………。」
『えぇ。あなたの歌には特別な力がある。自分の中にある一途で純粋な誇り高き想い…それを乗せた歌を。』
雛の目の前が森の中に変わる。あの絵本で少女と妖精が歩いていた森と似ている。緑ばかりだった森は奥に進むほど花で溢れ、その奥には妖精が住む花園が待っている。
それを見た雛は妖精への熱い想いが溢れてしまいそうになった。
『雛、あなたの煌めきはそれほど強くはない。けれど、確かにそこにある存在感。人の心に寄り添い、暖かく包んでくれるような…優しい光。』
歌ってと言われて、自信のある歌は歌えない。しかし、アリアの言葉を聞くと不安が薄れていく。
気がつくと雛は絵本の妖精を模した花が散りばめられた衣装を身に纏い、左手にはマイクが握られていた。
『雛、歌って。あなたのその…純粋な想いを。そして、私たちをいつか…見つけて。』
「え…?」
導かれるように手に持つマイクを口元へと持っていき、自然と詩が浮かぶ。目の前に広がる花園にチラリと影が、見えた気がした。
こもれび かげを照らして
てのひら あおぎ広げて
かぜを感じた
見つけられない フェアリー
花園に消えて
見えない だからこそ
わたしの物語は 永遠にきらめくの_____。
・・・
同時刻、豪邸に住む伊織はまだ昇りきっていない月をベランダから眺めていた。
今日は三日月。綺麗な方をしているが、なんだか中途半端な形。
「…私みたいね。」
「お嬢様、初夏とはいえ夜は冷え込みます。そろそろ中に入られた方が良いかと。」
「えぇ、そうね。」
伊織の側近にはソーニャこと、ソフィア・エヴェゲーニエヴナ・スミルノフというロシア人のメイドがいる。彼女は伊織が小さい頃からお世話を頼まれており、深い信頼関係で結ばれている。
「…ソーニャ、今日はもう良いわ。部屋にいるし、何かあったら呼ぶから。」
「畏まりました。失礼致します。」
ベランダの窓を閉めながら言う。ソフィアは頭を下げて伊織の部屋から出ていった。
ソフィアがいてもあまり窮屈には感じないが、完全に一人の空間になると安心して溜息が出た。
ベッドに腰を掛けて、そのまま身体をベッドに預ける。窓から三日月の弱い光が差し込んでいる。
「なんとも言えないわね。」
はぁ…と深く溜息を吐く。自己嫌悪に陥る彼女の姿は普段のような自信満々の彼女とは違う、一人の未熟な少女だ。
生まれた時から確立された地位。約束された幸せな将来。
人が羨ましいと思える立場にいる彼女は、それが少し疎ましい。
世界的に有名なブランドを手掛ける祖母の家に生まれた自分。誇らしくもあり、縛られているようで窮屈に感じることもある。
「私は…こんなにちっぽけだと言うのに。」
世界に比べて小さい自分。それは極当たり前のこと。しかし、彼女が言いたいのは見た目のことではない。
心の持ちよう、感じ方。伊織は自分が嫌いではないが、好きでもない。自分に対して、中途半端な感想しか持ち合わせていない。
考え出したら止まらなくなり、どんどんと苦しくなる。
その思考をゆっくりと睡魔が彼女を襲い、目は重たく閉じていく。
_____微睡みの中、気がつくと伊織は不思議な場所に立っていた。真っ白でキラキラしていて、その他には何も無い空間。
そこは、蘭たちがいた世界だとすぐに理解する。
「…何故こんなところに…蘭の映像を見たせい…?」
夢は現実世界の出来事に影響されて、記憶には無い景色を映すという。
しかし、妙に感じる自分の体温や心臓の音がやけに生々しくて、そこが現実なんだと理解するにはそう時間は掛からなかった。
『…伊織。』
「っ、誰!?」
頭の中にはっきりと自分を呼ぶ声がする。警戒心の高い伊織は、その声の主を探すが彼女の姿はそこには無い。
『初めまして、私はミコト。伊織に直接語りかけているから、姿は見えない。だから落ち着いて。』
ミコトと名乗る少女は伊織に落ち着くよう言うけれど、他人に心を許すことを簡単にしない伊織は険しい顔を辞めない。
『ここは『煌めきの世界』。世界中の煌めきが集まる場所。伊織は昨日見た夢を覚えてる…?』
昨日見た夢、と言われて思い出せるはずが…と思った矢先、伊織の記憶の中に映像が蘇る。
目の前と同じ世界が脳裏を過ぎる。二人の少女、綺麗な歌、それらを飲み込む闇。
『ここにいる理由はその夢が全て。夢の結末、煌めきが消えて闇に飲み込まれたこの世界を救う為、伊織に歌って欲しい…。』
「…歌?あなた、何を言っているの…。」
『今はまだ分からなくていい。これからきっと、分かっていくはずだから。』
ミコトの言葉は全く意味が分からない。しかし、彼女の言葉はそうしなくてはならないと思い込んでしまう。
『伊織は未熟。どんなに自分を磨いても、心だけは未熟なまま。』
「んなっ…!」
『でも未熟だからこそ、無限大の可能性を秘めている。どうなるか分からない伊織の歌…その未知の煌めきを………。』
侮辱されたかと思い、顔を赤くする。しかしその言葉は伊織が常々思っていたこと。ミコトの言葉がゆっくりと心に染み込んでいく。
気がつくと伊織は月夜をイメージした豪華で美しい衣装を身に纏い、左手にはマイクが握られていた。
『伊織、歌って。その月に照らされた道を歩むように…。』
導かれるように手に持つマイクを口元へと持っていき、自然と詩が浮かぶ。目の前に広がるのは、真っ暗な空に灯る大きな満月。
果てなきMOON 気高きPRIDE
そのまま私は眠りゆく
夢見る自分は要らないの
ホントの自分
分からない 分かりたくない
私を惑わす
MOON PRIDE………_____。
・・・
「…………やはり。」
煌プロダクション、社長室。そこで秀一郎はテレビ画面を見ながら、一人そう呟いた。
そこには先程まで雛と伊織の映像が映し出されていた。
「小鳥遊 雛、壬生屋 伊織。彼女たちの煌めきは本物だ。」
二人の歌を聞いた秀一郎の瞳にはその煌めきが焼き付いている。
花粉が空を舞い、太陽に反射するように。
闇夜に凛と光る月のように。
二人の煌めきは蘭たちと同様のもの。
「…きっとまた、現れるだろう。その煌めきを持つ者が。」
秀一郎は手元にある書類を見る。そこには蘭や奏空、柚希、楓、莉愛、アイリーンだけでなく、雛と伊織。そしてほか数枚の書類を捲る。
「社長、頼まれてたやつ届きましたよ。」
社長室に大きなダンボールを持った結弦がやって来る。適当な場所に置くよう指示すると、秀一郎が見ていたモニターを覗く。
「事務室のテレビにも映ってたの見ましたよ。また、ですか。」
「あぁ…予想していたことだ。」
秀一郎はモニターに映る雛と伊織の姿をジッ…と見る。その目が二人の姿以外のものを見ている、否。感じているものが結弦にも分かる。
「モニター越しでも分かるものですか?」
「ハッキリと見えるよ。こればかりは普通には無い感覚だから、説明が難しいけどね。」
秀一郎は軽く笑って映像を消す。疲れたのか目を閉じて、身を椅子に沈ませた。
結弦はそんな秀一郎の姿を見て、初めて会った時よりも顔に幾つか皺が出来たなと微笑む。と言ってもまだまだ若々しいのだが。
「何か失礼なことを考えているかい?」
「あれ、見えちゃいましたか?」
「冗談なんだから否定してくれ。」
凛とした瞳が結弦を捉える。先程の疲れなど見せないその風貌に、結弦は驚くが流石だなと思い困ったように笑う。
「出会った時から変わりませんね、その瞳は。」
「生まれつきだからな。苦労することもあったが…今の自分はそれなりに気に入っているよ。それに、私の周りは輝いている人ばかりだしね。」
秀一郎は結弦を見ながら言う。その言葉の意味が分かる結弦は照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。
秀一郎は窓の遠くを見つめる。真っ暗な空に星が点々としている。お世辞にも綺麗とは言えない空だが、それが秀一郎には綺麗に感じた。
「やっぱりこの瞳は特別だ。」
何でも綺麗に映るわけではない。普通は見えない人間のドロドロした感情もその瞳に映ってしまうこともあり、それに感情移入してしまって心が苦しくなることもある。
しかし、やはり人の持つ煌めきは他の何者にも変え難い唯一無二の美しさがある。
「………。」
遠くを見つめる秀一郎の隣で彼を見つめることしか出来ない結弦は、彼の抱えているものの大きさと自身のちっぽけさを比較し、その気持ちをそっと胸の奥に仕舞った。
・ソフィア・エヴェゲーニエヴナ・スミルノフ
壬生屋家に仕えるメイド。マリーから伊織の世話をするよう任されている。ロシア出身で見目麗しい容姿をしている。何事も完璧にこなす。




